富士川游著述選 第三巻  宗教的内省  東京 中山文化研究所発行  刊行の辞  回顧すれば、不可思議なる因縁で約三十年前私は図らずも富士川先生に面晤の機を得、それ以来多年大いなる力の下に指導啓発せられたのである。偶々、大正十三年中山文化研究所の綜合機関創設と共に児童教養研究所女性文化研究所其他の各分科機関整備充実に当り、先生は私の希望を容れられて、特に女性文化研究所々長として、女性の文化生活上科学知識の普及並に精神生活の信念確立に関する重要問題の研究指導に当られ、其後文化研究所長として之を主宰せられ、昨昭和十五年十一月六日高齢七十六歳を以つて逝去せられる時まで、その該博なる科学的知識と、深遠なる宗教的思索とを以つて、本所創設の使命遂行のために熱心尽瘁せられたのであつた。  先生は常に、真の文化の恨帯に欠くべからざるものは宗教的信念なりと唱道せられた。然るに宗教に就いての一般的理解が識者の間に於いてすら皆無に近いか、或は極めて幼稚であり、又甚だ歪曲せられて居ることを遺憾とせられ、先生の後半生は始どその全力を真の宗教的信念の普及に傾到せられたのであつた。就中、文化研究所に於いて婦人精神文化等の講座を順次に開催せられ、宗教の本質に就いて、或は科学と宗教、或は哲学と宗教との関係について諄々と記述せられ、以つて宗教の真髄を闡明することに力められたのであつた。さうして一面「釈尊の教」「親鸞聖人の宗教」「弥陀教」「倫理と宗教」「宗教生活」「迷信の研究」等の論者を公にせられ、又雑誌「精神文化」及び「法爾」等には毎月その宗教的思索と体驗とを載せられたのである。  今や曠古未曾有の難局に際會し、国民思想の昏迷は識者の最深き憂とするところ、殊に、大東亜建設の重責を有する我が国民の精神生活にゆるぎなき信念を確立しなければならぬといふことは、心あるものの齊しく考へてゐるところである。この時に方り、真実なる宗教的信念を確立し、正しき情操の涵養に力めて国民の感情を醇化することは蓋し最も喫緊の要務である。今こそまことに富士川先生の如き透徹せる宗教的信念に生くる指導者を要望すること最も大なるの秋である。隨つて私は常に先生の矍鑠《かくしやく》さと其の高潔なる風格とを以つて更に長く後進を薫陶せられむことを切に願つてゐたのであるが、今やその希望は空しくなつた次第である。仍つて其の遺稿遺文を輯めて之を世に公にすることは本研究所本来の目的達成に資する所以なりと信ずる。幸にして、深遠なる教義を平易に閘明せられたる先生の珠玉の文字は累積してあるので、夫等の内から代表的なりと思はるるものを選びて上梓し、其の芳躅を永へに遺し、千載の後なほ真実の道を伝へ、これを求むるものの指針たらしめむとし、敢て之を公刊して江湖に薦むる所以である。  昭和十六年四月下浣  中山文化研究所主  目次  親鸞聖人の宗教  序言  人間社會  社會改造  人間性  宇宙と人間  常樂我浄  物質の世界  我他彼此  四苦八苦  身体的の苦  精神的の苦  人間苦  人間苦と宗教  苦の始末  苦を使ふ  苦を見る  生老病死  一切の事物  迷妄を離る  古聖人の道  八正道  因果の関係  十二因縁  三世の因果  因縁の還滅  四種の良馬  苦集滅道  釈尊の教  内観  真実の道  五根を制す  心を主とす。  繋縛  摩訶那摩  対機説法  転迷開悟  三学  小乗の教  大乗の教  六度  檀那波羅蜜(布施)  尸羅波羅蜜(持戒)  ?提《せんだい》波羅蜜(忍辱)  毘梨那波羅蜜(精進)  釈迦教  行法  智慧  理智一如  般若波羅蜜  禅と戒  慧解  授戒  忍行  止観  念仏  読誦の一支  極樂往生  念仏宗  欣求浄土  平民の宗教  数萬遍  来迎の絲  転変の世相  専修念仏  仏道滅亡  仏陀  成仏の教  聖道門  四乗  仏乗  是心是仏  煩悩即菩提  即身頓証  菩薩乗  八不中道  五重唯識  縁覚乗  声聞乗  難行道  哲学より宗教へ  易往浄土  二種勝法  実踐道徳  現相否定  現相肯定  浄土教  日本仏教  自力と他力  他力  報身報土  浄土の菩提  捨家棄欲  此土入聖  赤??の心  教行不相応  正定業  本願に順ず  時機相応  禅勝房  理想の境  南無阿弥陀仏  三心具足  本願の行  生活浄化  彼岸の世界  報身報土  必得往生  念仏の心得  威儀によらず  三寶新誓  往生の仇敵  四種念仏  語念と心念  本願の念仏  選擇本願  親鸞聖人  念仏成仏是真宗  大無量壽経  他力念仏  仏教の掟  念仏する心  至誠心  深心  廻向発願心  定散自力の心  大経の三信  一心  淨土三部経  発三種心  第十八願  正行  雑行  本願に対する態度  至心  信樂  欲生  内観の徹底  真賞に生きる  畜生の道  原始状態  道徳の世界  真実信心  三心の字訓  至心の体  絶対他力  一心帰命  生活の指導者  我と非我  唯仏是真  方便法身  是心是仏  極樂住居  大悲を仰ぐ  浄土教  弥陀教  弥陀を憑む  願力に依る  憑む一念  祈願の心  憑むは心  聞信の一念  信の相  願行具足  無疑無慮  聞其名號  道徳より宗教へ  依悪の感情  自己価値の否定  三界自心  種々の分別  真実の価値  自力難行  縁の遠き教  言念無実  是非知らず  虚仮不実  業縁・業報  因の果  宿業  本願信受  妙好人(一)  妙好人(二)  妙好人(三)  教行証  念仏一行  教行信証  真実の教  真実の行  真実の信  自性唯心  真実の証  成仏と往生  化身化土  難思議往生  思議往生  未来の世界  現生十益  宗教的内省  第一講 ?曲《てんごく》の心  正見と邪見  真実の相  現実の我  貪瞋癡の火  渇愛の世界  孤独の生活  虚心性現  内省の要  諂曲の心  意を曲げる  まゐらせ心  自力の念仏  報恩謝徳  第二講 無慚無愧  恥を知る  恥づべきこと  羞恥の感情  慚恥  慚愧の四種  覆蔵の心  覆蔵重罪  無慚無愧  大恥  慚愧と驕慢  第三講 虚飾  外を飾る  虚飾を戒む  醜悪  人目を慎しむ  欠け易き心  名聞利養  謙讓と虚榮  菩薩の譏嫌戒  真仮の四種  賢善の相  心を直ほせ  虚飾を離る。  第四講 驕慢  慢と驕  悪衆生  謙敬  増上慢  卑下慢  ありのまま  間雑の心  計ふ心  惰魔  無為自然  第五講 瞋恚  瞋恚と軽躁  八識  煩悩  瞋恚三種発相  短気  仏心  自己中心  羅?羅  観心  修行  觸光柔軟  第六講 放逸懈怠  放逸と懈怠  心王  心所  懶惰  宿命を知る  三重樓  懈怠の賊  釈尊の遺訓  小語大笑  放逸の過  不信  懈慢界  自覚  懺悔と懈怠  永観律師  三種の天使  第七講 克己復禮  仁  禮  天の命  克己  私のない心  天理の節文  あるべきやう  自然の節  仁の細目  人の六情  意を防ぐ  心を調ふ  仏心の顕現  慈悲の生起  第八講 聴聞  聞く  聞く心  聞慧  宿善  宿縁  宿善開発  聞法  身を捨てる  機の低下  無宿善  宿善遇速  聞其名號  厭足なし  聞法三類  聞法の障碍  無漏の智慧  聴聞の態度  第九講 知恩  現生の益  五趣八難  十種利益  四恩  父母の恩  国王の恩  衆生の恩  三寶の恩  仏寶  法寶  僧寶  仏恩を知る  報恩謝徳  信心獲得  内省の要  道徳と宗教  第十講 名聞利養  名利  提婆  驕ぶる心  五欲  求むる心  性空上人  空也上人  揄黷ミじり  聖光房  恵心僧都  第十一講 慈仁  慈仁  良心  自愛  本心  仏性  明徳  明徳仏性  縁慈  小慈小悲  善御  慈力王  無客  金剛の悲心  妄念  聖道の慈悲  浄土の慈悲  第十二講 不信  不信  信  疑  信心  三信  三不信  自力の信心  他力の信心  真実信心  仏心  信心歓喜  聞其名號  妙好人七三郎  本願を抑へる。  袖口同行  他力念仏  聞法生活  虚仮不実  貪欲の苦  瞋恚の苦  愚痴の苦  離苦の法  安心  宗教  生活と宗教  仏教の要諦(一)  仏教の要諦(二)  仏教の要諦(三)  悟道  釈迦教  哲学と宗教  自我の問題  弥陀教  不断煩悩得涅槃  真実の智慧  不思議の智慧  念仏  信心  法性の都  行法解脱  信心解脱  聞法生活  親鸞聖人の宗教  本篇は、昭和七年九月より翌年八月に至る一ヶ年間、東京婦人精神文化研究會に於いて、連続的に講演せられたるものの筆録に先生自ら多少の修正を加へられたるものである。  序言  親鸞聖人の宗教と申す題をかかげて、おはなし致さうと思ふのでありますが、それは親鸞聖人が自身にお書きになつたものと、それから外の人が聖人の言説や行実などにつきて書いたものと、それから聖人が弟子におくられた手紙の類などと申すやうな書物によりまして、およそ親鸞聖人がどういふ風な宗教の体驗をせられたかといふことを、私の考へによりてまとめまして、それを親鸞聖人の宗教としてお話いたすのであります。すべて宗教といふものは、人々の心の中の状態でありまして、言葉によりて人から人に伝へらるべきものではありませぬから、どんなえらい人の説かれたことでも、それがそのままその人の宗教であるとはいはれぬのでありまして、その人の説いたことを聞いた人の心持が、ある特別の状態をあらはしたときに、これを宗教といふのであります。このことは私が始終くりかへしくおはなしいたすことでありまして、宗教は決して知識のはたらきに属するものではありませぬ。全体、我々の心のはたらきは、ひとりひとり別のものでありまして、たとひ口から出る言葉がおなじでも、その言葉を出す人の心持は互に違つたものであります。又おなじ言葉を聞いても、聞く人の心持は皆別々のものでありますから、言葉によりて宗教が伝へられるものではありませぬ。それ故に自分より外の人の宗教につきては、これを考へること出来ず、言ふことも出来ぬ筈であります。言葉そのものがそのまま宗教ではなく、それを聞いた人の心持が宗教になるのであります。いかなる言葉にもせよ、それを宗教にするかしないかは、それを聞く人の心のはたらきによるのであります。親鸞聖人の宗教は、無論仏教でありますから、釈尊の説かれたことが根本で、それと釈尊の後の人が説かれたものとによつて、親鸞聖人の心の上に親鸞聖人の宗教があらはれたのであります。かやうにして出来上りたる宗教といふものは、心のはたらきの基本となりて、それが言葉に出ることは勿論、その行の上にもあらはれるものであります。私が今お話いたすのはこの方面のことであります。  人間社會  人間といふものは生きて行かねばなりませぬ。さうして生きて行くためには、第一に相当の衣食住を必要とすることは申すまでもないことであります。著るものが要る、食ふものが要る、住むところの家が要る、少くとも衣食住の三つは生活の上に必要のものであります。ところが今日社會を見ますると甚だ不公平でありまして、一方には金殿玉樓に住み、又自分が立派な家に住む外に別に家を建てて人に貸して利を得る人があるかと思ふと、一方では自分が住む家のないやうな貧乏の人も多い。出るのに車あり、自動車、馬車、いろいろの乗物を備へて不自由のない人があるかと思へば、一方には電車に乗る金すらないやうな気の毒な人もある。どうも不公平な社會の状態であるといふことが目につくのであります。さうして、ありあまる財産を擁して享樂に耽るやうな階級のものが、知識階級のものと共に社會の上等の位置を占め、此等の階級のものが、その思ふが儘に政治でも教育でも何でもして居るのであります。さうして、彼の貧困にして知識に乏しく社會の下屑に沈んで居るものはどうすることも出来ない有様であります。かういふ社會の状態は勿論今に始まつたことではありませぬ。古い昔からさうであつたのでありますが、しかしそれは何といつても公平ではありませぬ。富の分配がよくないのであります。智の分配がよくないのであります、仕事の分配がよくないのであります。そこで近頃になりて考へが出て来たのは、かういふ社會を改革して、すべての人々が、公平に生活が出来るやうにして行かねばならぬといふことであります。  社會改造  それは要するに、新たなる社會を造りて不公平のないやうにしやうと計画するのでありまして、第一にその目的とせらるるところは経済の関係であります。現在の社會の有樣から言へば、ありあまる金を割いて無いのに与へるといふことでありませうから、それは一時平等になるかもしれませぬ。しかしながら、人々の智慧を平等にすることはむづかしいことであります。持つて居る智慧を取りあげるわけにも行きませんし、又それと反対に智慧のないものに智慧をわけてやることも出来ないのであります。生れついて居る精神の能力はどうすることも出来ないのであります。所有の分配を公平にするといふことは強制すれば出来ることでありますが、与へられたるものをよく保存するとせざるとはその人の能力でありますから、それもすぐに不公平の状態をあらはすことでありませう。それ故に経濟のことは或は平等になるかもしれませぬが、しかし、人間の性質や能力を平等にすることは出来ないことであります。さう考へて見ますと、今日の社會の状態は固よりよくないものでありますが、それを改造してよいものとするには、どうしても、その前に人間の改良をしなくてはならぬことでありませう。  人間性  澤尊の説教が「大無量壽経」に載つて居りますが、その中にかういふことが説いてあります。  「唯此間は悪多くして自然あることなし、勤苦して求欲す。転た相欺給して心を労し形を困しめ、苦を飲み、毒を食ひ、是の如く?務して未だ嘗て寧息せず」これはまことに我々人間の本性であります。我々は勤苦して何物かを求めるのであります。それがために互に相欺き、心を労し、形を苦しめるのであります。「苦を飲み毒を食ひ」とはまことによく形容せられた言葉であります。我々は求欲一点張のものであります。そのためにはお互にあざむき合ひ、心をくるしめ体をよわらせるのであります。さうして寸刻もやすまることがないのであります。かういふ心は全く人間性であります。かふいふ心からして我々人間は世の中のことをばすべて買ひかぶつて居るのであります。どんなことでも満足の得られぬことはないといふ考へが先づ存在して居るのでありますから、それが得られぬと不足が出て来るのであります。如何なる時でも思ふやうにしたいといふ考へが強いから、それが出来ぬと不平が出て来るのであります。それ故に、かういふ心を改めないで、さうしてただ社會を改造しやうとしてもそれは出来ない相談であります。  宇宙と人間  かやうな人間性のことを考へるにつきては、先づ我々人間が宇宙にありてどういふ位置を持つて居るのであるかといふことを知らねばならぬのであります。今、晴れたる夜、目をあけて大空を眺めるとき、無数の点々たる光が見られるのであります。我々はこれを星と名づけて居りますが、その澤山の星の中で最も我が地球に近い星はアルファ星と申すのであります。その星からあの光りが我々の目に来るのには三年半位かかるということであります。一体、光線の速力といふものは一秒間に約七萬七千里であります。太陽から我々が棲むこの地球までの距離三千八百萬里を約八分で日光が到達するのであります。かやうな速力でなほ二年半かかるといふのでありますから、その距離の甚だ遠いといふことは想像せられることでありませう。一番遠いジェーベル星から光線が我が地球までくるには七十二年を要するといふことであります。望遠鏡で我々の眼に這入るのがかうでありますから、その他わからない星がどの位あるか知れませぬ。銀河と言つて淡い光つた霧のやうなものが見えますが、これも亦多くの星が集つて居るのであります。さうしてその星の数は千八百萬以上あるといふことであります。ただこれだけのことを考へましても宇宙の広大なることは想像せられるのであります。それに比べて我が地球は実に小さいものであります。その中にありてうごめいて居る我々人間は更に極めて小さいものであります。さうして、大宇宙から見れば、我々人間は実に微粒の幾千萬分一にも及ばない一小分子に過ぎないのであります。かういふやうなことを考へると、人間が、小さい地球の上の、小さい動物としてうごめいて居ることは、我々が小さい虫けらの類を求めて右往左往にかけ廻つて居るのと同じことであると言うべきであります。それ故に、何事も人間が思ふやうに出来ぬことは言ふまでもないことであります。  常樂我浄  しかるに、我々は宇宙に於ける位置といふやうなことは少しも念頭に置かないで、ただ自分といふものを本尊として、自分の思ふがままに振舞はむとするのであります。それ故に、小さい人間に調合して非常に大きい欲望を持つて居るのであります。さうしてその欲望は固よりさまざまの方面にわたつて居りますが、要するに、常、樂、我、浄の四つに約めていることが出来るのであります。まづ何事も常でありたい。世の中は無常でありますが、それが常でありたい。その中でも有常を欲するのは生命であります。死にたくない、ながく生きて居りたいいつまでもながく生きて死ぬることのないやうにと願ふのであります。その次には樂しく暮したい、窮屈なる生活をせず、貧乏や災難に苦しめられず、いつでも樂に幕したいと願ふのであります。それから我を通ほしたい、我を張りたい、どこまでも自分を拡張することが大きな望みであります。それから淨は気持よく生きたいといふことであります。人間には大きな欲望が澤山にあるのでありますが、要するに、この常、樂、我、浄の四つで説明することが出来るのであります。  物質の世界  さうして我々は、この欲望をば、いつでも物質の世界に求めやうとするのであります。長く生きたいと願ふことは我が身体を永久に保存することでありますが、物質の世界は決してその欲望を滿足することが出来ぬやうになつて居るのであります。いくら死にたくないと願ふても、我々の身体は漸次に老衰して遂には死滅するのであります。始めのある身体は必ず死といふ終がある。これは宇宙の法則にして人間としては如何ともすることの出来ぬものであります。樂しく暮したい、気持よく暮したいと願ふといふことは、取りも直さず物質の世界に自己の利欲を満たすことを願ふのであります。より多くのものを所有せむと願ふのであります。巳に得たるところのものはこれを失はないやうにと願ふのであります。名聞と利養とを專一として、すべての欲望を物質の世界に求めやうとするのであります。しかしながら、さういふ欲望を物質の世界に求めやうとしたところで、さういふ世界では、自分の他にも澤山におなじやうな欲望をもつところのものがうじうじして居るのであります。罌粟《けし》粒よりもつと小さい世界で、限りある物質を取りまいて、あくせくしたところで満足することは出来ぬのであります。  我他彼此  罌粟粒より小さい世界に、極めて多くの欲望を持つて居るところの人間がうじうじして、我と他とを別ち、彼と此とを分けて、互に名と利とを得むとの欲望のためにうごめいて居るのであります。それ故に喧嘩は絶えませぬ。闘争は常であります。負ければ腹が立つし、勝てば人から怨まれる。何れにしても釈尊が言はるるやうに苦を飲み毒を食ふのであります。得たものも得ぬものも共に苦しまざるを得ないのであります。近頃の歐洲の大戦を見ましても、負けた独逸が苦しむばかりでなく、勝つた国々も共に苦しまざるを得ぬのであります。それ故に我々人間は、極めて多い欲望から、結局、いろいろの苦しみをつくり上げるのであります。  四苦八苦  俗間で、何か苦しいことを形容して四苦八苦の有様と申しますが、これはもと仏教の説でありまして、仏教では四苦八苦といふことを説くのであります。四苦とは生、老、病、死の四苦でありまして、これに愛別離苦、怨増會苦、求不得苦、五陰盛苦の四苦を併せて八苦と申すのであります。釈尊が説かれたといふのでありますが、それはどうでもよいとして、「涅槃経」の中にこれが説かれて居るのであります。  身体的の苦  四苦の中にて、生苦は生れる苦しみ、老苦は年をとる苦しみ、病苦は病む苦しみ、死苦は死ぬる苦しみでありまして、それは全く身体に関するるのであります。生れる苦しみに五通ほりある。一とつは受胎でありまして、母のからだにやどる苦しみであります。「衆生初めて生を受くる時、母の腹中にありて窄隘《きようあい》不浄なり」とあります。二つには種子でありまして「識種子母の気息に随ひて出人自在を得ず」母の胎内でありますから、識の種子が自由に行動することが出来ぬのであります。三は増長であります。腹の中で発育して大きくなつて、丁度監獄の中にでも居るやうなといふのであります。四は出胎であります「出胎の時、風に吹かれ物に觸れ痛楚す」とあります。なるほど生れることをまた一とつの苦痛であります。五は種類であります。「人品に貴富貧賤あり相貌に焚欠研醜あり是を生苦と名づく」とあります。これをまとめて生苦と名づけるのでありますが、つまり、人間が人間となるといふことが生苦といはれるのであります。それから老苦であります。これは一とつは増長、一とつは滅壊であります。増長といふのは、青年から壯年、壮年から老年に及ぶに從ひて体力がおとろへ、思ふやうに動くことが出来なくなるのをいふのであります。滅壊といふのは、身体がおとろへると共に精神も耗滅してその命が日に促り、漸く朽壊に至るのをいふのであります。次は病苦であります。病苦に二種ありまして、一とつは身病であります。一とつは心病であります。心に苦悩を懐ひ憂切悲哀するのをいふのであります。この身病と心病とが病苦であります。次は死苦であります。これにも二種ありまして、一とつは病死、一とつは外縁であります。病死は病気で死ぬのであります。外縁は、或は悪縁に遭ひ或は火災水難などで死ぬのであります。かやうに人間は生れてから死ぬまで四つの苦しみがあると説かれるのであります。  精神的の苦  生老病死の四苦はかやうに身体にしてあらはるる苦でありますが、その他の四苦はこれに対して精神に関してあらはれるのであります。その一は愛別離苦であります。これは「常に親愛するところの人、乖遮離散して共に処ることを得ず、これを愛別離苦と名づく」と説明してあります。親愛なるものと死別したり、生別したりするところの苦しみであります。次は怨憎會苦であります。常に怨雛憎悪するところの人、遠離せんことを求むるも反て共に聚る。これを怨憎會苦と名づく」と説明してある通ほりに、気に入らぬ人とも一緒に居らねばならぬ苦しみであります。怨み憎む人とは離れるのがよいのでありますが、それが離るることの出来ぬ苦しみであります。それから求不得苦であります。「世間一切の事物、心に愛樂するところのもの、これを求めて得ること能はず。これを求不得苦と名づく」と説明してあります。我々は求むることが甚だ多いのでありますが、それを得ざる苦しみであります。何でもほしい、有つてもまたほしい、それが思ふ通ほり行かぬ苦しみであります。次は五陰盛苦であります。その説明に「五陰は色、受、想、行、識なり。陰は即ち蓋復の義、能く真性を蓋覆して顕発せしめず。盛は盛大の義、前の生老病死等の衆苦聚るが故に五陰盛苦と名づく」とあります。これは前の七苦を一緒にしたもので、身体に関する苦しみと精神に関する苦しみとを併せて言ふのであります。それ故に、元来は前の七苦であります。  人間苦  我々人間が欲望のために苦しむ有様を分析して見れば、かやうに四苦八苦になるのであります。しかし、これは我々が生きて行くために自分といふものを保つためのはたらきの一とつでありまして、人間として此の如き苦を持たぬものはありませぬ。支那の善導大師の言葉に  「この五濁五苦八苦等は六道を通じて受く、未だ無きものはあらず、常にこれに遍憤す、若し此苦を受けざるものは即ち凡数の摂にあらず」  とあります。この苦しみはいかなる人にもあらはれるものであります。もしこの苦しみがなかつたならば人間でないと説かれるのであります。それ故にこれを人間苦と申してよいのであります。  人間苦と宗教  さうしてこの人間苦は我々人間に宗教を与へるのであります。言葉を換へて言へば、この人間苦に直面するときに宗教といふ心のはたらきがあらはれるのであります。しかしながら世の中には所謂樂天的の人がありまして、自分には何等の苦しみもないと威張つて居るのでありますが、これは苦しみがないのでなく、苦しみを感じないのであります。だれでも深く内省すれば苦しみは感ぜられるのであります。苦しみを苦しみと感じないで自分には苦しみがないといふ人は、それはまさに苦しみを感じやすいとする人であります。人間の苦しみはだれにでもあるものでありますから、その苦しみを苦しみと感ずるところに人間として生きて行く価値があるといふべきでありませう。多くの人の中には、死ぬることは何でもないと大言する人もありますが、それでも日日飯を喰ふて居るのは何のためでありますか、それは必ず生きて居りたい心持からでありませう。生きて居りたい心持を反対の言葉にていふときは死にたくないとなるのであります。若し真に死ぬることを何とも思はぬ人であるならば、二三日飯を喰はずに居ればすぐ死なれるのでありますが、決してさうはしないのであります。それどころではない、少し飯が足りないとひもじいといふてさわぐのであります。苦しみは人間の自性でありますから、それが全くないといふことはありませぬ。  苦の始末  そこでその苦しみをどう始末すればよいかといふ問題がおきるのであります。さうして、さういふ問題がおきたときに、その苦しみを取つて仕舞へばよいではないかと言ふ人もありませう。なるほど言葉の上では、簡単に苦しみを取つて仕舞へばよいといふことが出来ますけれども、実際はさうは行かぬのであります。それは今申した通ほり人間苦でありまして、人間の精神生活に根ざすことの深いものでありますから、生きて居る間は必ず苦しみは取れないものであります。死ぬることによつてはじめて落著するのでありますが、宗教といふものは我々が生きて居る間に有要なる精神のはたらきであります。それならばどうすればよいか、どうすれば苦しみの始末が出来るかと申しますと、それにはいろいろの議論やら意見もありますが、私はここに結論を申しておきたいのであります。人間の苦しみは人間の自性であるからどうともすることが出来ない。ただその苦しみが自ら浄化されるのを待つよりほかない。その苦しみがどうにかして浄化されて、苦しみとなるべき心が他の心のすがたに変つて来るのを待つよりほかない。かう結論を申して置きたいのであります。  苦を使ふ  実際、我々の現在の心のありさまを見ますと、我々は苦しみに使はれて居るのでありますが、どうにかしてこの苦しみを使ふことが出来ればまことに結構であります。宗教と申すものは、さういふ心が自らにして我々の心の中におきることを申すのであります。自分自身が自分の心を浄化することは我々の現在の心を以てしては到底不可能なることであります。その苦しみというのは、人間が生きて行くためにあらはれるところの自性でありますから、これを除くことは出来ませぬが、もしその心が自からにして浄い心に変るやうになればすなはち苦を使ふといつてもよいことでありませう。宗教と申す心のはたらきは、自からさういふ風な心になることを申すのであります。  苦を見る  それ故に、人間がその人間苦を真面目に見なければ、宗教の心のはたらきは起るものではありませぬ。しかるに大抵の人は、何か苦しみがおきるとその苦しみに堪えられないで、例へば目をふさぎ耳をふさぎ、ものを見ないやうに聞かないやうにして、これをごまかすのであります。決して苦しみそのものに直面してあきらかにこれを見ることをしないのであります。さうしてその苦しみから逃れやうとして、神に祈つたり仏に願をかけたりするのであります。或は腐つた水を飲んだり、お札を張つたりするやうな迷信に陥るのであります。さうした迷信のはたらきによりて苦しみは除かれないばかりでなく、さういふ事柄のために却つてますます苦しみを増すのが多くの人々の常に行ふところであります。  生老病死  人間苦は此の如くに四苦八苦と数へられるのでありますが、その生老病死、もつとつづめて言へば老死は身概に属して起るところの苦しみでありますから、すべての人に先づあらはれるのであります。釈尊が舎衛城の祇樹給孤独園に居られたときに、お弟子に向つて老死のことにつきて次のやうに話されたといふことが「雑阿含経」と申す古いお経に載つて居ります。  「自分がまだ修行をして居つた頃、あるとき静かな場所にて専心に考へた。それは老死は何を因とし何を縁として起るのであるかといふことであつた。自分はそのことにつきて深く考へた結果、それは生命があるためであるといふことを知つた。生命を縁として老死が起るのであるといふことを知つた」  まことに、生れるのは苦しみの始まりで、病気をする、年を取る、遂に死ぬるという苦しみが甚だ多いのでありますが、よく考へて見れば、まことに生命があるためであります。畢竟自分といふものが生きて行かねばならぬために、そこにいろいろの苦しみが感ぜられるのであります。  一切の事物  それから釈尊は引続いてお弟子に向つて話されました。  「生命あるがために老死が起ることを考へたと同様に、存在とか、執著とか、渇愛とかといふやうなことにつきて考へた。さうして更に進みて、我々の周囲の一切の事物は何を因とし、何を縁としてあらはれるものであるかといふことにつきて考へた。深く考へた結果、それは全く認識のはたらきのためであるといふことを知つた。認識の縁がありてそれで一切の事物があらはれるのであるといふことがわかつた。かやうにして老死が起る因縁も認識のはたらきに帰するものであることを断定することが出来た。」  まことに釈尊が説かれたやうに、認識のはたらきによりて一切の事物があり、一切の事物によりて我々の官能がはたらき、官能のはたらきによりてこれを感受し、従つて渇愛が起り、執著が起り、執著によりて存在があり、存在によりて生命があり、生命があるによりて生老病死を始めとして四苦八苦の状態があらはれるのであります。  迷妄を離る  それから釈尊は更に話をつづけて「さうすれば一体何をなくすれば老死がなくなり、何を滅すれば老死が滅するかといふことに就て考へた。さうしてそれは、生をなくすれば老死がなくなる、生を滅すれば老死が滅するといふことを知つた。それとおなじ理由で、一切の事物をなくすることも、認識をなくすることによりてその目的を達することが出来ることを看破した。それならば、我々の認識によりてあらはれるところの概念を無くするには何を無くすればよいかといふに、それは迷妄を破ることであるといふことを知つた。若し迷妄が無くなれば一切の事物がなくなり、一切の事物が無くなれば愛も起らず、執著起らず、存在もなく、生命もなく、老死もなく、憂ひ、悲しみ、悩み、苦しみ、一切のものがないのである。  古聖人の道  釈尊はかやうに話された後、更に弟子達に向つて、  「自分がかういふ風に静かに種々の事につきて考へて居つた間に、ふとそこに古聖人の道を得たのである。古の聖人が進みたる道の跡を認むることが出来た。古聖人はこの道を進みて苦悩のこの世界から解脱した。自分をそのあとを追ふて進まねばならぬといふことに気がついた。」  と話し、それから譬へを挙げて次のやうに話されました。  「一人の旅人があつて、広い野原に出て目をさへぎるものとてはない茫々たる野原に立つて、自らその荒れ果てたる道をひらいて道を探し求めた。さうすると思ひ掛なく一條の古い道を見出した。それはたしかに古の聖人が進むだ道である。そこで大いに喜んで燃え立つ希望を胸にいだきつつ段々とその道を進むだ。やがてその行く手に美しい古い宮殿と美しい庭園を発見した。大いに喜むでその発見を王樣に告げ、王様にすすめてその処に住むやうにと申上げた。王様はその言葉を信じてそこへ行つた。ところが忽にして国が豊かに榮え、国民は皆安穩を喜び平和なる生活をなすことが出来たのである。」  八正道  旅人が茫漠たる野原に立ちて自らその荒れ果てたるをひらいて道をさがし求めて居る内にふと探し出した一條の古い道に比して、釈尊が古聖人の道といはれるのは、第一に正しい見解、第二に正しい思惟、第三に正しき言語、第四には正業即ち正しい行為、第五には正命即ち正しい生活、第六には正精進即ち正しい手段にて努力する。第七は正念即ち正しい思念、第八は正定即ち正しい靜慮の八つであります。釈尊はこの古聖人の道を進み、それによりて生老病死の相と、さうしてその原因を明かに知ることが出来たと言はれるのであります。さうして、又これによりて迷妄を離れて正しい悟りを成就することが出来たと言つて居られるのであります。さうして釈尊はこの道を在家出家の多くの人々に説いた。それを聴いた人々はこの法をよろこむで信榮し、善妙なる法であることを知りて、修行し向上するところがあつたと説いて居られるのであります。  因果の関係  かやうに釈尊が説かれたる重要なることは、すべて世の中の一切の事物は因縁によりてあらはれるものであるといふことであります。一切のものが因により縁によりてあらはれるものであるから、それを無くするためにはその因と縁とを無くしなければならぬ。つまり因果の関係を明かにすべきことを教へられたのであります。さうして、我々がこの世にありて種々の苦悩をあらはすのは、要するに迷妄によるのであるから、これを無くせねばならぬ。この目的を達するには古聖人の道の跡を追つて修行せねばならぬといはれたのであります。  十二因縁  釈尊が説かれたる因縁のことは、現在仏教にて十二因縁と申して、八正道と共にその原始的なる根本教義とせられて居るものであります。今その大略を説明致さうと思ひますが、説明の便利のために逆に申しませう。第十二の老死といふものは、未来に生れて年をとりて死ぬることをいふのであります。これは第十一の生に因りて起るものであります。生といふは現在の業の結果として未来に生まるることをいふのであります。この生は第十の有に因りて起るのであります。有といふは貪欲盛にして善悪の業を造り、未来の果報を有する故に名づけたのであります。この有は第九の取に因りて起るのであります。取といふのは年長じて貪欲のために四方に馳せ求むるのであります。この取は第八の愛に因りて起るのであります。愛とは十四五分より愛欲の念を生ずるをいふのであります。この愛は第七の受に因りて起るのであります。受といふは五六才以後外界より受くる苦樂の感知であります。この受は第六の觸に由りて起るのであります。觸といふは生れて後にいろいろの事に接觸することをいふのであります。この觸は第五の六処に因りて起るのであります。六処とは眼耳鼻舌身の五官と意根とをいふのであります。この六処は第四の名色に因りて起るのであります。名色とは名ありて形なき心と形体ある物質とをいふのであります。この名色は第三の識に因りて起るのであります。識とは意識作用であります。この識は第二の行に因りて起るものであります。行とは過去に業を造りたることをいふのであります。この行は第一の無明に因りて起るのであります。無明とは過去の煩悩をばすべて無明といふので、迷妄の根本をなすところの無知のことであります。  三世の因果  かくの如き十二因縁は、過去、現在、未来の三世にわたりて、因縁相助けてくるくると環の旋るが如く、迷妄の因果をなすものであります。それ故に、新訳にては十二縁起としてあります。?舎宗では三世兩重の因果と申してあります。それは第一の無明と第二の行とが過去の二因であります。第三の識より名色、六処、觸、受までが現在の五果であります。第八の愛より取、有に至るまでが現在の三因であります。第十一の生と第十二の老死とが未来の二果であります。我々は現在に意識の作用を有し、それから身と心とを生じ、五官その他のはたらきによりて外界に接觸し、それを感受するのは過去に無明と行との原因があつたためであります。それから感受する事物を愛し、苦樂を知り、貪欲のために四方に馳せ求め、それに從ふて善悪の業を造るのは未来の生と老死とを生ずる現在の三因であります。  因縁の還滅  右のやうな次第でありますから、我々が現在に生老病死の苦しみを有するのは、その根本は全く無明に存するのであります。「過去の世、煩悩の惑、本性を覆ふて明了する所なし、故に無明といふ」とありまして、それが我我の迷妄の根本であります。しかるに、釈尊以前の人々はただいたづらに心の外の方をのみ考へましたから、釈尊は決してさうでないといふことを教へられたのであります。それ故に、無明滅すれば行滅す、行滅すれば識滅す、識滅すれば名色滅す、名色滅すれば六処滅す、六処減すれば觸滅す、觸滅すれば受滅す、受滅すれば愛滅す、愛滅すれば取滅す、取滅すれば有滅す、有滅すれば生滅す、生滅すれば老死滅すと観じて、無明を起さず、それによりて遂に三界を出離することが出来ると言はれるのであります。  四種の良馬  「阿含経」の中に、四種の良馬といふ譬喩が挙げてありますが、それは次のやうな話であります。  「世に四つの良馬がある。第一の良馬は、影をかへり見て馳せ、よく御者の形勢を見て、早くかけつたり、遅くかけつたり、御者の心に從ふものである。第二の良馬は、影を見て御者の心を察することは出来ない。御者の打つ鞭が体に觸つたとき、はじめて御者の心を察することが出来る。第三の良馬は、毛や尻ぽに觸るだけではわからぬ。皮肉に鞭をひどく打たれて始めて驚くものである。第四の良馬は体を鞭打つただけではわからぬ。きりか何かを体にさして痛さが強ければ始めて驚くものである。」  釈尊がこの四種の良馬の譬喩を示されたのは、正しい法を知るといふ場合でも、この四つの種類があるということを説くためであります。  「世の中の生老病死をきいて恐怖の心を起し、正しい考へをもつて自身の心をよく始末して行く、これが第一の善男子である。世の中の人の生老病死をきいてもそれでは何とも思はない、近所の人が死ねるのを見て始めて驚く、これが第二の善男子である。他人の老病死を見聞したのでは驚かない、自分の親類などの老病死を見てはじめて驚く、これは第三の善男子である。他の一切の老病死を見聞しては平気であるが、自分の老病死になつてはじめて驚き、正しく思推して自分を調へる、これは第四の善男子である。」  人間苦といふものはすべて因縁によりて起るものであるから、その道理を深く考へて、その苦しみがどうして出来るかを覚つて、その苦しみを除くことが大切であるといはれるのであります。  苦集滅道  それから釈尊が成道されてから後、ベナーレスといふ所に行かれて、驕陳如(カウンデユア)といふものを始めとして五人のものに第一の説教をせられましたが、この時先づ  「お前方はよく知らねばならぬ。人間の世界は四苦八苦である。生れるといふ苦あり、老苦あり、病気の苦あり死ぬる苦あり、愛するものに別れる苦、いやな人と一処に居る苦、求むるるのが得られぬ苦、五陰盛苦、かういふ四苦八苦は形あるもの、形なきもの、足のあるもの、ないもの、一足、二足、四足、一切のものの免れぬところである。お前方はこの苦しみを去らねばならぬ」  と説かれました。ところがその五人のものが深くこれに感じて釈尊の説教に耳を傾けてまゐつたので、更に五人のものに対して少しくはしく説明をされました。  「かういふ苦しみは皆我を以て本とする。もし衆生が少しでも我想を起せばこれ等の苦をうける。貪欲、瞋恚、愚癡の三毒は皆悉くこの我の根本からおきる。さうしてこの三毒はこれ苦しみの原因である。衆生はこれを以て三界を流転する。それは集である。お前方はそれを断たねばならぬ。もし我想と貪瞋癡の三毒とを断絶せしめたならば、一切の苦はこれによりて断する、これは滅である。お前方もそれを証らねばならぬ。この滅は彼の八正道によらねばならぬ、これは道である。お前方、これを修行せねばならぬ。」  この苦・集・滅・道の四つの真理を四諦と名づけるのであります。諦とはあきらかにするという意味で、つまり真理をあきらかにするといふことであります。八正道の中にて正見といひ、正しい見解を有すべしとせられるのは、全くこの四諦を明かにすることに外ならぬのであります。  釈尊の教  此の如く大略説明しましたやうに、釈尊の教は先づ人間の世界は四苦八苦のみであるといふ自覚に始まるものであります。人間の苦しみといふものは必ず存在するものでありますけれども、それを自覚せざるものは平気でうかうかとその日を暮して居るのであります。それを自覚すればどうしてもその苦しみから離れなければならぬといふ心が起るのであります。ここに正しき道を求めてその目的を達しやうと努力するのであります。宗教といふものはかういふ心にその根本を存ずるものであります。ところで釈尊以前の人々は、すべて一切の事物が生ずるのは自在天のなすところに依ると考へたり、或は自性に依るものであると考へたり、或は無因にして起るとして偶然に事物が生ずるもののやうに考へて居つたのでありますが釈尊はそれに対して、世間一切の事物は因なくして生ずるものはなく、又一因にして生ずるものはないと説かれたのであります。これが釈尊の教の重要なる点でありまして、世間にありとあらゆる因縁によりてあらはれるものは皆、決してこれを生ずる主のあるものでないと知るとき、真実の道そこにありと説かれたのであります。今これを人間苦につきて言へば、前に申した十二因縁がこの因縁のことを理論の上によく説明したものであります。  内観  それ故に我々にして若しその苦しみから離れやうとするならば、先づ内観せねばなりませぬ。我々の苦しみといふものは、過去の無明と、この無明に本づきてなしたところの行業とに本づくのでありますから、結局自分がこれを集めたものであります。さうしてそれを断滅するには正しき道に依らねばならぬことは明白なることであります。釈尊が話されたやうに、広い茫々たる野原の中にふと古い道を探しあてて、その道を進み行けば立派な庭園のある宮城に到ることが出来ると申されたのは、自身を求めてよくこれを調へることに外ならぬのであります。  真実の道  そこで釈尊は驕陳如に向つて  「苦は知るべし、集は断ずべし、滅は証すべし、道は修すべし、我れ巳に苦を知り、集を断じ、滅を証し、道を修せるが故に無上道を得たり。この苦・集・滅・道を四聖諦といふ。若し人これ等の四聖諦を知らずんば此人解脱を得ず。」  と説いて居られるのであります。さうして、我々が苦を集めて作る所以は過去の無明と行業とによりて生じたる現在の我想でありますから、この我想と、それからあらはれるところの種々の煩悩を除くために正しき道を修めねばならぬ。その正しき道といはるるものはすなはち八正道であります。これが実に釈尊が成道後四十余年の間に説教せられた要義であります。  五根を制す  前にも申したやうに釈尊は人間の苦しみといふものをくはしく説いて、さうしてその苦しみから逃れるといふことをつねに教へられたのであります。それに就ていろいろと釈尊の言はれた言葉が書物に載つて居るのであります。その中に五根を制するといふことがあります。五根といふのは眼、耳、鼻、舌、身の五官であります。目で色を見、耳で音をきき、鼻で香を嗅ぎ、舌で味はひ、身体で觸つて五の根をなすのであります。この五つの根を制御しなくてはならぬ、もしこの五根をほしいままにすると、丁度、くつわをはめて制御してゐない悪るい馬が人を引きて穴に落とすやうなものである。それ故にこの五根を制して五欲に入らしめてはならぬ。目から入つたもの、耳からきいたもの、鼻で嗅いだもの、舌で味はつたもの、からだにふれたもの、さういふものを愛するがために五欲が起るのでありますから、この五欲をおこさぬやうに五根を制せねばならぬといふのであります。言葉はいろいろに変つて居りますし、又場合も異なるのでありますが、釈尊は始終さういふことを説いて居られたのであります。  心を主とす。  それからこの五根は心を主とするのであるから心を制御しなくてはならぬと言はれたのであります。さうして心のおそるべきことを、或は蛇に、或は悪るい獣に、或は賊に、或は火事などにたとへて、しかもたとへなどでは到底及ばないほどにおそろしいものである。それ故にそれをくぢきて放逸ならしめぬやうにすべく、又勤めて精進して心を折伏しなくてはならぬと説いて居られるのであります。  繋縛  五欲といふものは本当に引きつけられるのであります。目に色を見ればこれを愛樂し、耳に声をきけばこれを愛樂し、鼻には香、舌には味、身体に触れるもの、それ等すべてのものを愛樂するのであります。そのために我々はそれにしばられるのでありますから、それを繋縛と名づけるのであります。釈尊の教はまさにこの繋縛から離れるといふことを目的とするものであります。ところが、その当時印度で行はれて居た他の宗教ではそんなことは説かず、ただ人間が死んでから後に天上に昇るといふことを希望して、そのためにいろいろ苦しい行をすることが大切であると言はれたのであります。さうして自分といふものはまるでわきに捨てていて、ただ天上に昇らむことをのみ念願したのであります。釈尊の説かれることは全くこれと反対で、多くの人々が自分を捨てておいて、自分勝手に欲をほしいままにし、死んでから後天に昇ることばかり願ふその有様を痛く排斥せられたのであります。この方面から見れば、釈尊の教は現在の苦しみから離れることを強く説かれたのであります。勿論真実の宗教はさうなくてはならぬものであります。  摩訶那摩  釈迦族の王子マカナマといふものが居つて、釈尊に向つてある時かういふことを申したのであります。「貧欲と瞋恚と愚痴とこの三つは心の穢れであるとお説きになつたことを有難くいただいて居ります、然しながら時々この煩悩が私の心をとらへまして、どうしても自分の心からのきませぬ、そこで私考へますのに、私の心にまだ何か捨てなくてはならぬものがまだ捨てないであるためにこの煩悩がとれないのではないかと考へます」と申しました。すると釈尊が申されますには、「お前の言ふ通ほりである。欲といふものは飽き足ることのないものである。欲自体が苦しみであり、禍の甚しきものであると、正しい智慧で知りても、この欲の外の幸福に達せざれば、欲に追はれることを免るることは出来ぬ。私がまだ悟りを開かない前に、欲といふものはあき足ることのないもので、それ自体苦しみであることはよく知つて居つた。しかし欲の外の幸幅に達して居なかつたから欲に追はれて苦しんで居たのである。その後、欲の外の幸福に達したから、それらの欲に追従することをしなくなつたのである。」釈尊はかう言つて、マカナマ王に、ただ道理のわかるばかりでは駄目であることを、懇々とさとされたのであります。  対機説法  かういふ種類の説教はこの外に澤山にあるのであります。そこで釈尊の教というのは一体どういうことを言はれるのかといふことが問題になるのであります。今申したやうに、釈尊は、あの人、この人、あの場合、この場合といふやうに人と時とによりまして、いろいろなことを申して居られるのであります。これを対機説法と申して、機は教を受けるものであります。そのものに対して相応の法を説かれたと申すのであります。今の多くの宗教家のやうに、文章をこしらへて説くのではありませぬ。今日でこそ、真言宗とか、天台宗とか、乃至は禅宗とか、種々の教義が説かれて居るのでありますが、釈尊の説かれたのはさういふ教義ではなくして、実際のことであります。彼の孔子の教などもさうでありまして、今では筋道立つてまとまつて居りますが、論語を見ますと孔子はお弟子に対して実際は種々なことを説いて居られるのであります。そこで釈尊は一体どういふことを根本に言つて居られるのかわからないのであります。  転迷開悟  前に申しました通ほりに、釈尊が説かれたことでまとまつて居るものは、四諦と八正道でありますが、しかし釈尊が平生説かれたことは機に対してのことでありまして、種々なることを説いて居るのであります。それ故に釈尊の教といふものは、それを受ける人々によつていろいろにうけとられて居るのであります。すなはちその智悪の方を主に見て、さうして釈尊の法を考へたときには、釈尊の教は転迷開悟を説いて居られると見られるのであります。智慧を正しくして事実を知る、それによりて迷を転じてさとりをひらくことをつとむべきであります。またこれを意志の方から考へて見ると、釈尊の教はまさに廃悪修善を説いて居られるのであります。わるいことをやめてよいことをする、諸悪莫作、衆善奉行、自からその意を浄うすること、是れ諸仏の教なりと説いてしきりにその意を清くすべきことを説いて居られるのであります。次に感情の方から申すと、我苦興業の教と見らるべきであります。しかしながら、これは、全くこれを見た方面が異ふのでありまして、転迷開悟と廃悪修善と抜苦与樂とが、三つにはなれてあるわけではあります。この三つが揃つてはじめて宗教といふものが成り立つのであります。智慧と感情と意志との三つが円満になつてはじめて安心立命が出来るのであります。しかるに直に釈尊の説かれたことを聴いた人々の多くは全体にこれを受け取ることはむづかしかつたのでありまして、眼のあたり生きた釈尊の体を見て居る人は殊にさうであります。一体人間といふものは近くに居るとその全体を見ることが出来ないものであります。近くに居ると欠点とか長所とかの苦しいものしか見えぬ、遠くに離れなければ全体は見えないのであります。釈尊の当時の人々も又大なる釈尊の一部分を見て、さうして釈尊の教は廃悪修善であるとか、転迷開悟であるとか、若しくは抜苦与樂であるとかといふやうにわけて見たのは無理のないことであります。  三学  かやうにして、釈尊の精神の在るところは別問題として、実際に釈尊が多くの御弟子たちに対して説かれましたところに本づきて、それを一つの教に組み立てました場合に、どういうことになつたかと申しますと、それはすなはち三学であります。戒学と定学と慧学との三つになつたのであります。繰返して前に申しましたやうに、釈尊の真実の精神といふものは全然別問題として、努力して五欲をはなれ意を浄らかにして悟を開くことを期するには三学と申すものを修めねばならぬと説かれたのであります。勿論釈尊の教が戒・定・慧の三学にまとめられたのは、釈尊が死なれてから、大分年月を経て居るのでありまして、我邦に仏教が這入つて来ました当時には巳に戒・定・慧の三学といふことが説かれて居つたのであります。  小乗の教  歴史の上から見ますと、仏教の古い処では、この戒・定・慧の三学が八釜敷説かれて居るのであります。戒といふことは心を正しくするの道であります。心を正しくして智慧を保護するのであります。多いのは五百戒、少いので五戒ありまして非を防ぎ悪を止める法制であります。定といふのは心の水をきれいにして、すんだ月をうつすといふたとへの通ほり、散乱する心をしづめるといふことであります。慧といふのは明かなる智慧によりてくらい心をてらす、これによりて我と法とに執著することをやめて、平等一如の真如を達観するのであります。固よりこの三つの学は別々に離れて居るものではありませぬ。戒といふものは定を助け、定といふものは慧をたすけて、さとりをひらくのであります。この三つの学によりて我々凡夫の無明をてらして遂にその法性をあらはすものであるとせられるのであります。しかしながら、この三学を修行するといふことも、その人々の心持によりていろいろにかかれるのであります。戒といふものはかういふものである、定といふものはかういふもので悪といふものはかういふものであると、理屈を知り説明をすることはおなじでありましても、めいめいの心の中に出て居る具合は人々によりて異ふのであります。機類は浅深萬端なりといへども所証の極理は同一にして、齊しく真如法性に帰入するというのであります。その中に於て、前に申した四諦や十二因縁の法を修めて、見惑と思惑とを断つ、すなはち煩悩を断じて生死を解脱することを期するものが小乗の教を奉ずると言はれるものであります。かかる場合はいつもその人一人がさとりを開くに止まるのであります。自分だけが迷の世界から離れて居ればよいとするのであります。しかしそれは不徹底のものでありまして、自分のみでなく他の人の迷ひも断ちて共に悟を開くやうにせねばならぬのであります。自分だけ迷から脱すればよいといふやうな自己を利することだけでは駄目であります。どうしても他を利するといふことをせねばなりませぬ。  大乗の教  我邦の仏教は、始め小乗の教が這入つて来ましたが、奈良朝以後今日まで大乗仏教ばかりが行はれて居るのであります。自分だけひとりが悟を開けばよいといふやうなことでなく、多くの衆生が殘らず悟りを開くやうにとつとめるのであります。又四諦や十二因縁の法を修むることは誰人にも出来るものではありせんから、小さき乗物であります。大乗の教は誰人でもそれに乗ることが出来るのでありますから大きな乗物であります。  六度  しからば大乗仏教にありて、実際に如何なる修行をするのかと申すと、それは所謂六度であります。六度は印度のむかしの言葉にて波羅蜜といふのでありますが、これを支那の言葉に訳して度又は到彼岸といふのであります。生死の苦界を度りて理想の彼岸に到るべき菩薩修行の行法の六種という意味であります。お説教に六度萬行とあるはすなはちこのことであります。  檀那波羅蜜(布施)  六度の第一は檀那波羅蜜であります。訳して布施であります。慈善博愛の行為をいふのであります。法を施し財を施すことであります。龍樹菩薩の言葉に「施を行ずる人は月のはじめて出づるが如し。諸人にうらやまれて怨み変りて親となる」といふことがありますが、釈尊も人々に対して法を説くはじめにまづ布施を説かれたのであります。布施といふことは人に物を施すといふことによりて執著の念を捨てしめるのであります。さうして布施の功徳がわかつてからだんだんと道徳のはなしにすすむといふ順序で説かれたのが常でありました。我々人間の愛欲といふものが苦しみのもとであるから、その愛欲といふものを離れねばならぬ。その愛欲は自分が物を持ちたい、持つて居るものをなくしないやうにとするためであるから、そこで人に施すといふことを盛んに説かれたのであります。平康頼人道の「寶物集」に「されば獄卒地獄に落ちる衆生に恥しめていふ、などたまたま人界に生を受けながら、功徳を修せずして二たび奈落の故郷へは帰りたるぞといへば、罪人答へていふ、貧窮不孝にして実乏しかりし故、仏をも造り奉らず、堂をも立てざりしなりといへば、獄卒怒れる眼を開き、烈しき声を挙げていふ、徒らに野辺に散りし花一枝、仏に奉らむ、貧に依るべからず、空谷に流るる水一結び、僧に供養せん寶なきに依るべからずとて呵責するといへば、早く一花一香なりといへども三寶に供養し玉ふべし」と書いてあります。むかし鐵眼禅師が一切経を出版しやうとの念願をおこして奉加帳をもつて寄附金をつのられたとき、江洲の瀬田の橋のたもとにさしかかると乞食が居た。そこでその乞食に「自分は一切経を版にし度い念願で寄附金を募るのである。お前も寄附しろ」と言はれたのであります。するとその乞食は驚いて、「自分は人様からものを貰うのが商売であつて、人様に物を施すことなどは出来ないものであります」と申しますと、鐵眼禅師は、「それだから寄附を乞ふのである」と申されたといふ話が伝はつて居りますが、檀那波羅蜜はさういふ意味に於て布施の功徳を修めるのであります。自分が有つてゐるといふ心持をやはらげ抑へねば苦悩から離れることは出来ないのであります。  尸羅波羅蜜(持戒)  第二は尸羅波羅蜜、訳して持戒と申す、これは仏教道徳に適へる行為をなすことであります。すなはち廢悪修善であります。「成実論」に、「浄戒なければ諸善生ぜす」とあります。「智度論」に「若し人最大の善を求めむと思はばまさに戒を持すべし」、「十誦律」に「戒を持つ人は二十五の善神囲繞す」とあります。この故に戒を持つことを持戒といふのであります。五戒は普通の人々が行ふべき戒であります。  ?提《せんだい》波羅蜜(忍辱)  第三番目は忍辱であります。?提波羅蜜と申して、辱を忍び安んずる、諸の侮辱悩害を能く忍耐する、すなはち辱かしめらるることを我慢するのであります。舍利弗と羅喉羅とが二人で托鉢をして居つたところが、ある一人の悪者が道に居て利弗の托鉢の中に砂を入れ、羅喉羅の首に傷をつけました。そのとき、舎利弗がいふには  「忍ぶといふことは快いことであると世尊は説いて居られる、今はさうである」と申しました。すると羅喉羅は  「傷は痛い、然しながら傷つけたものを見て腹立てる心はない」と申して、よく忍辱の心をあらはしました。二人が勝つて釈尊にそのことを話したところが、釈尊は  「もし、人間に忍ぶといふことがなかつたら、生れた所で仏にあふことが出来ぬ、必ず法に違ふであらう。さうして三途におちるであらう。人がわるいことをしても、しのぶといふことがあるからたやすく生活が出来るのである」  とかう言はれて忍辱の功徳をつよく説かれたといふことであります。他の人から辱かしめられたことを我慢するそれはくるしみであるが、がまんせよと言つて居られるのであります。「華厳経」の中に  「菩薩は常によく忍耐の法を修め、へりくだり恭ひ、顔を和らげ、自らを害せず、他を害せず、自らを挙げず、他を挙げず、自らをほめず、他をほめず、菩薩はただ此念をなせり、知れまさに常に法を説きて一切の悪を離れ貧ぼりと、いかりと、愚かと、たかぶりと、心の乱れと、やぶさかと、ねたみと、いつはりを断たしめ、大忍の法を以て安立せしめむと、菩薩は清き忍の法を成就せるを以て、たとひ人々ありて悪声をいたし、罵り、いやしめ、穢すも、又各の手に刀をとりてうち害ふとも、菩薩は此念をなして怒らず、われもし苦によりて怒の心を生じなば、自らを調へず、護らず、明ならず、靜ならず、真実ならず、何ぞ歡びの心を起して解脱せしむるを得むやと、此の如く観ずるを菩薩の怒らず恨まざるの行といふ」  と説いてあるのは、まことによく忍辱の法を説明したものであります。  忍辱の意味はすべての苦に忍從せよ、一切の苦はこれを忍ぶべく、それから逃げるのはよろしくない、痛み苦しみに召從せよと説かれて居るのであります。  毘梨那波羅蜜(精進)  第四は毘梨那波羅蜜、訳して精進であります。常に修養を怠らず、勇猛邁進するのであります。第五は禅那波羅蜜、すなはち静慮であります。心を静め散乱せしめず、これを一境に安んずるのであります。第六は般若波羅蜜すなはち智慧であります。邪智謬見を去りて真実の智慧を得ることであります。  釈迦教  この六波羅蜜は実際に大乗仏教の修行の方法として行はれて居るのであります。さうして、それは前にも申したやうに、全く釈尊の教に本づくものとせられて居るのでありますから、これを釈迦教と名づくるのであります。  行法  釈尊が説かれた言葉を聴きますと、自己の行力で、法の威力を得るといふことに帰著するのであります。つまるところ一生懸命に正しい道を行つて、それによりて、遂に涅槃のさとりをひらくべきであるといふやうに聞き取れるのであります。そこで釈尊に接して直接にその教をきいた人々は、行法といふことを重大に考へるやうになつたのでありますが、その行法と申すのは、これを要するに正しい道を修行することであります。さうしてこの行法といふことが後につづめられて、戒と定と慧との三学とせられるやうになつたのであります。さうして釈迦教はそれを主要としたのであります。  智慧  この三学の中で智慧はさとりをひらく第一の重要なる條件であります。しかし智慧といひましてる釈尊の言はれる智慧は普通にいふところの知識とは別のものでありまして、自己の内面に行はれて居る理法を知ることを指すのであります。釈尊の説かれたるところに拠りて見ますと、元来我々人間は誰でも本来、この智慧をもつて居るのであります。ところが凡夫の悲しさには、迷いの心がつよくはたらくために、その本来の智慧がかくれてあらはれて来ぬのであります。ただ外方の世界に惑はされて執著の心が強く、外の方にばかりはたらくために、内面のことは更にわからぬのであります。それ故にその外にはたらく心の鎖をとつてしまつて内面を見ることをつとめねばならぬのであります。  理智一如  ここに理法といふものはもと真如であります。真如が我々の心の中の理法でありますから、それを明かに見ることの智慧のはたらきがなくてはならぬのであります。見られるものは理法であり、それを見るものは智慧でありますから、その二つのものが冥合して所謂理智一如といはれるのであります。釈尊が智慧といはれるのはかやうなものでありまして、普通に人々が考へて居るやうに、文字の解釈や意味の理解をする智慧とは別のものであります。  般若波羅蜜  此の如き智慧を研くことを般若波羅蜜と申すのであります。前にも申したやうに、人々は皆、本来この智慧を有するのでありますが、しかし凡夫の心は迷妄のためにその智慧が闇黒に覆はれて居るのであります。闇黒に覆はれて居るといふのは外界の世界に惑はされて、ために執著してただ外の方にのみ向ふ心がはたらくのであります。そこで本来の智慧がかくれてあらはれぬのであります。  禅と戒  かやうにして本来の智慧の光をあらはすためには、先づ第一に我々の心の静寂を必要とするのであります。それを禅定といふのであります。禅那波羅蜜と名づけられるものは、すなはち此の如き修行を指すのであります。それから又、我々の心の静寂をはかるためには戒律をたもたねばならぬのであります。すなはち尸羅波羅蜜が重要であります。この三つの行法を併せて戒・定・慧の三学と申すのであります。  慧解  我邦に仏教が入りましてから、奈良朝時代より平安朝のはじめの頃まで、その仏教が随分盛に行はれたのでありますが、しかしながら実際の様子を見ますと、その智慧は全く慧解になつたのであります。澤山なる仏教の書物を読み、その講釈をする、文字の意味を知らうとすることに努力したのでありまして、畢竟、知識を求めたのであります。そこでその頃の僧侶の有様を見ますると、この慧解に達することが第一につとめられたのであります。従つてお経の講釈をよくする僧侶が名誉を得たのであります。  授戒  成律が重く見られて仏門に入るものに戒を授けるといふことも、盛に行はれました。しかしながら、戒律をたもつといふことも、実際にはあまり強く行はなかつたやうであります。例へば肉食してはならぬ、酒を飲むではならぬ、妻帯することはならぬといふやうな戒律はあつても、ほんとうの意味で、それをまもつた人はごく少なかつたやうであります。  忍行  戒律の中に、忍行と名づけられる特殊のものがありまして、この忍行をした人々の伝記が「元亨釈書」に載せてありますが、それを讃むで見ると、随分ひどいことをして居る僧侶があります。たとへば仁躍といふ僧侶は、蚤や虱や蚊が自分の身体を刺しても平気でそれを受けて、決してそれを殺さなかつたといふことであります。これ等は忍行としては極めて軽いものであります。叡山の証空はその師匠智興が病気の時、師匠の命に代りて自分の生命を投げ出したのであります。仙命といふ人は自分の顔に三寳の文字をはり、脊に阿弥陀仏の像をきざみ、一指の先に蝋燭を燃して、仏像に対し、指頭が龍の形をなしたといふことであります。信敬は自分の身体を仏に献上するといふので、先づ手の指をきつて不動明王に献じ、次に右脚の骨をきりてそこに釈迦の像を刻み、次で手の皮をむいて弥陀三尊の像を書き、次で手の指の骨にて観音勢至の像をきざむだということであります。甚しきは又、自身の体を焼いて仏に供養すると言つて自分で焼死した人々も多くありました。「梵網経」と申すお経の中に「皮を剥いで紙となし、血を刺して墨となし、骨を折りて筆となし、仏の戒めを書写する」といふやうなことが書いてあります。「楞巖経」には、「それ比丘あり、発心決定してよく如来形像の前に於て、身に一燈を燃やし、一指節をやき、及び身上に於て、一香性をもやすものあらむに、我は説く、この人は、無始よりの宿債、一時に、酬報する云云」と書いてあります。又「法華経」に、「もし菩提を得むと欲するもの、よく手足一指を燃やし仏塔に供養することは、三千大千珍寶の供養にまさる云々」と説いてあります。かういふ風なことは外のお経の中にも書いてありますから、それを信じて、文字通ほりに行つたならばさとりをひらくことが出来るだらうと考へてかやうに忍行をしたのでありませう。然し今からさういふ行をながめて見ますると、いかにも宗教といふ心の極めて浅薄であるといふことが認められるのであります。これ戒律がただ形式の末に流れた徴候であると言ふべきでありませう。  止観  禅定といふことは一つの行法でありまして、法相宗、華厳宗、真言宗、天台宗、いづれの宗派でも皆やつたのであります。全体、仏教では禅定を二つにわけまして止と観としてあるので、止も観も兩方とも禅であります。止と申すのは我の心の妄想をやめて、無念無想となるのであります。観といふのは正しい法を見るのであります。禅定によりて本来の智慧のはたらきを発揮するのであります。たとへば諸法無我であり、諸法無常であるといふやうなことを観ずることであります。天台宗などで一念三千といふことが説かれて居りますがそれが観法であります。かやうに、止と観との二のものを併せて禅定とするのであります。しかし、そのことが非常に困難なるものであるといふことは無論であります。  念仏  かういふ風に戒・定・慧の三学が説かれる一方では、仏を念ずることが又行法の一とつとしてあらはれて来たのであります。先づ禅定によりて心を静寂にし、戒律によりて心を誠実にし、それによりて真実の智慧を得て、遂にさとりを開くといふ教を説きて、真面目にそれを実行しやうとすると、どうしても、それが実際に行はれ難いといふことがわかると、そこにあらはれたのが仏を念ずるといふ行法であります。念仏の功徳によりて、さとりを開き仏になることをつとめるのであります。念仏といふことは固よりその意味がいろいろでありますが、この時代に行はれたのは観念の念仏であります。仏の相を観じ仏の功徳を観じ、仏の慈悲を観ずることを一とつの行法とするのであります。それから称名の念仏といふものもあります。これはただ仏の名を称へるのでありますその仏はおもに釈尊と阿弥陀如来とであります。南無仏、南無釈迦牟尼仏、南無阿弥陀仏であります。しかし、この称名の念仏も功徳として考へられたのでありますから、概念の念仏と同じやうに一とつの行法であります。  読誦の一支  仏を観ずるといふことは、固より観法の一種でありまして、無論行法でありますが、称名念仏で、ただ仏の名を称へるのでも同じく行法でありました。「元亨釈書」にも「念那は読誦の一支なり」と言つてありまして、お経を読誦することの一方法であつたことが明かであります。華厳宗でも、真言宗でも、天台宗でも念仏はその宗派に寓居して居つたのであります。それでこれを寓宗と申して居つたのであります。このほかに別に弥勒菩薩を念ずるといふこともありましたが、これはその功徳によりて兜卒天の内院に往生するといふので、仏の名を唱へることはしないのであります。  極樂往生  此の如く、念仏が行はれたのは、その功徳によりて阿弥陀仏の浄土に往生しやうと念願したためであります。その念仏が行法であるといふことは無論でありまして、空也上人なども、念仏の功徳で極樂に往生するといふやうなことを申されて居るのであります。天台宗や真言宗などにも念仏は盛でありまして、天台宗では念仏三昧堂まで建てられて居つたのであります。  念仏宗  念仏が寓宗を離れて、一とつの宗派となるやうになつたのは空也上人から始まつたと申してもよろしいのであります。しかし、恵心僧都に至りて念仏によりて極樂に往生すべきことが明かに説明せられたのでありまして、僧都が著はされたる「往生要集」には称名念仏のことが明瞭に説いてあります。  欣求浄土  恵心僧都の「往生要集」には、穢土を厭ひ離れて浄土を欣求するといふことを十分に説明して、平たく申せばこの娑婆世界、きたないくるしいこの世界をはなれて、浄らかなる仏の国に往生せねばならぬために念仏が勧めてあるのであります。戒・定・慧の三学は困難の行法で、これを実行することは容易でありませぬ。愚なるものの到底及ぶところではないから、ただ念仏して仏の国に生れることを念願すべきであると説かれたのであります。平安朝の頃には、天台宗は比叡山に、真言宗は東寺や高野山に本城を構へて、二大宗教として威張つて居つたものであります。寺は立派で、僧侶は綺麗な衣を著、美しい車に乗りて朝廷や貴族の家に出入するを榮誉とし、從つて当時の仏教は貴族的のものでありました。さうして、当時の人々は恵心僧都の「往生要集」の真実の意味を理解せずして、読誦や写経や、造寺造塔などの功徳によりて浄土に生れることを願ひ、念仏もその一方法として専ら用いられたのでありませう。釈尊の説かれたことから見れば極めて堕落したものであつたのであります。  平民の宗教  今申した通ほり、戒・定・慧の三学はこれを修行することが困難でありますから、念仏の功徳によりてこれを補足しやうとして、念仏が盛に行はれたのでありますが、それは矢張り貴族的のものでありました。一方には戒・定・慧の三学が行はれて居て、それに併びて念仏が行はれたのであります。それが漸次に戒・定・慧の三学を離れて念仏の一法によりて浄土を欣求することが行はれるやうになり、それは広く平民の間に用ひられることになつたのであります。  数萬遍  平安朝時代の仏教が漸次に平民的になり、念仏の行法が盛に行はれるやうになつてから、それが当時の人々に物質的に考へられたことは、今日より見れば噴飯に堪へぬことが多いのであります。たとへば、念仏をするにも小豆にてその数を勘定し、小豆の量が七百石に達したとか、十四年間に念仏して小豆の量が二百八十七石であつたというやうなはなしかありまして、一萬遍、五萬遍、百萬遍の念仏などが行はれたのであります。今から思へばに滑稽じみて居るのでありますが、念仏の功徳を物質的に考へれば、一遍よりは十遍と遍数の多いことが功徳の大なることを予想したためでありませう。  来迎の絲  念仏と同じやうに滑稽じみたことは、自身の体から糸を引張つてそれを仏さんの体にくつつけておいて、その絲にて極樂へ迎へてもらうといふことであります。関白道長が自分の建てた法性寺の中の阿弥陀堂にて病に倒し死に臨みて、阿弥陀如来から糸をつないで、それを自身につけて、それで極樂に行けると思つて死んだといふことであります。源頼光も同じことをやつたといふことであります。平の重衛も虜になつて遂に死刑になつたときに来迎の絲をつけたといふことであります。法然上人の繪伝の中にも、上人身体と仏の体とに絲をひつぱつてある繪があります。今日から見ればまことに馬鹿げてゐるのでありますが、その当時の人は真面目でこの来迎の絲を考へて居つたのでありませう。  転変の世相  念仏すれば極樂に生れることが出来るといふことは、平安朝時代の末から源平二氏時代に至る頃の世相に応じて更に盛に多くの人々の心を引きつけたのであります。藤原氏榮華の夢から醒めて、源平二氏の戦争を眼のあたりに見たる人々は、いかにこの浮世の転変のはかなき有様に驚いたことでありませう。それ故に此の如き穢土を厭ひ離れて浄土を欣求するといふ言葉は、世の転変に驚きながら尚ほ欲張つて居る人々の心を動かして、念仏の教はますます盛に行はれて、ただ念仏をすればよいと言つて、数萬遍の念仏をなし、或は糸をひつぱつて来迎を念願したのであります。  専修念仏  かういふ風に世間一般に念仏が広く行はれた時に出でて、更に念仏を専門的に吟味したのは法然上人であります。法然上人は、底愚の往生する道は念仏より他にないと言つて、専修念仏を主張せられたのであります。しかしながらその当時の人々は、小豆にて念仏の数を数へたり、或は絲にて来迎を念ずることなどを主とする念仏の法を頭に置いて、法然上人の専修念仏に接したのでありますから、恐らく法然上人の念仏の意味が理解せられなかつたことでありませう。  仏道滅亡  「愚管鈔」に次のやうなことが書いてあります。  「建永の年、法然房といふ上人ありき、まぢかく京中をすみかにて、念仏宗を立て専修念仏と號して、唯々阿弥陀仏とばかり申すべきなり。それならぬこと、顕密のつとめはなせたといふ事を言出し、不思議の愚癡、無智の尼入道によろこばれて、この事ただ繁昌して、つよくおこりつつ、その内に安薬房とて、泰経入道がもとにありける侍の入道して、専修の行人とて、又佳蓮とつがいて、六時体謂は善導和尚の行なりとて、これをたてて尼どもに帰依渇仰せらるること出来にけり、それらが、あまりさに言張りて、この行者になりぬれば、女犯を好むも、魚鳥を食も、阿弥陀仏はすこしも咎め玉はず、一向専修に入りて、念仏ばかり信じつれば、一定最後に迎へ玉ひて.........」  「愚管鈔」の著者は法然上人の専修念仏のことを此の如く評判して、それは仏道滅亡であると慨嘆してゐるのであります。思ふに、法然上人が主張せられた専修念仏は、当時多くの人々から正当の意味に理解せられなかつたのでありませう。さうして、此の如き念仏を以て一宗とすることは仏教にあらずと考へられたのでありませう。それ故に、当時の専門の学者の間には専修念仏に対して劇しい非難がありました。しかし、何と言つても戒・定・慧の三学の難行に比して、ただ念仏するといふことは容易の行法でありましたから、法然上人の宗旨と言はれるものは段々と盛になりまして、遂に浄土宗の一派をなすに至つたのであります。  仏陀  前に申したやうに、人間の苦しみといふものが感ぜられて、さうして、その人間の苦みといふものは、要するに迷妄がその根本であるといふことに覚醒するときには、種々の行法を修めて、その苦悩を離れることを願ふのでありませう。誰しも、この人間苦のないものはないのでありますが、その苦しみというものは、しかしながら深く考へてみると、銘々がこれを造り上げたものであります。そこでいろいろの行法を修めて、さうしてその迷を転じて涅槃の悟を開かうとするのであります。釈尊の説かれた教をごく簡単につづめて申せば、かういふことであります。そこでその目的にするところは結局、涅槃の悟を開くということにあるので、その悟りを開いたものがすなはち仏陀であります。繰返して申せば、我々人間が自分の心のありのままの相を考へてみると必ず四苦八苦であります。さうしてこの四苦・八苦は我々の心の外にあるのではなくして、我々の心といふものが無明であるから起つて来るのであります。自分勝手に造り上げたるものであります。釈尊の教によれば、人々は行法ををさめて、迷を転じて悟りを開くことをつとめねばならぬのであります。  成仏の教  かういふわけでありますから、仏教といふものを、もう一層簡単に申せば、仏になる教であります。すなはち成仏の教であります。釈尊は畢竟するに、人間が仏になることを説かれたのであります。そこで問題となることは、如何にして、人間が仏に成ることが出来るかということであります。さういふ問題は仏教をする人々の間に、極めて重大のこととなつたのであります。仏教にありていろいろの宗派が行はれて居るのは、その成仏の力法を説くためであると申してもよいほどであります。  聖道門  このことに就て、法然上人が「往生大要」といふ書物にくはしく書いて居られることがあります。その書物によりますと、  「はじめ華厳阿含より、をはり法華涅槃にいたるまで、大小乗の一切の諸経にとくところの、この娑婆世界にありながら、断迷開悟のみちを聖道門とは申すなり。是につきて大乗の聖道あり。小乗の聖道あり。大乗に二あり。即ち仏乗と菩薩乗とこれ也。小乗に二あり。即ち声囲と縁覚との二乗なり。これをすべて四乗となづく」  とあります。その意味は、お経のふるいところは、華厳、阿含であり、新しいところは法華、涅槃でありますがその始めから終りまで大小乗一切のお経に説いてあるところの要旨は、この娑婆世界にありながら迷を転じて悟を開くの教が説いてあるので、それを聖道門といふ。それに大乗と小乗の二通ほりある、その大乗に又二つある、即ち仏乗と菩薩乗とである。小乗に二つある。即ち声囲と縁覚である。これを併せて四乗とするといふのであります。  四乗  四乗の乗といふのは乗物といふ意味であります。大勢が乗ることの出来るものが大乗であります、小人数だけが乗ることの出来るのが小乗であります。つまり、これは乗物にたとへて申すのであります。仏乗と菩薩乗とは大勢の人々が乗ることが出来る。縁覚乗と声聞乗とはわづかの人が乗ることが出来るといふのであります。  仏乗  法然上人は仏乗を説明して、次のやうに言つて居られるのであります。  「仏乗とは、即心成仏の教なり。真言・達磨・天台・華厳等の四宗にあかすところなり。すなはち真言宗には、父母所生身速証大覚位と申して、この身ながら、大日如来のくらいにのぼるとならふなり。仏心宗には、前仏後仏以心伝心とならひて、ただちに人の心をさしてほとけと申すなり。かるがゆへに即心是仏の法となづけて成仏とは申さぬなり。この法は釈尊入減の時「涅槃経」をときをはりてのち、ただ一偈をおちて迦葉尊者に付属したまへる法なり。」  まことに、仏乗は即身成仏の教であります。この身このまま仏になると申すのであります。この教を説くのは真言・達磨・華厳宗などであります。真言宗では、父母が生んでくれた、この体そのまま涅槃の悟りを開くと申すのであります。これは自分の身といふものを深く考へて見ますると、それは如でありますから、さう悟れば自分の身すなはち庶舍那仏であり、大日如来でありますから、この身このまま仏になることが出来るといふのであります。  是心是仏  達磨宗といふのは仏心宗のことで、今禅宗と申して居るものであります。この宗にては、我々の心はまことに迷妄のものであるが、それは凡夫のこの迷妄の心の中には仏心が存在するのであるから、我々凡夫の心も、これを磨き上ぐれば仏性があらはれるのであります。それ故に、この宗にては、是心是仏と申して成仏とは言はぬのであります。  煩悩即菩提  小乗の教でありますと、煩悩は我々の迷妄の心によりてあらはるるものであるから、修行してこれを除くことをつとめねばならぬといふのであります。穢い部分をとりのけてきれいな心にかへないといかぬと説くのであります。ところが天台宗ではさういふ煩悩がそのまま菩提の種となるのでありまして、煩悩即菩提と観ずるのであります。水が多ければ溶けて水となる量が多いと同じやうに、煩悩の水が溶けて菩提の水となる、煩悩が強ければ仏になる要素が多いといふやうに、観ずるのであります。さういふ観心によりて仏になるのであります。それ故に、又これを成仏と申すのであります。  即身頓証  それから「華厳宗には、初発心時便成正覚とて、また即身成仏とならふなり。これらの宗にはみな即身頓証のむねをのぶれば、仏乗となづくる也」とありまして、華厳宗ははじめて菩提心をおこした時に、即ち仏になると申すのであります。かやうに、華厳・天台・真言などの宗派にありて観心修行によりて成仏する教を説くのでありますが、それはみなこの身このまま速かにさとりをひらくのでありまして、すなはち即身頓証の教であります。  菩薩乗  それから菩薩乗といふのは幾億萬年と長い間、修行して仏となる教であります。  「つぎに菩薩乗といふは、歴劫修行成仏の教なり。三論法相の二宗にならふところなり。すなはち三論宗には八不中道の無相の観に仕して、しかも心には四弘誓願ををこし、身には六波羅密を行じて、三阿僧祇に菩薩の行を修してのちほとけになると申す也。法相宗には、五重唯識の観に住して、しかも四弘ををこし、六度を行じて三祇去をへて仏になると申す也。これらを菩薩乗となづく」  かやうに、菩薩乗といふは、去を経て、修行して、仏になると申すのであります。前に申した真言宗や仏心宗などの仏乗ではこの身をもつて速かに仏の悟りをひらくといふのでありますが、三論宗・法相宗ではさういかないのであります。  八不中道  三論宗では八不中道の観に住すると申して、諸法の真相は生にもあらず、滅にあらず、去にもあらず、来にあらず、一にもあらず、異にもあらず、断にもあらず、常にもあらず、有を離れて無に滞らざる不可得の中道であるのに、衆生は誤まりて、その上に生、滅、去、来、一、異、断、常の八種の迷執を起すのであるから、この迷執を破るために不生、不滅、不去、不来、不一、不異、不断、不常の八不の正観をなすべしと説くのであります。さうして、更に心には、四弘誓願を起し、身には六波羅蜜を修し、三阿僧祇に菩薩の行を修して後に始めて仏と成ることが出来るといふのであります。  四弘誓願といふのは、すべての菩薩に共通なる四種の誓願でありまして、その一は衆生無辺誓願度と申して、苦界の衆生はたとひ無量無辺なりとも、誓つてこれを済度し尽さむとする願望であります。その二は煩悩無辺聖願断と申して、煩悩は数限りの無いものであるが、誓つてこれを断じさむとする願望であります。その三は法門無尽誓願学と申して、法門は無尽なれども、誓つてこれを学知せむとする願望であります。その四は仏道無上誓願成と申して、誓つて仏果を完成せむとする願望であります。菩薩はこの四願を以て、その心を制し、上は菩提を求め、下は衆生を化益せむと願するのであります。  五重唯識  法相宗にては五重唯識の観に住すと申すのでありますが、その五重唯識と申すのは、萬法唯識の理を観ずるに穢きより深きに至る次第を五重に別けたものであります。  遺虚存実識 自己の欲望に本づきて起るところの主観の差別的執見によりてあらはれる対象は、ただ主観の情の上にのみ実とせられて、客観の理の上には無きものであるから、これは虚妄なりと観じてこれを否定し遣り、因果の理によりて存在する一切萬法と、宇宙の本体たる真如とは客観の理の上に存するものであるから、正しく存するものとこれを認め存する観法である。  捨濫留純識 思慮する心の主観と、思慮せらるる客観の対象とは、共に心の内から発現するものであるが、心の対象として見るものは、いかにも心以外の存在のやうに思はれる。それ故に、心外の実境に紛れ易い心の影像を捨てて、これを認知し又認知されたことを説明する心を留める観法である。  摂末帰本識 客観の事物が心に映じたる影像(相分と名づく)と、この影像を認知する主観(見分と名づく)とは共に識の自体分から派生するものであるから、この末の二分(相分・見分)を本の自体分に帰して、唯識の理を観ずる法である。  隠劣顕勝識 八識の自体分には心王と心所とありて、心王は勝れ、心所は劣るものである。それ故に、劣りたる心所を隱して勝れたる心王を顕はす観法である。  遺相証性識 隠力顕勝識に留めたる八識の自体分は、他によりてあらはれたるもので実性ではない。それ故にその実相を遣りて、その実性を観する法である。  かやうに、五重唯識の観法をなし、それに四弘誓願を起し、六波羅蜜(六度)の行を修めて、三祇劫の長い時日を経て後に始めて成仏することが出来るのであります。それは中々に困難なることであります。  縁覚乗  次ぎに縁覚乗といふのはいろいろの縁に觸れてひとり悟を開くのであります。  「つぎに縁覚乗といふは、飛花落葉を見て、ひとり諸法の無常をさとり、あるひは十二因縁を観じて、ときは四生、をそきは百劫にさとりをひらくなり。」  たとへて申せば、春になるといろいろの花が立派に咲く、しかしそれはやがて散るのであります。夏の頃になると木の葉が青々として居るが、秋になれば散りて木枯しとなるのであります。これを見て世の中を無常であると観ずるのであります。それから十二因縁の道理を観じてだんだんとさとりをひらいて仏になるのであります。これは早いのは四生、近いのは百効かかりて仏になると申すのであります。  声聞乗  つぎに声聞乗といふは、縁覚乗が縁に觸れてさとりをひらくのと異なりて、説法を聞いて悟を開くのであります。  「つぎに声聞乗といふは、はじめ不浄・数息を観ずるよりをはり四諦の観にいたるまで、ときは三生、をそきは六十劫に、四向三果のくらゐをへて、大阿羅漢の極位にいたる也。」  不浄観と申して、貪欲の心をなほすために身体の不浄なることを観ずるのであります。数息観といふは一に持息念と申して、出入の息の数をかぞへて、心想の散乱を防ぐのであります。それから進みて苦・集・滅・道の四諦の道理を観ずるところまで修行するのであります。さうして早いのは三生、遅いのは六十劫かかつて大阿羅漢の位にいたるといふのであります。かくの如き教を説くのは?舎・成実の二宗であります。  難行道  法然上人は、此の如く、四乗の教を説明して後に、次のやうに言つて居られるのであります。  「をよそこの四乗の聖道は大小乗をえらばず、われらが身にたへ、時にかなひたることにてはなき也。」  まことに、この四つの聖道は我々には合はぬものであります、又我々の時代にもあはぬものであります。それから又  「もし声門のみちにむかへば、二百五十戒たもちがたく、苦集滅道の観成じがたし。もし縁覚の観をもとむとも、飛花落葉のさとり、十二因縁の観、ともに心もをよばぬことなり。又菩薩の行にをゐては、三聚十重の戒発得しがたく、四弘六度の顕行成就しがたし。されば身子は六十劫まで修行して、乞眼の悪縁にあひて、たちまちに菩薩の広大の心をひるがへしき。いはんや末法のこのごろをや。下根のゆれらをや。たとひ即身頓証の理を観ずとも、真言の入我我入、阿字本不生の観、天台の三観六即中道実相の観、華厳宗の法界唯心の観、仏心宗の即心是仏の観、理はふかく、解はあさし。」  まことに、我々のやうな悪なるものは、かやうな高尚の道理を観ずることは出来ませぬ。四弘誓願を起すといふやうな殊勝の心はありませぬ。六度の行を修めるといふことは到底我が身に及ばぬことであります。  哲学より宗教へ  理は深く解は浅しと、法然上人は言つて居られますが、それは固より大小二乗の各の宗派に説くところの道理が深遠のもので、到底我々のやうな愚なるものには理解の出来ぬといふことであります。しかしながら、法然上人が此の如くに申されたる心は、哲学の知識はいかに深遠であつても、それは我々の安心立命の資料とはならぬとせられたのであります。かやうにして法然上人は哲学より宗教へと移られたのでありまして、この娑婆世界を厭ひ捨てていそぎて彼の極樂浄土に至るまでの施行を立てて往生を遂ぐべきものであると説かれたのであります。  易往浄土  聖道は難証でありますが、浄土は易往であります。聖道はさとるのでありますから困難でありますが、淨土は往くのでありますから容易であります。それ故に、浄土に往生する教をば易行道と申して居るのでありまして、これを難行道に対するのであります。これが從来、仏教の専門家が説かれたところでありまして、法然上人もさういふ風に言つて居られるのであります。しかし、実際のことを申すと、難行道といはれて居るものは哲学に属するもので、それに僅かに実践道徳を交へたものであります。真に宗教とすべきものは易行道のみであると申さねばなりませぬ。それ故に、法然上人は事実に於て、哲学より宗教へと移られたのであります。  二種勝法  このことにつきて法然上人はその著「選擇本願念仏集」の中に、支那の道綽禅師の「安樂集」を引いて、次のやうに説いて居られるのであります。  「問うて云はく、一切衆生、皆仏性あり。遠劫よりこのかた多仏に値ふべし。何の因によりてか今に到るまでなほ自ら生死に輪廻して、火宅を出でざる」  我々人間は皆仏性をもつて居る。それ故に昔から澤山の仏にあつて居るはづである。それにどういふわけで今日までもなほ迷つて居るのであらうかといふのであります。それから  「答へて曰く、大乗の聖教に依るに、良《まこと》に二種の勝法を得て、もつて生死を排せざるによる。ここをもつて火宅を出でざるなり」  仏教に二種の勝れた法があるのに、それを用ひないから生死の苦界を流転するのであるといふのであります。 「何をか二とす。一に謂く聖道、二に謂く往生土なり、その聖道の一種は今時証し難し。一には大聖を去ること遙遠なるによる。二には理深く解微なるによる。」  その聖道の一種は今の時にはそれをさとることが六ヶ敷い。釈尊から時代を離れて居るが故に六ヶ敷いのであります。又その道理が深遠であるのにそれを理解する智慧が我々に少ないから困難であるといふのであります。  「この故に大集月蔵経に云はく、わが末法時中に、億々の衆生、行を起し道を修せんに、未だ一人も得るものあらじと。当今末法、現に是れ五濁悪世なり。ただ浄土の一門のみありて、通入すべき路なり。」  此の如く、法然上人は「選擇集」に説いて居られるのであります。今でこそ、何でもないことでありますが、その時代に此の如き説を立てられたことは多くの人々を驚かしたことでありませう。さういふことが、一体仏教であるかといふやうな反対の説も出たのであります。それは言ふまでもなく、聖道の教を奉じて居つた人々が、法然上人の浄土の教を聞いて十分にそれを理解しなかつたためでありまして、今日から見れば、法然上人の往生浄土の教が仏教であるといふことは疑を容れぬのことであります。  実踐道徳  法然上人の時代は今から七百年も前のことでありますから、法然上人がかやうに二種の勝法を対立せしめられたことは巳むを得ぬことでありますが、今日我々の知識の上にて申せば、仏教に二つの勝法がありとするならばその一とつは実践道徳であり、一とつは宗教であると申さねばなりませぬ。聖道と言はれるものの大半は哲学でありますが、その実行の方面は実践道徳であります。それは宗教に属するものではありませぬ。しかしながら、宗教の心のはたらきは必ず道徳に本づくものでありますから、聖道門は浄土門の入門であると見ることは出来るのであります。法然上人は「聖道淨土二門を立つるの意は聖道を捨てて浄土門に入らしめむがためなり」と言つて居られますが、その意のあるところを推して考ふれば、道徳を捨てて宗教に入らしめるといふことに帰著するのであります。  現相否定  前に申した通ほり、小乗の教では、人間の現在の相を否定するのであります。それは現在の相が我々の迷妄であるからであります。この迷妄を断じて、正しい智慧を得まして、この世にて聖者になるのが目的であります。しかしながら、それは一とつの考へでありまして、なるほど尤もな考へでありますが、しかしながら我々はかういふ風なあさましい心で毎日を生活するのでありまして、そのあさましい心を全く断滅して、正しい智慧にて安樂な生活をするということは到底出来ぬことであります。  現相肯定  若し真に現実の相を否定して仕舞へば、我々人間は無くなつて仕舞ふのであります。安心立命といふ願も人間がありて起ることでありますから、現実はどこまでも肯定せねばなりませぬ。そこで煩悩即菩提、生死即涅槃といふやうなことにならねばならぬのであります。大抵の教は、それ故に現実の相を肯定し、それがその儘に功徳を具現するところの妙体であるとするのであります。しかしながら、固より妄惑を断ぜざればその妙体を見ることは出来ぬのであります。さうして、その妄惑を断ずることが容易でありませぬために、大乗の教によりて仏となることは決して容易でありませぬ。煩悩即菩提と聞けば喜むで仏とならうと願ふのでありますが、生死即涅槃と聞いても火の中に飛び込む人はないのであります。かやうにして、現実を否定するにしても、又これを肯定するにしても、実際としては実踐道徳以上に進むことは出来ぬのでありますから、この聖道を捨てて淨土門に入らねばならぬのであります。  浄土教  法然上人が説かれたものは、正しく浄土教であります。さうして、法然上人は往生浄土門には二つありて、一とつは正しく往生淨土を明せる教である、一とつは傍に往生淨土を明せる教であると言つて居られます。正しく往生淨土を明せる教といふのは、「大無量壽経」と「観無量壽経」と「阿弥陀経」それから天親菩薩の「往生論」とに説かれて居るものであります。次に傍に往生淨土を明せる教というのは、「法華経」、「華厳経」、「大乗起信論」「十住毘婆沙論」、「摂大乗論」などに説いてあるものであると説明されたのであります。  日本仏教  法然上人のこの説明は当時の仏教としては非常な斬新のものであります。法然上人より以前には誰もかやうには説かなかつたのであります。法然上人の浄土教は明かに日本に於て創められたる仏教の一派であるといふべきであります。弘法大師や伝教大師などの教は印度又は支那よりこれを伝へたものであります。固よりそれは日本思想が加はつて居ることは勿論でありますが、法然上人の教は新しい考への上に立てられたものであります。それ故にこれを日本で出来た仏教であると申してよろしいのであります。  自力と他力  法然上人の浄土教が興りてから、更に広く行はれたことは自力と他力といふ区別であります。それは聖道門を指して自力といい、往生浄土門を指して他力といふのであります。聖道は自分の力で仏になるのであるが、浄土に往生することは仏の力によるのであるから、全く他力であるといふやうに考へて、これを自力と他力とに別けたのであります。法然上人もさういふ区別をして居られまして、たびたびその説明をいたして居られるのであります。  他力  法然上人は他力のことにつきて、次のやうに説明して居られるのであります。  「目しゐ、足なゑたらむものは陸地には向ふべからず、ただ舟に乗りてのみ向ひの岸には著くべきなり、しかるに此頃の我等は、智慧のまなこしゐ、行法の足なゑたる輩なり、聖道難行のけはしき道には、すべて望をたつべし、ただ弥陀本願の舟に乗りてのみ生死の海を渡りて、極樂の岸には著くべきなり、今この舟といふはすなはち弥陀の本願にたとふるなり」  法然上人は、又たとへを挙げて次のやうに言つて居られるのであります。  「自力他力と申すこと、いかやうに心得侍るべきと、上人のたまはく、源空はいふ甲斐なき辺国の土民なり、全く昇殿すべき器にあらねども、上より召されしかば、二度まで殿上へ參りたりき、これしかしながら上の御力なり、この定に極重悪人、無他方便の凡夫はかつて報身報土の極樂世界へまゐるべき器にはあらねども、阿弥陀仏の御ちかひなれば、称名の本願にこたへて、来迎にあづからむこと何の不審かあるべき」  法然上人はかやうに譬喩を以て、他力の説明をして居られるのであります。しかしながら、他力の意味を説明するにかういふたとへですると間違ふことが多いのであります。他力といふと、何か他のものかどうにかして呉れるやうに考へられるのであります。宗教のはたらきの上で自力・他力といふのはさういふ意味ではないのであります。法然上人はたとへて、陸地を歩行する、本願の舟に乗るなどと申して居られるのでありますが、それを聞くものは、得手にこれを解釈して、自分ではどうすることもいらぬ、ただ仏の慈悲でたすけて下さるのであるといふやうな考へを起して、その極、放免の生活に陥つたものが多かつたことでありませう。  報身報土  法然上人は我々が如来の本願に感じて往生すべきところは、報身報土の極樂世界とことはつて居られるのであります。これは後にもくはしく申し上げますが、阿弥陀仏の本願に応じてあらはれるところの淨土でありましてまことに不可思議の土であります。我々の考へには及ばぬところでありますから、我々としてはこの浄土に往生すべき素質の自分をよく見るより外にはないのであります。しかるに、その自分といふものをば、よく見ずして自分は智慧の眼が失明し、行法の足がなえて居るから、どうでも、仏の本願の舟に乗らねばならぬと、簡単に考へることは、それは決して報身報土に往生するの道ではありませぬ。  浄土の菩提  法然上人が説かれるところは、実に、浄土の菩提を願ふべきことであります。法然上人の言葉に  「まことに此身には道心のなき事と病ばかりやなげきにて候らん。世をいとなむ事なければ、四方に馳走せず、衣食ともにかけたりといへども、身命をおしむ心切ならねば、あながちにうれへとするにをよばず。心をやすくせん為にも、捨候べき世にこそ候めれ。いはんや無常のかなしみは目の前にみてり。いづれの月日をかをはりの時に期せん。さかへあるの久しからず。いのちあるものも又うれへり。すべていとうべきは六道生死のさかひ、ねがふべきは浄土の菩提なり。天上にむまれてたのしみにほこるといへども、五衰退没のくるしみあり。人間にうまれて国王の身をうけて、一天下をしたがふといへども、生老、病死、愛別離苦、一事もまぬかるる事なし。たとひこれらの苦なからんすら、三悪道に帰るをそれあり。心あらん人はいかがいとはざるべき。うけがたき人界の生をうけて、あひがたき仏教にあふ。此たび出離をもとめさせ給へ」  法然上人はかやうに、深く自分のすがたをながめて、浄土の菩提を願ふべきことをすすめて居られるのであります。この内省の上に、ただ念仏して浄土に往生するといふことを説いて居られるのであります。かやうに、法然上人の教は、往生の業は念仏を本となすと言はれる通ほりに、専修念仏を主要とせられたのであります。専修念仏によりて浄土の菩提を願ふべきことをすすめられたのであります。さうしてこの法然上人の専修念仏の教から親鸞聖人の宗教が生れ出たのであります。親鸞聖人の教は、往生の業は信心を以て本となすと言はれる通ほりに我々の心のありさまをよく見ることが主でありまして、法然上人の念仏為本とは相異して居るやうに考へられますが、事実は決してさうでなく、法然上人の専修念仏の教が内省に徹底して、最悪の自己の心の相を見られたる親鸞聖人の宗教として、信心為本といふことがあらはれて来たのであります。それ故に、親鸞聖人の宗教を知るためには、必ず先づ法然上人の宗教の要旨を深く考へねばならぬのであります。  捨家棄欲  此の如く、法然上人の専修念仏のことを概略説明しましたから、これから引き続きて、法然上人の念仏の意味につきてお話致しませう。大乗仏教が起りましてから、道を行ふといふことは成仏を目的とすることになつたのであります。どの宗派でも、いやしくも大乗仏教といふ以上は、みな成仏が目的になつて来たのであります。そこで、仏になるといふことに就ては、先づ現実の人間の醜き相をなくせねばならぬのでありますから、妄惑を断じ、正しい智慧を得て、この世にて聖者になることがつとめられたのであります。それ故に、仏に成ることを目的として修行するものは、普通の人間の生活を離れる、すなはち家を捨て、欲を捨てる、さうして、一切の魔にうち勝つて、自分一人で、宗教の生活を專門につとめねばならぬのでありました。さうして、かくの如くにして自己の内に存在して居るところの仏性を悟るために深遠なる概念の法を修行せねばならぬのでありました。小乗の仏教と言はれて居るところの宗派では皆かういふ風にして、専門的に修行することによりて仏に成ることを期待したのでありました。  此土入聖  ところが、だんだん時代を経ましてから、おなじ仏教でも、始めに行はれたやうに、人間の現在の生活を否定することをしないで、我々が持つて居る心そのままに功徳を具へたる妙体であるとなし、煩悩の中にも仏性があるから、迷を転じ、悟を開くときは、この身このまま仏になるといふ教が行はれて来たのであります。華厳宗や天台宗や、真言宗や、禅宗などはこの類のものでありまして、所謂此土入聖の教であります。これらの教では現在の相そのままに妙体を備へて居るとして、人間の現実の相を否定することはしないのでありますが、我々の煩悩の心の中に仏性を見出すためには、実際は日々刻々あらはれて来るところの迷の心をばどうにかせねばならぬのであります。どうあつても、平生の自分の相が仏であるとは考へられぬのであります。それでありますからこの人間を離れて仏となることが困難であると同じやうに、人間の内に仏を見出さうとすることは六ヶ敷いことであります。  赤??の心  余所行きに著飾つた心でなく、凡夫の心そのまま、赤??で、体裁をつくろはぬ心をつきとめて、その心に直接である道は、此土人聖の教では求められなかつたのであります。法然上人は「凡夫の心は物にしたがひてうつり易し、たとへば猿猴の枝に伝ふが如し、まことに散乱して動じ易く一心静まり難し、無漏の正智何によりてか起らむや」と言つて居られますが、その凡夫の心に、無漏の正智を得ることは、無論困難なることであります。凡夫の浅間しき心には無漏の正智が起りませぬ。無漏の正智が起らねば、悪業煩悩のきづなはこれを断つことが出来ませぬ。悪業煩悩のきづなが断たれなければ、どうして生死繋縛の身を解脱することが出来ませう。これはまことに明瞭なる事実であります。弘法大師は、凡夫といふ二字をば狂酔の如しと解釈して居られるのでありますが、それは凡夫の心が物くるひ、酒に酔ひたると同じやうであるという意味であります。善悪につけても思ひ定むることが出来ぬから、何れの行も自己の力にて行ずることが出来ぬのが当然であります。  教行不相応  これを要するに、結局さういふ風な教といふものは我が心に相応しないものであります。その行は我々の身に出来ないのであります。従つて信と証とは我々には得られぬのであります。かういふことに帰著するのであります。しかし、さういふやうに、その教と行とが相応せぬ凡夫が、道を求めて居るのでありますから、その凡夫が直入すべきものでなければなりませぬ。どうしても、凡夫は凡夫ながらに、受け入るべき教があり、修むべき行がなくてはならぬ筈であります。法然上人は、それを多くの人にたづねられたのでありますが、誰もさういふ道は知らないと言つて教へてくれなかつたのであります。そこで法然上人は、泣く泣く経蔵に入つて一切経を繰返して、何処にか凡夫が行ぶことの出来る道があるべしと探られたのであります。  正定業  ところが、善導大師の「観経疏」の中に「一心に專ら弥陀の名號を念じて、行住座臥、時節の久近を問はず。念々に捨てざるもの、これを正定の業と名づく、彼の仏の願に順ずるが故に」という一とつの文章が見つかつたのであります。ことに法然上人は一心に称名念仏することが正定の業であるといふことを知られたのでありますさうして、それは「彼の仏の願に順ずるが故に」とありまして、人々をして称名念仏せしめ、さうして称名念仏するものを救ふのが仏の願であるから、その願に順じて、念仏するのが、正定の業であると申すのであります。彼の仏といふのは阿弥陀仏であります。その仏の名を称へるといふことは阿弥陀仏の願であるから、その願に順ずるが故に念仏は正定の業であるといふのであります。「彼の仏の願に順ずるが故に」といふ、この言葉は、法然上人の心を非常に強く動かしたのでありまして、法然上人自から「順彼仏願の文、深く魂にそみ、心に留めたるなり」と言つて居られるのであります。かやうにして説かれたのが専修念仏の教であります。  本願に順ず  かやうにして、法然上人の教は、阿弥陀仏の本願に眠をさまし、それを確かに信じて、本願に順じ、称名念仏しつつ、人間の道を進み行くべきことを説かれたのであります。まことに、簡単明瞭の教であると言はねばなりません。  時機相応  法然上人の時代まで説かれた教のやうに、現実の相を否定して妄惑を断じやうとするのでもなく、又現在の心の中に仏性を見つけやうと努力するのでもありませぬ。ただ此の如き浅間しき凡夫を救はむとの仏の本願に目をさまして、その本願にしつかり從ふに念仏しつつ極樂に行くべしと説かれたのであります。その当時は源平の戦争が永く続き、世の中は麻の如くに乱れて居つたのでありますから、世の栄枯盛衰の有様をまのあたりに見たり、又人生は朝露の如しといふ果敢ない状態をも実見して、恐怖におののいて居つたのでありますから、法然上人の教は当時の多くの人々の耳によく這入つたのであります。時代にも相応し、人々の心にも相応して居つたのでありますから、専修念仏はたちまちにして広まつたのであります。  禅勝房  遠州蓮華寺に禅勝房といふ天台の僧がありました。この人は法然上人に就いて専修念仏の教を受け信心堅問の譽の高い人でありました。この禅勝房が法然上人の許を辞してその帰里に帰るときに、法然上人は京土産にせむとて次のやうなことを言はれたのであります。  「聖道門の修行は智慧を極めて生死を離れ、  浄土門の修行は愚痴にかへりて極樂に生れる」  と心得べしと申されたさうであります。それから禅勝房は本国に帰りまして、番匠となりて世を渡り、その徳をかくして居つたのであります。あるとき、降寛律師が遠州を通ほられて、禅勝房のことを思ひ出し、この辺に禅勝房といふ僧がある筈だと聞かれたのであります。さうすると、そこの人がいふには、「禅勝といふ大工は居るが名高い坊さんに禅勝房といふ人はない」といふことでありました。しかし、名前が同じであるからと言つて、鬼も角もと、手紙をもつてその勝といふ大工を呼びよせられたのであります。来て見るとまさに禅勝房であります。隆寛律師も驚かれましたが、更に驚いたのはその弟子であります。さうして別れる時、弟子の人々が禅勝房に向つて何か一言おはなしを承りたいと願ふた。さうすると禅勝房は何とも言はずに、しばらく黙つて居られた が、やがて口を開いて「おのおの方、念仏を申すくせをつけて、それで往生したまへ」と言はれたのであります。法然上人の専修念仏の教はまさにかやうな心のものであつたらうと思はれるのであります。このことがあつてからその土地の人々が、この大工がえらい坊さんの禅勝房であると知つて吹聴したので、禅勝房があらはれて名の高い人になられたのであります。禅勝房が年をとつてから後に言はれた言葉に、「浄土宗の学問の所詮は、往生極樂はやすきことと心得つればやすかるべきことなり」といふことがありますが、全体、何とか彼とかといふのは人々の意見でありまして、かやうなはからひを捨てて、一心に称名すれば極樂に往生することが出来ると信じて念仏しつつ人間の道を進むべきであります。我々のやうな凡夫が一生懸命に修行しても仏にはなれいのであります。仏になることは六ヶ敷いが、しかし、仏の国に生れることは容易であると言はれるのであります。まことに称名念仏のくせがつきさへすればそれでよいのであります。浄土宗の教の所詮は学問ではなくして、ただ念仏して、浄土に生れることを願ふべきであります。  理想の境  一体、阿弥仏陀の本願といはるるものは何であるかと申すと、それは阿弥陀仏が、まだ仏になられない前に、人間のあさましいすがたを見て、悲痛を感じ、そのあさましい心を本として成就することの出来る理想の境をもとめられたのであります。あさましい心を断ずるのでなく、そのあさましい心そのまま、その心にて出来る理想の境をもとめられた、それが本願であります。さうして、この理想の内容は四十八種ほど挙げてありますが、その中でも念仏するものを助けるといふことは随一の願であります。阿弥陀仏はこの理想をば、事実の力とするやうにと努力して、それが成就して阿弥陀仏となられたと説かれて居るのであります。それ故に阿弥陀仏が理想として修行せられたものも、もはや理想ではなくして、生命の力となり、我々衆生の心にあらはるべきものであります。  南無阿弥陀仏  この阿弥陀仏の本願は、南無阿弥陀仏の声となつて我々の心の上に来るのであります。さうして南無阿弥陀仏の声が我々の口から出るのは全く本願が働くのであります。それ故にその声の中には、第一に真実に道をもとめること、第二に道をしつかりと見定めること、第三に、仏の本願に順じて極樂に生れることを念願することの三つの心が備はつて居るものであります。  三心具足  法然上人が三心具足の念仏といはれるのは、このことでありまして、至誠心、深心、廻向発願心、この三心を具足した念仏が真実の念仏であると法然上人は言はれるのであります。法然上人の念仏は明かにこの三心具足の念仏であります。真実至誠の心と、深く本願を信ずる心と、極樂に往生せむと願ふ心と、この三心がもととなつて南無阿弥陀仏と申す、それが専修念仏であります。しかしながら、かやうに、心をまことにする、深く信ずる願生の心をおこすと申しましても、いちいちそれを分析して、勉めてそれを行ふのではなくて、何のはからひもせず、ただ何となく一生懸命に申す念仏は必ずこの三心を具へて居ると申されるのであります。  本願の行  かやうにして申す念仏は、阿弥陀仏の理想が成就して、それが我々の生命の力となつたのでありますから、その声が我々を動かすのであります。それ故に、これを本願の行であると申すので、決して自分の行ではないのであります。仏の理想に本づきて現れる行であります。從つて、本願の行は貴い賤しい、富める貧しい、老いたる若いによらず、男であれ女であれ、又場所の何たるを問はず、称名念仏するものは、一樣に真実の生命の世界に入ることが出来ると申されるのであります。それは決して生活を離れたものでなく、我々の生活に即して、しかもそれを導くところの念仏であります。生活と離して、生活は自分勝手にして置いて、ただ南阿弥陀仏と申して未来をよくしやうとするのとは違ふのであります。勿論我々は凡夫でありますから、迷ひの心は制止することが出来ないのであります。その煩悩を向ふにまはしてそれと相撲を取ることなく、どこまでも本願の行としての念仏の力に信頼して、生活を進めて行くべきであります。  生活浄化  かやうにして本願の行たる念仏に導かれて進むところの我々の生活は、自からにして浄化されるのであります。固より修行によつて迷妄の心を断つ訳ではありませぬ。又観法によりて一切空の真理を知りて悟を開く訳でもありません。我々の生活の全体の上に本願の行たる念仏の力がはたらくために、迷妄の心が、自からにしてその力を減ずるがためであります。所謂触光柔軟の益があらはれて来るのであります。これは実際に念仏の行者に見られ るところであります。  彼岸の世界  此の如く、我々の日常生活は本願の行たる念仏の中におさめられるものでありますから、この念仏によりて導かるるところの生活は、現世に於ては自然法爾の大道を潤歩し、現世の終にありては、更に展開して、浄土に往生するといふ事実をあらはすのであります。さうして我々が生れるべき浄土は、固より我々に取りては、見ることの出来ぬ彼岸の世界であります。しかもそれは我々のために起されたる願と行とが成就して、我衆生の来るを待つて居られる阿弥陀仏の国であります。  報身報土  その頃まで仏教では、凡夫といふものは浄土に往生することが出来ないと説いて居つたのであります。そこで捨家棄欲して一生懸命に道を求めるものが、慧解、読誦に併せて念仏しても、応身応土に往生することか出来るのみであると言つたのであります。しかし、浄土に往生することの出来ぬ凡夫であれば応身応土でもよいとすべきであらう。しかるに、強て報身報土に往生するといふことを説かれるのは何故であるかと、法然上人の教を誹謗するものがありました。法然上人はそれに対して我々凡夫が報身報土に往生することは仏の本願の不思議によるのであるから、その不思議を説くために報土の往生を説くのであると言つて居られるのであります。応身応土といふことには、專門の上から言へば、込入つた説明もありますが、我々凡夫の心の上に、認められるのでありまして、要するに、我々が生れやうと願うところのものであります。それ故に、決して生れることの出来ない筈のものであります。報身報土は仏の理想の境でありまして、我々が心にはからふことの出来ぬ境であります。しかも仏の願に順ずれば、そこへ生れなければならぬところであります。  必得往生  法然上人の曰く  「近来の行人、観法をなすこと勿れ、仏像を観ずとも運慶、快慶が造りたる仏像だにも観じあらはすべからず」  法然上人は、観念は我々に取りて駄目である、たとひ仏像を観ずるにしても運慶等が造りたる仏像以上に、その形相を観ずることは出来ぬとされるのであります。  「極樂の荘厳を観ずとも、櫻梅桃李の花果ほども観じあらはさんこと難かるべし、ただ彼仏今現世成仏、当知本誓重願不虚、衆生称念、必得往生の釈を信じて、深く本願をたのみて一向に名號を唱ふべし、名號を唱ふれば三心自から具足するなり」  観念することを止めて、仏の本願は凡夫の我等がために立てられたるものであるから、称名念仏するときは必ず往生することを得るといふ説明を信じて、一心に念仏すべきであるとすすめて居られるのであります。  念仏の心得  法然上人の念仏が、大体、此の如きものであるといふことを承知して、それから、法然上人が、お弟子から質問したところに答へ、或はお弟子に向つて話されたことの中にて、二三のものを挙げて、念仏の心得とでも申すべきことを、これからお話致しませう。  仏に向ひ參らせねども念仏だにもすれば往生すべきかとの質問に対しては、往生し候と答へて居られます。又念仏に数を定めて申すことにつきては、法然上人は  「数を定めねば怠惰になり候へば、数を定め候ことが善きことにて候」  必しも数を定むることを必要とするのではなく、ただ常に念仏せむがためたりと言つて居られるのであります。その頃は、仏教は捨家棄欲を宗とする考へが強かつたのでありますから、魚を食ひて念仏してもよいかといふ質問がありました。法然上人はそれに答へて  「魚食もの往生をせんには鵜ぞせんずる、魚くはぬものせんには猿ぞせんずる、食ふにもよらず、くはぬにもよらず、ただ念仏申すものは往生するぞと源空は知りたる」  と言つて居られるのであります。煩悩の厚薄もまた問題となりました。法然上人はそれに対して「煩悩の薄き厚きをかへりみず、罪障の軽き重きをも沙汰せず、ただ口に南無阿弥陀仏と唱へて、声につきて決定往生の思をなすべし」と説いて居られるのであります。  威儀によらず  法然上人の曰く  「念仏の行は、行住坐臥をきらはぬことなれば、臥して申さんとも、居て申さんとも、心に任せ、時によるべし、念珠を取ることも袈裟をかくることも、又所により体に從ふべし、ただ詮ずる所、威儀はいかにもあれ、このたびかまへて、往生せんと思ひて、まことしく、念仏申さんのみぞ大切なる」  又曰く  「念仏申すは、またまた、別の様なし、ただ申せば極樂へ生ると知りて、心を至して申せばまゐるなり」  三寶新誓  ある人、法然上人に向つて「私は貴き教を受けまして、その大旨を得ましたが、しかし、信心がまだ起りませぬ、如何致して信心を起すべきでありませうか」と尋ねましたところが、法然上人は「三寶に祈誓すべし」と曰はれました。その人、後に奈良の東大寺に行つて普請を見て居ると、大きな材木を轆轤《ろくろ》にて造作もなくつり上げて居る。なるほど阿弥陀仏の善巧方便も、この通ほりであらうと思ひついて、何となく、自分の心の疑が晴れたので、大きに喜びて、そのことを法然上人に申し上げたところが、法然上人の言はれるのに、  「教をうけることと、菩提心をおこすこととは全く異ふるのである。それ故に、学問をしても菩提心はおこらなかつたのであるが、境界の縁によりて信心が起つたのである」  まことに、さうであります。内に菩提心を起すべき因がありましても、外に縁がなければ発心は出来ぬものであります。それ故に、三寶を縁として、内なる菩提心を呼び起すべきでありませう。  往生の仇敵  凡夫は固より罪業の深きものである。しかし阿弥陀仏はかかる罪業の深きをも顧みず、念仏すれば往生せしめられると説かれるによりて、罪を造るも苦しからずと誤まりて、悪るいことをすることをやめないものが多くありました。今日でもさういふ心得違ひのものは皆無ではあるまいと思ふのであります。これに就て、法然上人は次のやうに申して居られるのであります。  「何れのところにか、阿弥陀仏は罪造れとすすめ給へる、これひとへに我身に悪をとどめえず、罪をのみ造り居たる故に、かかる故もなき虚言をたくみ出して、物知らぬ男女の輦をすかしほらかし、罪業をすすめ煩悩を起さしむること、これしかしながら天魔のたぐひなり、外道のしわざなり、往生極樂の仇敵なりと思ふべし」  仏教として、どこまでも廃悪修善の教を守らねばならぬことは勿論であります。  法然上人の念仏は、前にも申したやうに、三心具足の念仏で、第一に至誠心を以つてする念仏であります。至誠心とは内はむなしくして、外をかざる心のなきをいふので、内に悪を造り、外に善人のよしを示すことをしないやうにせねばならぬことは勿論であります。凡夫はもろもろの煩悩を具足し、多くの罪悪をなして善根はないのであるが、かやうなものが念仏することは如来の本願に從ふのでありまして、凡夫としては、自身の罪悪を顧みて、ひたすらに如来の大悲に感謝せねばならぬのであります。  四種念仏  法然上人の念仏が専修念仏といふのであつたことは、前にお話申した通ほりでありますが、元来、念仏といふものには、積極の区別があります。「行願品疏鈔」と申す書物に説明せられたるところに拠つて見ますと、四種の念仏が挙げてありまして、その一は称名念仏、二には観像念仏、三には観相念仏、四には実相念仏であります。その称名念仏といふのは口に仏の名を称ふることであります。観像念仏というのは心に仏の画像や木像を観念することであります。観相念仏といふのは仏の実体の相好や功徳を思ひとらすのであります。実相念仏といふのは真如実相の真理を観念することであります。  語念と心念  この四種の念仏を、更に縮めていへば語念と心念との二種になります。その語念とは口に仏の名を称ふることで、すなはち前の称名念仏であります。心念といふのは心に仏身を観念することで、前の観相念仏や実相念仏などがこれに属するもので、これを総括して観念念仏といふべきものであります。  本願の念仏  法然上人の念仏は、巳に前にくはしく申した通ほりに、善導大師の「散善義」によりて、一心に専ら弥陀の名號を念ずるのでありまして、すなはち語念であります、称名念仏であります。観念念仏でないと法然上人自から言つて居られるのであります。さうして、法然上人は、この称名念仏は仏の本願に順ずるものであると説かれるのでありまして、それはすなはち本願の念仏であります。  選擇本願  仏の本願と申しても、それには種々あることでありまして、その中には特別の人にのみ出来て、多くの人には出来ぬものもあります。法然上人はそれにつきて次のやうに言つて居られるのであります。若し仏像を造り、塔宇を起すといふことが本願であるならば、貧窮困乏のものは往生することが出来ぬ。若し智慧高才を以て本願とするならば、魯鈍下才のものは往生することが出来ぬ。若し多聞多見を以て本願とするならば、少聞少見のものは往生することは出来ぬ。若し持戒持律を以て本願とするならば、破戒無戒のものは往生することが出来ぬ。自余の諸行も皆これに同じことで、若しかやうなる諸行を以て本願とするならば、往生を得るのは少なくして往生せざるものは甚だ多いことであらう。それ故に、弥陀如来は、法蔵比丘のむかしに、平等の慈悲に催され、普ねく一切の衆生を摂取するためにかやうな実行困難の諸行を以て往生の本願とせず、唯称名念仏の一行を以てその本願とせられたのであります。布施とか、持戒とか、忍辱とか、精進とか、定とか、般若とか、菩提心とか持経とか、持戒とかといふやうな大抵の人に困難なる諸行を捨てて、誰人にも出来る専称仏號の一行を以て往生の本願とせられたのであるから、これを選擇本願と名づけられたのであります。我が名を聞きて信ずるといふ、極めて行ひ易き行をなさしめて往生せしめる。これが仏の選擇本願であり、称名念仏はその本願に順ずるものであるといふのが、法然上人の主張であります。  親鸞聖人  親鸞聖人は全くこの法然上人の教を受けて、専修念仏をすすめられたのであります。親鸞聖人が比叡の山から下りて、吉水の法然上人の許を訪ふたのは建仁元年、二十九歳の時であつたと言はれて居るのであります。親鸞聖人が頭の髪を剃つて僧侶の籍に入られたのは九歳の頃であつたといふことでありますから、二十年間比叡山にあつて、仏教の学問をして居られたのであります。しかし、学問の力では安心立命の境地に至ることは出来ぬのでありますから、自身の相に目がさめて、往生の道を求められるやうになりて、其頃専修念仏を宣伝して巳に有名であつた法然上人の許に走られたのでありませう。時に法然上人は六十九歳の高齢で、四十二歳の時に専修念仏を唱へられてから約三十年も経過した後のことであります。それから間もなく、法然上人の専修念仏の教は叡山や南都の僧侶から劇しく排斥せられましたばかりでなく、法然上人の弟子の中にも問題を起すものがありまして、遂に念仏停止の令が下りまして、法然上人は讃岐の国へ流されました。時に法然上人は七十五歳でありまして、親鸞聖人もそれに連座して越後の国に流されたのであります。それ故に、親鸞聖人は法然上人に親炙してその教を受けられたことが六年間であつたと思はれるのであります。親鸞聖人が流罪となつたのは三十五歳の時で五年の後に流罪が赦免になり、五六年の間は越後地方を巡回して居られたやうでありましたが、四十五歳の頃に常州稲田に移られました。それから六十三歳になりて京都に帰り、親族の内などに寄寓して、質乏な生活をしつつ、澤山の著述をなし、九十歳の高齢を以て死去せられたのであります。  念仏成仏是真宗  親鸞聖人が関東に居られまして、まだ六十歳になられる前に著はされたと伝へて居るところの「教行信証」と申す書物の中には「専修とは、ただ仏名を称念して自力の心を離るるなり」と言つてあります。これはまさに法然上人の専修念仏の意味を示されたものでありますが、京都に帰られてから後、晩年に著はされました「大経和讃」の中には次のやうな文句があります。  念仏成仏これ真宗 萬行諸善これ仮門  權実真仮をわかずして 自然の浄土をえぞしらぬ  念仏成仏これ真宗とありますのは、念仏によりて極樂に往生し、速かに阿弥陀仏と同体の仏となる道を教ふるのが真実の宗教であるといふ意味であります。これに反して、自力にて、諸善萬行を修めて仏になることを示すのは聖道の方便で、すなはち仮の門である。釈尊の教経には、この二つの道が明かに示してあるのに、この權仮の仮門と、真実のものとをわきまへることが出来ずして、自然の浄土を知ることが出来ぬのは、まことになげかはしいことであると言はれるのであります。  權仮方便の教  それから又、次のやうに説いてあります。   聖道權仮の方便に 衆生ひさしくとどまりて   諸有に流転の身とぞなる 悲願の一乗帰命せよ  自力にて諸善萬行を修めて仏になることを示すは聖者の教であるが、しかし、これは權仮の方便である、仮の門である。先づこの仮の門に入れて、それから如来の本願を知らしめやうとせられる方便の教であるのに、我々凡夫は久しくこの權仮方便の教に迷ふて、阿弥陀仏の本願を知ることが出来ず、生死長夜の闇にとざされて、迷の世界に流転して居るのである。しかるに、今幸にも本願真実の教に遇ふのであるから、速かに自己のはからひを止めて、自然に順応して、一切の衆生を乗せて必ず仏にしやうと誓はれた大悲本願の乗物にのりて、その生活を進むべきであると説かれたのであります。  大無量壽経  この「大経和讃」といふのは、親鸞聖人が仮名書の文章にて「大無量壽経」を讃歎せられたものでありまして、十首ほどありまして、前にお話いたしましたのはその中の二首であります。「大無量壽経」二巻の中に説いてあることを、親鸞聖人が自身に味はれたことを歌にせられたのであります。これによりて見ますと、親鸞聖人の考へでは、「大無量壽経」に説いてあるところは、要するに念仏成仏これ真宗であります。ただ阿弥陀仏の名を称へて往生すべきことを示されたのが阿弥陀仏の教であり、それが真実の教である。さうしてこの真実の教を我々に説くためにこの世に出でられたのが釈尊であると、かういふやうに、親鸞聖人は説いて居られるのであります。  他力念仏  我々凡夫は、いかに内観しましても、自己の内に光を見出すことは出来ませぬ。たとひ一生懸命に努力して地を堀つても、地の中から光を見出すことは出来ぬのであります。しかるに、聖道の教を奉ずる人が諸善萬行を修めるのは、すなはち、自己の内に光を見出さうと努力するのであります。地を堀つて光を尋ねやつと念願するのであります。それを代行して、目的を達することは甚だ困難であります。それ故に、それを実行して居る間に、その努力が遂に目的を達することが出来ぬことを知りて、仰いで天を見るとき、すなはちそこに明々咬々たる光に接するでありませう。光は天の彼方より来りて我々を照すのでありますから、我々はただ仰いでその光に接すべきのみであります。念仏して往生するのは、かやうに自己の中に光を見出さうと努力するのでなく、地を堀りて光を尋ねやつと念願するのでなく、光のために照らされることを知りてこれを仰ぐのでありますから、これを他力の念仏といふのであります。親鸞聖人が「専修」は、ただ仏名を称念して自力の心を離るるなり」と言はれるのはまさにこの他力念仏の意味を説かれたのでありませう。  仏教の掟  しかしながら、他力の念仏によりて往生することが出来ると申しても、無暗に称名して、それでよいといふわけではありませぬ。法然上人は「念仏往生義」の中に、このことにつきて、つぎのやうに言つて居られるのであります。  「念仏して往生するに不足なしといひて、悪業をも憚らず、行すべき慈悲を行ぜす、念仏をはげまさらんことは仏教の掟に相違するなり、たとへば、父母の慈悲は、善き子をもあしき子をもはぐくめども、善き子を喜び、あしき子をばなげくが如し、仏は一切衆生をあはれみて、善きをも、あしきをもわたしたまへども、善人をみてよろこび、悪人を見てはかなしみたまへるなり、よき地によき種をまかんが如し、かまへて善人にして、しかも念仏を修すべし、これを真実に仏教に從ふものといふべきなり」  廃悪修善は仏教の掟でありますから、この掟に相違して念仏して往生することは仏教に從ふものといふべきではありませぬ。  念仏する心  そこで、巳に前に申せし通ほりに、法然上人は念仏には三心を具足せねばならぬと説かれたのであります。念仏するといふことには念仏する心の有樣を考へねばならぬのであります。さうしてそれは念仏することには必ず三心を具へて居らねばならぬといふことであります。三心といふのは至誠心と深心と廻向発願心との三つで、これは「観無量壽経」に説いてあるものでありまして、念仏して往生するには、必ずこの三心を具へて居らねばならぬとせらるるのであります。法然上人の説かれたところによりて、この三心がどういうものであるかといふことを、次に申し上げませう。  至誠心  先づ至誠心につきての説明はどうであるかと申すと  「もし衆生ありて、彼国にむまれむと、おもはんものは、三種の心をおこして、すなはち往生す、何等をか三とする、一には至誠心、二には深心、三には廻向発願心なり、三心を具せるものはかならずかの国にむまるといへり、善導和尚、この三心を押していはく、はじめに至誠心、至といふは真なり、誠といふは実なり、一切衆生の身口意業に修するところの解行、かならず真実心の中になすべきことあらんと思ふ、外には賢善精進の相を現じ、内には虚仮をいだくことをされ、内外明闇をえらばず、かならず真実をもちゐよ、かるが故に至誠心と名づくと言へり、この釈の心は、至誠心といふは真実の心なり、その真実といふは、身にふるまひ、口にいひ、心におもはむこと、みなまことの心を具すべきなり、云々」  かやうに、念仏して往生せむとするものは、口にしやべること、身に行ふこと、心に思ふこと、皆まことでなければならぬと申されるのであります。それから又  「この心につきて、四句の不同あるべし、一には外相はたうとげにて内心は貴からぬ人あり、二には外相も内心も共に貴からぬ人あり、三には外相はたうとげなくて内心はたうとき人あり、四には内外共に貴き人あり、この四人が中に、さきの二人はいまさらふところの至誠心かげたる人なり、これを虚仮の人となづくべし、のちの二人は至誠心具したる人なり、これを真実の行者となづくべし、されば詮ずる所は、ただ内にまことの心を起して、外相をばよくも、あしくも、とても、かくてもあるべきかと、おぼえ候なり、」  外の相はいづれにしても、心の内が真実でなくてはならぬ、若しこの至誠心を欠ぎて、念仏したところでそれは往生の行とはならぬと言はれるのであります。  深心  深心につきては次のやうに説明してあります。  「二に深心といふは、善導の釈にいはく、深心といふは、すなはちこれ深く信ずる心なり、これに二種あり、一には決定して深く我身は煩悩具足せる罪悪生死の凡夫なり、善根薄少めにして曠劫よりこのかた、常に流転して出離の縁なしと信ずべし。」  かやうに、自分は罪のふかいものであると信ずるのは機を信ずるのであります。これを機の深信と申すのであります。  「二には深くかの阿弥陀仏の四十八願をもて、衆生を摂取したまふ、すなはち名號を称することは、十声に至るまで、彼の願に乗じて定めて往生することを得と信じて、乃至一念をも凝ふことなきが故に、深心と名づく、」  これは阿弥陀仏の本願の貴きことを信ずるのであります。これを法の深信と申すのであります。  「又深心といふは決定して心を立てて、仏教に從ひて修行して、ながく疑心をのぞくなり、云々、この釈のこころは、はじめに、我身のほどを信じ、後には仏の願を信ずるなり、その故は、はじめの信心をあげずして、後の信心を釈したまはば、もろもろの往生を願はん人、たとひ本願の名號をとなふとも、みずから心に貪欲瞋恚の煩悩を起し、身に十悪破戒等の罪悪をもつくりたることあらば、みだりに、自身をからしめて、身のほどをかへりみて、本願を疑ひ候はまし、云々、」  二つの深心を説かれるのに、前に機の深心をとかれて、後に法の深心を説かれたのであります。  「されば、話は深く信ずる心と申候は、南無阿弥陀仏と申せば、その仏の誓にて、いかなる身をもきらはず、一定理へ玉ふぞと、深くたのみて、いかなるとがをもかへりみず、疑ふ心のすこしもなきを申候なり。云々、」  これによりて見ると深心とは、南無阿弥陀仏と申すことは仏の本願であるから、申せばたすかるといふことを信じて疑はぬことであると言はれることが明かであります。  廻向発願心  廻向発願心につきては次のやうに説明してあります。  「三に廻向発願心といふは善導の釈にいはく、過去をよび今生の身口意業に修するところの世出世の善根および他の一切の凡平の身口意業に修するところの世出世の善根を随喜して、この自他所修の善根をもて、ことごとくみな、真実の深心の中に廻向して、彼国に生れんことを願するなり、云云、この程の心は、まづ、我身につきて、さきの世、をよび今生に身にも口にも、つくりとつくりたらむ功徳をみなことごとく極樂に廻向して往生を願うなり、次には我身のことにても、人の事にても、この世の果報をもいのり、又おなじくのちのよの事なりとも、極樂ならぬ余の浄土に生れんとも、もしは都卒に生れんとも、もしは人中天上に生れんとも願ひ、かくのごとく、彼にも此にも、ことなる事に廻向することなくして、一向極樂に廻向往生せんと願ふべきなり、云々。」  これまでにした功徳これからする功徳を、仏の方にさしあげて、往生を願う心を起さなくてはならぬ、又他の人の功徳をも随喜することも肝要である。それを仏にさし上げて往生を願ふべきであると言はれるのであります。さうして、法然上人は更に「この三心を具して、かならず往生するなり、もし一心もかげぬれば、往生することを得ずと、善導釈したまひたれば、往生を願はむ人は、最もこの三心を具足することが肝要である」とせられるのであります。すべてそれ等の功徳を仏にさし上げて、往生を願ふのが廻向発願心であるとせられるのであります。  定散自力の心  法然上人は、かやうに、「観無量壽経」に本づき、善導大師の講釈によりて、「三心を具して必ず往生するなり、もし一心もかげぬれば往生することを得ずと、善導釈したまひたれば、往生を願はむ人は最もこの三心を具足すべきなり」と言つて、この三心を具足せざれば、念仏しても駄目であると申されるのであります。しからば愚夫愚婦の三心のことなどをわきまへざるものはいかがであるかと申しますと、何のはからひもなく、ただ称ふれば往生するぞと信じて申す念仏は、その内に自ら三心を具足するから、別に三心の詮議を必要とするものでないと説かれるのであります。しかるに、親鸞聖人は、此の如く法然上人が重要とせられるところの三心は定散自力の心であるとしてこれを排斥して居られるのであります。親鸞聖人が年八十五のときに書かれました「唯信鈔文意」と申す書物の内には、次のやうに説いて居られるのであります。  「観経の三心は定機散機の自力の心なり、定散の二善を廻して、大経の三信をねがふ方便の深心と至誠心と知るべし」   定機といふのは定善をつとむるもの、散機とは散善をつとむるものといふ意味であります。さうして、その定善とは心を静めて善をすることであります、すなはち廃悪修善であります。散善とは散乱したる心を以て善をすることであります。すなはち廃悪修善であります。つづめて申せば諸善萬行を修めることでありますが、さういふことは自力の修行であります。「観無量壽経」の三心はまさにこの自力の心であるから、ただ方便のもので、それによりて往生することは出来ぬと親鸞聖人は明かに説いて居られるのであります。  大経の三信  かくの如く「観無量壽経」に説いてあるところの三心は、定散の二善を修めて往生せむとする自力の心であります。それは定散の二善を廻向して「大無量壽経」の三信を得むと願ふ方便の至誠心であり、深心でありますから、其実の三信心を得なければ、真実の報土に生れることは出来ぬといふのが親鸞聖人の主張せらるるところであります。かういふ説明は法然上人の主張と大いに相違するところであります。定機の人、散機の人は、諸善萬行を修して自力にて往生せむと努力するがために「大無量壽経」の三信心を得ることが出来ぬ、それ故に真実の報土に生れることが出来ぬと親鸞聖人は説かれるのであります。親鸞聖人の説明によりますと、「大無量壽継」の三信を得ることは宗教の心のはたらきであるが、「観無量壽経」の三心は道徳の心のはたらきであるから、それによりて安心立命の目的を達することは出来ぬといふことになるのであります。親鸞聖人が方便といはれるのは宗教に引き入れる手段であるといふほどの意味であります。  一心  そこで、善導大師の講釈に「一心も少げぬれば生まるることを得ざるなり」とあるのは、「大無量壽経」の三信のことであると親鸞聖人は説明せられるのであります。親鸞聖人は「観無量壽経」の三心、すなはち至誠心と深心と廻向発願心との三心は「大無量壽経」の三信、すなはち至心、信樂、欲生の三信(他力の信心)を得むことを願ふ方便のものであるから「観無量壽経」の三心を得て後に「大無量壽経」の三信を得るのであると説いて、その「大無量壽経」の三信心を得るのを一心を得るといふのであると説明して居られるのであります。それ故に、善導大師が「この三心を具するものは必ず往生を得るなり、若し一心も少ぐときは即ち生るることを得ざるなり」と言はれたる一心をば「大無量壽経」の三信心であるとして居られるのであります。  「一心かぐるといふは信心のかぐるなり、信心かぐるといふは本願真実の三信心のかぐるなり、観経の三心を得て後に大経の三信心を得るを一心を得るとはいふなり、このゆへに、大経の三心を得ざるをば一心かぐるといふなり、この一心かげぬれば実報土に生れずとあり」  かやうに親鸞聖人は「唯心鈔文意」の中に説いて居られるのであります。善導大師の説明の文句から見れば、一心をかぐといふは至誠心、深心、廻向発願心の中のどれかの一心を指したのであることは言ふまでもないが、親鸞聖人はそれを以て自力の心であるとなし、自力の心を離れて、他力の信心を得るにあらざれば往生することが出来ぬと主張せられるのであります。他力の信心といふのは「大無量壽経」に説いてあるところの三信心を指していはれるので、至心、信樂、欲生の三つで、それは如来の心であります。我々は如来よりしてその信心を賜はりて、それによりて往生することが出来ると説かれるのであります。  淨土三部経  前に申したやうに、法然上人は主に「観無量壽経」に拠りてその謎を立てて居られるのでありますが、浄土往生のことを説いてあるお経はその外に「大無量壽経」があります。又「阿弥陀経」があります。この三部のお経は澤山のお経の中で、全部、阿弥陀仏の教を説いたお経であるといふことを、法然上人はつよく主張せられたのであります。固より澤山のお経のことでありますから、その中に阿弥陀仏のことを説いたお経はなくないのであります。たとへば「法華経」、正しく言へば「妙法蓮華経」の中に無量壽仏のことは説いあります。これは天台宗にて用ひらるるお経でありまして、それ故に天台宗は一名法華宗とも申すのであります。しかしながらお経の始めから終りまで、阿弥陀仏のことを説いたのは、今申した「観無量壽経」と「大無量壽経」と「阿爾陀経」との三部のお経であります。それ故にこれを浄土三部経と名づけられるのであります。法然上人は固よりこの三部のお経をおもに用ひられたのでありまして、どれが尊くて、どれが卑しいというわけはないのでありますが、しかしながら、法然上人がこの浄土往生に気がつくやうになられたのは「観無量壽経」の講釈をよまれて、それを縁として念仏の教を説かれたのでありますから、三部経の中で「観無量壽経」をおもに用ひられたのであります。  発三種心  その「観無量壽経」の中に次のやうな言葉があります。  「若有衆生、願生彼国者、発散種心、即便往生、何等為三、一者至誠心、二者深心、三者廻向発願心、具三心者必生波国」  この言葉の意味は、若し衆生ありて、浄土(彼国)に生れやうと願うならば三種の心を発せねばならぬ。三種の心を発するときは即ち往生することが出来る。さうしてその三種の心は何かといへば一に至誠心、二に深心、三に廻向発願心の三心であります。この三心を具ふるものは必ず浄土に往生することが出来ると説かれるのであります。前にも説明したやうに、第一まことの心に念仏を申さねばならぬのであります。あくびまじりに出鱈目に申す念仏では駄目であります。又深く仏の本願を信じ、功徳を浄土に廻向して往生することを願はねばならぬと言はれるのであります。法然上人が説かれた三心具足の念仏はこれであります。  第十八願  ところが、親鸞聖人は「観無量壽経」の三心は真実の意味でなく、真実の意味は「大無量壽経」に説いてある第十八願にあらはれて居ると主張せられたのであります。第十八願といふは法蔵菩薩の本願が四十八ある内にその第十八の願であります。さうして、その文句は次の通ほりであります。  「設我得仏、十方衆生、至心信樂欲生我国、乃至十念、若不生者、不取正覚、唯除五逆誹謗正法」  この文句の意味は、法蔵比丘が、我れ仏となりたらむとき、十方の衆生が極樂に生れむと思ひて、南無阿弥陀仏と、若しくは一声、若しくは十声、申さむ衆生をば迎へずば仏にならじと誓ひたまふたといふのであります。その文句の中に十念とありますから、昔からこれを「十念往生」の願と名づけて居りました。それを法然上人は念仏して往生するといふ願でありますから、「念仏往生の願」と申されるのであります。さうして、またそれが澤山ある本願の中の一番おもな願であるから「選擇本願」と申されたのであります。もとより親鸞聖人といへどもこれを念仏往生の願又は選擇本願と申さるることに違ひはないのであります。しかしながらそれにつきての説明は大した差のあるものであります。これからそのことにつきてお話致さうと思ふのであります。  正行  法然上人は、善導大師の説に拠りて、浄土往生の正行を挙げて五つとして居られるのであります。それは次の通ほりであります。  正行  一、読誦 一心に專ら観経、大経、小経等を読誦す  二、観際 専ら被国二報の莊厳を思想観察憶念す  三、禮拝 專ら弥陀を禮拝す  四、称名 専ら弥陀の名號を称ふ  五、讃嘆供養 專ら弥陀を讃嘆供養す  読誦とはお経を読むことであります。観察とは浄土の二報と申して、その身と土とを観察憶念することであります。それに禮拝すること、如来の名號を称ふること、如来を讃嘆供養すること、この五つが浄土往生のための正しい行であるとせられるのであります。又その中を二つにわけて、一読誦、二観察、三、禮拝、五、讃嘆供養の四つは助業であつて、正行の中の正定業は第四の称名であるとせられたのであります。正行の中の正行は固より称名であるから専修念仏を要とするが、しかも読誦、観察、禮拝、讃嘆供養も亦助業として同じく浄土往生の正行であるとせられたのであります。  雑行  前の正行に対して雑行と言はれるものがあります。それは次の通ほりであります。  一、読誦 往生浄土以外の諸経を受持読誦す  二、観察 極樂二報以外、大小顕密事理観行  三、禮拝 弥陀禮拝以外一切諸余仏菩薩等及諸世天を禮拝恭敬す  四、称名 弥陀名號以外、余一切仏菩薩等及諸世天の名號を称ふ  五、讃嘆供養 弥陀以外一切諸仏菩薩等及諸世天を讃嘆供養す    此外、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、般若、菩提心、持呪、起立塔像、孝養父母、奉事師長等諸行  かういふやうに、前の正業と助業とを除く外の一切の諸善行はすべて雑行とせられるのであります。雑行によりては浄土に往生することは出来ないのであります。 かやうに、法然上人が正行と雑行との二つにわけて、雑行を捨てて正行に帰すべしと説かれた意味は、道徳よりして宗教に進むやうにと示されたのであります。それ故に宗教としては一心に専ら弥陀の名號を称ふることでありまして、それは法蔵菩薩の第十八願であるから、我々はこの本願に從ふて浄土に往生すべしとせられた。さうしてそれには身に禮拝を行じ、心に相好を思ひ、穢土を厭ひ、浄土を欣求し、口に名號を唱ふるなど、一切を真実の心を以てせねばならぬと、法然上人は説かれたのであります。  本願に対する態度  「念仏往生要義問答」といふ書物に、法然上人の本願に関する説明が記されて居りますが、それは次の通ほりであります。  「ただ一筋に仏の本願を信じて我身の善悪をかへりみず、決定往生せんと思ひて申すを他力の念仏といふ、たとへば、巨なる石を舟に入れつれば、時のほどに向ひの岸につくが如し。これはまつたく石の力にあらず、舟の力なり。それがやうに、我等が力にてはなく、阿弥陀仏の御力なり。これ即ち他力なり」  かやうに、念仏が仏の本願であり、それが他力であるということには異論のないことである。しかしながら、我我がその本願に対する態度から見れば、そこにいろいろの相異があります。それは人々にありて、銘々その心のはたらきによりて、種々に計らふからであります。法然上人の三心具足と言はれるのも、さういふ意味に於てのはからいでありますから、親鸞聖人は「観無量壽経」の三心具足の念仏は他力中の自力であると排斥して居られるのであります。法然上人も前に申したやうに「ただ一筋に仏の本願を信じて我身の善悪をかへりみず」と言つて居られるのでありますから、自力にて往生するのではないといふことは強く主張して居られるのであります。しかしながらこの他力の本願に対する態度は、三心具足の言葉によりて、よく言ひあらはされてあるやうに、誠心誠意を肝要とするものであります。これは親鸞聖人が言はるるやうに他力の中に自力がはたらくのであります。親鸞聖人はこれに反して、他力の念に対して、全然、自力のはからひを離れねばならぬことを説かれるのであります。  至心  親鸞聖人が年八十三歳の時に書かれました「尊號真像銘文」といふ書物の中に、第十八願をば講釈してありますが、それに拠りますと先づ  「設我得仏といふは、もしわれ仏になりたらんときといふ御ことばなり、十方衆生といふは十方のよろづの衆生といふなり」  とありまして、それから至心信樂の説明がしてあります。  「至心信樂といふは、至心は真実とまうすなり、真実とまうすは如来の御ちかひの真実なるを至心とまうすなり、煩悩具足の衆生はもとより真実の心なし、清浄の心なし、濁悪邪見のゆへり」  これによりて見ますと、至心といふのは真実といふことで、仏の本願の真実なるを指して至心といふので、我々が心を真実にして仏の本願に從ふて念仏するのではなく、仏の真実が我々の内にあらはれてそれによりて念仏せしめられるといふ意味に、親鸞聖人は解釈して居られるのであります。元来、至心は心を至すといふことで、彼の至誠心と同じやうに、我々がその心を真実にして仏の本願に從ふべきことを示す筈でありますが、親鸞聖人は、さうは解釈せず、我々煩悩具足の凡夫には真実の心はない、清浄の心はない、濁悪邪見のものであるから、そこにあらはれる真実は仏の心であるとして、第十八願の本文にある至心は仏の本願の真実をいふのであると親鸞聖人は説明して居られるのであります。これは法然上人の三心具足の至誠心の説明とは大いに相異した点であります。  信樂  親鸞聖人は、それから次に信樂を説明して  「信樂といふは、如来の本願、真実にましますを、ふたごころなく、ふかく信じて、うたがはざれば信樂とまうすなり、この至心信樂はすなはち十方衆生をしてわが真実なる誓願を信樂すべしと、すすめたまへる即ちかひの至心信樂なり、凡夫自力のこころにはあらず」  右のやうに言つて居られるのであります。これに拠りて見ると、信樂といふことは信じ樂ふといふ意味で、仏の本願を信じて疑はざることをいふのでありますが、しかしながら、それは我々凡夫の自力のこころではなく、仏が我々をしてさう信樂せしめたまふやうに誓はれたるその本願の心でありまして、我々自身の心のはたらきではないと親鸞聖人は説明せられるのであります。これもまた法然上人の三心具足の深心の説明とは大いに相異したる点であります。  欲生  親鸞聖人は、それから欲生我国といふことにつきて、次のやうに説明して居られるのであります。  「欲生我国といふは、他力の至心信樂をもて安樂浄土にむまれんとおもへとなり、乃至十念とまうすは如来のちかひの名號をとなへんことをすすめたまふに、遍数のさだまりなきほどをあらはし、時節をさだめざることを、衆生にしらせんと、おぼしめして、乃至のみことを十念のみなにそへて、ちかひたまへるなり、如来より御ちかひをたまはりぬるには、尋常の時節をとりて、臨終の称念をまつべらかず、ただ如来の至心信樂をふかくたのむべし、この真実信心をえんとき、摂取不捨の心光にいりぬれば、正定聚のくらゐにさだまるとみえたり」  これに拠りて見ると、我々凡夫が仏の間に生れやうと願ふことは仏の本願の心によるもので、仏から真実の至心信樂の心をたまはりて、浄土に往生せむと思うに至るのであると親鸞聖人は説明して居られるのであります。これは法然上人の廻向発願心の説明と異なる点でありまして、我々から仏に廻向するのでなく、仏から我々に廻向したまはると言はれるのであります。親鸞聖人は前にも申したやうに、この至心と信樂と欲生とを大経の三信と言つて居られるのでありますが、体経の三心の自力であるのに反して、この大経の三信は全く他力であると言はれるのであります。  内観の徹底  此の如き、親鸞聖人の第十八願につきての説明は、その内観の徹底して居ることをあらはすものといふべきであります。言葉をかへて言へば、自心を内観して、煩悩具足の凡夫と信じられたる親鸞聖人は、仏の本願に対して極めて謙虚なる態度を取り、至心も、信樂も、欲生も皆これ仏からたまはりたるものと説かれるのであります。法然上人が三心具足の念仏を説きて、身にふるまい、口に言い、心に思はむこと、みな真実の心を具へて念仏せねばならぬ、外の相はいづれにしても心の内が真実でなくてはならぬ、若しこの真実を欠ぎて念仏したところで、それは往生の行とはならぬと説かれることは、まことに正当のことであります。しかしながら、自身を内観すると真実の心に決して認められないのであります、濁悪邪見にして清浄の心はすこしも無いのであります。とてもその心を真実にして、仏の本願に対することは出来ぬのであります。  真賞に生きる  我も人も、常に真実に生きねばならぬといふことを口にして居るのでありますが、一体、真実といふのはどういふことでありませうかと、先づ考へて見る必要があります。我々の相対の世界にて真実といへば虚偽に対して言ふのでありますが、しからば虚偽といふことは何でありますか、それにつきて考へて見ねばならぬのであります。我々はいつでも他の人々に対して自分の思ふままをば言はぬのであります。或は人の鼻息をうかがひ、或は自分の都合をはかりて心にもなきことを言つたり、心にもなき振舞をすることがありますが、それが虚偽でありますか。時には他の人のために、自分の意志を曲げて、本意でないことをすることもありますが、それが虚偽と申さるべきものでありますか。さういふことは多くは人間の道として、教へられたことであります。若し此の如きことが虚偽で、さういふやうにしないことが真実であるとするならば、多勢の人々の中で自分の思ふままに勝手にするのが真実でありませうか。深く考へて見ますると、我々が真実に生きたいと願ふのは一体どういふやうにすればよいのでありませうか。彼の犬や猫のやうに少しもかざらないで、自分の心のとほりに行ふのが真実であるならば、それは我々には到底堪えられないことであります。  畜生の道  奥田頼杖が著はしたる「心学道の話」の中に次のやうなことが書いてあります。それは「孟子」にある飽食暖衣居而無教則近於寓歟の文句を講釈したもので、人間として飽くまで食ひ、暖かに著て、安穩に生活しながら、只うかうかとして聖人の教をきかず、人の道を学ばす、のらりくらりと暮して居るものは寓歟に近いといふことでありますが、奥田頼杖はそれを説明して禽獣に近いといふのには懸値がある、寓歟よりはるかに劣るといはねばならぬと言つて、次のやうに述べて居るのであります。  「畜生は形こそ畜生でも畜生の道を知らぬ畜生は畜生仲間に一疋もありやせぬ、その上畜生は口に喰ふことや身に著ることや、家に住むことを人間のやうに十分にしては居らぬ、先づ牛馬があれほど重荷負うたり曳いたり、あらい働きはするけれど、口に喰ふものは高が知れてある、麥を喰ふか、豆を喰ふか、草を喰ふか、飼葉を喰ふか、麥空穂か、その外は世界のすたりものを喰ふて働いて居る。それにまあお前さんがたや私等は朝から晩迄どれほどなはたらきするか知らんが、口に喰ふことは大造喰ふて居る。まづ米じやの麥じやのといふ五穀の類はいふに及ばず、その外の野樂ものから魚や鳥の命まで取つて喰ふて、まだその上に桃じやの梨じやの栗じやの柿じやのといふ四季おりおりの果物まで、余まさず洩さず爬込ますは何と飽くまではといふものではござりませぬか。それに又、八九月のころ庭の柿の木の柿が熟ると烏が来てつつき居る。それをその家の主が見附けて何といふかとおもへば、エエ忌まくしい盗人鳥、せつかく柿が熟たと思ふてたのしみにしおるものを、うぬに取られてたまるものか、それ網をはれの、鳥おどしのと、めつた無性ににへかへるが、これもよく考へて見ますると、鳥がものを言はいで仕合じや、自然烏が物をいふて御ろうじ、そりやあちらから理詰しますぞへ、云々」  原始状態  いかにもさうでありませう。禽獣にも禽獣の道があるといいませうか、人間のやうに貪欲の甚しいものでないことは明かであります。しかしながらその精神のはたらきは明かに原始状態に属するものでありまして、たとひそれが真実であるとしても、文化の進みたる我々が此の如き原始状態に帰ることは全く出来ないことであります。これと同じやうに、よく言はれることは、人間も小児のときは天真爛漫で罪のないものであるが、段々と生きて悪性のものとなるのであると言はれるのでありますが、しかしながら小児が天真爛漫であるのは、その精神のはたらきが発達せずして原始状態に近いからであります。それを指して真実であるとするならば、我は現在の精神のはたらきを止めて、小児のやうに未だ発達せぬ精神状態に帰らねばならぬことであります。さうすることが果して真実に生きる道でありませうか。よく考へて見ねばならぬことであります。  道徳の世界  我々の今日の世界は、言うまでもなく、道徳の世界であります。この道徳の世界にありて、さう思ふままの勝手の振舞をせられては甚だ困るのであります。我々はこの道徳の世界にありてお互に遠慮して調和して行かなくてはならぬやうになつて居るのであります。さういふ人間の世界で、わるいことをする人々でも、その心が全く普通と違つて居れば別として、大抵の人はしてはならぬといふことをば平気でするのはありますまい。わるいことをしたときに自分を責めるのは普通であります。ある程度まで後悔し慚愧するのであります、わるいことをやめてよいことをしやうといふ心は必ずあるのであります。民間に生きたいと願ふは全くこの心のあらはれでありませう。かやうに、現在の自分の相の醜悪に気がつくといふと、現在のままではすまぬのであります。それが真実に生きたい心持でありませうから、真実が何であるかわからぬままに、仏の本願に導かれて生活しやうとする心持がその目的にかなうものでありませう。「大無量壽経」の三信は、まさにこの心持をあらはしたのであります。至心信樂欲生の三信は、真実に生きやうと願ふものの心の上にあらはるるところの如来の本願であります。  真実信心  「大無量壽経」の本文の文句は、前に申したやうに、「たとひ我れ仏を得たらむに、十方の衆生、至心に信樂して、我国に生れむと欲して、乃至十念せむ若し生れずば正覚を取らじ」とありますから、この文面に拠りて見ますと、もし自分が神になることが出来たならば、十方の衆生が至心に信樂して、自分の国に生れむと欲して一声でも念仏するほどのものは必ず生れさせる、もし一人でも自分の国に生れることの出来ぬのがあれば自分は仏にはならぬといふ意味であります。虚偽のない至誠の心をもつて、如来の本願を信樂して、念仏まうすものが、浄土に生れることが出来るのであります。しかるに、徹底して自己の内面を見られたる親鸞聖人は、我々に至誠の心はないといふことを強く考へて、至心も信樂も欲生も、皆如来より我々に廻向せられたるものであると言はれるのであります。さうして親鸞聖人の解釈に拠れば、至心も信樂も欲生も皆これ仏より賜はるものであるから、つまるところ、この三信は、真実の信心一とつにまとまるものであります。親鸞聖人はこれを説明して「愚鈍の衆生をして、ゆかりやすからしぬむがために、弥陀如来は三心を起したまふたのであるが、涅槃の真因はただ信心をもつてするのである」といふやうな意味のことを言つて居られるのであります。  三心の字訓  そこで、親鸞聖人は、三心の字訓を説明して、三心がすなはち一であるといふことを証明して居られるのであります。前に御話致した三信の説明と重複するやうでありますが、御參考のために、親鸞聖人の申された通ほりをここに御紹介致しませう。  「わたくしに、三心の字訓をうかがふに、三はすなはち一なるべし。そのこころいかんとならば、至心といふは、至はすなはちこれ耳なり、実なり、誠なり。心はすなはちこれ種なり、実なり。信樂といふは、信はすなはちこれ真なり、真なり、誠なり、満なり、極なり、成なり、用なり、重なり、審なり、驗なり、宣なり、忠なり。樂はすなはちこれ欲なり、顕なり、愛なり、悦なり、歟なり、喜なり、実なり、慶なり。欲生といふは、欲はすなはちこれ願なり、樂なり、覚なり、知なり。生はすなはちこれ成なり、作なり、為なり興なり。あきらかに知りぬ、至心はすなはちこれ真実誠種の心なるが故に疑蓋まじはることなきなり。信樂はすなはちこれ真実誠滿の心なり。極成用重の心なり。審堀宣忠の心なり。欲願愛悦の心なり、歓喜賀慶の心なるがゆへに、疑蓋まじはることなきなり。欲生はすなはちこれ願樂覚知の心なり。成作為興の心なり。大悲廻向の心なるがゆへに、疑蓋まじはることなきなり」  親鸞聖人はかやうに、至心。信樂・欲生の三信の文字を一字づつ説明して、いづれも真実の心にして、大悲の如来より廻向せられたるものであるから、疑惑は少しもないものであることを示したる後に、次のやうに説明して居られるのであります。  「いま三心の字訓を按ずるに、真実の心にして、虚仮まじはることなし。正直の心にして邪偽まじはることなし。まことに知ぬ、疑蓋聞難なきがゆへに、これを信樂と名づく。信樂はすなはちこれ一心なり。一心すなはちこれ真実信心なり。」  我々が自分の心を真実にして、如来の本願を信樂して、往生せむと欲するといふことになれば、そこに疑の心がまじはりて、常に惑はざるを得ぬのでありますが、真実の心を仏よりたまはるとすれば、そこに何等疑の心のまじはることはないのであります。かやうにしてあらはれたる疑蓋聞難のない心はこれ真実信心で、全く如来の心があらはれたのであると親鸞聖人は申されるのであります。  至心の体  前に申したやうに、「観無量壽経」には至誠心・深心・廻向発願心の三心が説かれて居るのでありますが、これは第一に心の内が真実でなくてはならぬ、第二に南無阿弥陀仏と申すことは仏の本願であるから、申せばたすかるといふことを深く信じて疑はぬことである。第三に、これまでした功徳、これからする功徳を仏の方にさしあげて往生を願ふ心を起さなくてはならぬといふことであります。それ故に、念仏すると申しても、我々の方から進むで阿弥陀仏に南無したてまつるのであります。南無はすなはち帰命であり、その仰せに從ふといふほどの意味でありますから、我々は仏の本願を信じて、ただこれ命に從ふことによりて往生が出来るとせられるのであります。しかし、それにはこの三心を具足せねばならぬと「観無量壽経」に説いてあるのでありますのに、今、親響聖人はただ真実信心の一心のみにて往生するのである、さうして、それは仏より廻向せられたる心であると申されるのであります。このことにつきて、親鸞聖人は自分の考へをばくはしくのべて居られるのであります。  「一切の群生海、無始よりこのかた、乃至今日今時にいたるまで、穢悪汚染にして、清浄の心なし。虚仮譜偽にして真実の心なし。ここをもて、如来、一切苦悩の衆生海を悲憫して、不可思議兆載永劫において、菩薩の行を行じたまひしとき、三業の所修、一念一利那も清浄ならざることなし。真心ならざることなし。如来清浄の真心をもて、円融無碍不可思議不可称不可説の至徳を成就したまへり。如来の至心をもて諸有の一切煩悩悪業邪智の群生海に廻施したまへり。すなはちこれ利他の真心をあらはす。かるがゆへに、疑蓋まじはることなし、この至心はすなはちこれ至徳の尊號をその体とせるなり。」  我々衆生は無始のむかしから、今日ただ今に至るまで、醜悪の心のみで、清浄の心はすこしもない、虚位の心のみで真実の心は微塵もないのであります。仏はこれを憫みたまひて、非載永劫の修行をせられたのであるが、その身・口・意の三業に一念一利那も穢悪・虚偽のことがなかつた、ただ一切の衆生をすくはむとの利他の真実心を以て不可思議の至徳を成就して、これを我々衆生に施したまふたのである。さうしてこの真実心は実にその至徳の障號、すなはち南無阿弥陀仏を以てその顕とすると説かれるのであります。  絶対他力  法然上人の念仏も亦固より如来の本願に随順するのでありますから、それは他力でありますが、しかし、至誠心・深心・廻向発願心の三心を具足せねばならないといはれるところに、なほ如来の本願を疑ふの心が存するのであります。親鸞聖人は、この三心は「大無量壽経」の三信を得ることを願うための方便の教であると言はれるのは当然のことで、他力本願の念仏に自力三心のはたらきが加はるものといふべきであります。しかるに、親鸞聖人が三心は畢竟するに真実信心の一とつに帰著するもので、しかもそれは仏の心を賜はるものであると言はれるに至りて、始めて絶対他力の念仏といふことが認められるのであります。そこに、微塵だも、我々自己のはからひを要せぬのであります。言葉を換へて言へば、我々衆生が如来の本願を信じて念仏するのではなくして、如来の本願が我々衆生の心にあらはれて、我々衆生をして念仏せしめられるのであると考ふべきであります。  一心帰命  此の如く、親鸞聖人が説明せられるところに拠りて見ますると、仏は我々衆生の虚仮不実をあはれみたまひ、それをすくはむがために修行し、修行の功が積りて、至徳を成就したまふたのである。さうして、仏はこの至徳を南無阿弥陀仏の名號にて我々衆生に対して表現したまふのであります。仏の真実の心は、この南無阿弥陀仏の六字の名號によりて、表現せられるのでありますから、我々衆生はこの名號を聞くことによりて始めて仏の真実の心に觸れることが出来るのであります。我々衆生の心は固より虚仮醜悪のもので、如来の本願を示されてもなほ疑惑を離るることが出来ぬものでありますが、この虚偽醜悪の心をすくふためにあらはれたる仏の真実心に觸れるとき、我々の心は実に疑蓋まじはることのない心、所謂一心帰命となるのであります。天親菩薩が「我れ一心に無量壽如来に帰命し奉る」と申されたのは正しくこの心境を示すものでありませう。この一心帰命こそ、実に、我々が真実に生きて行くところの原動力であります。  生活の指導者  これまでも、しばしばお話致したことでありますが、我々はいつも小さい我といふものをつくり上て、彼此と一切をはからふことによりて、生活をつづけて居るのであります。はからふ我は極めて小さいのでありますがそれによりて大きな世界の一切のことをきめて、それを指導者として生活をつづけて居るのであります。しかしながら、かやうな小我のはからひはその実、決してあてになるものではありませぬ。善いと思つたことが悪るかつたり、悪るいと思つたことが善かつたり、好都合と思つたことが不都合であつたり、不都合と思つたことが好都合であつたりすることは、常に見るところであります。胸が却つて幸になつたなどと申すのはこれがためであります。又自分で正しいと考へることが果して正しいのであるか、正しくないと思ふことが却つて正しいのではないか、深く考へて見れば「善し悪しの二たつ総じてて存知せざるなり」と申さねばならぬのであります。しかるに、我々は此の如く、真にたよりにならぬ自分の心をかてにして、それを指導者として、世間一日のことをはからふがために、そこに種々の苦悩があらはれるのであります。我々人間が小我のはからひによりて定めたるものはすべて皆、不定のもので常にかはりがちのものであるから、それを指導者として進み行くところに我々は常にその道に惑はざるを得ないのであります。  我と非我  そこで、少しばかり理屈を申さねばなりませぬ。かやうに、我々が深く自分の心を内省して見れば、全く真実がないといふことが知れるのでありますが、真実がないといふことが知らるれば真実を求めやうとする心が強くはたらくのであります。真実でない我々に、どうぞ真実を与へて下さいと叫ぶ、その叫び声に応じて、あらはれて来るものが南無阿弥陀仏であります。これは我々が腹の中が空虚となりて、空腹といふことを感じたときに、食物をたべるという心が起つて来るのと同じことでありまして、まことに必然的のものであります。宗教の用語でない言葉にてこれを説明すると、我々が真実にあこがるればあこがるるほど、ますます自己の虚偽に気がつく、どうして、我々には真実に至るの能力があらうぞと、自己の無力に驚かざるを得ない、しかも真実を求むる心がますます強いとすれば、勢ひ「我々は「我々ならぬ」大なるものに帰順せざるを得ないのであります。「我」に真実が求められないことがわかれば、その真実は「我にあらざるもの」に求めなければならぬのであります。「我」といふものは自己の意識によりて造り上げられたるものであるから、まことに小さい我である、さうしてこの小さい我は固より大なるものの一部分であるから、この小さい我にあらざるものは必ず大なるものである。そこで小さい我の無力に気がつくと、我にあらざる大なるものに帰命せざるを得ぬのである。小さい我は自己意識によりて造り上げられたるもので、この自己意識にて造り上げられたる小さい我が用に立たぬとなりて、取り除かれるとそこにあらはるるものは我にあらざる大なるものであります。  唯仏是真  ここに我にあらざる大なるものというのは、宇宙に遍満するところの真実であります。仏教にてはこれを真如と申して居るのでありまして、真如は宇宙萬有の根本を成すものと考へられるのであります。言ふことも出来ず思ふことも出来ず、所謂不可称、不可説のものでありますが、それが我々の心に、あらはれるときにはこれを真実と知ることが出来るのであります。我々人間も、もとこの真如からあらはれたものでありますが、無明によりて、真如を覆ひかくして居るのであります。無明は小我のはからひで、これによりて世間一切の虚仮をつくつて居るものでありますが、この世間一切の虚仮を離るれば、そこに真如の真実があらはれるのであります。「世間虚仮、唯仏是真」と申されるのも全くこの意味に外ならぬのであります。無明は小我のはからひでありますからこの小我のはからひを捨つるときは、すなはち宇宙の真実に觸れることが出来るのであります。  方便法身  宗教的に申すときは、仏教にて仏の身につきて多数の論説がありまして、これを数種に別つと説かれて居りますが、大体にこれを別けて、法身と、報身と、化(応)身との三つにするといふ説によりてお話致しますれば、法身といふのは仏の真身でありまして、その自性はすなはち真如であります。真とは真実の義、如とは如常の義とありまして、諸法の虚妄を離れて真実なるが故に真といひ、常住にして不変なるが故に如といふと説明せられて居るのであります。今ここに宇宙に遍満する真実と申すのは、すなはちこの真如のことであります。言葉を換へて言へば、真如とは仏教にていふところの空の理でありまして、我々の言語を離れ、又、我々の恩恵を離れ、「心も及ばず、言葉もたえたもの」であります。しかしながら、我々が若しその空の理を証ることが出来るならば、そこに我々が觸れるものは法身であります。ただ我々が真に空の理を証るといふことは我々の安情によりては到底出来ぬことでありますから、我々の心の状態に応じて、我々が觸るることを得るものは真如そのものではなくして、その真如のはたらきであります。これを仏教にて方便法身と名づけるのであります。真の法身に至るてだてのものであるといふ意味で方便と申すのでありますが、これがすなはち報身であります。仏が我々衆生をあはれみにこれを救はむとの心を起し、修行して、得られたる至徳の南無阿弥陀仏はこの報身であります。卑近の譬喩を挙げて言へば、彼の中天に輝く月は法身のやうなものであります。この法身の月が机の上に並べたる多数の小盃の水の面にうつりて、それぞれに月の影を見ることが出来るのは、我々一人一人の心の中にあらはれたる方便法身のやうなものであります。真如の法身が方便法身の如来となりて、我々の心の中にあらはれたるものが、真実信心であります。それ故に、「信心は仏性である」と言はれるのであります。かやうにして「真実ならざる我」も始めて「我にあらざる真実」に觸れることが出来るのであります。  是心是仏  仏教を宗教として見るときは、要するに、この真実に触れることを説くのでありますが、しかし、真実に触れるるといふことにつきては種々の考へ方があります。大別してこれを二つと致します。その第一は、真実は、此の如く、宇宙に遍満して居るものでありまして、我々の心もその本はこの宇宙に遍滿せる真実からあらはれたものである。ただ煩悩に覆はれて居るのであるから、その煩悩を除くことによりて、その真下を見ることが出来る筈であると考へるのであります。今、この真実を仏といふ言葉に代へていふときは、我の心に仏を求むべく、我の外に仏を求むべきではないといふのであります。昔から「唯心の弥陀、己心の浄土」と説かれて居るものが、すなはちこれであります。道元禅師の法語に  「如実に心理を知るものを仏と云ひ、心理に迷ふものを衆生といふ、仏と衆生と機は各別にして、理は是れ一なり、衆生を離れて仏なし、只水と水との如し、若し一念生じて心理より外に、仏ありと思はば、すでに三寶を誘するものなり、如何となれば、諸仏出世し玉ひて、只此衆生の心理は諸仏の心理なり、全く各別なしと説玉きふを聞きながら、なほ信ぜずして、我心理より外に仏法ありと思ふには、仏を念じ浄土に生ぜんとねがふは、是みな仏の金言を信ぜざる者なれば三世の諸仏を誘する者なり」  と説いて居られるのであります、この考へによれば是心是仏でありまして、我が心の外に仏を求むべきではないと説かれて居るのであります。  極樂住居  此の如き考へは、通俗的にも広く行はれて居るものでありまして、たとへば、天保年間に刊行せられた「教訓心法極樂住居」の中に  「寺といふものは仏や如来を入れるいれものぢや、俗語にも尊き寺は門からといふて、門口が立派なと寺や仏もさぞと思はるるゆへに、人も此道理にて、人の門とは口ぢや、言葉に信があると身の寺や、本心の如来もさぞ殊勝なと思はるる、寺とはその本心を安置する体のことぢや、世に仏如来を尊むは本心の替名故ぢや、本心ほど大事なものはない、寺が奇麗なとは身もちをきつしりして居るのと同じ事なり、仏如来が尊いとは本心がただしいのぢや、この本心といふものは目にも見へず、手にも取れぬゆへ、焼けることもなく、ただれることもない、善光寺の如来者本心の替名ぢや、人の本心は弥陀如来の分身ぢや、その分身の阿弥陀如来を迷ひの中へ突込んで置くことは勿体ないことぢや、去らば今日唯今より真の活如来、いき仏となるがよい、さて仏になりやうは、為すべきことはきつとして、為すまじきことは露ほどもせぬが、則ち仏なり」  かういふ風に説いてあります。我が心の中に仏を求むることは、此の如く、仏教の説にも行はれ、又通俗の考へとしても広く行はれたものであります。しかし、それが単に理想としてのみ、その意味があり、これによりて安心立命の心境に至るものの甚だ少なかつたことは、さういふ方法が我々衆生の間に徹底的に行はるることの出来なかつたためであります。  大悲を仰ぐ  第二の考へ方は、これに異なりて、我々の心はただ罪悪煩悩の汚泥のみである。いくら心の内を探りても、到底仏を見出すことは出来ぬ。それ故に、我々の外にある仏に廻向して、その大慈大悲を仰ぐの外はないというのであります。たとへば、解脱上人の「愚迷発心集」に次のやうなことが書いてあります。  「彼の諸仏菩薩、五濁の我等を救はむがために、専ら大慈大悲の誓願に催されて、自から法性の都の中を出でて、忝《かたじけな》くも、穢悪充滿の土に雑はり、感応眼に遮り、利生身に滿つ、靈神驗仏此に在り、彼に在れども発すべを一念の道心をも請はず、訪ふべきの二親の菩提をも祈らず、たとひ彼の靈壇に望めども、殆ど真実の信を起すことなし、続に念頭をめぐらすと雖も、皆、しばしば競ひ起る、和光同塵の本願は結縁の始め、それ何ぞ毒酵迷乱の我等に薬を授るに便りなからむ、但し菩薩、我が受苦を念じ玉ふこと骨髄に徹る、恒に利益せむと欲すること、尚ほ一子の如し、その利益何事ぞや、所謂道心これなり、世間浅近の益、みなこの方便のためなり、我れ進んで道心を謂はばなんぞ照覧を垂れ玉はざらむ、云々、仰ぎ願くは三寶神武、愚意を哀愍し、道心を発さしめよ」  解脱上人は鎌倉時代の高僧で、当時の仏教の真実を概嘆し、これを釈尊のむかしに帰さむと努力した、所謂聖道自力の道を実践した人であります。しかも深く自己の内面を反省して、生死の広海に歿在し、六道に輪廻して出離の期あることなき実情に、目をさまして、三寶神祇に祈謂して、道心をおこさしめたまへと、仏の大慈大悲の力にすがるところ、明かに我の外に仏を求めて居るのであります。解脱上人のやうな大徳の場合にありては、その求められるところの仏は、固より精神的のものであつたに相違ありませぬが、世間の多くの人々が、このやうな考へ方で仏の大慈大悲を仰ぐものにありては、その仏と信ずるものが、極めて低級のもので、全く自己の安心によりて造り上げたる偶像に過ぎぬことが多いのであります。それも所謂苦しいときの神だのみでありまして、宗教的に認めて真実の仏とすべきものではありませぬ。従つてそれによりて安心立命の目的を達することは出来ぬのが常であります。  浄土教  法然上人が説かれたる浄土教にありては、如来の本願に随順して念仏すれば必ず往生するぞと信じて念仏するのでありますから、それが他力であることは勿論でありますが、その説明の仕方によりては、我々のやうな凡夫にはとても自力にては往生する事が出来ないのであるから、仏の慈悲にすがるより外はないと考へられ、しかもその仏は西方の極樂に居られるやうに信ぜられるのであります。さうして、念仏は、さういふ意味に於て、仏に対する我々の哀願であるかの如く思はれるのであります。勿論法然上人の教は、さういふものではなかつたでありませうが、智慧が足らず、考への浅い人々にありては、自分の外にある仏に向つて、その大慈大悲を仰ぐために念仏するものが甚だ多かつたのであります。今日でもなほさういふ輩が極めて多いことでありませう。まことに道元禅師が言はれるやうに、心の外に仏を求むることは仏教の根本の法則に背くものであります。  弥陀教  第三は弥陀教と名づくべき考へ方であります。これに拠ると、我々が心の内といふも心の外といふも、共に人間の思考に過ぎないものであります。いかにその説明が巧妙を究めたにしても、結局、我々の小我のはからひを出ることは出来ませぬ。かやうにして造り出されたる仏も、要するに妄想に外ならぬものであります。仏が我々の心の内にあるとか、外にあるとか、相対的にいふべきものではなくして、仏は我をその中に含み、又我を超えたものである。仏は宇宙に遍満するところの真如のはたらきとして、その力を、我々は感知するのである。南無阿弥陀仏は実に仏の力として、我々が感知するところのものである。この仏の外には真実の力はない、我々自身の力は仮の力であるとする。これは明かに汎神教であります。仏の自性たる真如は宇宙に充ち滿ちて居ると考るのでありますから、基督教の神学などから見れば無神論でありますが、しかし、仏が無いとするのではありませぬ。仏は宇宙に充ち満ちて居り、それは法身で、我々の心に及ばず、言葉にたえたのでありますが、そのはたらきは明かに我々の心の上にあらはれるものであります。それがすなはち南無阿弥陀仏であります。親鸞聖人はこれを至徳の尊號であると言つて居られるのでありますが、我々をしてこの尊號を称へしめるのが仏の本願であります。それ故に、我々が南無阿弥陀仏と申すのは仏の本願が我々の心にあらはれたためでありまして、それは全く仏の心であります。さういふ場合の心の状態を信心といふので、信心はそれ故に、仏の心であります。この仏の心によりて我々の生活が指導せられるのでありますから、南無阿弥陀仏は実に私一人のための仏であります。親鸞聖人が「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」と申された言葉の意味も全くここに存することでありませう。親鸞聖人の教は明かにこの弥陀教であります。  弥陀を憑む  そこで、弥陀教にありて主要とすることは弥陀をたのむことであります。「蓮如上人御一代記聞書」に「極樂は樂しむと聞いて參らんと願ひ望むひとは仏にならず、弥陀をたのむひとは仏になると仰せられ候」とありますが、いかにも南無阿弥陀仏として我々衆生が感知するところの阿弥陀仏の光明は、普ねく十方の世界を照して居るのであります。しかるに我々衆生は煩悩に眠を覆はれて、その摂取の光明を見ることが出来ぬのでありますがしかも大悲の仏は倦むことなくして常に我々衆生を照して居られるのであります。それ故に、阿弥陀仏の御心は我々衆生をその中に含み、又我々衆生を超越して居るのでありますから、我々衆生はただ弥陀をたのむことによりて仏になることが出来るのであります。かやうにして釈尊の教は、始めて我々に取りて真実の宗教となるのであります。しからば、弥陀をたのむとはいかなることを指しているのでありますか。それにつきて先づ説明せねばならぬのは、たのむといふことは依頼するといふことでなく、憑むすなはちよりかかるということであります。丁度、子供が母親を憑むと同じやうな意味で、一切を托するのであります。さうしてその一切を托する心が「おつかさむ」といふ言葉にて表現せられると同じやうに、我々が阿弥陀仏をたのむ心は南無阿弥陀仏の声によりて表現せられるのであります。しかも「おつかさむ」といふ言葉は母の念願が子供の心に行き届いたときに始めてあらはれるものであります。母の念願が始終その子供の心の上にはたらき、子供がその母の念願を感知するに至つたとき「おつかさむ」と呼ぶのであります。子供が「おつかさむ」と呼ぶことは母の念願であります。母の念願が子供の心に行き届きてあらはれた言葉でありますから、それはすなはち母の心であります。そこに子供は一切を母に托する心を表現するのであります。弥陀をたのむといふのは全くこの心持に外ならぬのであります。  願力に依る  それ故に、弥陀をたのむということは、その願力によりかかるといふべきであります。香山院龍温師の説明に  「よりかかるといふは、どうよりかかるぞなれば助けたまへと、よりかかること、何によりかかるぞなればただ願力によりかかるなり、その願力はどこにましますぞ、正しく名號の中にまします、その名號はどこにましますぞ、貰はぬ内には善知識の御言葉、貰へば我が心、我が口より外はない、それ故に、真如一貫の功徳、萬行円備の嘉號といひたまる、本願の生起本末、つづむれば名號のいはれなり」  いかにも、さうであります。如来の腕力は始終そのはたらきを我々の心の上に致して居るものでありますから、我々は早くそれを感知して、ただその願力に随順すべきのみであります。  憑む一念  此の如くにして、親鸞聖人の流を汲むところの浄土真宗のお説教にては、憑む一念に往生は治定するといふことが言はれて居るのであります。これはどういふ意味であるかといふことを、むかしの学者の言はれた説明をあげてお話いたしませう。真実院大瀛師、これは本願寺派の学者でありまして、この問題に就てはひどく力を尽した人でありますが、大瀛師はこの言葉を解釈して、次のやうに申して居られるのであります。  「当流のたのむ一念とは安心にして起行作業にあらず、安心とはもとより外儀に渉ることにあらず、内心の領解なり」  たのむ一念とは外儀に関係するのではなくて、内心の領解であると言つて居られるのであります。大瀛師は更に安心といふことに就いては次のやうに説明して居られるのであります。  「阿弥陀仏の御かたちを知らねば、その御かたちをたしかに、知らせたまへる南無阿弥陀仏とふた心なく、信じまゐらする心を弥陀に向ふとはのたまふ、身業対向といふにあらで、巳にこれ安心信心の謂なり、身業作法に渉ることは断乎としてこれなきことなり、」  かやうに説いて居られるのであります。阿弥陀仏は法性の仏であり、真如であるから我々にはわからぬ、その我我にはわからぬ仏をわかるやうに示されたのが南無阿弥陀仏でありますから、我々はただその南無阿弥陀仏の仰せにしたがふべきのみであると申されるのであります。  祈願の心  それ故に、たのむと申しても、神様に向つて何とぞ我が病を除き、この命をたすけたまへと祈願する心の如くに努力して願心を起すことではありませぬ。南無阿弥陀仏の六字のいはれをよく聞き分れば、かやうな浅間敷いいたづらものを本とたすけたまへる阿弥陀仏の願力の不思議と深く信じて一心に大悲の願力にすがりて、たのむ一念のとき、往生は巳に定まりぬと歓喜する心持を指してたのむ一念と申すのであります。元来「後生たすけたまへとたのむ」といふことは浄土宗の鎮西派や西山派で説くところで、それに彼の至誠心と深心と廻向発願心との三心を一とつの願心に込めた訴願の心に外ならぬものでありませう。しかしながら、親鸞聖人はさふいうことを申して居られるのではありませぬ。蓮如上人は「後生たすけたまへとたのむ」といふこの浄上宗の言葉を用ひられたのでありますが、その意味は祈願の心でないことは、外に書かれたのを見まするとよくわかるのであります。それは兎も角も親鸞聖人の宗教にありてたのむといふことは決して、所願の意味ではなくて、仏が我々衆生を助けやうとの願を起して修行せられた結果、その願が成就して、我をたのめ、必ず助けてやらうと喚び立てたまふのでありますから、その仰せに從ひて、それに随順するのであります。よりかかりてたのむ思ひに外ならぬのであります。  憑むは心  香月院深陽師は大谷派本願寺第五代の講師で、名高い人であります。この香月院師の書かれた「安心書」と申す書物の中に、このことにつきて、次のやうに言つて居られるのであります。  「罪は深く障は重くとも、我をたのめ、必ず助けやうと仰せらるる。然らば、かかるものをも頼むばかりで、御助けと仰にしたがひ奉るが、たのむといふものなり。人をたのむはねがいごとをするをたのむといふ。何卒かうして下されとねがふをたのむといふ。弥陀をたのむとは大きにちがふ也。」  「弥陀をたのむにも願義が一向にないではないけれども、それはお慈悲にすがる一念の上へのたのみにて、こちらからもちかけて願ふとはちがう、もはや外に助かるべきたよりのなきものを、御手強き願力の不思議で、助けやうとある動命が聞開かれて、たのむばかりで御助けと、御慈悲に依りすがるがたのむなり。そこには願義も含んであれども人にものを願ふとは大きにちがふなり。」  「弥陀をたのむはこころなり。人にものをたのむは心に思ふたばかりではならぬ。あの人より金借度と思ふても口に出していはねば埒はあかぬ。弥陀をたのむは心にかぎる。」  「弥陀をたのむは、助けうとある勅命が聞開かれ、左様ならばと、たのむたのみぢやに依つて、たのむがすなはち弥陀へ返事になる、人にものをたのむは、たのむが返事ではない、向て聞くのが返事なり、弥陀をたのむはたのめとある仰せにしたがつてたのむぢやに依つて、たのむが弥陀の返事になるなり。」  たすけてやらうといふよび声に応じて、さうかと言へばよいと言はれるのであります。  「弥陀をたのむは、助けてやらうとあるをたのむのぢや。御助けであるやら、あるまいやらと、あやういたのみではない。罪はいかほど深くとも、たのめかならず助けうと、よびかけさせらるる御喚び声のたしかなところをたのむなり、人にものをたのむのは、さきで思ひよらぬことをたのむぢやによりて、出来るか出来ぬかしらねども、まづはたのんでやらう位の不定のたのみなり。」  「本願をたのむといふが、すなはち弥陀をたのむなり、人をたのむは人にかぎるなり。」  まことによく説明してあると思ひます。巳に前にも申した通ほり、親鸞聖人の説かれた意味というものは、法性の阿弥陀仏は我々にわからぬが、そのはたらきは報身として我々にかかると申されるのであります。丁度暑い寒いはわかるが、何故暑いか寒いかといふふことはその本はわからぬやうなものであります。阿弥陀仏はわからぬでも、その願力のはたらきは南無阿爾陀仏として我々にわかるのでありますから、一切衆生を助けるといはれるその喚び声をきいて、「左様でございますか」と言つてそれに從へばよいのであります。それを疑ふて何とか考へるとすれば、考へれば考へるほど、脇道にそれてわからぬやうになるのであります。  聞信の一念  此の如く、南無阿弥陀仏の声をきき、そのいはれを聞いて疑はぬその心持を聞信と申すのであります。この心の有様を実成院仰誓師は「安心法話手鏡」と申す書物の中に、平易な言葉にて、次のやうに説明して居られるのであります。  「敵に追ひかけられて、仕方なさに、丈夫さうな人を見て、助けて下されと頼むはやるせなさのみ、また、私も近頃彼此と仕合が悪るうてどうも仕方がござらぬといふて、無心いひかけるは歎き頼みなり、また悪漢につけられて知らずに居るを、慈悲深い人がありて、これを隣みて、お前かやうやうぢや程に私が内へござれと親切に言ふて聞かすを聞きて助けて貰ふ気になつたが、正意の憑む一念のことなり」  我々衆生が煩悩の賊に追ひかけられて居りながらそれを知らずに居るのを見て、可哀さうだから助けてやらうと言はれる声を聞いて、その厚意を憑むと、さう考へて差支ないことでありませう。  又仰誓師は、次のやうに説いて居られるのであります。  「盲人の一人旅、海川あるとも知らず、とぼとぼと通ほりかかるを、坐頭さん、そこは船場ぢやほどに、怪我をしてはならぬ、私が乗せて進ぜうといふ言を聞信する一念は、船人の言に疑なく、慮なく、船人に任す一念を指してたすけ玉へとたのむとも信ずるともいふなり。」  まことに我々の眼は盲いて居りますから自分すらもわからぬのであります。それを、目のあいた人が、手をひいてやらうと言はれる声を聞いて、その厚意に侍りすがる、それが憑む一念だと言はれて居るのであります。  信の相  そこで結局、仏の仰せを聞いて疑はぬのが信の相であります。しかしながら、仏の仰せを聞いて疑はないといふことは我々に取りては問題であります。助けてやらうといふ喚び声をきいてそのまま助かればよいのでありますが、それを我々は疑ふて信ぜぬのであります。このことについて、真実院大瀛師は、次のやうに言つて居られるのであります。  「後生と無有出離之縁の我身の後生、地獄ならでは、赴くべきかたなき一大事なり、この一大事をば弥陀願力の御はからひに投託するを後生たすけたまへといふ、このたすけたまへが即ち信の相なり」  まことに大瀛師の言はれるやうに南無阿弥陀仏の六字は、如来の本願が我々衆生を喚びたまふ仰せであります。この仰せに信順すれば、我身の後生の一大事を助けむと誓ひたまへる願力の御はからいに投げ任せる外はないのでありますから、たすけたまへと疑なく仰せに從ふべきであります。それ故にたすけたまへとたのむといふことは、結局、如来の本願を信ずる心持に外ならぬものであります。如来の本願が我々衆生の心の中に透徹して、阿弥陀仏なればこそたすけたまふと深く信じて、仰せのままに一切を投げ出して本願にまかす心であります。  仏の方から言へば助けるのでありますが、衆生の方から言へば助かるのであります。一切を投げすてて、計らひをやめて、疑ひをやめて、助けやうと喚ばれる声に從ふのであります。この心の状態は全く無我と申すべきものであります。さういふ心の状態でなければ、たのむ一念といふ心持の起きることはない筈であります。  願行具足  南無阿弥陀仏は如来招喚の勅命であると親鸞聖人は言つて居られるのであります。しかしながら我々はここにさういふことをいふときの心持はどうであるかといふことを考へねばなりませぬ。元来、南無阿弥陀仏の文字、南無は帰命、阿弥陀は無量壽、仏は如来であります。帰命といふことには命に帰るといふ意味と、命に帰するといふ意味とありますが、親鸞聖人はそれを無量壽如来の仰せに從ふといふことに説明して居られます。どういふ仰せかと申せば、我をたのみて自分の国に来れと申されるのであります。香山院龍温師の説明は、よくこの意味を明かにして居りますから、それを御紹介いたしませう。  「たのむ一念に、ただ仏になるやうに思ふ故に、疑ふは尤もなれども、たのむ一念にただ仏になるではない、願行を具足するから仏になる、時にこのたのむといふこと、詞でいへば、ただ一言なれども、此中に願行具足する、これ譬へば道樂をして身上を潰し、諸方から借錢が重なり、もう我屋に居ることならず、他国へ逐電して跡をくらます、その母がどうぞ我が実子を引き寄せたいの心より、段々と金をためて、さて十年も二十年も心を尽して、さつぱりと借錢かたづけて、商が出来るやうになつた所で、さあ来いといふ、その使いといふ言葉、ただ片言なれども、二十年の辛苦より顕はれたる一言、帰られるやうになりたればこそ帰れといふ、然れば帰れの一言には二十年の辛苦がこもる。言葉は心易けれど軽々しき一言ではない。たのめば助かる道理が南無阿弥陀仏、その助かるやうになりたるは五劫永劫の御難行、それ故にたのめ助けるといいたまふ一言にも足らぬ言葉の中に願行が具足する、一生が間、称へてたすかるではない、御報謝勘みて助かるではない。王法仁義等で助かるではない、五劫永劫の願行で助かるのぢや。」  たのめば助かるといふ理窟は南無阿弥陀仏の六字のいはれをよく知ればわかる筈であります。それは阿仏が長い間修行された結果で出来上つた南無阿弥陀仏であるから、この簡単な言葉の中には仏の願行を具足して居りそれを我々の心に戴くからであります。  無疑無慮  此の如く説明いたしますと、弥陀をたのむといふことは、要するに、阿弥陀仏の本願を聞いて、これを信じて疑はず、慮らず、これに随順することに外ならぬものでありませう。さうして、それがためには祈願を要しませぬ、努力をも要しませぬ。ただ南無阿弥陀仏の六字のいはれを聞きわけることによりて、我々衆生は仏の心の中に生活して居るものであるといふことを知り、歓喜せざるを得ないのであります。我々が自分の心の中に仏を求めやうとして努力するのでもなく、又自分の心の外にある仏に向つてその慈悲を仰ぐために苦心するのでもなく、ただ我々がその小我のはからひを止めることによりて、巳に早くから我々を摂め取つて居るところの仏の心に接するのであります。ここに世の意味に於ての宗教があらはれるのであります。これは、前にも申しましたやうに、自分の心の中に仏を求めやうとする釈迦教と、自分の心の中に仏がもとめられぬことに気がついて、どうか仏性の出るやうにと自分の心の外にある仏の慈悲を仰がうとする浄土教とに対して、弥陀教と言はるべきものであります。親鸞聖人の宗教は正にこの弥陀教であります。  聞其名號  此の如き次第でありますから、名號を聞いて、そのことはりがさとられて、疑のなくなつた心の状態を名づけて往生は定まると申すのであります。それ故に、聞くこと一とつが修行であると申さねばならんのであります。普通の教では、聞いただけでは役に立たぬのであります。法を開いて、修行しなければ悟は開けぬのでありますが、弥陀教では聞くこと一とつが修行でありまして、その一念で、信心歓喜するのであります。それ故に、聞くと申しましても、ただおうやうに聞くのではありませぬ。その意味をよく聞くのであります。しかも思慮穿鑿して聞くのではありませめ。我が計らひを捨てて聞かねばならぬのであります。香山院院龍温師の言葉に、  「仏法の肝要は心を以て本とする、迷ふも心、悟るも心、それ故に心を悟る、心で心をさとるといふは甚だ以て難きこと、それ故に弥陀の本願は我心をかき回はさずに耳を開けとのたまふ。」  宗教と申すものは必ず、さうでなくてはならぬのであります。ああでもなく、かうでもないといふ小我の計らひを止めて、ただ一筋に南無阿弥陀仏をたのむ、これを名號を聞くと申すのであります。  道徳より宗教へ  かやうに、説明しまして、さて、法然上人の教と親鸞聖人の教とはどういふ風にその説明が異なるかといふことを簡単に申せば、法然上人以前の仏教は哲学を主としたものでありました。その哲学を主とした仏教を宗教に引き人れられたのは、たしかに法然上人であります。しかもなほ法然上人の説明は、道徳の範囲にする部分が多いのであります。法然上人以前の教すなはち学道の教は、たとへば暗夜の道を行くのに、自分で提灯を造るべきことを教へるのでありますが、法然上人の浄土教では、暗夜の道を行く人に提灯と蝋燭とを貸し与へるやうなものであります。親鸞聖人の弥陀教は尚ほ進みてその提灯に火を燈して貸し与へるやうなものであります。かやうにして、親鸞聖人の説かれるところは、全く道徳から宗教へ入つたものであります。それを証明するために、一例として善導大師の次の言葉をつげてお話致しませう。善導大師の「魂継散善義」の中に次のやうな文章があります。  「至誠心、至者真、読者実也、欲明一切衆生身口意業所修解行、必須真実心中作、不得外現実善精進之相、内懐虚仮、貧瞋邪偽、譎詐百端《けつさひやくたん》、悪性難侵、事同蛇蝎、雖起三業名為雑毒之善、亦名虚仮之行、不名真実之業也」  この文章を、法然上人は説明して、次のやうに言つて居られるのであります。  「至誠心、至といふは、真なり、誠といふは、実なり、一切衆生の身口意業に修する所の解行、かならず真実心の中になすべきことをあかさんと思ふ、外には賢菩精進の相を現じ、内には虚仮をいだく事をえざれ、内外明暗をえらばず、かならず真実をもちゐよ、かるがゆへに至誠心となづくといへり、この釈の心は、至誠心といふは真実心なり、その真実といふは、身にふるまい、口にいひ、心におもはん事、みなまことの心を具すべきなり、すなはち、内はむなしくして、外をかざる心なきをいふなり、此心はうき世をそむきて、まことの道におもむくと、おぼしき人々の中に、おほく用意すべき心ばへにて候なり、云云。されば話する所は、ただ内心にまことの心をおこして、外相をばよくもあしくも、とてもかくてもあるべきかと、おぼえ候也、おほかた、この世を厭はん事も、極樂をねがはん事も、人目ばかりを思はで、まことの心をおこすべきにて候也。」(法然上人行状晝図第廿一)  法然上人のこの説明を見ますると、我々がたすけられるのは固より仏の本願のはたらきに依るのであるが、その本願に從ふには先づその心を誠実にせねばならぬと説かれるのであります。ことに道徳の心が強くあらはれて居るのであります。しかるに親鸞聖人はこの一句の文章をば、次のやうに解釈して居られるのであります。  「不得外現実善精進之相といふは、浄土をねがふひとは、あらはにかしこきすがた善人のかたちをふるまはざれ。精進なるすがたをしめすことなかれとなり。そのゆへは、一切有情まことのこころなくして、師長を軽慢し、父母に孝せず、盟友に信なくして、悪をのみこむゆへに、世間出世間、みな心口各異、言念無実なりとおしへたまへり、云云。この世の人は無実のこころのみにして、浄土をねがふ人はいつはりへつらひのこころのみなりときこえたり。世を捨るも、名のこころ、利のこころをさきとするゆへなり。しかれば善人にもあらず、賢人にもあらず、精進のこころもなし、懈怠のこころのみにして、うちはむなしく、いつはり、へつらふこころのみつねにして、まことなるところなきみとしるべし。」(親鸞聖人、唯信勁文意)  法然上人は、外だけが立派なのでは駄目である、内も立派にせなければならぬと言はれるのでありますが、親鸞聖人は、いくらきれいな著物を著ても裸になれば駄目であるから、徒らに外面を飾つてはならぬと申されるのであります。全く道徳の考へを超越して、赤裸裸に自分の心の内面をさらけ出して居られるのであります。  依悪の感情  此の如く、我々衆生の心には一期の真実もない、悪るいことばかりで善いことはない、懈怠の心のみにして精進の心はすこしもないといふやうに、全く自分の価値を否定したときにあらはれる心持は、悪の感情ともいふべきものでありましてこれがすなはち宗教の心であります。自分の内面を深く見つむれば誰にでもあらはれる心でありまして、もしこの心持が出ないといふ人があるならば、その人は深く自分を考へない人であります。自分の内面を見ないで、ただいたづらに外の力をのみ見るからであります。親鸞聖人のかの文章のよみ方は漢文の普通の読み方ではありませぬ。しかし真実の心は全く自分に無いと信ぜられたる親鸞聖人には、外に賢菩精進の相を現じて内に処仮を懐くことを得ざれとは認めなかつたのであります。親鸞聖人の心に取りては、外に賢善精進の相現はすことを得ざれ、内に虚仮を懐けばなりであります。さうして、ここに始めて信心歓喜の心持があらはれるのであります。外を賢善にし、内に虚仮を懐くことなかれといふことは教でありますから、これを守ることに努力を要し、決して安心の状態をあらはすものではありませぬ。これに反して、内が虚仮であるから外に賢善精進の相をあらはすことなかれといはるるは、全く自分を投げ出したもので、決してさういふやうにつとめねばならぬと、努力をすすめられるのではありませぬ。深く内観せられたる結果、その心のあさましい相を赤裸裸に告白せられたのであります。自身に垢がついて居つて醜いのを立派な著物を著てごまかすことはよろしくない、内のからだも奇麗にせなければならぬ、さうして外の著物をも奇麗にすべきであると、法然上人は説かれたのでありますが、親鸞聖人はそれに反して、自分のやうな内の心の醜いものはいたづらに外の著物をのみ奇麗にしても駄目であると悲歎せられたのであります。かやうに悲歎せられたる親鸞聖人の心に、不思議の願力が感ぜられたのであります。ここにこれを依憑の感情ともいふべきものであると申しましたが、それがすなはち宗教の心でありまして、それは決して努力ではありません。  自己価値の否定  此の如く依憑の感情と申すものは、普通に言ふところの依憑からのみではないのでありまして、それは全く自分を投げ出してよりすがる心持であります。それが宗教の心持でありませう。さういふ心持はほんとうに平和なるものでありませう。さういふやうに何ものも疑ふことのない、彼此とはからふことのない、心配のない心持は、これを精神の作用の上から申せば、自分といふものの価値を全く否定したときにおきる心持であります。いろいろのことを考へて居る自分に価値があると思ふから、我々の心持は騒がしいのでありまして、自分といふものに価値がないといふことを知るときには、全く自分を投げ出して倚り縋る心が起きるのであります。ところで自分の価値をなくすと申しましても、それはさう簡単に行くものではありませぬ。ほんとうに自分といふものの価値をなくすることが出来ますなら、我々ははじめて安樂の世界に住むことが出来るでありませう。我々はいつでも自分といふものに価値をつけて居りますから、そのために迷ひ、それ故に心配し、それがために、喧嘩をしたりなどするのであります。  三界自心  それならば、どうして自分といふものの価値をなくするかといふことが重大なる問題であります。そのことに就て、釈尊は次の如く説いて居られるのであります。  「世の中のすべてのものは、自分の心から現はれたものである。三界はただ、自らの心である。「我」と「我所」を離るれば、去る事も、来る事もない。始も知れぬ昔からの執著の習が煎じてあらはれたものである。世の中のすべてのものは、昔、分別に随つてあらはれたものであるから、自性はない。」  自分の心で分別をするから、いろいろのものが出来上るのであるが、それをおのおの自性がありて出来上つて居るやうに思ふのであります。我々の身や心といふものは色・受・想・行・識の五蘊が、因縁によりて和合して出来て居るのでありますが、その身や心を自我と思い、我が物(我所)と思つて、それに執著するのであります。釈尊の教によりますと、その執著は渇愛の心に本づくものであります。もしその渇愛の心が亡びるときは自我もまた滅するのであります。色・受・想・行・識の五蘊を自我と思ひ、色・受・想・行・識の五蘊を持つものを自我と思ひ、自我の中に受・想・行・識の自我があると思い、色・受・想・行・識の五蘊の中に自我があると思ふのでありますから我々はこの間違つた考への結果、自分として苦しみを感じるのであります。おなじ事柄に就て誰でもが、同じやうに苦しむのではなく、それはただ自分として苦しみを感じるのであります。畢竟三界はただ自らの心であるという心理がわからず、自性のないものを我といふ自性のあるもののやうに考へて、それに執著するから、その結果苦しみを生ずるのであります。彼此とはからひ、疑いを深くして、よりすがる心持をあらはすに至らぬのであります。  種々の分別  釈尊はこの道理を明かに示すために、我々が種々の分別をするによりて種々の相を認めることを、次のやうに説いて居られるのであります。  「この身を組立てて居る色・受・想・行・識の五蘊も、境界も、皆「我」と「我所」とを離れて居る。然るに智慧のなき心が、事物に対して「我」と「我所」とに執著するのである。  この身と境界とは皆、真如よりあらはれたもので、常に変転して居る、流の如く、燈の如く、刹那も停まることはない。  それ故に、事物には自性はない、唯愛著の働きによりて互に縛ばり合ひ、積み聚めてあるだけである、物その物には自性がない、それを種々に分別して、種々の相を認めるは愚なる人のなす所である」  まことに釈尊の教の通ほりに、我々の身も心も又我々の環境の一切のものは、もと真如からあらはれたもので常に変転して居るのであります。それを自性のあるもののやうに考へて、種々の相を認むるのは、要するに我々の心のはたらきに過ぎぬものでありまして、種々の分別が種々の相を造り上げるのであります。  真実の価値  かやうに考へますと、釈尊が説かれたるところの教は、自分といふものに、自分が勝手につけたる価値を否定して真実の価値をあらはすことであると申しても差支ないのであります。我々の心は固より煩悩にみちて居る。しかしながらその煩悩といふものそのもとは真如からあらはれたものでありますから、真如を離れて煩悩がある筈はありませぬ。それ故に我々の分別の心によりてあらはれたる煩悩を取り去れば、その下から真如の仏性が出て来る。一切のものはすべて真如からあらはれたもので流転するものであるが、我々の分別の心が、それに自性ありと考へるのである。これは固より煩悩であるが、しかし、その煩悩は真如が我々の心のはたらきのためにその形をかへたものであるから、煩悩の内にはたらいて居るところの真如は不断・不滅のものであることは明かであります。そこで、この道理を明かにするために、八正道が説かれ、十二因縁が説かれ、苦・集・滅・道の四諦などが説かれたのであります。さうして、これによりて我々が自分勝手につけたる自分の価値を否定して、真実の価値をあらはすべきことを教へられたのであります。  自力難行  此の如く、世の中の道理を明かに知りて、自分と執著するその自分の価値を否定して、ここに真実の価値をあらはすことをつとめるのが、前にも度々申したやうに釈迦教であります。釈尊の説教に、 「すべての心の自性にしみついて居る煩悩の気分と、阿頼耶識、末那識、意識のならはしを飜へすことを涅槃と名づける。又涅槃は断常有無のかたを離れたる聖智の働く境地である」  といはれて居るのを見ても、このことがよくわかるのであります。要するに釈迦教と申すものは、釈尊の教に本づきて、世の中の真理を明かにし、自分の迷妄を離れて、真実の智慧に到ることを期するのでありますから、我々としては至つて困難のことであります。自が難行といはれるのも無理のないことであります。然しながら、それは少しにても内観せる我々に取りてはどこでまでも理想であります。さうしなくてはならぬといふ教に外ならぬものであります。教としてはまことに尊重すべきものでありますが、しかも、我々にありて「我」と「我所」との心が実際に始終はたらいて居り、又それを取り去ることの出来ないといふ現実はどうすることも出来ぬのであります。心をしずめなければならぬといふ教は遵奉《じゆんぽう》すべきであると承知して居ても、実際に心をしづめることは容易でないのであります。教を聞いてそれを誤解して実際には駄目であります。さういふことは、我々の心にありては、ただ思考の上に留まりて、その思考はいつも外の方に出て行くものでありますから、それによりて自身の心の平和を得ることは出来ないのであります。釈迦教は聖道門であり、自力難行であると言はれますが、我々に取りては事実、不可能の行であるといはねばならぬのであります。  縁の遠き教  内観を深くして、さういふ心の現実の有樣に眼がさめて見ると、色・受・想・行・識の五蘊の考へも、十二因縁のことも、四諦の理も、八正道の説も我々に取りてはまことに縁の遠いものであるといふことに気がつくのであります。さういふことを知れと言はれても、知ることは甚だむづかしいのであります。行へと言はれて行ふことは出来ぬのであります。さういふ自分の現実の心の有様が内観せられたときに、すなはち自分といふものが全く価値のないものであるといふことが知られるのであります。我々はこれ等の説に從ふては何事をも成就することが出来ぬことを悲しまねばならぬのであります。我々が何とかして此の如き教を奉じやうとすることは、どこまでも思考であり、希望であり、理想でありまして、一たび自分の心の内に這入つて、その現実の相を見ると、それはまことに縁の遠いことであると申さねばなりませぬ。しかし、縁が遠いと申しても、その教が全く我我に取りて無用のものであるといふのではありませぬ。我々は先づ此の如き教を聴きて、それを実行せむとするに方りて、深く自分の心の内の有様を見ることが出来て、それによりて我々の心の力が到底これを成就することが出来ぬといふことを知るのであります。それ故に、我々が内観を深くするときに、此の如き自力難行の教は、我々をして遂に自分の価値を否定せしめるに至るものであります。  言念無実  親鸞聖人はこのことにつきまして、「唯信鈔文意」と申す書物の中に最も明快に説いて居られるのでありますがそれは次の通りであります。  「一切有情、まことの心なくして、師長を軽慢し、父母に孝せず、朋友に信なくして、悪をのみ好む故に、世間出世間、皆、心口各異、言念無実なりと教へ玉へり」  まことの心は一切の人間にはない、それ故に、世間に住むで居る我々も、世間を出て仏道を修行する人々も、心と外とは異なりて言念無実なりと、一切を否定して居られるのであります。心と口とが異なりて、言と念とに実がないといふ言葉は簡単によく人間の心の価値を否定したものでありませう。まことに我々はまことの心なくして、師長を軽慢し、父母に孝せず、朋友に信なくして、悪をのみ好むものであります。かやうな心にて、何とて自分の価値が認められませう。どうして八正道を修めることが出来ませう。  是非知らず  それから、親鸞聖人が晩年に書かれました「自然法爾」の法語の後の方に、次のやうなことが書いてあります。  「善し悪しの文字をも知らぬ人は皆、まことの心なりけるを、善悪の字知り顔は、おほそらごとのかたちなり。」  まことに皮肉のやうでありますが、親鸞聖人はその心のあさましき相をそのままに告白せられたのでありませう。  我々は善いとか、悪るいとか、知つたやうな風して、実は大そらごとを言つて居るのであります。ことに恥ぢ入る次第であります。親鸞聖人は又続ひて  「是非知らず、邪正もわかぬ此身なり  小慈小悲もなけれども、名利に人師を好むなり」  是非も知らず、邪正もゆかぬ此身にて、小さい慈悲の心すらないけれども、名誉の心がつよいから他の人を教へ導かうとすることが巳まぬのであります。その外にも親鸞聖人はこれと同じやうなことを言つて居られるのであります。まことに徹底して自分の価値を否定せられたものでありませう。平生我々が善いとか悪るいとかと申すのは、要するに自分の気に入るか入らぬかをいふのでありまして、しかもそれはいつも我より他に関して言ふのであります。固より我々には心からして他のために利益しやうとする心持はないのでありますが、しかし動もすれば人を導かうとしまするし、人を裁かうとしまするし、又種々に他の人の世話をやくのであります。さうして自分自身をば決して導かうとはせぬのであります。自分自身をば決して裁かうとせぬのであります。たとへすこしはそのことに気がつきても、かういふ心持は人間を通じてある心持として許さうとするのであります。親鸞聖人は実に徹底して内観して居られると申さねばなりません。  虚仮不実  親鸞聖人が、さういふ心持を和讃の形であらはされた「述懐和讃」のはじめには、次の通ほりに記されて居るのであります。  「浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし  虚仮不実の我身にて 清浄の心もさらになし」  浄土真宗と申すのは仏教のことであります。仏教に帰依して居るけれども真実の心は更にない、うそ偽りの心のみありて、まことの心は少しもないと、全く自分を価値のないものとして見限つて居られる言葉であります。これが普通の人ならば、仏教に帰依して浅間しい心も大分少なくなつたと言ふことでありませう。そこに、たとひ自分といふものの浅間しいことを知つて居つたにしても、何にその価値を全く否定しては居らぬのであります。決してその内観が徹底したものではありませぬ。  業縁・業報  親鸞聖人の言葉として「嘆異鈔」に載せられて居るのに次のやうなことがあります。  「さるべき業縁のもよほせば、いかなる振舞もなすべしとこそ、聖人は仰せさふらひしに、……さればよきことも、あしきことも、業報にさしまかせて、ひとへに、本願をたのみまひらすればこそ、他力にては候へ」  これは、自分がわるいことをしないのは、道徳の心が強いためにしないのではないといふことを説かれたときの言葉であります。親鸞聖人がある時お弟子に向つて自分のいふことにそむかぬかと申されると、お弟子が決して仰せにはそむきませぬと申し上げた、すると、聖人が人を千人殺せと申された、お弟子がそんなことは私には出来ませぬと申したので、そこで聖人がかういふ言葉を出されたのであります。実に徹底して自分の価値を否定したものでありませう。  因の果  我々は、すべてのことを自分の考へ一とつでして居るやうに思ふて居るのでありますが、よく考へて見ますると自分でしやうとしても、すべてがその通ほり出来るものではないのであります。又すべてのことが自分の考へのみで出来るものではありませぬ。むかしの心学の書物にもよくこのことを説いて、自分の思ふ通ほりに世の中がなるなら、自分の身体を思ふやうにしたらよい、自分の髪の白くなるのを自分の思ふやうにとめたらよいではないか、年を取るのを取らぬやうにしたらばよいではないか、などと書いてありますが、これは世の中のことが自分の思ふ儘にならぬことを言つたのであります。又それと反対に世の中の一切の出来事といふものは、一とつや二つの原因によりてあらはれるものではありませんから、たとひ、自分のすることでも、自分一人の心のままにはならぬものであります。ちよつと考へると、自分の考へによりて思ふことをするのであるから、何事も自分の考へ一とつで出来るやうに思はれますが、それは極めて目の前のことであります。たとへば皆様がかうしてこの席に集まられたといふ事柄にしても、第一に日本といふ国が無くてはならぬ、それが太平無事でなくてはならぬ、この會場が無くてはならぬ、今日會があるといふ通知がなければならぬ、通知を受けても身体の都合がよくなくてはならぬ。その他、細かに数へ挙ぐれば数十百の原因がありまして、その結果として皆様がこの席に集まれたのであります。澤山の原因の結果としてここに集まられた皆様は、つまるところ、その原因の多数のものに引かれてここに来られたのであります。業縁とか業報とかと言はれるものは全くこの意味のものであります。  宿業  かやうに考へると、我々がすること、思ふことは、皆宿業の致すところであるとすることが、最も徹底したる考へでありませう。同じく「嘆異鈔」に  「善き心の起るも、宿業の促す故なり、悪事の思はれ、せらるるも、悪業のはからふ故なり。故聖人の仰せには、兎毛羊毛のさきに居る塵ばかりも、つくる罪の宿業にあらずといふことなしと知るべしと候ひき」  とありますが、いかにもよいことをするのも、わるいことをするのも、何をするのも皆、多数の原因の結果として、せしめられるのである。さうして、この原因を目己に責任あるものとして考ふるときに宿業と感ぜられるのであります。無論、これは普通、世間の人の考へて居るやうな、自分ときり離したところの業ではないのであります。自分と切りはなした業では自分の行に責任はないのでありますが、この業縁とか宿業とかと申す言葉は自分が責任をもつた言葉であります。その位まで徹底して考へられたときに、始めて自分の価値は全く否定せられるのであります。  本願信受  かやうに、内観せるとき、我々の心はまことに浅間敷くて、何れの行も及びがたきものであるといふことを知つたとき、我々はただ自らの宿業に泣くのみであります。さういふやうに、自分の価値を全く否定せられたる親鸞聖人の心には、阿弥陀仏の本願が、そのまま信受せられたことでありませう。何のはからひもなく、何の疑ひもなく、ただこれ本願の命に從ふことが出来たでありませう。「述懐和讃」に、  「無慙無愧のこの身にて まことのこころはなけれども  弥陀の廻向の御名なれば 功徳は十方にみちたまふ」  とあります。愧づることさへない次第で、真言の心はないけれども、弥陀の方からたまはる御名であるから、功徳は十方にみちたまふと申されたのであります。又、  「蛇蝎奸詐《じやかつかんさ》のこころにて 自力修善はかなふまじ  如来の廻向をたのまでは 無慚無愧にてはてぞせん」  蛇のやうなおそろしい、うそいつはりの心で自分の力でよいことは出来ない、如来の廻向をたのまねば無慚無愧のままで果てるであらうと申されたのであります。かやうに、仏の本願がそのままきこえて、何等疑ひなく承認することが出来るのは、親鸞聖人のやうに自分の相をはつきりと見るときに限るでありませう。まことに親鸞聖人のは、何の疑もなく、はからひもなく、弥陀の本願をうけられたのでありませう。かういふやうな心持のはたらきを弥陀教と申すのでありますから、親鸞聖人の教は明かに弥陀教であります。しかしながら、普通の人の考へでは、煩悩を断ち切つて、その奥にあるところの仏性を出さうといふ心がつよくはたらいても、煩悩を断つことの容易でないことがわかり、自分の心の相のあさましさに気がついても、その自分の力を全く捨てないのであります。自分の力のみにては仏性をあらはすことが出来ぬから、念仏申してその目的を達しやうとする。これが浄土教の心持であります。この場合、念仏は功徳でありまして、仏をたのみて、仏性を見つけやうとするのであります。それでは宗教の心持には遠いのでありまして、安心の境地ではありませぬ。弥陀教に於きまして本願を信受するといふことは、煩悩を取り去りて本願をそれに代へるのではありませぬ。自らの相に目をつけてその価値を全く否定したときに、煩悩その儘の上に、本願の命に從ふことが出来るのであります。煩悩を断ぜずして涅槃を得るといふのは、この意味に外ならぬのであります。  妙好人(一)  親鸞聖人の宗旨を奉ぜる人々の内には、かやうな内観に徹底した人が極めて多いのであります。これを妙好人と申すのであります。その二三の例を挙げませう。むかし播州に大林平兵衛と申す人がありました。中年から仏教に入つて、仰信の人でありました。ある時他の同行が来て、平兵衛に向つて申すには、  「あなたは只、如来の御助けが有難いとばかり言つて居られるが、それでは頼む一念が欠けて不足に存ずる」  と申しました。平兵衛はそれに答へて  「私はたのむすべも知りませぬ愚なもの、たのまねばならぬ事なれば、如来様よりよきやうにして下さるでごさりませう、此やうな愚なものをお助けとは有難や」  と言ひて涙を落したといふことであります。  豊前の新蔵と申すのは稀有の信者でありましたが、極めて貧乏で常に人の上にたつたことがなかつたのであります。飴屋彦兵衛といふ人が好意で蚊帳を貸した、ところが一晩たつとすぐ返しに来たので、何うしたのかとたづねると、  「この袋の中に入つて休むと、夜中一寝入して御恩を忘れまするから、このおほよう袋はおかへし申します」  と申したといふことであります。天保七年に往生致しましたが、その辞世に   微塵ほどよきことあれば迷うのに            まるで悪ふてわしが仕合せ  道歌のやうなものでありますが、その意味は実に徹底したものであります。  妙好人(二)  芸州の源蔵、後には剃髪して浄念と申したのであります。この人もあつい信者でありましたが、極めて貧乏でありました。その頃同行といふものの中に、説教を聴いて人にすすめて、いろんなことを言つたりして人我をつのる人が多かつたのでありますが、浄念はさういふ類の法義者ではなかつたのであります。あるとき勤学の恵海師が広島の西徳寺に説教に来られたときに、浄念に向つて、「世の中に茶のみ同行といひて、御法義をうりて寺や同行の内にて茶をのみあるくものがある、お前もそれか」とたづねられると、浄念答へて、「その茶のみ同行とは私のことでござります。先づ私の御領解御きき下され、私は浄念と申して愚なる禅門にて、恐しき地獄行のものなるを、此儘ながら如来様の御助にあづかることよと得心させて下されしはいかなる御慈悲のなされわざで御座りませうとぞんじますれば云々」と言ふので、忠海師も深く感心されたと伝へられて居ります。浄念が又あるとき十徳をきて夜道をあるくに、その影法師の出家によく似て居るのを見て、「さてもさても愚なる今朝の禅門が御出家様に似たとは恐れ入たると、これも如来の御めぐみでありませう」と、よろこんだと申すことであります。実にすべてのことにありがたい心持があらはれて居るのであります。  妙好人(三)  豊後の関兵衛、やはり厚信の人であります。大変愚で朝夕の「正信偈和讃」もつとめることが出来なかつたのであります。あるときこざかしき同行が「それではまことの信者ではない」といふ手紙をやつた。ところが関兵衛がいふのに、「まことにありがたい御教化である、私の喜びが不足であるから如来様からの御催促であらう。私は生れつき愚痴で文字をしらないから、「正信偈」「御文章」拝読しかねますけれども、これからはひとしほ厚く喜びませう云々」と、更に立腹の気色もなく喜んだと申すことであります。  妙好人といはれた人々にはかやうな柔軟の心が自からあらはれたのが常であります。全く自分の心の価値を否定して、善し悪しのはからひを止めて居るのでありますから、決して他の人をさばくことなく、又自分をもさばくことが無いのでありますから、その心は何時でも平和なものであります。親鸞聖人はそれを陽光柔軟の益と言つて居られるのであります。如来の光明に觸れて我々の剛情我慢の心が柔軟となりてあらはれることを申されるのでありませう。まことに宗教はまだ来ぬ後の世のことを主として説くのでありますが、しかしながら、それは現在の世に於て、そのはたらきをあらはすものであります。現実の相を見つめるときにそこに如来の光明が照して来るのであります。道徳は現在を説くのでありますが、そのはたらきは未来にあらはれるのであります。現実の概要を見てこれを改善しやうとするのでありますから、その結果は将来に期せらるべきであります。  教行証  前にもくはしくお話いたしました釈迦教は、その始めは、理論として哲学的の要素が主要でありまして、実際には道徳の法則が重く見られたのであります。或は十二因縁とか、四諦の真理とか、中観とか、真如観とかといふやうな理論が八釜敷言はれて、真理を観ることが肝要であるとせられたのであります。さうしてさういふ教を信じて、その教に從ふて修行して、さうして証を開くことを期するのが仏教の要旨であるとせられたのであります。信ずることは道のはじめ、功徳の母なりとまで言はれまして、信によつて仏道に入るのであるとせられたのであります。しかしながら、それは仏の教を信ずるのでありますから、実際から申せば、行は教を信じて後にすることでありまして、すなはち、信は教の中に入りて、教・行・証となるのであります。これが釈迦教の大体の要旨であります。ところでさういふ釈迦教の趣旨からして、実際の問題となりましたのは、行であります。故は四諦の真理とか、十二因縁とかその他にも色々ありますが、それを信じて修行することは布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六度が主でありました。これを約めて戒・定・慧の三学とせられたのであります。もつと古いところを申せば、正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の八正道であります。これを信じて証を開くことを期するのであります。ところで、さういふことは、大部分学問でありまして、実際に行つてゐるところは道徳であります。たとへば、悪るいことをやめて、善いことをする、乱れた心をしづめて行くといふやうな、三学・六度に全く実践道徳であります。それには常に心配があり、努力を要し、一生懸命やらねばならぬのでありますから、心を安んじて世の中をわたるといふやうな宗教の心持とは、あまりにも縁の遠いものであつたのであります。  念仏一行  然るに、此の如き、哲学と道徳とを主とした釈迦教が、宗教の意味の仏教にと進んだのは、前に申し述べましたやうに、法然上人の専修念仏が行はれたからであります。そのやうなむつかしい学問を捨て、道徳の行を廃して、念仏をただ一とつの行として証をひらかうといふことになつたのであります。さうしてその証は成仏でなくして往生であります。釈迦教にては修行の結果、さとりを開いたのは仏でありますが、それは固より三学・六度を修行したる結果であります。専修念仏の教では、ただ念仏の一行によりて仏の国に生れることが出来ると説かれたのであります。それ故にこれを浄土教と名づけるのでありますが、釈迦教の難行に対して専修念仏は易行であります。ところが念仏一行で往生するといふことになりますと、その念仏といふことが問題になるのであります。一口に念仏と申しましても、内観の浅いと深いとによりまして、よほどの差があるのでありましてその浅きより深きに進むに從ひまして、それが漸次に自力から他力に移るものであります。固より念仏そのものは南無阿弥陀仏でありまして、常に同じものでありますけれども、これを申す心の態度が相異するために、これにも種々の差異がありまして、遂に親鸞聖人の弥陀教があらはれるやうになつたのであります。親鸞聖人の念仏は、それまでの人々の念仏にくらべましてよほどその心の態度を異にして居るものであります。  教行信証  しからば、それは、どういふ風に相異して居るかと申しますと、先づ親鸞聖人の仏教の説明は教・行・信・証の四字に尽きて居るといふことを申さねばなりませぬ。それまでの仏教は今申したやうに、教・信・行・証であります。すなはち釈尊の教を聞いて、信じて、修行して、さとりを開くのであります。かやうに行は信じて後にすることでありましたが、親鸞聖人のは教・行・信・識であります。信が行の後になつて居るのでありまして、ここに著しい差別が存するのであります。今、その意味を明かにするために、次に教・行・信・証の一とつ一とつに就きまして、親鸞聖人の「教行信証文類」によりましてこれを説明いたしませう。  真実の教  親鸞聖人の「教行信証文類」には次のやうに説明してあります。  「それ真実の教をあらはさば、すなはち大無量壽経これなり。この経の大意は、弥陀ちかひを超発して、ひろく法蔵をひらきて、凡小をあはれんで、えらんで功徳の実を施することをいたす。釈迦世に出興して、道教を光闡《こうせん》して群萌《くんまう》をすくひ、めぐむに真実の利をもてせんとおぼしてなり。ここをもて如来の本願をとくを経の宗致とす。すなはち仏の名號をもて経の体とするなり」  釈迦教の教・行・証の教は釈尊の教でありますが、これに反して親鸞聖人は、真実の教は「大無量壽経」であるとして居られるのであります。釈尊が説法せられたことはいろいろあるけれども、要するに如来の慈悲を説かれたに外ならぬ。その如来の慈悲を説いたものの中で、「大無量壽経」が最も徹底したものであるとせられたのであります。釈尊が世に出られたのは、この如来の慈悲を説くためであるとして居られるのであります。それ故に、禅宗などでは、釈尊を本尊とするのに対して、親鸞聖人の教では阿弥陀仏を本尊とするのであります。しかもそれは阿弥陀仏そのものではなくして、阿弥陀仏の力でありまして、それは阿弥陀仏の本願であります。一切の衆生を救ふために起されたる本願によりて我々は救はれるのであります。この本願を説いたのが「大無量壽経」でありますから、「大無量壽経」が真実の教であるとせられるのであります。  真実の行  それから真実の行につきて次のやうに説明してあります。  「大行といふはすなはち無礙光如来のみなを称するなり。この行はすなはちこれもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり。極速円滿す。真如一実の功徳寶海なり。かるがゆゑに大行となづく」  釈迦教で行と申しますのはいはゆる六度萬行でありますが、親鸞聖人は、真実の行とは無礙光如来の名を称へることであると説明して居られるのであります。それは仏の名を称へるものを救ふといふのが、仏の本願であるから、その本願に従ふて称名することが我々に取りてただ一とつの行であります。親鸞聖人は「教行信証文類」の中に  「爾れば、称名は能く衆生一切の無明を破し、能く衆生一切の志願を滿て玉ふ、称名は則ち是れ最勝真妙の正業なり、正業は則ち是れ念仏なり。念仏は則ち是れ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏は即ち是れ正念なりと、知るべし」  と説明して、南無阿弥陀仏を称へることが、真実の大行であり、それによつて我々は正念を獲るのであるとせられたのであります。  ところが、法然上人の時代に、浄土教を奉ずる人々の中には、釈迦教から購入した人々がたくさんありましてその人々の頭には、行と申せば力一杯、南無阿弥陀仏を称へることである、さうして、この称名の行業の力によりて、往生を得るのであると、かういふやうに考へられたのであります。それ故に、その人々にとりては、称名の行業力で往生を得るといふことが信ぜられたのでありました。そのためには心をまことにしなければならぬ、至誠心・深心・廻向発願心の三心を具足しなければならぬと、かういふ風に考へたのであります。しかしながら、親鸞聖人の方へは全くそれと異つて居つたのでありまして、我々衆生が念仏の一行によりて往生するといふことは我々の力ではなくて、如来の願心が名號によりて衆生に廻向せられるものである。それ故に我々衆生は、ただ、称名によりてのみ、自身の凡夫であることを悲しみながら、しかも、凡夫その儘にして願海の報土に生れしめられるとかう申されるのであります。  更にこのことをもつと手短かに申しますならば、「大無量壽経」は如来の慈悲を説いてあり、本願によりて浄土に往生するやうにと勸められる、それ故に、弥陀は彼にて招喚し、釈迦は此にありて発遺せられる、この意味を最も簡単に表現したものがすなはち南無阿弥陀仏の六字の名號であります。さうしてこの名號を称へることが、仏の本願であるから、その教に從ふて称名念仏することが真実の行であるとせられるのであります。まことに他の人々の念仏と比べて、その心持に於て大変な相異があるのであります。  真実の信  釈尊の教を聞いて、それを信じて、修行をして、涅槃のさとりを開くといふのが、釈迦教の順序でありますが親鸞聖人のはそれが入れ代つて居ります。親鸞聖人のは釈尊の教を信ずるものでなく、真実の行を信ずるのであります。本願の教にしたがふて称名念仏を行とする、その行を信じてさうして証をひらくといふのであります。簡単に申せば、本願の名號を聞いて疑はぬことが信であります。「大無量壽経」にも  「あらゆる衆生、その名號を聞て、信心歓喜せんこと乃至一念せん、至心に廻向し玉へり、彼国に生ぜんと願すれば即ち往生を得」  とありますが、仏の名號を聞いて、淨らかな信のあらはれて来ることを申すのであります。言うまでもなく、南無阿弥陀仏と申すことばは、言葉として我々の前にあらはるるのでありまして、実に簡単なる言葉であります、しかしながらその内に含むで居るところの内容はまことに我々に取りて重大のものであります。我々衆生が救はれなければならぬ所以がこの言葉の中に含まれて居るのでありますから、名號を聞くといひましても、ただおうやうにそれを聞き流すのではありませぬ。聞くといふのは、衆生が如来の本願の生起本末を開いて、何ら疑ふ心の起らぬのを聞くといふのであります。此の如くにして、信ずると申すことは畢竟、如来の本願を信ずるのでありますが、本願を信ずることの現実は、名號を聞くことに外ならぬのであります。親鸞聖人は次のやうに説明して居られるのであります。  「大信心はすなはちこれ長生不死の神方、欣浄厭穢の妙術、選擇廻向の直心、利他深度の信樂、金剛不壊の真心、易往無人の浄信、心光摂護の一心、希有最勝の大信、世間難信の捷経、証大涅槃の真因、極速円融の白道、真如一実の信海なり。この心はすなはちこれ念仏往生の願より出でたり」  かやうにして我々が如来の本願を信ずるといふことは、名號の意味を聞きわけることに外ならぬものでありますが、それは我々衆生の心ではなく、仏より賜はりたる心に外ならぬものであります。もう少し説明致しますれば称名は元来本願からあらはれた名號でありますが、その名號を我々にたまはつたところの如来の本願の心が我々の心にあらはれるものが信心であります。しかし信心が如来の本願の心であると知ることは、固よりそれを聞く人に極めて純潔なる願生心がなければならぬのでありませう。願生心と申すのは、往生を願ふ心でありまして、すなはち、我々のこの現実を離れて理想の所に行かうと願ふ心でありますが、その願生心の純潔なものを求めますならば、それは必ず如来の本願でありませう。その如来の本願が念仏としてあらはれたのでありますから、念仏そのものは純潔でありませう。しかしながら我々の願生心は常に純潔でなく、念仏すれば仏に助けられるであらうと得手勝手に動くのであります。それ故に、念仏にしても耳に純潔なるものを求めまするならば、それは何のはからひもなくただ如来の名號を称へるより外はないでありませう。親鸞聖人の説かれる信といふことは、かやうにただ、如来の本願を疑ふことのない心であります。我々の心は常に疑ふものでありますから、決して疑はぬといふ心は我々の心ではない筈であります。それはたとへ我々の心にあらはれるとしても、如来の心であります。それ故にもつと約めて申しますならば、親鸞聖人の説かれる信心というのは、ただ念仏になり切ることであります。  自性唯心  親鸞聖人は「教行信証文類」の信の際に、別に小序を書いて、次のやうなことを説いて居られるのであります。  「夫れ以みるに、信樂を獲得することは、如来の選擇の願心より起す、真心を展開することは大聖矜哀の善巧より顕彰す。しかるに、末代の道俗、近世の宗師、自性唯心に沈みて浄土の真証を貶し、定数の自心に迷ひて金剛の真信に昏し」  前にも申したやうに法然上人は、観念の法門を排斥し、「近来の行人、観法をなすことなかれ、仏像を観ずとも運慶、康慶が造りたる仏像だにも観じあらはすべからず、極樂を観ずとも、櫻梅桃李の花果ほども観じあらはさんこと難かるべし」とまで説いて居られるのでありますが、しかし、その念仏往生は、三心具足の念仏によるべきことを唱道して居られるのであります。三心具足とは己に前に申したやうに、至誠心と深心と廻同発願心との三つの心であります。しかし、親鸞聖人は此の如き心を起して念仏まうすことをば定散の自心に迷ふものであると排斥せられるのであります。自性唯心に沈むが故に浄土に往生することが出来ぬと痛歎して居られるのであります。法然上人といへども、何のはからひもせず、ただ何となく一生懸命に申す念仏は必ずこの三心を具へて居ると説かれるのでありますが、これは三心の詮議を要せぬことを言はれたのでありまして、心の内が真実でなくてはならぬ、南無阿弥陀仏と申すことは仏の本願であるから、申せばたすかると信ぜねばならぬ、又功徳を修して往生を願はねばならぬといはれるのであります。結局、信ずることも、行ふことも、皆自分の力を本とせねばならぬといふことになるので、親鸞聖人はかやうな心持を自性唯心に沈むと排斥せられたのでありませう。  真実の証  親鸞聖人は次のやうに説明して居られるのであります。  「真実証をあらはさば、すなはちこれ利他円滿の妙位、無上涅槃の極果なり。すなはちこれ必至滅度の願よりいでたり。また証大涅槃の願となづくるなり。」  証を開くといふことは、無上涅槃を得ることであります。それから又、親鸞聖人は次のやうに説明して居られるのであります。  「往相廻向の心行を獲れば即の時に大乗正定聚のかずに入る。正定聚に住するが故に必ず滅度に至る。必ず滅度に至れば、すなはちこれ常樂なり。常樂はすなはちこれ畢竟寂滅なり。寂滅はすなはちこれ無上涅槃なり。無上涅槃はすなはちこれ無為法身なり。無為法身はすなはちこれ実相なり。実相はすなはちこれ法性なり。法性は即ちこれ真如なり。」  これに依りて見ますると、証を開くといふことは、結局、真如の理に到達することであります。涅槃はいろいろと名づけられますけれども、要するに真如であります。真如に到達するといふのはもののほんとうの相を明かにすることであります。しかしながら、我々人間の現実の世界に於ては真如の理に到達することは出来得ないのであります。それは言ふまでもなく、我々が煩悩に覆はれて居るからであります。宗教の上から申せば、我々の見て居ることや考へて居ることは、皆惑染の自性からあらはれたものであります。それ故に一切真如を離れたものであります。我々の心も無論その本は真如からあらはれたものでありますが、無明のために惑染の自性となつたために、「よろづのこと皆もてそらごと、たわごと、まことあることなき」状態となつたのであります。しかしよく考へて見ると、かやうに我々の心を惑染であると考へることは全く真如のはたらきによるものであるとせねばならぬのであります。それ故に、真如は常に我々に対してはたらいて居るものとせねばならぬのであります。それ故に我々がその或染の心を取り去るときは、必ず真如があらはれて来るに相異ないことでありませう。しかしながらそれは固より理論であります。実際に於て、我々が涅槃をさとるといふことはこの煩悩の生活をなして居る間は到底不可能のことであります。それはどうしても、未来の世界に待たねばならぬことであります。さうした惱具足の現実の世界にありながら、なほ未来に於て真如をさとらうとする心が起るによりて、その煩悩具足の中に苦悩しながら、なほこれに随順するの力が我々にあらはれることは、まことに不思議であります。これは正に如来からたまはつたところの信心によるものでありませう。  成仏と往生  釈迦教にありて涅槃の証を得るといふことは結局、仏になるということであります。衆生が心を移して、修行して涅槃の証を開いたものはすなはち仏であります。しかし、親鸞聖人の弥陀教にありて証を開くといふことは仏の国に往生することであります。如来の本願に從ふて、その間に生れ、如来と同体のさとりを開くといふことであります。それ故に、その証の内容を申せば、仏と仏土といふことが問題になるのであります。親鸞聖人はそれを説明して、「仏とは即ちこれ不可思議光如来なり、土は亦これ無量光明土なり」と申して居られるのであります。さうして、この説明に拠りて見ますと、仏は我々人間の知識を超えたるもので、我々が思議することを得ざるのであります。又仏土は無量光明の土でありまして、これも亦、我々の現在の世界を超えたものであります。それ故に、我々は、現実の世界にありては惑染の自性に覆はれて真如の理に到達することが出来ぬけれども現実の世界を離れたる彼岸の世界に生れて始めて涅槃の証をひらくことが出来るのであります。  化身化土  しかるに、「観無量壽経」に記してあるところを見ますと、仏身につきては、仏身の高さは六十萬億那由陀恒河沙由旬で、眉間の白毫は右に旋り、棚転として五須弥山の如しなどと形容してあります。極樂のことを記して七寶莊厳の賣地、賣池、賣樹行列し、諸天の寶?その上を覆い、衆寶羅網、虚空の中に滿つなどと形容してあります。これによりて見ますと、仏といはるるものは我々人間の最も偉大なるものに外ならぬものであります。又仏土といはるるのは、我々が現実に最大の樂士として憧憬する空想の世界に外ならぬものであります。我々人間はこの現実の世にありて幾多の苦悩に閉口して居るのでありますから、この苦悩の世界を離れて安樂の世界を望むことは当然であります。それ故に、この心からして「観無量壽経」に示してあるやうな極樂浄土を願ふことは無理のないことでありますが、しかし、それは我々の空想であります。我々が現実に知り得たる世界を本として空想の上から置いた憧憬の世界であります。仏にしても、我々人間の最大のものとして考ふることは全く我々の空想に外ならぬものであります。親鸞聖人は此の如き仏を指して化身とし、此の如き仏土を指して化士としてこれを排斥して居られるのであります。これを要するに化身・化土は我が空想するところのもので、かやうな仏にはなることが出来ぬものであり、又かやうな極樂へは行くことが出来ぬものであります。成るべくと望むところの仏であり、行くべくと望むところの極樂でありますから、実際にその望みが達せられることは覚束ないのであります。  難思議往生  我々が今住むところの世界は皆、自分の心によりて造つて居るものでありますから、真実円滿の世界でないことは明かであります。しかもそれを自覚することのないものは、到底この世界を離れることは出来ぬでありませう。ただ自分の真理の相を自覚して、その虚仮を厭ひ、真理を求めてやまぬもののみが、真実の世界に生れ出づるでありませう。それ故に、仏身といい、仏土というものも、それを感知するものの機相に応じて、その形像を観ずることを避けねば真実の仏と仏土とに到達することは出来ぬのであります。かやうに、親鸞聖人が説いて居られる証りといふのは、我々の智慧が離れた世界に生れ、我々が思議することの出来ぬ仏とおなじ証な開くことであります。それ故に親鸞聖人はそれを難思議往生と言はれるのであります。自から深く内観して煩悩具足・罪悪深重であると知つたのは、仏から賜はるところの本願の行と信とによりて、思議することなく仏土に往生してここに涅槃のさとりを開くことが出来るのであります。  思議往生  親鸞聖人の「一念多念証文」と申す書物の中に、次のやうなことが説いてあります。  「凡夫といふは無明煩悩われらがみにみちみちて、欲も多く、いかりはらだち、そねみねたむところ、おほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとへにあらはれたり」  いかにも、煩悩の心が多く起りて臨終の一念に至るまでとどまることのないといふことは、誰しも身にしみて痛感せらるることでありませう。我々の現在の生活は自分の業の継続でありますから、それはますます展開いたして、命が長ければ暫も多くなることでありませう。それ故に、この煩悩具足・罪悪深重の我等の上に賜はりたる如来の行も、信も、共にその効力がないもののやうに思はれるでありませう。しかしながら、退いて考へますると、その効力がないと思はれるに、如来の本願がありがたく感知せられるのでありませう。若し我々が自分の内面生活の上に何等かの功徳を見ることが出来ましたならば、そこに往生につきても我々は何や蚊やと思議するでありませう。往生といへば、我々人間が此世に生れると同じやうに考へて、さうしてその生れる国はやはりこの我々の住んで居るやうな国を考へることでありませう。実際、我々は惑染の自性によりて、往生浄土につきてる。思議するのであります。しかしながらそれは真実に証ることではありませぬ。  未来の世界  かやうな訳でありますから、我々が煩悩具足罪悪深重の身でありながら、なほ証を開くことが出来るのは、全く如来の本願に拠るものでありまして、それはどうしても現実の世界を離れたる未来の仏土でなくてはなりませぬ。其実に自分の内面を深く省みて、その価値を全く否定したものにありましては、必ず思議することの出来ぬ真実の世界が未来に開展するのでありませう。世の中には、ただ現在の今が必要なのであつて、たとひそのやうな未来がありてもそれは何にもならぬと申す人がありますが、しかし、現在といひましても、それは過去のつづきであり、未来の前でありまして、それを切り離してただ現在だけでよいといふ訳にはまゐりませぬ。それに過去は巳に過ぎ去つたものでありますから別として、未来はまだ来ぬ前でありまして、我々はそれを予定して、現在に安息して居るのであります。明日が来るか来ぬかわからぬやうでは今日じつとして居ることは出来ませぬ。明日も明後日必ず来るものと予定して、我々は現在の生計をなして居るのであります。現在の安息は未来の確定によりて始めて出来ることであります。しかしながら我々の智慧はいかに進むでも、現実を明かにする上に於てもまだ十分でありませぬ。我々の意志はいかに強くとも未来の世界を創造することは出来ませぬ。ただ智慧を離れ意志を離れたる感情のみがよく未来の世界を展開するものでありますから、宗教のはたらきは、実際、現実の生活の上に重要の任務を有するものであります。「三才辨疑」と申すむかしの書物の中に「聖人の教は現在を説いて却つて未来を救ひ、仏の教は未来を説いて却つて現在を救ふ」と書いてありますが、いかにもその通りであります。聖人の教は儒教であります、仁義・道徳の教であります。それは現在を説くのでありますが、しかしその成果は未来に待たねばなりませぬ。仏の教は未来を説くのでありますが、その結果は直ちに現在にあらはれるのであります。  現生十益  親鸞聖人も「教行信証文類」の中に、このことにつきて説いて居られるのでありますが、それは次の通ほりであります。  「金剛の真心を獲得するものは横に五趣八難の道を超え、必ず現生に十種の益を獲、何ものをか十とする」  と言つて、次に十種の益を列記して居られるのであります。  五道というのは地獄・餓鬼・畜生・人・天の五道で、衆生が趣きて善悪業因の果を結ぶといふ意味であります。八難というのは苦悩を離るるところの正道を妨げる障難で、これは地獄・餓鬼・畜生の三悪道にあること、勝慮にありて教化を受けざること、盲聾?唖たること、邪智聴利にして出世の法を信ぜざること、仏前仏後にありて見仏聞法の縁なきこと、すべて正法を聞くことの出来ぬ状態を指すのである。しかるに、金剛の信心を獲得するものは、この五種の苦難と八個の障難とを超えて、未来、仏の国に赴きて涅槃の証を開くのであるから、現生にいろいろの利益を得るのであります。それを一とつ一とつ挙げますと  一には冥衆護持の益――冥衆とは我々の眼に見えざる天神地祇が形に影の添ふが如くに保護して下さるから悪鬼悪神が近づかぬといふ、その人の心にあらはれる心持であります。  二には至徳具足の益――天神地祇は如来の分身又は化身であるから別に念ずるには及ばぬ。金剛の真心を得るときは、求めざるに功徳がその身に充満する。それはその名號の中に萬の徳を備へて居るがためである。これもその人の心の中にあらはるる心持であります。  三には転悪成善の益――名號の功徳が内に董じ、神仏の威力が外に護るによりて無善進悪の凡夫も法の徳の故に自からにして悪を転じて善を成すに至る。これは、真心を得るものの行為としてあらはるることをいふのであります。  四には諸仏護念の盆――仏の監視によりて放逸懈怠《けたい》が戒められ、その信心は決して退くことがない。これもその行為にあらはれることをいふのであります。  五には諸仏称讃の――如来の徳をその心の中に入れるのであるから、諸仏からほめられる。これも外からしてその心の態度を指していふのであります。  六には心光常護の益――我々は迷妄不実の心に使はれて一時も安きことのないものであるが、如来の光明に照らされるによりて安穩の生活をなすことが出来るということを自から感知するのであります。  七には心多歓喜の益――巳に如来の光明に照されることを感知すれば、我々の慢心はそれがために角を折られ、瞋恚《しんい》の心はそれがために焔を消し、畏怖の念はそれがために起ることがなく、如来の心に同化せられて、常に歓喜の境地に住することが出来るのであります。  八には知恩報徳の益――念仏によりて自己の罪悪に対する責任を避けむとするのではなく、自己の心の真相に目がさめて此の如き煩悩具足罪悪深重のもののために如来の本願がはたらくといふことを知れば、粛然として目がさめてその恩徳を感謝せざるを得ないのであります。されば言ふまでもなく、真実の宗教の心があらはれることによりて我々の精神の行動が、必然としてさういふやうになるのであります。  九には常行大悲の益――巳に自から如来の恩徳を知れば、人に勧めて念仏せしめる。これ常に大悲を行ずるものであります。  十には入正定聚の益――正しく往生に定まりたる位に入るといふ意味であります。信心は如来より賜はりたるものであるから、本願を聞きて、何等疑ふことなく、信の一念にてすぐに正定聚の位に入ることが出来るのであります。  この十種の利益は、それがすなはち我々の生活が宗教の心によつて導かれる状態であります。かやうにして、我々は火宅の世界にありながら、よく安心生活を営むことを得るのであります。  宗教的内省  本稿は、「宗教的内省」と題して昭和十一年二月より同十二年一月まで、東京婦人精神文化研究會に於て講話せられたるものの筆録であつて、先生の校閲を経て雑誌「精神文化」誌上に掲載せられたものである。  第一講 ?曲《てんごく》の心  正見と邪見  釈尊は邪見は人をして死後地獄に墮ちしめ、正見は人を天道に導くものであると説かれました。それは邪見の人が、その見に從ふて行ふところの身と口と意との三つの業(はたらき)、すなはち希望も、念断も、その他いかなる心のはたらきも、すべて皆悲しき苦しみの結果を招くものである。これに反して、正見の人がその見に從ふて行ふところの身と口と意との三つの業は、すべて皆うるはしき樂しき結果を招くのであるといふことを示されたのであります。元来、釈尊が正見といはれるのは、戒・定・慧の三学を修め、苦・集・滅・道の四諦を明かにして、外道の有無等の邪見を破り斥けることを指されるのでありまして、つづめて、その要点を言へば、転倒の見を離れて宇宙の事物の真相をその儘に観ることであります。さうして、これを宗教の意味から言へば、我々が自身の真実の相を見きはめることが正見に外ならぬのであります。  真実の相  しかしながら、我々が自身の真実の相を見きはめるといふことは容易でありませぬ。釈尊があるとき、普賢を上首とせる菩薩達に向ひて教を説かれたときに「始も知れぬ古より迷に沈みたる凡夫は、我と我所とに執著して限なき我相を作る。それは自性をせざるがためである」と言はれました。ここに釈尊が我相といはれるのは、我々が自分と考へて居るものに執著していろいろと計らふ心のすがたでありまして、かやうな心のあらはれるのは、自性を観ぜざるがためであると教へられるのであります。その自性といはるるのは本来釈尊の仏性に外ならぬのであります。さうしてこの仏性といはるるものは仏となるべき力でありまして、本から我々の心にそなはつて居るところの本性であります。しかるに我々は横さまに我の相を計らふのでありますから、それは皆迷妄であります。この迷妄を離れるのが仏性でありまして、この心は食欲と結びつかず、限活と結びつかず、瞋恚と結びつかず、もろもろの悪見と結びつかず、何事も自分のためにする小さき心とも結びつかず、それ故に、本来清浄の仏性と名づけられるのでありますが、しかし、これ等の汚れたる心と離れることもありませぬ。釈尊はこの事につきて「仏性をば第一義空と名づける。第一義空は智慧である。すなはち空と不空とを見、常と無常とを見、苦と樂とを見、我と無我とを見ることである。生死は空であり、無常である。大涅槃は不空であり、常であり、樂であり、無我である。若し一方を見て、他を見ぬならば中道とはいはれぬ。中道は仏性である。仏性は正真道の種子である。衆生はこれを見ざるが故に、□が□を作つて、自分で死ねるが如くに、自から結業を作つて手毬のやうに生死の中にまろぶのである」と説いて居られるのであります。  現実の我  まことに、我々の心の真実の相を観ずれば、釈尊が説かれるが如くに仏性に外ならぬものでありませう。本来清浄の仏性が存しながら煩悩のためにかくされてあらはれないのでありませう。しかしながら、実際に我々の現実の心のありさまを見ると、全く仏性とは遠くかけ離れたものであります。得ることを求めて、これを得れば喜び、すでに得ることがあればこれを失はむことを恐れ、若し失へばこれを悲しむ。自分の意に滿たさることがあれば怒り腹立ち、他の人の榮華を見てはこれを妬み、自分には身分に過ぎたる者侈をなし、或は疑ひ、或は信ずる。これは昔、我々自身の心が周囲の事物に対して自分に造り出すところのものであります。かやうに我々のは周囲の一切の事物によりて転ぜられるのでありますから、まことに変転きはまりなきものであります。意馬心猿と昔から言はれて居る通ほりに、我々の現実の心がうつり易きことは猿が此の木の枝から彼の木の枝へ移り、馬がかけ足で飛びあるくやうで、四方を馳せまはりてその戻り場を知らぬ有様であります。  「心ほど軽々に転じ易きものはない。心はもと滑らかなるのである。それが、外から来る汚のために汚されるのである。それであるから、心はその外から来る汚から脱することの出来ぬものである。比丘等よ、この心はもと満らかなものであつて、外から来る汚のために汚されるものであるといふことを、智慧なき人は知らぬ。それ故に智慧なき人には心をならすことがない。この教の弟子は如実にこのことを知るから、心をならし、調へるのである」  釈尊が説かれるやうに、我々の心の本性は清らかなるもので、それはまことに仏性といはれるものでありませう。しかるに、それが、実際にありて清らかでないのは、外から汚が来て、それを汚したためでありませう。  貪瞋癡の火  我々はこの社會にありて、人情や義理にからまれ、道徳や法律の柵の中に押し込められて居るので、僅かに人間らしい体裁をして居るのであります。若し人情とか、義理とか、道徳とか、法律とかといふやうな束縛や制裁がなく、その心のままに自由の生活が出来るやうになれば、我々の心は野獣同然、弱肉強食のあさましい状態をあらはすことでありませう。さういふ心の状態を火にたとヘて言ふと、食欲の火は我欲のために有頂天となり、他のものを顧みざるものを焼くのであります。瞋恚の火は違境に対して腹を立て前後左右の見わけもつかぬやうになるものを焼くのであります。愚癡の火は迷の心がさめずして真実の法を知らざるものを焼くのであります。これを要するに、貪ぼることと、眠ることとをやめず、又正しい意見を持つことの出来ぬものは皆、それによりてその身が焼かれるのであります。古の歌にも「たかぬ火の胸にしもえて苦しきは心の鬼の身をせむるなり」とありますが、我々の心にそなはりたる貪欲と瞋恚と愚癡との三毒は目には見えませんが、不断胸の中にありて、これがために煩はされ苦しめられるのであります。それが遂にその形をあらはして地獄の猛火となると説かれるのであります。釈尊が伽耶山にて迦葉等に向ひて説かれた中に  「乱想の燧を鑚りて愚癡の黒烟起り、貪欲・瞋恚の火となりて熾燃息まず、衆生を焚燒して生死の苦火中に沈淪せしめる。まさに知るべし、世人は皆、食欲・瞋恚・愚癡の三毒の猛火に焼炙せられて、生老・病死・憂悲苦悩の三界に輪廻するにあらずや」  釈尊はこの三毒の火に対して「不浄観を修めて食欲の火を消し、慈悲の心によりて瞋恚の火を消し、真実の智慧によりて愚癡の火を消して、遂に苦しみの終局に至るべきである」と教へられるのであります。  渇愛の世界  親鸞聖人が「愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑し」と言はれたのは、正しく、我々の心が渇愛のために結ぼれて真実の本性をあらはすことが出来ぬのを自から歎かれたのでありませう。実際我々の心は金がほしい。不景気や災難などは真年御免である。幸福なる家庭を持ちたい。互に愛情に満ちたる配偶者を得たい。何時も健康で、病気にかからず、人から尊敬せられ、何事でも自分の心の儘になるやうに、又死にてもいのちがあるやうにと、いかにも虫のよい話であります。しかし、さう欲望が事実思ふ通ほりにかなふ筈がなく、又これまでかやうな欲望が欲望通ほりに達せられた例はありませぬ。かやうに限のない欲望がある力の我々に達せられないことは言ふまでもないことでありますが、しかしながら我々はその欲望が達せられないのに対して、必ず不平を訴へいろいろと愚痴をこぼすのであります。さうして、それによりて他の人を怨み、憎み、護り、或は争ひて常に不滿の生活を送らねばならぬのであります。自分以外の他の人々もこれと同じ心をあらはして、互にそれを向け合ふて居るのでありますから、人々の間には常に衝突が起るのであります。その結果、我々人間の生活は只徒らなる闘争と、夢のやうな榮辱と、時によりての浮沈とを繰返しつつ、人々はただもがいて、彼此と走り廻つて居るに過ぎぬと言つても差支はありませぬ。  孤独の生活  釈尊は此の如き心の汚れは外から来た汚れのためであると説かれました。一方から見れば我々の心のみにくいすがたは、周囲のものがこれを造り上げるのであります。まことに仏性が主王でありまして、煩悩は客塵であります。外方の客塵のために我々の心の主王が転ぜられて心の汚があらはれるものであります。かやうに、我々の心は外力の事物のために転ぜられるのでありますから、我々の心は周囲の一切のものと常に関係を存して互に相離れることの出来ぬものでありますが、しかしながら、その関係は決して親密のものではありませぬ。たとひ、我々が自分に苦しむことがありましても、それは自分一人が苦しみを覚えるのでありまして、他の人には通ぜぬのであります。又自分が病気になりましても、自分だけがそれに苦しむのでありまして、何人によりても自分の病気の苦しみが代理してもらへるものではありませぬ。まして、自分の心の奥底はこれを他の人に打ち明かすことは出来ないのであります。広い世の中でも、自分は真に自分一己のみ存するのでありまして、事実、独り生れて独り死し、独り来りて独り去り、誰人これに代るのはありませぬ。多くの人々と一処に暮して居れば、ただ酔生夢死の果敢なき生活に追はれて、にぎやかなやうでありますが、静かに考へて見れば、世間に人は多しと雖も自分は何時でも孤独であります。この自分の孤独を見ずして、ただいたづらに周囲をながめるが故に、人々の多数が目につき、苦樂さまざまのことが思はれるのであります。  虚心性現  釈尊が説かれるやうに、我々の心の真実の相は仏性であります。しかるに、我々がその仏性を見ることが出来ぬのは客塵の煩悩に妨げられて、その真相を明かにすることが出来ぬためであります。さうして、客塵の煩悩といはれるのは、貪欲と瞋恚と愚癡との三毒の心でありますから、この貪欲の心を去り、瞋恚の心を除き、愚癡の心を無くするときは、すなはち本性があらはれるのであります。本性は言ふまでもなく仏性であります。かやうに、自分といふものにつきて深く反省して、その真実のものは仏性であるといふことを知り、それが我々の三毒の煩悩の心のためにかくされて居るといふ事実を明かにし、従つて我々は我々自身の迷妄なる心のはたらきによりて自身の渇愛の世界を造つて居ることに気がつくときは、我々はどうして徒らに不平や不滿や愚癡をこぼして居るのであらう、我々人間はそのままで幸福のものではないかといふことが思はれるでありませう。深く考へて見るまでもなく、我々は与へられたるものの中に生きて居る。さうして、すべてのものは皆、我々をして生きて行かしめるやうにつとめて居るやうに感ぜられるのであります。我々は巳に空気や水や動物や植物や日光などの有る世界に生れ出たものであります。さうして自分から見ればそれ等一切のものはすべて自分が生きて行くために重要なものでありますから、一切のものはすべて自分を生かして行くためにつとめて居るものであると感ぜられるのであります。その他、自分の周囲のものはすべてが同様でありますから、そのはたらきが自分の気に入らぬからとて、無暗に不平や不満や愚癡をこぼすべきではありませぬ。我々は自分ひとりの力にてはどうすることも出来ぬ世の中にありて、何事をも遂げ得やうと考へるのが、我々の迷妄の心であります。世の中の一切のもののために生きて居るのに、それを知らずして自分ひとりの力によりて生きて居るやうに思ふのは我々の迷妄の心であります。かやうに迷妄の心を虚しくして見れば、すなはち、本性が現はれて、我々はその儘で幸福のものであるといふことが知られ、自分もまた不可思議なる自然の作用の一部の任務をなすべきものであるといふことが感ぜられる筈であります。  内省の要  迷妄の心にて、彼や此やと計らふことはどこまでも迷妄であります。それをやめて、そこに自から感知するところの仏性によりて計らふことによりて、我々の心は始めて真実の道に導かれるのであります。宗教の心と名づけられるものは、かういふ場合に、自からあらはれて来るところの本性であります。かういふ宗教の心があらはれることによりて、不平・不滿・不足・愚癡をこぼすことに終始するところの我々の心が円滿となり、我々はそれによりて真に人間としての自由の生活をなすことが出来るのであります。しかし、それには我々が現在にあらはして居るところの迷妄の心を虚しくせねばならぬのでありますから、その目的を達するがためには第一に自分の心を内省することにつとめねばなりませぬ。これが、宗教の心をあらはす上に、極めて重要のことでありますから、私はこれから順を追つて、自分の心を内省することにつきてお話を致さうと思うのであります。  諂曲の心  釈尊が臨終の前に弟子達に説かれたことを集めたお経として知られて居るところの「遺教経」に次のやうな歌があります。  「汝等比丘よ、?曲の心は道と相違す、この故に宜しく応さに其心を実直にすべし。まさに知る、?曲はただ欺?をなすことを。入道の人は即ち是の処《ことわり》なし。この故に汝等宜しく応さに心を端しくして質直を以て本となすべし。」  ?はヘツラヒ、曲はマゲルとよむ文字で、それは他人の意をむかへ、気に入らうとして、自分の心を曲げて、追從することを諂曲と名づくるのであります。この心は道と相違するといふのは、?曲は内は自分の心を曲げ、外は他人を偽るのであるから仏の道に違ふといはれるのであります。「維摩経」には「直心これ菩薩の道場なり」とあります。「楞厳経」にも「出離生死は皆直心を以てす」とあります。仏の道は正直にして少しも私曲のないものでありますから、これを行ふものはかりそめにも内に自分の心を欺き、外に他人を欺き誰かすやうなことをしてはなりませぬ。質直とはつけかざりのない、ただしいことであります。諂曲はただ他の人を欺きたぶらかすのみ、道に於て益するところがなく、罪を増すばかりであるから、仏の道を修めて解脱を求める出家入道のものは固よりかくの如き心のあるべき筈はない。何れも心をただしくして質撲正直を以て根本とせねばならぬと戒められたのであります。  意を曲げる  かういふ誠は、これを支那のむかしの「清言」の中にも見出すことが出来ますが、明の洪自成が著はしたる「菜根譚」に次のやうな言があります。  「意を曲げて人を喜ばしむるは躬を直うして人をして忌ましむるに若かず、善なくして人のを致すは悪なくして人の譽を致すに若かず」  人に喜ばれるといふことはあながち悪るいことではありません。しかしながら自分の意志を曲げてまでその気に入るやうにして人に喜ばれるのは善くありませぬ。人に忌まれることは固より善いことではありませぬ。しかしながら自分の躬の行を正直にして居て他の人に忌まれるのは決して悪るいことではありませぬ。それ故に、自分の意志を曲げてまで他の人に追從?□して、その人に喜ばれるよりは、自分の躬の行を正直にして、他の人に忌まれる方が善いと言ふのであります。人に譽められるのは悪るいことではありませぬ。しかしながら、自分は何も善行もないのに人に譽められるのは不当であります。人に殴られることは固より善くないことであります。しかしながら、自分に悪るいことのないのに人が毀るのは毀る方が不当であります。それ故に、自分に何も善行のないのに人に譽められるよりは、悪るいことのないのに人から毀られた方が善いと言ふのであります。この誠は固より道徳的の内省を教ふるものでありますが、宗教の心のはたらきの上にありてもまた同樣であります。  まゐらせ心  蓮如上人の行言を録したる「蓮如上人御一代記聞書」の中に次のやうなことが書いてあります。  「蓮如上人仰せられ候、仏法にはまゐらせ心わろし、御心に叶はむ思ふ心なり、仏法の上に何事も報謝と存ずべき也と云々」  まゐらせ心とは追從して仏の御心にかなふやうにつとむる心をいふのであります。仏に向ひて帰命するところの我が心に仏の心が入りみちて居りたまふとを知らず、たまたま世間の無常を見るか又は人にすすめられて極樂に往生することの大事を知りて、いささか道心が起りたるときに、どうにかして仏の御心にかなふやうにして、その御恩を蒙らむと追従することをまゐらせ心と言はれるのであります。かういふ心にて仏に向ふのは自分と仏とを対立せしめ、その仏に向ひて?曲の心をあらはして、ひたすらに自分の利益をはかるのでありますから、それによりて真にその心を安んずることは出来ませぬ。蓮如上人が「仏法にはまゐらせ心わろし」といはれたのはこの意味でありませう。  自力の念仏  「安心決定鈔」には、このことを宗教的に説明して、次のやうに述べてあります。  「自力のひとの念仏は、仏をばさしのけて西方におき、わが身をしらじらとある凡夫にて、ときどきこころに仏の他力をおもひ、名號をとなふるゆへに、仏と衆生とうとうとしくして、いささかも道心おとりたるときは、往生もちかくおぼえ、念仏もものうく、道心もさめたるときは往生をきはめて不定たり。凡夫のこころとしては道心をおこすこともまれなれば、つねには往生不定の身なり。もしやもしやとまてども、往生は臨終までおひさだむることなきがゆへに、くちにときどき名號をとなふれども、たのみがたき往生なり。たとへばときどき人に見參みやづかいするににたり、そのゆへはいかにしてか仏の御ところにかなはんするとおもひ、仏に追從して往生の御恩をかふらんするやうにおもふほどに、機の安心と仏の大悲とが、はなればなれにてつねに仏にうとき身なり、このくらみにてはまことにきはめて往生不定なり」  常に主君の左右にあらずして時々主君の前に出づるを見參といひ、宮中又は公家に仕ふるをみやづかへといふ。いかにすれば仏の御意にかなはむかと、ただひたすらに仏の御心にかなはむことをのみ思ふことは、みやづかへする人が主君に追從して、媚びふと同じことであるといふのであります。さういふ心にて仏を念ずるのは自力の念仏といふべきもので、この場合、仏を念ずるといふのは、自分の願望を達してもらふやうに仏の機嫌を取るのであります。丁度人間同志がものを頼むときに追従するのと同じ心にて仏に向ふのでありますから、いかに追從しても、その願望が達せられることは決してない筈であります。さうして、念仏といふは仏を憶念することでありますが、仏に向ふて、その御心にかなはむことを主として、仏の意に迎合するのが自力の念仏といはれるもので、この種の念仏にては自由円滿の心の境地に至ることは出来ませぬ。往生が極めて不定であるといふのは全くこの意味に外ならぬのであります。真実の宗教の心にありては、不可思議なる仏の心が、我々の心の中にあらはれて、それによりて我々の心が導かれるのであります。かういふことを明かに自覚したとき、その心には仏を憶念し、身には仏を禮拝し、口には仏の名(すなはち南無阿弥陀仏)を称ふるのであります。さうして、この場合に口に仏の名を称ふることを他力の念仏と名づくるので、この他力の念仏こそ宗教の心のあらはれであるといふべきであります。  報恩謝徳  此の如く、自力の念仏といはるるものは仏に追從してその御恩を蒙らむとするので、全く?曲の心のあらはれに外ならぬものでありますが、これに反して他力の念仏といはれるものは、仏の心が我々の心の中にあらはることを知りて、その恩徳の広大なることを喜ぶによりて起るところの称名であります。仏の念願せられるところは一切の衆生をその心の中におさめとりて捨てぬといふことであるから、我々は何も知らぬ内に、仏の心が先づはたらいて我の心の中に入りて、我々の心は仏の真実の心の中にありて活動するもので、さめて一日を暮すも、眠りて一夜をあかすも皆、仏の心の中に於てするのであるといふことを知るとき、我々は三毒の煩悩を有しながらそのまま仏の心の光に照らされて、自由円滿の心の境地に至ることが出来るのであります。それ故に、我我は仏に追從して御恩を蒙むることを期待すべきでなく、却つて目に早く我々の煩悩の心に仏の心が入り滿ちて居ますことを知りてその御恩の広大なることを謝すべきであります。しかるに、仏に追從して御恩を蒙むることを望むのは、結局仏の力を疑ひ、自己の力をはたらかして仏に向ふものであります。それ故に我々はかやうな自力の計を捨てて仏の慈悲を喜ぶべきであります。この場合、口に仏の名を称ふることはありがたいことを謝するの辞に外ならぬのであります。蓮如上人が「仏法の上には何事も報謝と存ずべきなり」と言はれたのはこの意味でありませう。  第二講 無慚無愧  恥を知る  「中庸」に孔子の言が載せてあります中に、次のやうなことがあります。  「学を好むは智に近く、力めて行ふは仁に近く、恥を知るは勇に近し、この三のものを知れば即ち身を修むる所以を知る」  学ぶことを好みて厭ふことのないのは、智といふことは出来ぬが、智に近いものである。力めて道を行うことは深切を尽す人であるから、仁ではないが仁に近いものである。不善の行をするのは恥かしいことで、自分の名誉を重んじ、憤を発して勉めてやまざる人は勇に近いと言ふべきである。この、学を好むことと、力めて行ふことと、恥を知るといふことの三つのことをよく瞭解するときには身を修める方法がよく知られると説かれたのであります。この恥を知るといふは人に若かざることを恥づるのでありまして、我未だ古の賢人の如くに知ることが出来ず、古の賢人の如くに行ふことが出来ぬと反省して、人に若き及ばざることを知るを恥を知るといふのであります。  恥づべきこと  むかし、嵯峨の意安といふ名医が居りましたが、医療を托せられたる病人が死にまして、それは自分の治術が誤まれるためであると知つたときには、その年は医業を廢して専ら書物を読みて学問をつとめたといふことであります。言ふまでもなく医術は人の生命に関するものでありますから、心を誠にして其事に当らねばならぬのであります。しかるにその術の劣れるがために、多くの人々の生命を害ふことをも恥とせず、蛙の面に水といふやうな態度で医術を營みて居ることはまことに醜いことであります。真名都忠庵といふ人は医者で筑後の久留米侯に仕へて居つたのでありますが、あるとき自分が治療を施して居つた病人が死亡したのを見て、これは全く自分の医術が下手であるためと大いに恥ぢまして、慨然として匙を投げて、京都に出で、医者をやめて儒者となりました。藤井瀬齋といふ名高い儒者がすなはちこの人であります。五井持軒といふ儒者名前は医者でありましたがあるとき婦人の病気を治療して、その病者が死亡したので、「人を活かさうとして反つて人の死を致すやうでは医者をする資格がない」と、自分で大いに恥ぢまして医者をやめて儒者となつたのであります。  羞恥の感情  しかし、此の如きは、我々人間が恥とすべきことを恥ぢねばならぬといふことで、廉恥を破ぶるやうなことがあつてはならぬと戒められた教を本としてのことであります。羞恥の感情は我々人間の心のはたらきとして常にあらはれるもので、それは他から侵害されて、それがために自己の人格の価値が低下せりと思ふとき、殊に自分が意識して居る威厳が失はれると考へるときに起る感情でありまして、不快の感情に属するものであります。それ故に、我々が他の人と出會するときに自己の価値が低下すると思ふときには必ず恥づかしいといふ感じが起るものであります。それは固より自分で意識して居るときその自己の価値が低下するときに起る心情でありますから、自分としては多少苦しいことでありますが、しかし人間として為すべきことを為さざることを恥づるとか、古の賢者に及ばぬことを恥づるとか、自己の本分を証されことを恥づるとかといふやうなことに比較すれば小恥であります。しかしながら、我々はこの小恥の感情に動かされて、恥とすべきことでないものを恥づることが多く、却つて恥づべきことを恥とせずして平気ですまして居るのであります。播磨清絢といふ名高い儒者が書かれたものの中に、明石の里正鳥羽三右衛門のことが載せてありますが、それを見ますと 「明石の里正鳥羽三右衛門、老年に及びて誕生日に一族を集め、席上にて曰く、予が死して後、窮乏のことあらば一番に居宅を賣るべし、それにて足らずば車実を賣るべし、次に諸器物衣服を賣り、赤裸にて田地を作ると心得べし、大百姓の窮乏するもの、これと反対にやる、小恥を知りて大恥を知らず、愚というべし、一番に居宅を賣るは当時は恥なれどもそれに準じて萬事を省略すれば引きかへすの理、巳にここに在り、其上田地さへあれば、取つながるるものぞ、汝等必ず小恥を知りて大恥を招くこと勿れ」  俗の諺にも「聞くは当座の恥、知らぬは萬代の恥」といふことがあります。しかし、さういふ意味の恥は、自分といふものの価値を落すまいとする虚栄の心からあらはれるのが常でありまして、「かういふことを言へば人に笑はれやうか」「かういふことをすれば人から馬鹿といはれやうか」と、どこまで自分といふものの価値を落すまいとする虚栄の心によるものが多いのであります。「法句経」に  「羞づべきを羞ぢず、羞にあらざるを反りて羞ぢなば、生きては邪見を為し、死しては地獄に堕つ」  とありますが、まことにその通ほりであります。自身の見えをつくらふためには恥づべきにあらざることを恥ぢまして、自身の心を修むるために恥づべきことは少しも恥づることのないのが我々の常であります。支那の古言に「身を立つるには愧づることなきを以て難しとなす。身を保つには疾むことなきを以て難しとなす」とありますが、自身の本分を反省して、愧づることのないやうに身を修めて行くことは困難であるということであります。これも反面から言へば恥づべきことを恥ぢなければならぬことを戒めた言葉でありませう。  慚恥  「遣教経」に釈尊が慚恥につきて説かれた言が載せてありますが、それは次の通ほりであります。  「慚恥の服は、諸の莊厳に於て最も第一となす。慚は鐵鉤の如く、能く人の非法を制す。この故に、比丘よ、常にまさに慚恥すべし、暫くもすつることを得ること勿れ。若し慚恥を離るれば即ち諸の功徳を失ふ。愧あるの人は即ち善法あり、若し愧なきものは諸の禽獣と相異ることなきなり」  慚とは心の内にてはつかしく思ふことで、恥も同じやうに内に自からはづることであります。これと同じ意味で、別に慚愧といふ言葉がありますが、その慚とは自から内心に省みて恥かしく思ふ心であり、愧とはその心の内に恥かしく思ふ心が外にあらはれて他の人に対してはづることであります。又慚とは人前を恥ぢ、愧とは天に恥づる心であるとも説明してあります。何れにしても内にも外にも恥づることを慚愧といはれるのでありますが、釈尊はこの慚恥のことを衣服と鐵釣との二つの喩を以て説き示されたのであります。莊厳とはかざりとかよそほひとかといふ意味で、莊厳端厳といふやうな熟字もあります。我々が衣服を著るのは固より気候などに対して身体を保護することが主なる目的でありますが、その身体をよそほひ、かざる、即ち莊厳するといふことも目的の一とつであります。そこで慚恥を衣服にたとへて、慚恥の服はもろもろの莊厳の中の第一に位するものであると説かれたのであります。鐵鉤は動物を制御するために用ひられる鐵のかぎでありますが、この慚恥の心があれば人としてすまじき行を制することが出来るので、慚は鐵釣の如く能く人の手法を制すと説かれたのであります。かやうな慚恥の心は大切のものであるから、しばらくこれをすてず、日夜常にこれを持つて居らねばならぬと戒められたのであります。若しこの慚恥の心を離れるときは法の如くに戒律を持つことが出来ず、戒律を持つことが出来ねば禅定が修められませぬ、禅定が修められねば智慧が得られませぬから、もろもろの功徳が無くなるのであります。どれに反して慚恥がある人には必ず善法があります。若し慚恥の心が全く無かつたならばそれは禽獣と異なることはないと言はれたのであります。「揶鼈「含経」に  「世に二の妙法あり、世間を擁護す。所謂慚と愧となり。若しこの二法なくんば、世間、父母兄弟妻子知識尊長大小を別たず、即ち畜類と同等なり」  とありまして、慚愧の心は、人間の心を修める上に極めて大切のものであるとせられるのであります。  無慚の人  かやうに、慚愧は人間の心のはたらきとして大切のもので、若し慚愧の心が無かつたならば禽獣と異なるところはない、人の皮を著けたる畜生であるとまで言はれて居るのでありますが、「遺教経」に無慚の人につきて、釈尊が説かれたことが載せてあります。  「当さに無常の火の諸の世間を焼くことを念じて、早く自度を求むべし。諸の煩悩の賊、常に伺つて人を殺すこと寃家よりも甚し。安んぞ睡眠して自ら警?せざるべき。煩悩の毒蛇、睡りて汝が心にあり、譬へば黒?の汝が室にありて睡るが如し。当さに持戒の釣を以て、早く掃除すべし。睡蛇巳に出でなば、乃ち安眠すべし。出でざるに而かも眠るは是れ無慚の人なり」  諸の世間とは我々の身体と我々が住むで居る世界とを指していふのであります。我々の身体にしても、又世界にしても常に生滅変遷して居るもので、丁度川の水が一寸見たところでは常に同じやうに流れて居るやうでも、その実は常に流れ変つて居るのであります。それと同じやうに我々の身体も、この世界も刻々に変遷して無常極まるものであります。それを無常の火が諸の世間を焼くといふのであります。このことを念じて早く自度を求むべしとは、煩悩の苦海を度つて涅槃の彼岸に到ることをいふのであります。決して高惰放逸に日を送つてはならぬ。睡眠して貴重の光陰を空しく費してはならぬと言はれたのであります。それから我が心の内を省みれば貪欲・瞋恚・愚癡の煩悩の賊が、常に本心の隙を伺つて、それを殺さうとして居る。寃家は罪なきものを殺害するもののことであるが、それはただこの身体を害するだけで、その禍は現在の一世に止まつて居るのである。煩悩の賊は我々の心の法身の慧命を奪ふのであるから、その禍は未来永遠に及び、人を殺すことは寃家よりも甚だしいのであります。それ故に、安閑として眠るべきではありませぬ。必ず眠りをさまして自から勞しめねばならぬのであります。又煩悩の恐るべきことは、鴉蛇が汝の室内に睡つてゐるやうなものである。これがどうしてうかうかとして居られうぞ、まさに持戒の鈎を以てこれを退け除くべしと言はれるのであります。巳に煩悩が滅し尽されたならば安眠することが出来るが、まだ煩悩の蛇が出でぬのに、安閑として睡眠を貪ぼつてゐるのは、無慚の人であると説かれたのであります。かういふ場合に無慚と言はれるのは、身にも法にも恥ぢずして善根を軽しめ、諸の罪を造る心と称すべきものに属するのであります。更に細かに申せば、自から罪を犯しながら自身に省みて恥づる心のないのが無慚であります。身にも法にも恥ぢずして善根を軽しめ、諸の罪を造る心が無慚であります。それから世間の見聞にも恥ぢずして諸の罪を崇むる心が無慚であります。他を顧みず恣《ほしいまま》に悪事をなして毫も恥づる心のないのが無愧であります。さうして、この無慚無愧の増長せるものがすなはち無愧の人といはれるのであります。  慚愧の四種  「善戒経」に、慚愧に四種あることが挙げてあります。一には作すべからざることを為して慚愧すること、二には作すべきことを為さずして慚愧すること、三には心に自から疑を生じて慚愧すること、四には罪を覆蔵して他の知らむことを恐れて慚愧すること、この四つであります。この中にても、作すべからざることを為したことを後悔し、慚愧の心を起すことは当然でありますが、しかし我々はさういふ場合に真に慚愧の心を起すことは稀であります。「涅槃経」に阿闍世王が慚愧したことが書いてありますが、それは阿闍世王が提婆のために煽動せられて父王を殺して王位を奪はむと企て、これを幽閉した。しかるに母の韋提希夫人が驚かに食物を贈つて居つた事を知りて母を幽閉し、遂に父王を俄死せしめたのであるが、王位に登つた後に、大いにその悪事を後悔して病気に罹つた。その時に耆婆が王の病床を訪ひて申すやう「大王、安らかに眠ることが出来ますか」。王は答へて「耆婆よ、我今病重し、父王国を治めて過咎がないのに逆害を加へた。それから起きた重病であるから如何なる名医でも治癒せしめることは出来ぬ。身口意の三業の清浄ならざるものは、必ず地獄に堕つるといふことであるが自分はまさにこれである。どうして安らかに眠ることが出来ようぞ」と申されました。耆婆はこれに対して  「善い哉、善い哉、王罪を作るといへど心に重悔を生じて慚愧を懐く。大王よ諸仏世尊は常に是の言を説きたまふ。二つの法ありて能く衆生を救ふ。一には慚、二には愧なり。慚とは自から罪を作らず、愧とは他を教へて作らしめず、慚とは内自から羞恥し、愧とは発露して人に向ふ。慚とは人に羞ぢ、愧とは天に愧づ、これを慚愧と名づく。慚愧なきものは名づけて人と為さず、名づけて畜生となす。慚愧あるが故に、則ち能く父母、師長を恭敬し、慚愧あるが故に、父母、兄弟、姉妹ありと説きたまふ。善い哉、大王、具さに慚愧あり」  と申して阿蘭世王が自分が犯したる大罪につきて慚愧せることを歎称したのであります。阿間世王はこの耆婆の言ふことを聞きて、始めて耳に自分の罪悪に当面することが出来たのであります。それまで多くの臣が阿関世王に向つて言つたことは、王が自己の罪悪を後悔して悪報を怖れるのを慰めやうとして、父王を殺したることが罪悪でないやうなことを説明し、種々の理屈をならべて阿闍世王の心を安らかにしやうとつとめたのでありました。それは罪悪に当面せずして、それから逃れやうとするのでありますから、阿蘭世王の苦問がやむことのなかつたのは当然であります。  覆蔵の心  耆婆は此の如く、阿闍世王に対して、王が慚愧の心を懐くやうになられたのはまことに善いことであると歎称した後に又、阿闍世王に向ひて「仏説を聞くに、智者に二あり、一には諸悪を造らず、二には作り巳りて懺悔す。愚者にも亦二あり。一には作罪、二には覆蔵なり。先きに悪を作るといへども後よく発露し悔し巳りて慚愧して更に敢て作らず、雲除かるれば月則ち清明なるが如く、作悪よく悔するも亦此の如し、王若し懺悔し、慚愧を懐かば罪則ち除滅して清潔本の如し」と申したのであります。すべての人々は好みて諸の罪を造り、これを覆ひして懺悔せず、従つて心に慚愧することがないからこれを罪人といはれるのであります。阿闍世王はこの耆婆の申すことを聞きて大いにその心が開け、耆婆が勸むるままに、釈尊の許に行つて法を聴き安心の境に入つたといふことであります。  覆蔵重罪  まことに、愚者のかなしさに、犯したる罪を慚愧することが出来ず、それがために更にその罪を重ねるのであります。「百喩経」に次のやうな話が載せてあります。  「嘗一人あり、友の家に至り、米をつけるを見て窃かに?みてこれを含む。友出で来たりて、共に語らむとするに、彼人米の口中に満つるが為に返辞すること能はず、されども友に羞つてこれを吐かず、友怪しみて手にてさすり見て、口腫れたりとなし、驚きて医を迎ふ。医曰く、この病重し、刀を以てこれを決すべしと。刀にて口決裂せば、米口中より出でて其事露顕せり。世の人も亦此の如し。諸の悪事をなしこれを覆蔵して懺悔せず、これを覆蔵せんがために却つて他の悪をなして遂に三途に沈む」  自分が作したことが非法であることが自分にわかれば、悪報を恐れて慚愧する心の起る場合もありませう。又自分が作した非法をば人の知らむことを恐れて慚愧の心の起る場合もありませう。しかしながら、これは要するに道徳の心でありますから、動もすれば麻痺して、いつでもさう慚愧することが出来ませぬ。そればかりでなく、自分の体面や、見えなどを考へて、これを覆ひ蔵さうとする心が強くあらはれるのであります。それがために道徳上にますます悪るい方へと堕ちて行くのであります。  無慚無愧  親鸞聖人の「悲歎述懐和讃」の中に  「無慚無愧のこの身にて まことのところはなけれども  弥陀の回向の御名なれば 功徳は十方にみちたまふ」  とありますが、無慚・無愧とは前にも申したやうに、身にも法にも恥ぢずして、自から罪を犯しながら自身に省みて恥づる心なく、又世間の見聞に恥ぢずして諸の罪を崇むる心でありますが、親鸞聖人が、ここに無慚・無愧といはれたのはもつと宗教的のものでありまして、我々は恒沙の諸仏の出世のみもとに在りしとき、大菩提心を起したのであるが、自力ではそれがかなはずして流転して今日に及むだのであると言はれるのでありますが、かやうに?劫よりこのかた、自力に執著して空しく六道に迷つたことを何とも思はずに居ることが、恥を知らぬのであるから、それを無慚・無愧と申されるのであります。考へて見れば生々世々の父母・師友の中には定めて成仏したものも多いことでありませうに、自分は矢張、生死の苦海に迷ひ居ることは全く修行が足らぬためでありますのに、それを何とも思はぬのは無慚・無愧であります。何事でも自分のことは自分の心がよく知つて居るのでありますから、自分のことにつきては我が心に恥ぢねばなりませぬ。巳に内に恥づれば外に対して恥づることも当然であります。しかるに内に恥づる心もなく、又外に恥づることもなく、思いのままに生涯を送りて、地獄行きの罪を重ねて居ることを何とも思はずにして居るといふことは、無慚・無愧の甚しきものと言はねばなりませぬ。親鸞聖人はかやうに内省して、自分が恥を知らぬといふことを欺きて、無慚・無愧の此身と申されたのでありませう。まことに我々には真実に法を求むるといふ心はなく、愛別離苦にこぼす涙は多いのでありますが、聞法随喜の涙は目にたまることはありませぬ。夫妻子孫のためには身命の勞るるを厭ひませぬが、法のために身命を拠つといふことはありませぬ。かやうに真実の心のないものが、何として自力にて助かることが出来ませうぞと、内省が徹底して、自分の価値が全く否定せられたときに始めて弥陀回向の御名の功徳が十方にみちたまふ、それによりて自分も助けられるのであるといふことが信知せられるのであります。  大恥  むかし豊後の岡の領分の某処に関兵衛といへる仰信の人がありました。三味線屋の某といふものが居りまして関兵衛が無学文盲にて「正信偈」などがつとまらぬのを嘲りて、それでは実の信者のたしなみでは無いと申して手紙を送りました。関兵衛が言ふやう「まことに有難き御教化かな、私の喜びが足らぬ故に、如来様よりの御催促でございませう。私は生れつき愚痴にて文字を知りませぬ、それで正信偈御文章を拝読いたしかねますが、これからは一入厚く喜び申しませう。私の御報謝の行業の不足は外の御同行に対しては恥でありますが、今生の恥は僅かの恥で、未来にて地獄に堕ちたらばそれこそ大恥でございますから、これより一入大切に心がけませう」と言つたといふことであります。関兵衛の如きは真に恥づべきことを知つて居つたといふべきでありませう。「香樹院語録」に  「迷の凡夫が証りの道知らぬのが何が恥であらう。この年になつて、今この疑が出たの、誤りがあるのといへば恥かしいなどといふ我慢はいらぬ。商人が商法を知らず、女が裁縫を知らぬのなら、我が職分を知らぬのぢやが、迷の凡夫が証りの道知らぬは当り前ぢやもの、どんなこと聞いて恥ではない。何でもかまはず聞くがよい」  宗教の心の上には、自分の流転の相を知らずに迷ふて居るのが大恥であります。それに気がついて、法を求めるといふことは少しも恥とすべきものではありませぬ。しかるに恥とすべきものではないものを恥として、大きな恥を恥と知らぬところに凡夫の愚かさがあるのであります。  慚愧と驕慢  かくの如くに、慚愧は能く人の非法を制するものであります。よく慚愧すれば罪が消えるとまで説かれてありますが、しかし、我々が今、慚愧して心のすむやうに思ふのは造罪の帳を消すといふやうな考へでありますから自分は慚愧すると自分で許すときは、慚愧に代つて驕慢の心が起るのであります。それによりて一日前の罪は消えたにしても、更に又新しい罪が生れて来るのであります。小川謙敬師が香樹院師に向ひて「私は慚愧して念仏申すばかりでござります」としたところが、香樹院師が仰せられるに「腹からの慚愧か知らん、口先ばかりの慚愧ではないか、心底からやれ愧しやとなつたのは如来様の御回向である」と申されたといふことであります。どこまでも内省して、愧づべきことを愧ぢないで、愧づるに及ばぬことを愧として居る自分の心の相に泣かねばならぬことであります。親鸞聖人が無慚無愧のこの身といはれたのは前にも既に申したやうに、自から内省して自分が恥を知らぬことを歎かれたのでありますが、善導大師の「散善義」に「貪瞋邪偽、奸詐百端にして悪性侵め難し、事は蛇蝎に同じ」とあるのとその意味は同じことで、これを引きくるめて無慚・無愧といはれたのでありまして、まことの心はないことを指されたのであります。「一切群生海、無始よりこのかた、乃至、今日今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心なく、盧仮諸偽にして真実の心なし」と、親鸞聖人が「教行信証」に述べて居られるのもまた同じ意味であります。かやうに、我々は恥づべきにあらざることは恥ぢましても、恥づベきことを恥ぢないやうな、虚仮不実の心に満ちたものであります。さうして、さういふ自分の相が十分に内省せられて、自力のはからひが巳むとき、我々は謙虚の心になりて、如来の大悲が此の如き無慚・無愧のものを深くあはれみたまふて、不可思議の願を起し、清浄の御心にて成就したまひたる円融無礙の至徳の南無阿弥陀仏の名號を、我々に施し与へたまふのであるといふことが感知せられ、その功徳によりて我々がたすけられるといふことが喜ばれるのでありす。  第三講 虚飾  外を飾る  我々人間には虚飾とか、虚栄とかと言つて、自分の外部を飾る心がありますが、これは本と低格感情に本づくものでありまして、自分をば周囲の人々に認めさせやうとする心のはたらきであります。それが後に至りてあらはれる共同感情に抑制せられて、始めて適当に発達するものであります。嫉妬といふ心も亦これと同一の根本からあらはれるものであります。人の善いことを羨み嫉むといふことも自分の価値が低いといふことが自分にわかつて居つて、しかも周囲の人に自分をよく見て貰はうとするので、どうしても表面をかざらねばならぬのであります。しかしながら、この虚飾の心は人間の真実の生活の上によくないことでありますから、古の人が、これを戒めた言葉は少なくないのであります。  虚飾を戒む  徳川家宣の「壁書」の中に次のやうな言葉があります。  「心にかざりあるときは偽りを思ふ。かざりなきときは偽なし」 壁書といふのは戒めの言葉を書いて壁に張りて内省の料とするのでありますが、これは心に表面を飾らうといふ心があると、どうしてもものの見方がうそになるといふことを誡められたのであります。 新井白蛾の「冠言」の中にも次のやうな戒めの言葉があります。  「言葉花咲くものは心必らず実なし」  「口に蜜を造るのは心必らず針あり」  「みだりに譽むるものはみだりにそしる」  「妄に喜ぶものはみだりに悲しむ」  実によく人間の心の情実を穿つてあると思はれます。言葉に花を咲かすというのは人の前に見栄を張つて相手に向つて綺麗な言葉を使つて居るのでありますが、さういふ心には実はみのりませぬ。口で甘いことをいう人の心の中には針があるのであります。無暗に人を賞める人はまた無暗に人を謗るのであります。自分の気に入れば喜び、気に入らねば喜ばぬのが人々の常でありますが、謗るのも賞めるのも皆自分を強く出して自分に気に入るか入らぬかが問題でありますから、妄りに悦ぶものはみだりに悲しむものであります。虚飾といふ心はかやうに、自分の価値を高くしやうとして、徒らに外を飾る心であります。言はば、周囲の人々をして自分の価値を高く買ひかぶらせやうとするのでありますから、それは虚偽の甚しいものであります。  醜悪  むかし釈尊の在世の頃にクルマといふ国の長者にマカミツといふ人がありました。家に多くの財寶がありまして、自身も学問があり国師と仰がれた人でありますが、その性格が慳貪で宗教の心は貧弱でありました。この家に七人の娘があり、容色が美しい上に金があるので、綺麗に著飾つて一層美しく見えたのであります。父の長者はこれを大変自慢してこの国の中に此娘を非難することの出来るものがあれば五百金やると言つて娘の欠点を指摘せしめやうとしたのでありますが、誰一人としてその七人の娘の欠点を指摘することの出来るものはなかつたのであります。そこで長者は祇園精舎の釈尊のところへ娘を連れて行つて「世尊は多くの国々を歩いてお居でになりますから、沢山の娘を見て居らるるでありませうが、この娘のやうな端麗なものを御覧になつたことがありますか」と申しました。釈尊は顔を背けて「醜い」と言つて排斥せられたのであります。長者は「この国中にこの娘の悪口をいふものがあれば五百金出すとまで賞をかけて悪口を募つたのに、誰一人として美しいと言はぬ人はなかつたのに、どうして、醜いと言はれますか」と申したので、釈尊は「世間の人々は婦人の五官や色艶だけを見て綺麗だと思つて居るが、自分の言ふ美人は体に粉黛をほどこさず、口に悪を言はず、意に悪を思はぬのを美人と言ふのである」と申されたので、長者は大いに恥ぢて引退つたといふことであります。つまり釈尊は徒らに外を飾つて善いとする心を排斥されたのであります。  人目を慎しむ  解脱上人の「愚迷発心集」に  「無益の語を□しくすと雖も、出世の事を談ずることなく、他人の短を語ると雖も身上の過を顧みず。人目を慎しむと雖も全く冥の照覚を忘る、稀に一善を勤むると雖も多く名聞の思に穢さる」  我々は要りもしないことはべちやくちや喋るけれども、此の世の醜悪を厭ふて真実の世界に出やうといふことは少しも話をしませぬ。外の人の悪るいことはよく話しますが自分の身の過は顧みないのであります。自分の事は棚に上げてただ他の悪口を言うのであります。人目を慎しみて言行を慎しむことはありますが、それもなるたけ人の目につくやうなところでは偉さうな様子をして、言行も慎しんで居るのでありまして、冥いところで神仏が照覧して居らるることは忘れて居るのであります。たまに一つの善い事はしても、そのときは善いことをしたといふ心が起きて、多くは名聞の思に穢されてしまふのであります。解脱上人は固より自分の事を言はれるのでありますが、世間の人はみなこれと同じでありませう。外を飾つてゆく虚飾の心は穢い身体によい著物を著せて胡魔化さうとするのと同じ心であります。たとひ身体は穢くても美しい著物を著せて胡魔化して居れば当座はすむのであります。  欠け易き心  人目をかざりて、周囲の人々から自分の価値をば高く認められやうとするのはすべての人間に通じてあらはれる心であります。それにつきて、法然上人は「和語燈録」の中に、次のやうに言つて居られるのであります。  「大凡、この真実の心は、人毎に具し難く、事に觸れて欠け易き心ばへなり。愚かに墓なしと、戒められたるやうもあることはり也。無始よりこのかた、今身に至るまで、思ひならはして、さしも久しく心を離れぬ名利の煩悩なれば、たたんとするに、安らかに離れ難きなりけりと思ひ許さるるかたあれども、又許しはんべるべきことならねば、我心をかへりみて、誡めなをすべき事なり。しかるに我心の程も思ひ知られ、人の上をも見るに、この人目をかざる心ばへの、いかにも思ひ離れぬこそ返すがえす心うくかなしく覚ゆれ。この世ばかりを深く執する人は、ただまなこの前のほまれ、空しき名をあげんと思はんをば、言ふに足らぬことにてをきつ、うき世をそむきて、真の道に赴きたる人々の中にも、かへりて、はかなくよしなき事かなと覚ゆる事もあるなり。むかし此世を執する心の深かりし名殘にて、ほどほどにつけたる名利を振り捨てたるばかりを、ありがたく、いみじき事に思ひて、やがてそれを、此世さまにも、心のいろのうるさきに、取りなして、さとりなき世間の人の心の底をば知らず、うへにあらはるるすがた事がらばかりを、たとへり、いみじかるをのみ本意に思ひて、深き山路を尋ね幽かなるすみかを占むるまで、一筋に心のしづまらんためとしも思はで、おのづから尋ね来たらん人、もしは伝へきかん人の思はんことをのみ、さきだてて、まがきの内、庭のこだち、庵室のしつらひ、道場の莊厳など、たとへめでたく、心細く物あはれならん事がらをのみ、ひきかまへんと執するほどに、罪の事も仏の思し召さんことをもかへりみず、人の護にならぬやうをのみ思ひ営むことより外には思ひまじかることもなくて、まことしく、往生を願ふべきかたをば思も入れぬことなどのあるが、やがて至誠心かけて往生せぬ心ばへにてある也。  又世を背きたる人こそ、中々ひじり名聞もありて、さやうにあれ、世にあり乍ら往生を願はん人は此心は何故にかあるべきと申す人の有るは、なを細やかに心えざる也。世のほまれを思ひ、人目をかざる心は何事にもわたる事なれば、夢幻の榮花重職を思ふのみには限らぬことにてある也。中々在家の男女の身にて後世を思ひたるをば、心ある事のいみじく、ありがたきときこそは人も申すことなればそれにつけて、外をかざりて、人にいみじがられんと思ふ人のあらんも、かたかるべくもなし。まして、世を捨てたる人などに向ひては、さなからん心をも、あはれを知り顔に、あひしらはんために、後世のおそろしさ此世のいとはしさなんどは申すべきぞかし。又か様に申せば、ひとへに、この世の人目はいかにもありなんとて、人のそしりをもかへりみず、外をかざらねばとて、心のままに振舞ふがよきと申すにてはなき也。菩薩の?嫌戒とて、人のそしりになりぬべき事をばなせそとこそ戒められたれ、さればはうに任せて振舞へば放逸とてわろき事にてある也。それに、時にのぞみたる?嫌戒のためばかりに、いささか人目をつつむかたは、わざとも、さこそあるべき事を人目をのみ執して、まことのかたをもかへりみず、往生のさはりになるまでに、ひきなさるることのかへすがえすも口惜しき也。  ?嫌戒と名づけて、やがて仮になる事ありぬべし。真実といひなして、あまり放逸なることもありぬべしこれをかまへてよくよく意えとくべし。詞なほ足らぬ心地する也。」  と言つて居られるのであります。念仏して阿弥陀仏にたすけられるのは真実の心でありますが、その真実の心は人間がみなあらはして居るわけではありませぬ。さうして事々に欠け易い心でありますから、愚かにはかないと戒められたのも当然のことでありませう。  名聞利養  何と言つても、無始よりこのかた、今身に至るまで、思いならはして、久しく心を離れ、名利の煩悩でありますから、断たんとしても、どうしても離れ難きものであります。しかしこれを許すべきことでありませぬから、我心をかへり見て、誡しめなほすべきことであります。古い昔から今日まで久しく自分の心のはたらきとして我我が持つところの名門利養の煩悩、自分の名をあげ自分の利益を得やうとするその心が昔から今日まで伝はつて居るのでありますから、それから離れ難いことは言ふまでもないのでありますが、しかしさうかと言つてそれでよいというわけには行かぬのでありますから、わが心を省みてこれをなぜすべきことであります。法然上人は「しかるに我が心の程も思ひ知られ、人の上を見るに、この人目をかざる心ばへの、いかにもいかにも思ひ離れぬこそ返す返す心うくかなしく覚ゆれ。」と自から反省して居られるのであります。さうしてかやうに自分の心を考へ人を推して考へて見ると、この人目をかざる心ばえの、いかに高く思ひ離れぬことは、考へれば実に悲しいことであります。  「この世ばかりを深く執する人は、ただまなこの前のほまれ、空しさ名をもあげんと思はんをば、言ふに足らぬことにてをきつ、うき世をそむきて、真の道に赴きたる人々の中にも、かへりて、はかなくよしなき事かなと覚ゆることもあるなり。」  と法然上人は欺息して居られるのであります。この世のことばかり考へ、ただ名をあげ役に立たぬことだけに心を用ひ、又、この世をはなれて其実の道を求めるといふ人の中にも、この心は中々離れぬものであります。法然上人は  「むかしこの世を執する心の深かりしなごりにて、ほどほどにつけたる名利を振り捨てたるばかりを、ありがたく、いみじき事に思ひて、やがてそれを、此世さまにも、心のいろのうるさきに取りなして」  と言つて、たまにこの名利の心をすてて出家をしたといふことがあると、実に結構なことと思ふのであるが、それも実際は名利の心を離れて居ないのでありまして「さとり浅き世間の人の心の底をば知らず、うへにあらはるるすがた事がらばかりを、たとかり、いみじかるをのみ本意に思ひて、深き山路を尋ね幽かなるすみかを占むるまでも、一筋に心のしづまらんためとしも思はで、おのづから尋ね来たらん人、もしは伝へきかん人の思はん事をのみ、さきだてて、まがきの内、庭のこだち、庵室のしつらひ、道場の莊厳など、たとへめでたく、心細く物あはれならん事がらをのみ、ひきかまへんと執するほどに、罪の事も、仏の思し召さんことをもかへりみず」と言はれて居るのであります。少し道でも求めて法でも説くといふ僧侶になつて見ると、道場を立派にして、そこに来る人に有難がらさうといふやうな事だけに執著して居るから、大切な罪のことや、仏の思召をもかへりみないので、出家して自分で法を説くといふ事になつても、考へることは虚飾ばかりであると言はねばなりませぬ。  謙讓と虚榮  人々の常に言ふことでありますが、他の客人が自分の家に来たとき「まことに粗末な家で」と挨拶する。一寸見ればその心は謙譲のやうでありますが、その実、虚榮の心のあらはれであることが多いのであります。人に対して自分の家の粗末なるを恥ぢてさういふことを言ふのでありませう。出家して名聞の心がなくなる筈であるのに、道場を立派にしてそこに来る人にあがめ奉られたい心が強いのであります。そこで法然上人は「人の談にならぬやうにのみ思ひ營むことより外には思ひまじふることもなくて、まことしく、往生を願ふべきかたをば思ひ入れぬことなどのあるが、やがて至誠心かけて往生せぬ心ばへにてある也。」「次世を背たる人こそ、中々ひじり名聞もありて、さやうにもあれ、世にあり乍ら往生を願はん人は此心は何故にかあるべきと申す人のあるはなを細やかに心えざる也。世のほまれを思ひ、人目をかざる心は何事にもわたる事なれば夢幻の榮花車職を思ふのみには限らぬことにてある也。」と言はれたのでありませう。世間の人にほめられ、又人目をかざつて自分をよくしていかうといふ心は何事にも出て来るのでありまして、「中々在家の男女の身にて後世を思ひたるをば、心ある事のいみじくありがたきとこそは人も申すことなれば、それにつけて、外をかざりて、人にいみしがられんと思ふ人のあらんも、かたかるべくもなし。まして、世を捨てたる人などに向ひては、さなからん心をも、あはれを知り顔に、あひしらはんために、後世のおそろしさ、此世のいとはしさなんどは申すべきぞかし。」と言はれるのであります。法を求めて仏をありがたく拝むことは結構なことだから人がほめる、すると人にほめられやうと思つてますます虚榮の心になつて行くのであります。  菩薩の譏嫌戒  かやうに申したからとて、ひとへに、この世の人目はどうでもよいとして、人のそしりをもかへりみず、外をかざらぬのであるとて、心のままに振舞ふことがよいといふのではありませぬ。菩薩の譏嫌戒といふものがありて、人のそしりになるやうなことをばしてはならぬと戒められて居るのであります。この戒を破るときは放逸となるのであります。徒らに、外をかざつてはいかぬと言つても、しかし思ふままに放逸な振舞をするのがよいといふのでは決してありませぬ。しかし、譏嫌戒を守ると言つて、人目をのみ執して、真実の道をかへりみず、往生のさはりになるまでに、振舞ふことはよくないことであります。法然上人はこのことにつきて「譏嫌戒と名づけて、やがて処仮になる事ありぬべし。真実といひなして、あまり放逸なることもありぬべし。これをかまへてよくよく意えとくべし、詞なほ足らぬ心地する也。」と言つて説明の困難なることを歎いて居られるのであります。一面から譏嫌戒と言つて人の目のまへをつつしむことをやつても、虚飾の心が去らぬ限りはそれが虚偽になるのであります。これをよく心得なくてはならぬのであります。ともかくも虚飾心がありて見榮を張らうとして念仏申すときは、それは人のために念仏を申すのでありますから、自分の往生のためにはなりませぬ。  真仮の四種  法然上人は心の真実と虚仮とに四種の別があることを説いて居られるのでありますが、それは  一には外をかざりて内には空しき人  二には外もかざらず内も空しき人  三には外はむなしく見えて内はまことある人  四には外にもまことあらはし内にもまことある人  この四種の中で、前の二つのものは虚位、後の二つのものは真実であるとせられるのであります。そこで法然上人は  「しかれば、ただ外相の賢愚善悪をえらばず、内心の邪正迷悟によるべき也。」  と言はれるのであります。心の外に出たところの賢い愚か善い悪るいは問題ではありませぬ。ただ心の邪であるか正しいか、迷つて居るか悟つて居るかが問題であると言つて居られるのであります。  賢善の相  親鸞聖人が自分の心のあさましい相を述べられた「悲歎述懐和讃」に次のやうな言葉があります。  「外儀のすがたは人毎に 賢善精進現ぜしむ  貪瞋邪偽多きゆへ 奸詐百端身にみてり」  凡夫の習として、おもて向きの相かたちをつくろひ、内心にまことのないことを歎かれた言葉であります。外儀とは外相の威儀といふことであつて、表に殊勝の相をつくろひ、自分こそ後生願いと、人目につくやうに振舞ふことはまことにあさましい心持であると言はれるのであります。親鸞聖人の言はれた言葉として伝へられるものに「たとひ、牛盗人とは言はるとも、若しは後世者、若しは善人、若しは仏法者と見ゆるやうに振舞ふべからず。」とありますが、それもこの意味を言はれたに違ひないのであります。「安樂集」下巻に  「一切衆生、皆虚多く実少きに由りて、一正念も無し。是の因縁を以て、地獄者多く、解脱者少し。譬へば人有りて自ら父母及び師僧に托するに、外に孝順を現じ、内に不孝を懐く、外に精進を現じ内に不実を懐くが如し。是の如きの悪人未だ報を得ずと雖も、三途還からず、正念有ることなし、解脱を得ず。」  この言葉の意味から言へば、我物知り顔に、えらさうに思はれたいために外相をつくらふ心が悪るいと言はれるのであります。固よりそれは道徳の上でも善くないことでありますが、宗教の上でその心では安心立命が出来ぬのであります。内にまことの心が具はり、そのまことの心から仏の慈悲を喜ぶ、それが外に出て自ら殊勝に見えるのは法悦でありまして、虚師ではありません。ただ心の内が空であるのを胡麻化さうとすることが善くないのであります。胡麻化さうとする位骨の折れることはありませぬ。一々のことにつきて弁護せねばなりませぬ。我物知り顔と思はれやうとして外相をつくらふ心は悪るいから、その心を除いて信心を獲得せねばならぬと親鸞聖人は言はるるのであります。それを聞きやうが悪るいと、そんなに外をつくろつてはいかぬからと考へて威儀を破り、放逸の行をなすやうになるのであります。外をつくろつてさへ好い加減に悪るいのに、それを思ふままにせよといへばどの位悪るくなるかわかりません。悪るい心を持ちながら悪るく思はれやうにする虚飾の心ではたとひ念仏を申しても往生は出来ぬのであります。  心を直ほせ  兼好法師の「徒然草」に  「品形こそ生れつきたらめ心はなどかかしこきにうつさばうつらざらめ。」  人間の顔かたちは生れつきであるから仕方がないが、心はかしこくないものをかしこきものにうつすことが出来るから、心は直ほすことが出来るであらうといふのでありますが、これはたしかにさうであります。品形は生れつきだから致方はありませんが、賢きにうつすことの出来る心はこれを直ほさねばなりませぬ。外を飾らず内を飾ればよいのであります。もともとあさましい凡夫でありますから仏の心に叶ふわけはありませんが、しかしかしこきにうつさばうつる心でありますから、取るに足らぬ自分の心の計をやめてひたすらに仏の慈悲に縋つてゆく心が親鸞聖人の言はるる信心でありませう。その信心がその人の心にあらはれて始めて宗教の心になるのであります。しかしその綺麗な心が他の人にあらはれたのを見てその通ほりにならうとして、少し自分の心を直ほさないところに虚飾の心が強く出て来るのであります。  虚飾を離る。  奥田頼杖の「心学道の話」の中にかういふ事実を示すべき例話が載せてあります。それは或る田舎の百姓の内に後生願ひの婆さまがあつて、死んだ先を極樂へやつてもらほうといふ欲心から鄭寧に仏に仕ふる話を挙げて、それからその婆様のことにつきて次のやうに言つてあります。  「扨その内の婆さまが、その御鉢に焚く米を洗ふに、いつでも手で洗ふといふことはない。摺鉢へ米を入れて摺子木持つて洗はれるゆゑ、或人がそれを見て、何ゆゑそのやうな不自由なことをさつしやるかと問へば、婆様のいはるるには、如来様へ具へる御鉢じやもの、手では洗はれぬ。なぜといへば、手は不浄なもので、どの様によく洗ふても、爪の間に垢が溜つてあるゆゑ不浄に御座る。夫で此様に摺子木で洗います。といはるるる、そんなら如来様拝むには、どうして拝ましやるかと問へば、夫は兩手を合して拝みます、といはれる。そこで彼人が、それは又不浄な事じや、拝むにも、やつぱり摺子木を二本合してましやれ、といはれたれ婆さまが大きに腹を立て、めつそうなことをいふ人じや、其様なことしては第一見苦しうもあり、如来様へ大きな御無禮勿体ない事じや、といはれたが、いかさま、誰でも神仏へ向へば、兩手を合して、五本の指を揃へることは知つて居るが、よう身に立ち返つて見ると、心持や身の行ひは、摺子木合して居る方が多い、なんと見苦しい勿体ない事じやないか。」  かやうにこの老婆の態度には、その虚飾の心だけ出て居るのであります。見苦しい相である自分の内のことは考へず、ただ外の方だけ考へるからさうなるのであります。宗教の心はさういふ醜悪の心から離れねばならぬのであります。又仏教を奉じて仏の慈悲を喜ぶやうになれば自から虚飾の心を離れるのであります。自分の心をよくかへりみて、いかにもあさましい仕方のないものだといふことが分ると虚飾といふことはなくなる筈であります。  第四講 驕慢  慢と驕  驕慢といふ言葉は人に対してる心で倣ありますが、細かに別けて言へば、驕とは我自身の才能等をすぐれたるものと思ふて、榮へおどり、高ぶる心であります。慢とは我身を恃むで、人をあなどり、少しも謙下なき心であります。仏教にてかういふ心のはたらきをくはしく説くのは唯識の学でありますが、それに拠ると、慢は貪とて萬の物を貪ぼり、有るが上にも欲しく拙き心と、瞋とて我に背くことあれば善事にても必ず怒る心と、無明又は癡とて萬の事物の理に闇き心と、疑とて何事にも其理を思ひ定むること能はずして兎角に物を疑ふ心と、不正見とて僻事をつよく思ひ定めて実の道理を知らざる心と併べて六大煩悩とせられて居るのであります。煩悩といふのはその心が我々の身心を煩悩擾乱するが故に名づけられるのでありまして、慢はその煩悩の大なるものに属するのであります。さうして、この煩悩に隨從してあらはれるものが又、二十ほどありまして、それを随煩悩と名づけるのであります。驕はその二十随煩悩の一に属するもので、前にも申したやうに、自分の才学名声等に深く執著するによりてうぬぼれて誇る心であります。これに対して慢は自分の才能や財力や位置などに自負して他 の人を凌ぎ侮る心であります。かやうに驕慢の二字を別けて言へば、慢は他人に対して高ぶるのであり、驕は自分に著して高ぶるのでありますが、これを併せて驕慢といふのが常でありまして、自から悟り、たかぶつて、他を凌駕する心であります。  悪衆生  親鸞聖人の「正信念仏偈」の中に「弥陀仏の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信樂受持すること甚だ以て難く難中の難これに過ぎたるはなし」とあります。これは我々のやうな悪衆生にありては、邪見・驕慢が邪魔をなすによりて阿弥陀仏の本願念仏を信樂して、これを受持することが甚だ困難であると言はれるのであります。邪見とはすべての邪なる考へのことでありますが、ここに言ふところの邪見とは、主として因果の道理を無視するところの不正の考へを指すのであります。すなはち罪といふこともなし、功徳といふこともなしとて、因を無視し地獄・俄鬼・畜生の果報もなし、人間・天上・淨土・菩提の果報もなしとて、果を無視するのが邪見であります。驕慢とは自分は何もかも承知して居る、信じて居る、自分に随分喜むで居ると思ふのが驕慢であります。この二つの心が邪魔をして阿弥陀仏の本願念仏がわからぬのであると説かれるのであります。自分は極めて愚かでありながら、愚かと知らずして賢こいと思つて居るのであります。澤山の罪をかかへて居りながら、自分は清らかであると思ふて居るのであります。自分はその心が弱くして道を修むることが出来ぬにも拘らず、それを強いものであると思ふて居るのであります。まことに我々の心は驕慢にみちて居るがために少しでも自分の心にかなはぬことがあれば、直ちにその外の方にある事物に対して或は嘆き、或は悲しみ、或は恐怖して自分でその中に苦しむで居るのであります。苦しみて居りながらも、驕慢の心強いために、どうしても阿弥陀仏の本願を感知することが出来ぬのであります。  謙敬  ある僧侶が香樹院師に謁して「私は御聖教は常に拝見して居りますが、疑が晴れませぬ、なにとぞ御一言の御教諭をお願ひ致します」と申したところ、師は大いに叱りて「御聖教をば拝見しながら疑が晴れぬか。そんなものには聞かせやうがない。今日からは魔王の弟子となるがよい。必定汝は平生から三寶を軽んじ、念仏もろくろく申さぬであらう。そんな外道に聞かせることはない。早く帰りて五尊さまへ御わびを申すがよい」と、にらみつけられたので、其人は冷汗を背に流し、身の毛がいよ立つほどに恐れ入り、「まことに私は袈裟をかけた外道である」と、心にあやまりて仏前におわびを申し上げました。その後、この人が再び香樹院師に見えて、以前のことを懺悔したところ、そのとき師は前日と打つて変つて、顔色を和らげ、言葉もゆるやかに「さうぢやさうぢや。謙敬してよく聴聞すりや、疑ひたくても、疑はれぬのが仏の御慈悲ぢや」と言はれた。その僧侶が後にそのことを記して、まことにありがたかつたことであると述べて居るのであります。邪見驕慢の悪衆生が仏の慈悲を信ずることの六ヶ敷いのは謙敬してよく法を聞かぬからであります、謙敬は驕慢の反対であります。驕慢の心が強いために謙敬してよく法を聞くことが出来ぬのであります。自分より劣つたものの言ふことを聞いてはただその浅薄なことや間違ひをあざけり笑ひ、自分と同等のものの言ふことを聞いては、その言ひ方が善いの、悪るいのと、批評のみを為し、若し又、自分より勝れたるものの言ふことを聞いては、言はれたことの一つ覚えて置く心になるのであるから、まことに自分の為になる法は一句をも聞くことはないのであります。すべて法を聞くには謙敬の心を以てすべきであります。しかるに、これに反して驕慢の心を以て聖教に向ふときは、たとひ幾たびこれを拝読しても、疑が晴れて阿弥陀仏の本願が信ぜられることはありませぬ。  増上慢  美濃の田代町のおせき、水手桶さげて、香樹院師が居られた家の庭前に參りたるとき、師は俄かに「おせき、極樂参りはどうぢや」と申されました。おせきは「はい、これなりでごさります」と、すぐに申し上げました。香樹院師はこれを聞いて「おせきはよく聴聞したなあ」と申されたといふことであります。仏教にては聞・思・修の三慧と申して、法を聞き、これを思ひ、これを修することが大切であると説かれて居るのでありますが、淨土真宗の法門では他力を尊崇するのであります。聞くといふことが最も重要とせられるのであります。しかしながら、聞くといふことは仏の仰せをそのまま受け取るのでありまして、凡夫の智慧や分別にて聞きわけるのではありませぬ。それを自分が聞きわけて置いて聞いたやうに思ふから増上慢になるのであります。増上慢の心がある限り仏法を聞き得ることはなく、ただそれを聞き分けるばかりであります。聞き分けるということは何の益にならぬことで、聞いて信心を得るのが肝要であります。しかるに、聞き分けることに努力して、それがわかればそれで止めるのでは決して真実の信心は得られません。このことにつきて、香山院龍温師の「語録」に次のやうなことが説いてあります。  「さて異義異安心、いろいろの心得違ひもあれども、未だ信を得ずして得たりと思ふ程の仕様仕方のないものはない。時にこれに、御正意にひるがへすとひるがへさんとの二類あり。」  先づその信を得ずして得たりと思ふて居る中に、改まる機類といふは、これにも又三通ほりもありて、一には未だ後生大事の味を知らずに、疎かに聴き取り、法門の分類で得たりと思ふて居るもの、これは今にも実に後生が大事になると、自から思ひ知られて驚きが立つなり。二にはただ人に帰依し、人に与みして、あの人の言はるることなれば違ひない。あの人と談合して貰ふたが違ひないと思ふて落著て居るものなれば、そのたよりに思ふた人が驚いて、此方が後生の大事をかるはずみに思ふて、心得顔になりて居つたのであつたと改悔すれば、その人にばかり帰依して堅まつて居つたのは打驚くものぢや。三には御詞を得手に聴いて、喜べ助けむとはのたまはぬ。たのむものをたすけやうとのたまふと我が領解をニギリにして喜ぶ人を見ては別に煩悩の薄き人。喜ばれぬは我が自性。喜ぶ人を見てはあれはあの人の風、私は私が持前と理屈をつけて落著て居る人なれば、段々と聴聞の功つもりて見たれば、喜ぶ人はよく善知識の御詞に割符合せたやうなり、我が胸は御詞と不都合な所が知れる故に、我を折て正意に本づくなり。  この三通はまだよいが、もう一類、議へさぬ機といふは、いかに勤めても、我慢と驕慢とを以て堅めあげて、たちろがぬこと、これが金剛心なり、これこそ他力なりと思ひ、どういふても動かぬ。利へ赤き綿を目にはれば、山も川も赤く見るが如く、邪見の絹を目にはりつけて置く故に、御正意の人を、なんぞ自力募りてあるやうに思ふて、誇りて居るもの、これほど仕方のないものはない。  これは仏在世にもあることで、四禅比丘、云云、仏の力でも動かされぬはこの増長慢といふもの、それ故に「法華経」をお説きなされる時も五千人の搨キ慢の人をば仏、方便を以て座を立たせてお仕舞ひなされた。又四神比丘も、今の阿羅漢が、其許はほんまの阿羅漢ではないぞといふことは度々仰せられたれども、うけつけなんだ、終に仏を誇りて無間に沈みたとある」いかにも、我々は驕慢の心が強いために、彼れ此れと、自分勝手に計らふのであります。さうして、それ故に真実の道へ進むことが出来ぬのであります。  卑下慢  驕慢の高き嶺には智慧の法水はとどまらないのであります。阿弥陀仏の慈悲は我々悪衆生のためでありますから、我々の心の中に流れ込む智慧の水であります。この阿弥陀仏の法水が我々の心に入り滿ちて我々の心が仏法にて調達されるのであります。しかしながら、驕慢の嶺の高き所にはこの法水は止まらぬのであります。謙下とは驕慢に反して自から満たす、へり下ることをいふのであります。謙下の心であれば、智慧も、福徳も自から我身にあつまり来たることは低き所へ水が集まると同じであります。我が物知り顔のものには人が教へることはありませぬが、謙下して尋ぬるときは人は好むで教へてくれるからであります。香樹院師があるとき、江洲野州木の濱の茂平といふものに対して「そなたは虚無僧の顔を見たことがあるか」と尋ねられました。茂平はこれに答へて「見たことはごさりませぬ」と申しました。香樹院師は「さうであらう。虚無僧の顔は、よつぽど下つて仰がねば見えぬぞよ」と申されたと伝へられて居りますが、これは謙下の心でなければ仏の慈悲の仰せは受け取られぬといふことを譬喩にて示されたものであります。まことに己を虚しくしてこそ真実の性があらはれるのであります。驕慢の心が強くして、何事も自分の勝手に計ふところに真実が得られる筈はありません。しかしながら徒らに自分を卑下することもまた驕慢であります。多くの人々が真に自分の思想であるといふことを考へずに、煩悩具足の私であります、罪悪深重の凡夫でありますと、無暗に機の拙きことを嘆くのも、同じく驕慢に属するもので、これを卑下慢と名づけるのであります。これは決して既に謙下の心をあらはしたものでなく却つて自分の愚悪を自負するものであります。これによりて真実の道に入ることは出来ぬのであります。  ありのまま  「酢を入れた器の中へ、洗ひもせずに酒を入れるときは器の酢の味で、酒の味までがかはる。寔の酒をつぐには、酢を入れたる器なればよく洗つて使はねば真の味の酒は受けられぬ。善知識の御化導を知らぬではなけれども、巳れが我儘や、驕慢や、放逸や、懈怠やらの、巳れが自性の酢の中へ善知識の御化導を我が胸の計ひで聞く故に、実の法の味は知れぬ。これは仏法ばかりではない。世間の教でも、我が心を空しうして教を受けよと仰せられた。手前の心に隨て聞く教は、みな教の道理が違ふて来る。実に聞くは、どう聞くといへば、そこを教へたまひて、此度浄土へまゐるのは信心一とつなり、この信心は名號を聞くより起る信心、その名號を説いて聞かするは誰人なれば、十方諸仏皆共讃歎と、釈迦如来を始めとして、仏様方のお慈悲のお勧めぢやこれを聞くものは誰ぢやといへば、禅者も善人も撰びなけれども、智者や善人はまだ余の教でも助かる道理あるが、余の教で助かるてだてのきたこの悪人女人、地獄行のこの徒者が御相手なり。然れば我身が善人になりて聞くにあらず、智者になりて聞くにもあらず。ありのまま、愚者のままで、説いて下さるる。銘々あのままの者になり、実に罪の深いものと気がつけば、世の法が受けられるけれども、教へられても教へられても地獄が恐ろしいとも、極樂へ参りたいとも思はぬ。しかのみならず、罪ありながら地獄へ堕つるとも思はず。信も得ずして浄土へ参るといふやうな囚果をやぶる邪見の胸。それのみならず、我れ知り顔の驕慢を起して、御法を聞けば、どれほど聞かせて貰ふとも、いつも知れることを聞くやうな、経蔑の思ひで法を聞く。かやうな根性で聞く故に、受けられぬのぢや。御慈悲の尊さが思はるる筈がない」(香樹院語録)  まことに我々は我が身の一大事を脇にのけて、隣の子の死んだ位に思ふて法を聞くのであるから、聞けば聞くほど驕慢の心がつのりて、脇道へそれたがるのであります。全体、我々の心に純粋のものがあらはれることを望むには自分といふものの価値を無くすることが第一に必要でありますが、驕慢の心が強いためにその目的を達することは容易でありませぬ。  間雑の心  親鸞聖人が、念仏のことを説かれたる中に  「雑心といふは大小凡聖一切善悪、おのおの助正間雑の心をもて名號を称念す。まことに教は頓にして根は漸機なり」  とありますが、これはすべての人々が仏の名を称へるに間維の心を以てするがために、その教は元来速かに悟られるものでありながら、その教に向ふ人々は容易にその目的に達することが出来ぬといふことを示されたものであります。親鸞聖人が間雑の心といはれるのは定散の二心のことで、これがその間に犠はるから聞雑の心と申されたのであります。定散の二心とは、定心と散心との二つで、その定心とは慮を息めて心を凝すことであり、散心とは悪を廃し善を修することであります。固より定散の二心は、我々人間の生活を正しくする上に極めて重要のものでありますが、しかしながら、それは我々の往生のためには何の役にも立たぬものであります。往生といふことは、これを我々の精神の現状の上から言へば、虚偽の心の世界に居る我々がそれを離れて真実の仏の心の世界に往きて生れることでありますが、我々のやうなものが、お経を読むでも往生は出来ませぬ。仏の徳を讃嘆しても往生は出来ませぬ。禮拝をしても、供養をしても、往生は出来ませぬ。ただ念仏によりてのみ往生が出来るのであります。  阿弥陀仏の本願は、自分の力にては如何ともすることの出来ぬものに、自分の名を称へしめて自分の国に生れしめむとせられるのであるから、我々は称名念仏するのみにて往生が出来ると信ぜねばならぬのであります。さうして、それには少しも間雑の心がありてはならぬのであります。それにつきて深く内省すべきことは、我々の心には間雑の心が常にあらはれてそれを除くことが容易でないといふことであります。至心・信樂・欲生して念仏すれば、必ず往生することが出来るといふ教は頓でありますから、間雜のない純粋の心にて、これを受け取れば、念仏せよといふ声が強くひびき、それが我々の心の上にはたらきて、それが我々の生命となるのでありまして、その声以外には何物もないのであります。ところが我々は間雑の心で、教を聞くから、たとひ念仏を申しても、それは功利的に調子を合せて居るだけのことで、何時までたちても、それが純粋専一の念仏にはなりませぬ機はどこまでも漸であります。  計ふ心  すべて自分といふものを中心として、何事も得手勝手に計ふのが我々の心の常でありますから、驕慢の心や、間雑の心といはれる心があらはれて、我々が既に念仏の教を受け取ることは六ヶ敷いことであります。念仏の教を聞いて、頼むいはれも、信ずるいはれもよくわかり、仏の慈悲の趣も承知して、何から何まで尊いということが會得せられて、これでこちらはよいと、あきらめて居るのは驕慢の心であります。念仏の教を聞いて少しそれがわかるとすぐに我心得顔になるものであります。これが驕慢の心でありますから、前に挙げたやうに、邪見驕慢のものは真実の法を信ずることが難いと言はれるのであります。阿弥陀仏の本願は如何なる罪悪深重のものでも助けるといはれるのであるから、煩悩悪業はいかに深くとも差支はないが、邪見驕慢の心ではこの阿弥陀仏の本願のいはれが聞かれぬと説かれるのであります。しかるに阿弥陀仏の本願は他人のためでなく、この私を助けんがためのものであるといふことが知られて見れば、我々は何の計ふこともなく、地獄より外に行き処のないものが、たのむ一念にお助けとはまことにありがたいことであると感ぜられて、一切のはからいを止めて、ただ阿弥陀仏に帰順するのは、邪見が破れ、驕慢の心がつぶれたのであります。  「はからひといふは、これでも助かると落ちついて居るのが計ふて居るのぢや。皆が計ひといふは煩悩を苦にしたり、案じたり、くよくよ煩ふて居ることばかりと思へども、さうではない。我々はすつぱりとして居ると思ふて居れども、よく御慈悲も聞えず、喜ばれもせず、御教化と不都合な胸とで、これでも御助けと了簡つけて居るのが、やつぱり計ひぢや」(「香樹院語録)。  まことに香樹院師が説かれるやうに、我々の一切の計ひを離れたところに阿弥陀仏の本願の心が感知せられるのであるから、その本願の心が南無阿弥陀仏の六字にて表現せられるのであります。自分の計ひの心にて、如何にすれば真実の信が得られやうかと心配して居つたために疑の雲は晴れなかつたのでありますが、その疑の雲が晴れて見ると、我々はまるまる南阿弥陀仏の真心を貰ふて助かるのであります。邪見や驕慢を離れて真実の信心が得られるのであります。かやうな心の状態がすなはち宗教の心であります。  惰魔  長崎の同行某といふもの、はるばると越後まで来て、香樹院師の許へ參りたるに、その顔に「六七十日もかかり、萬里の遠路を凌ぎ来て、法を求むる道心者である」といふやうな色が見えました。そのとき香樹院師の言はれたことは「赤尾の道宗は唐天竺まで行きても、如何にもして法を求めむといふ志ぢやつたに、今やすやすと居ながらに聞かるるとは、ただ事ではないと喜ばつしやれ」とあつた。少しにても驕る心がありては真実の法に接することは出来ぬのであります。越中のおせんといふ女で名高き取時同行が居りました。度々本願寺法主の褒美に預かりたるにつきて、その心がたかぶり、いかなる学者僧侶をも友達のやうに取扱つて居りました。香樹院師が来別院にて法話をせられましたとき、おせんは師の居間に出でて「私は越中のおせんでござります」と申し上げました。その時香樹院師は聖教を読むで居られましたが、おせんの声を聞いて、聖教を閉ぢ、眼鏡をはづして席を直し「何に、せんでもまんでも」と高音にていひながら、はたとおせんをにらまれました。おせんは一言の下に恐れ入り、それより身の謹しみも深くなりて床しき同行となつたといふことであります。おせんは取持同行として方々の寺院をまはり、諸師の法話を聞いて居つたのでありますから、邪見・驕慢のものは十方の諸仏が捨てて助けぬと申されることも聞いて居つたでありませう。邪見と驕慢とを嫌はれるものは固より香樹院師ばかりではありませぬ。おせんが諸虚の法座に參りて取持をしてその名が高くなつたのに心を驕らして、「私が越中のおせんでござります」と挨拶すれば「さうかお前がおせんか、法義の取持をして奇特である」と賞められたい心が一ぱいで香樹院師の前に罷り出でたのでありませう。しかるに師は「干でも萬でも」と鼻の先でけなして居られたのであります。おせんは定めて案外であつたでありませう。しかし、十方の諸仏が捨てて助けぬと言はれる邪見・驕慢のものを、阿弥陀仏のみがお助けになるといふ教を予て耳にして居つたおせんは、始めてそれを自分のものにして、定めて喜むだことでありませう。たとへば薬の効能を聞いただけで、これを飲むことのなかつたものが、実際にこれを服用してその効能を体驗したやうなものであります。おせんがそれよりして身を謹しみ、床しき同行となつたと伝へられることは当然であります。  無為自然  かやうに我々が念仏の教を受け取りて真実の法に接するのは、驕慢の心や、計ひの心や、その他、間雑の心を捨てるときに成就するものであるから、これを無為自然であると言ふべきであります。無為自然とは我々がその意志を意識することがなくしてあらはれるので、有作人念と反対であります。人間の力にて為すことも固より貴いものでありますが、無為自然のものが更に貴いものであると言はねばなりません。念仏して往生せむとする場合にも自然と人為との二つの種類があります。自分の心の一切のはからひを捨て、開雑の心を去り、驕慢の心を離れて、一心に念仏して往生せむとする心の強い人は自然に心がひろくなり、今までとは変つた心持になるのでありますが、これは自然であります。まことに不可思議の世界が目から開けて来るのであります。しかるに、それは自分が念仏を申すお蔭であると思へば、人為であります。間雑の心のはたらきであります。それは決して驕慢の心を離れたものではありませぬ。  第五講 瞋恚  瞋恚と軽躁  「阿含経」と申すお経は釈尊が平生その弟子達に向つて、心を修める道を説かれたことを記した古いお経でありますが、その中に「百喩経」と申して、澤山の譬喩を挙げて説き示されたものがあります。この「百喩経」の内に次のやうなことが書いてあります。  「多人あり、集まりして一人を評価す。曰く、彼人徳行あれども唯二の過あり。一には容易く瞋り、二には事をなすこと甚だ軽躁なりと。其時戸外にありてこれを聞き、急に家の中に入りて、この説を為せるものを打擲したり。傍人問ふ「何が故に此の如きぞ」、彼人云く、「我れ何時にか容易くいかり、事をなすに軽躁なるや而るに此人我を以て云云なりと言ふ。これを以て打ちたるのみ」と。傍人即ち彼人の瞋り易くして、且つ軽躁なることを了せり」  澤山の人が集つていろいろと話して居るうち、ある人の噂話が出たのでありますが、その人は徳のある人であるが二つほど悪い点がある、一つは腹を立て易いこと、一つは物事をするに軽躁であるといふ二つの欠点があるといふ噂をして居つたのであります。丁度このとき噂をせられた人が部屋の外でこの事を聞いて居つたので、急にその部屋に入り、さういふ噂をしたものを打擲しました。驚いて何をするかと咎めたら、「自分の悪口を言つて居る。自分がどうして腹立て易いか、どうして軽躁か、さういふ悪口を言ふから擲つた」と答へました。それによりて、そこに居た人々が、その人の腹立て易いことと軽躁であるといふことを知つたといふのであります。無暗に腹を立ててはいかぬ、軽躁であつてはならぬ。我々はこの二つの欠点を除くやうにつとむべきであります。しかるに、自分の欠点をば他の人から彼此と言はれると、すぐに腹が立つのであります。従つて軽躁の行動をするのであります。祖心尼の法語に「瞋恚と申候は、物事に腹立深く、口に出候て、悪口申候はでも、心にくや心にくやと、物事腹立ち、人をうらみくねり致候へば、我身をこがす火となり候」とありますが、いかにもいかり腹立つ心は悪口、罵詈、打擲などの軽躁なる行動をするやうになるものであります。しかし、さういふ軽躁の行動をせずとも、心の中で、にくやと思ふ心が強く、人をうらみ、かれこれ心を悩まして居ることも瞋恚でありまして、それが焔のやうに自分をこがすことが劇しいのであります。  八識  元来仏教では、人間の心の有様を詳しく説明するのでありまして、見ること、聴くこと、嗅ぐこと、味ふこと、物に觸れて知ること、(軟い、硬い、大きい、小さい)及び物事につきて考へること、この六つのはたらきを六識と申すのであります。この六識と言ふものが尋常の人間の心のはたらきでありまして、今の心理学の言葉で感覚及び概念といふものであります。さうして、この六識の奥に濁つた心で自分を自分のものとして他と区別する心のはたらきがあります。それを末那識といふのであります。それから又その奥に一切のものの根本になるのがありまして、それを阿頼耶識といふのであります。前の六識にこの二識を加へて八識と申すのであります。我々人間の生きた身体に就て考へて見れば、その心のはたらきは六識に終るのでありますが、それでは人間のいのちを十分に理解することが出来ませんから、末那識と阿頼耶識との二識が説かれたのであります。ところが前に言つた六識は我々自身に意識せられたときだけにあらはれるので、たとへば寝て居れば全部は起きませぬ。死ぬれば無論全く無くなるのでありますが、末那識と阿頼耶識とは、如何なる時にでも起らぬことはないのでありまして、寝ても、死んでも、生れても何時でもそれがあらはれて来るのであります。これが我々人間のいのちの根本をなすものであります。元来我々のいのちといふものは、これまでも長い間あつたのでありますが、これから後も長い間あるべきものであります。その根本は阿頼耶識でありまして、その阿頼耶識といふのは、本来は真如と言はれるものであります。今われわれが生きて、はたらいて色々な心のはたらきをして居る、その根本はこの阿頼耶識であります。平易に言へば、我々の心のはたらきの根本に阿頼耶識が存在して居つて、それは永遠に滅亡することがなく、それが我々のいのちのすじとなりてそれに我々個人の心があらはれて来たものであると考へて差支ありませぬ。それ故に、我々のいのちはただ我々がそれを意識するときばかりでなく、生れる前も及死んだ後にも滅亡することなくして永遠に存在するものであります。末那識は阿頼耶識と同じくいかなるときにも起らぬことのないものでありまして、これは尋常の心のはたらきの底にありて、常に濁りて、我身我物と差別するところの心であります。かやうに八識が主となりて、我々の心は種々のはたらきをあらはするのでありますが、それが我執の私情より起るところの不良の心の作用であるものを、仏教にては煩悩と名づけるのであります。  煩悩  煩悩とは、かやうに、目前の苦業に迷ひ、貪欲・瞋恚・愚癡などの心のはたらきによりて、身心が悩まされるがために、名づけられるものでありますが、それに根本煩悩と随煩悩との二種が区別せられるのであります。さうして根本煩悩として一切の煩悩の根本を成すものとせられるのは、貪と、瞋と、慢と、癡(無明)と、疑と、不正見(悪見)との六つでありますが、更にその中の不正見を区別して我見(身見)、辺見(常見、断見)、邪見、見取見、戒収見として、併せて十大煩悩とするのであります。随煩悩とはその根本煩悩に随伴して起るところの煩悩でありまして、これを忿、恨、悩、覆、?、諂、驕、害、嫉、慳、無慚、無愧、不信、懈怠、放逸、?沈(重く沈み溺れたる心)、掉挙(動き騒しき心)、失恋、不正知、心乱の二十に区別するのであります。この根本煩悩の第二に挙げられたる瞋といふは周囲にあるものが自分の心に反く場合に、たとひそれはよい事でありても自分の心にそむくときにはどんな場合でも瞋るといふ心が起きるのであります。それから随煩悩の中の一番はじめは忿でありますが、これは目の前にある事柄が、自分の気に入らぬとき、擲つたり、口やかましく言つたりするやうに瞋の心があらく外にあらはれるのであります。これと同じやうな心でありますが、名前の変つて居るのは、恨といふ心で、これは忿といふいかりの心が起つたとき、それを心に貯へて人を恨み、心がむしむしとするのを言ふのであります。古歌に   人知れず苦しきものは忍ぶ山         下はふ葛の恨みなりけり  表へ出してやかましくは言はぬが、心の中でむすばれて忿の起つた時の心を貯へて常に苦しいものであります。又随煩悩の第三に悩といふ心が挙げてありますが、悩むといふのは人に対して腹を立てたとき、殘念である口惜しいことであると心の中で押へ忍び切れないで常に悩むのであります。これ等は皆瞋恚の心と申されるものでありまして、「腹を立てる事によりて心の中常に安からず、物を言ふに其容かまびすしく、鄙しく、暴らく、腹黒く毒々しき心なり」と説明してあるのであります。かやうにして、根本煩悩が六つある中に瞋と貪と痴の三つは特に著しくあらはれるのでありますから、これを三毒の煩悩と申すのであります。  瞋恚三種発相  瞋恚の心のあらはれる相が三種に別けてあります。  一、非理瞋相 謂く、行人禅定を修する時、瞋覚忽然として起り、是理非理他犯不犯を問ふことなく、故なくして瞋恚を発し、諸の禅定を障ふ、是を非理瞋相となす。  二、順理瞋相 謂く、行人禅定を修する時、外人実に来りて、我を悩ます、此を以て縁となし、瞋覚を生じ、相続して息まず。亦持戒の人の如き非法の者を見て瞋恚を生ず。瞋、理に順ずと雖も亦禅定を障ふ、是を順理瞋相となす。  三、評論瞋相 謂く、行人禅定を修する時、己解する所の法に著して是となし、他の所行所説を謂て悉く以て非となす。外人所説、己が情に順ぜざれば、即ち瞋覚心生じて瞋恨を起し、諸の禅定を障ふ、是を評論瞋相となす。 (釈尊波羅蜜次第法門に拠る)  非理瞋相といふのは、腹を立てる心持が忽然として起つて、それが理であらうとも、非であらうとも、又人がしても自分がしても、どんなことにつきても瞋り腹立ちが起り、禅定をさまたげられるのでありますから、理でない瞋り力といふのであります。次に第二の順理瞋相とは、外の人が来て実際自分を悩ますときに腹を立てるのであります。又自分が道徳の心を強くして、尚も道徳に反する行をするのを見て、あの人は不可ぬと腹を立てるのでありますが、それは理に順つて居るので、これを順理の瞋といふのであります。第三の評論瞋相とは、自分の考へて居ることが可いと執著して、外の人の言ふことや行ふことをばみな不可ぬとして諍ふて瞋る心であります。これは自分の思ふとほりにならぬとき、自分の思ふことが善いと考へて居るのでありますから、すぐに腹を立てるのであります。かういふやうに、腹を立てる相を三つに別けて、これを瞋恚の三種の発相として記されて居るのであります。  短気  盤珪禅師の法話に次のやうなことが挙げてあります。  「僧問て曰く、それがしは生れつきて、平生短気にござりまして、師匠もひたものいけんを致されますれども、なをりませず、私もこれはあしき事ぢやと存じまして、なをさうとはいたしますれども、これが生れ付でござりまして、直りませぬが、是は何と致しましたらば、なをりませうぞ。禅師のお示を受まして、このたびなをしたう存じまする。若しなをりて国元に帰りましたらば、師匠の前と申、又私一生の面目とぞんじする程にお示しにあづかりたう存じまするといふ。〇禅師曰、そなたはおもしろいものを生れ付かれたの。今も爰に短気がござるか、あらば只今後へおだしやれ。なをしてしんじやうかいの。〇僧の曰、ただ今はござりませぬ。何とぞ致しました時には、ひよつとたんきが出まする。〇禅師いはく、然らばたん気は生れ付ではござらぬ。何とぞしたときの縁に依て、ひよつとそなたが出かすわひの。何とぞしたときも、我でかさぬにどこに短気が有るものぞ。そなたが身の贔屓故に、むかふのものにとりあふて、我がおもわくを立てたがつて、そなたが出かして置いて、それを生れつきといふは、なんだいを親にいひかくる大不孝の人といふものでござるわいの。人々皆親のうみ付けてたもつたは、仏心ひとつで余のものはひとつもうみつけはしませぬわいの。」  これは盤珪禅師の得意の説教でありまして、親から貰つたのは仏心だけであります。我々が親からもらつたものはいのちだけで、いのちは真如であります。これを仏性と言つても仏心と言つても皆同じことであります。身体は生れてから後に自分が拵へたのであります。短気も生れてから後に自分の心で拵へたものであります。親から伝へられたものは仏心でありますから、この仏心を尊敬することが大切であります。この仏心を大切にすれば、君には忠、親には孝、人には深切となる筈でありませう。自分の仏心を大切にすべきであると同様に、他の人の仏心をも尊重すべきでありませう。  仏心  それから盤珪禅師は次のやうに説いて居られるのであります。  「孝の道に叶へば則仏心でござる。是は孝行の心、是は仏心とて、二つ三つの心はないものでござる。只萬能一心でござる。腹立つ事、おしや、ほしやの、身の贔屓をはなれ、召仕の者とても、つらくあたらず、あはれみを加へ、たとへ給分扶持を遣すとても、打たたき非道なることを申付るはあやまりでござる。下人とてもわけて他人とは存ぜぬがよふござる。よくよく現前我子が心にしたがひ申さず、したがはぬ子が他人ならば、いかばかり腹立ちませう。我子と存ずれば、堪忍いたすは、我子にはいか程、邪を申付ても、君と親と子でござれば、深き恨みにも成まいが、召仕の者は他人なれば、我子の恨みとは、ちがひあふものでござる。今までは此ことわりをしらしやらぬゆへ、瞋りて人をしかり、胸のうちをさわがし申は、大なるあやまりでござる。此仏心なる道理を聴聞の上には、此以後そこなはざるがよふござる。」  つまり仏心と申すのは我々のいのちで、この大切ないのちをば親からもらつて居るのでありますから、そのいのちをきづつけないやうにせねばならぬ。世間のことは自分の思ふ通ほりにならぬから、よく考へねばならぬといふ説明であります。我々の心の本は仏心でこれは不生不滅のものでありますから、自分勝手の心を離れたものであります、いかり腹立つ心は自分勝手のものでありますから、つとめてそれを制せねばならぬと説かれるのであります。  自己中心  前にも申したやうに、我々の心には末那識が強くはたらくのでありますから、自分といふものを中心に考へることが極めて強いので、何を言つても自分を中心として、何でも自分の思ふやうにしたいという心が強くあらはれるのであります。心学の書物の「鳩翁道話」に、次のやうに書いてあります。  「女房が気が長うてどうにもならぬ。旦那どのが、気が短うてどうもならぬ。手代がのらで、どうもならぬ。旦那は目を明いてどうもならぬと、小言八百のたえる隙がない。よう思ふて御らうじませ、思ふやうに成つたらどのやうな事が出来るぞ、小の月の大晦日うまれ、気の短い、いらついた亭主は、なんぞといふと、かかを叱り、おのれがやうに、面ながなうまれ付では、此のからい時節に所帯が持てるものか、寝所から尻はせ折て、なぜ釜の下たき付いぞ。何さしてもグズグズと、牛糞に火のついたやうで、埒のあく事じやないと、日がな一日小言いふ。もし此の亭主が思ふやうに、女房も気が短く、息子も嫁も短気もので、手代も丁稚もせはしなく、飯たき女までいらついて、おのれと同じ様にあつたなら、どんなものでござりませう。夜は夜半から、門の戸引あけ、畳たたくやら、飯焚くやら、家内中がはしり廻つて、気のせくままに、飯はこげつく、茶釜の下はくすぼる、土瓶はうちわる、あぶら壺はひつくりかへす。何の事はない一年中煤はきぐらし、是でよささうなものでござりませうか。そう思ふてごらうじませ。女房は女房で、気の長い生れつき、師走でも正月の三つもあるやうな顔付して、こちの旦那どののやうに、気が短うては、命もせもたまるものじやない。是では辛抱がならぬと、小言いふ。もし女房の思ふやうに、亭主も子も奉公人も、うち揃ふて気が長かつたら、中々箸持つて飯はくはれぬ。晝まへに丁稚どのが、小便がしたさに戸を明ると、お内儀が所から、すつぽんのやうに首突出し、もうそろそろ家内を起しませうかと言へば、旦那どのが寝言半分に、晝にもならぬうちに起きてどうするものぢやといはるる。下女ぬからぬかほで、一向夕めしと一緒に茶の下を炊きつけませうといふ。是ではとんとつまらぬものじや。すべて人の気質にはいろいろがある。その色々があるので、てうど家がをさまるのじや。譬へば大工どのの家を建るに材木の長いばかりでも、また太い計でも、家はたたぬ。人の家内も其通で、気の短いも、長いも、偏屈も理屈者も皆人用じや。しかし、ひとつメ括がないと、其の色々でかへつて治まらぬ」  何事も自己中心に考へる我々の心はまことにあさましいものであります。それ故に、これを悪心として排斥せられるのでありますが、この悪心に対して善心とし挙げられて居るものもあります。  善心とせられるのに十一ほどありますが、その中に無貪と申して萬の事を貪ることのない心、無瞋と申して心に叩はぬことや、我に背く人があつても少しも怒らぬ慈心、それから無痴と申して、萬の事に明かにして物の理に愚なることのない心などがあります。それ故に、我々人間は常に自分の心を省みて、これを折伏せねばならぬと釈尊が説かれたのであります。悪るい煩悩の心と、それに対する善い心があるのでありますから、悪るい心に対してそれを抑へつける心がなくてはならぬのであります。さうして、釈尊が瞋恚の心を静めるために説かれたものは忍辱の法であります。「法句経」に  「恚を捨て慢を離れ、諸の愛貪を避け、名色に著せず、無為苦を滅し、恚を能く自制すること奔車を止むるが如くす。是を善御と為す。冥を捨て明に入り、忍辱恚に勝ち、善く不善に勝つ。勝者能く施し、至誠欺に勝る」と、忍辱の大切なることが説いてあります。  羅?羅  釈尊がそのむかし給孤独園に居られましたときに、舎利弗は羅?羅を伴なひ、城内に托鉢して食物を求めてあるきました。ところが経薄な悪るい人がありまして、二人を見て砂を取つて舍利弗の鉢の中に投げ入れ、羅?羅の首を打つたので血が出ました。此のとき舍利弗が羅?羅に語つて曰ふのに「仏弟子となつた以上は、慎しむで毒をふくむといふことをしてはいかぬ、ただ慈悲ある心をもつて一切衆生をあはれみ傷むやうにしなくてはならぬ、世尊は常にのたまふ、忍ぶといふことが最も快いことである、唯智慧のあるもののみが能く経戒を聴いて、実行して終身あやまらぬ。自分は自から心を摂し、忍ぶといふことは誠に尊い寶であると思ふ。愚かな人が悪るいことをして戒を保つてゐる清浄な沙門に向ふことは、猶ほ炬を持つて風に逆つて行くやうなものである。それは狂愚のもののすることであつて、之を捨てなければ、必ず自分で自分の身を焼くことになるであらう。仏弟子たるものは常に心を伏すべきである。天神帝王はまことに力が強いと言ふが、悪を忍ぶ力が無上であるには及ばない」と釈尊の教をば反復して羅?羅に対して説きました。さうすると羅?羅は「自分は痛いが怪我をさせた人間を悩む心なく、たださういふ人間が長らく苦しみの世界に迷つて居ることをあはれむだけである。この人は悪るいと言つても、自分はどうしてこれを憎まうか、仏は自分に大慈を教へ玉ふた」と答へました。さうして二人で帰つて世尊の前にゆき、舎利弗がそのことを詳しく申上げた。釈尊はそれを聞いて言はれるのに「忍ぶといふことの明るさは日月に喩ぶべきものだ、象の力はまことに劇しいが、忍耐の力に比べれば萬が一にも及ばぬ。忍ぶといふことは安宅だ。そこには災難、変化を生じないから、忍ぶといふことは大きな舟である、それで難儀な海を渡ることが出来る、忍ぶといふことは良薬である、それで多くの人の命をすくふことが出来る」と釈尊は申されました。瞋恚の心を静めることは忍辱の心でなくては出来ないといふことを懇々として説明せられたのであります。かういふ釈尊の教訓が本となつてだんだんとその説明がそれに加はりまして、それを実行するにつきて種々の行をすることがはじまりましてから、遂に観心といふことが説かれるやうになつたのであります。  観心  観心といふのは自分の心を観ることで、「摂大乗論」といふ書物には五つほど心の観方が挙げてあります。その心を観ることにより、瞋恚の心のはたらきがなくなつてしまふのであるから、自分の心を観て本当の道を求めなければならぬと説かれてあるのであります。  「一には一切衆生無始以来我に於て恩ありと観ず。   二には一切衆生は常に念々に減すと観ず。   三には唯法のみにして衆生あることなし、何ものか能損に損ぜらるるものあらんと観ず。   四には一切衆生皆自から苦を受く、云何して復たこれに加ふるに苦を以てせんと観ず。   五には一切衆生皆我子なり、云何して損害を生ずることを欲せんと観ず。」  右の如く、観心をつとめて心の相を明かにすると同時に、忍辱の法を修行してこれを実際にすることが大切であるとせられるのであります。それ故に観心と修行とが併びてやかましく説かれたのであります。  修行  「華厳経」に  「菩薩は常に能く忍耐の法を修め、謙卑《へりくだり》、恭敬《うやまひ》、顔を和らげ、自を害せず、他を害せず、自を挙げず、他を挙げず、自を讃歎せず、他を讃歎せず、菩薩は只此念をなせり。我当に常に法を説きて一切の悪を離れ、貪と瞋と痴と乱心と樫と嫉と諛曲とを断たしめ、大忍の法を以て安立せしめんと。菩薩は清浄なる忍法を成就せるを以て、たとひ衆生ありて悪声を出し、罵言して鄙しめ穢すとも、又各手に刀杖を執りて打ち破ぶるとも菩薩此念をなして恚らず、我若し苦に因りて恚の心を生じなば、自らを調伏せず、守護せず、明了ならず、寂靜ならず、真実ならず、何ぞ歎喜の心を起して解脱せしむることを得んやと。此の如く観ずるを菩薩無恚根の行と云ふ也」  これは心を観ずることと、忍耐の行を修めることにより瞋恚の心を静めるべきであると教へられて居るのであります。さういふ教を聴いて、それに対して銘々がその考へを深くして行くところに宗教の心といふものが起きて来るのであります。さうして宗教の心が起ることによりて、始めて本当に腹立つ心が減するのであります。忍辱の法を修めることによりて瞋恚の心がなくなるといふ教を聴いても、その教を聴いただけでは、宗教の心にはなり得ないことは明かであります。宗教の心というものは道徳と異なりて、窮屈でなく、腹立つ心が自から滅して来るのであります。前に申した誠心と修行とはかやうにして宗教の心をあらはすべき前提であります。心を観じ修行することによりて瞋恚の心が無くなるといふ教を聞いて、我々が強く感ずることは、我々の心はいかにも弱いいかにも悪るいといふことであります。さうして、さういふことを感ずることが出来るときに我々は当然、自分の心を頼みにすることが出来ぬやうになるのであります。我々が若し自分の心の弱いことを知り又その悪るいことを知れば、自分の計をすて、自分の心を虚しくして、謙虚の態度で人に接するのであります。さうすればどんな人に対しても同情が出来るのであります。又何人の心にも信順することが出来るのでありまして、それを仏教の言葉で柔和忍辱の心と申すのであります。  觸光柔軟  親鸞聖人が「教行信証」に、仏の本願を信じて、往生しやうといふ信心が定まると、現在に十種の利益を得ることを挙げて、その中に觸光柔軟の益と申して居られるのがありますが、それは仏の光に觸れて我々の心がやわらかになることを示されたのであります。さうして、さういふ心は我々人間の心ではないと感ぜられるので、それは仏の心があらはれたのであると考へられるのであります。仏の本願を信ずるといふことは、自分の心をはたらかしてかれこれと計らはないときに、そこにあらはれて来る心であります。「歎異抄」に  「信心定まりなば、往生は弥陀にはからはれまひらせてすることなれば、わが計らいなるべからず。わろからんにつけても、いよいよ願力を仰ぎまひらせば、自然のことはりにて柔和忍辱の心も出で来べし云々」  自分の計らひをやめて己を虚しくしたときに、そこに自から感ぜられることは、自分が大なるものにたすけられるといふことであります。それが仏の本願であります。一切のものを自分の国に生れしむる、真実の心の中に入れ込むといふ、さういふのが仏の本願でありますから、さういふ本願を聞いて、これを信ずれば、我々の心は柔和忍辱の心となるのであります。しかし又一方に人間はそんなに心が弱くては困る、自分の心を強くして行かねばならぬではないかといふ人がありませうが、人間が努力して自分の心を幾ら強くしても、それは自分のはからひをやめて、自分よりもつと大きな力にすがるほど強いことはないのであります。それ故に、我々の意志は宗教の心のはたらきによりて始めて確固不拔のものになるといふことを考へねばなりませぬ。道歌に   負けてのく人を弱しと思ふなよ       負ける力のあればなりけり  とありますやうに、自力のはからひによりて、無暗に勝たうとする力よりも、負けるべきに負ける力の方が強いものであるといふべきであります。  第六講 放逸懈怠  放逸と懈怠  煩悩とは、巳に前にも申したやうに、我々の心が目前の苦樂に迷い、貪欲・真実・愚癡の心をあらはして身心が悩まされるによりて名づけられるのでありますが、これに根本煩悩と隨煩悩との二種が区別せられるのであります。さうして、その根本煩悩と言はれるのは、貪、瞋、慢、癡(無明)、疑、不正見の六つでありまして、この根本煩悩に随伴してあらはれる随煩悩に二十種ほどあります。すなはち忿、恨、悩、覆、?、諂、驕、害、嫉、慳、無慚、無愧、不信、懈怠、放逸、?沈(重く沈み溺れたる心)、掉挙(動きて騒ぐ心)、失恋、不正知、心乱であります。このことは前に申しましたが、放逸と懈怠とはこの隨煩悩に属するものであります。「唯識論」には懈怠を説明して  「善と悪との品の修と断との事の中に於て、懶惰なるを性となす。能く精進を障へ、染を増すを業となす。所謂懈怠は増長染、故於諸染事、力而策勵、亦名懈怠」  と説いてあります。善を修め悪を断つといふことを、なまけてせぬのが懈怠と言はれるのでありますが、この心は精進といふはたらきを妨げて煩悩の心をだんだんと強くさせ悪るいことを増長するのであるから、善を修するに懶惰であるのみでなく、悪るいことを増長するやうなはたらきをも矢張懈怠とすべきであると説明がしてあるのであります。  心王  今、ここに懈怠につきてお話致すにつきて、先づ心王と心所といふことにつきて一言して置く必要があります。心王とは心の作用の本という意味から心王と名づけられるのでありまして、一切の事物の一般の相を認取する心のはたらきであります。巳に前にも申した通ほり、心の作用に八つの識が挙げられて居るので、すなはち眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、末那識、阿頼耶識を八識といふのであります。この中にて色を見る心、声を聞く心、香を嗅ぐ心、味ひを知る心、身に觸るるものを熱し冷し和らか虫しと知る心の五識は我々の身体のはたらきによるもので、心理学に言ふところの感覚及び観念に相当するものであります。この五識に次ぎて第六識を意識といふ。意識は身体にて受取つたものを判断する心で、すなはち心理学上にて言ふところの意識と同じものであります。この意識は見ざるものも、又聞かざるものも、思案するので、身体が働いてゐる限りあらはれるものでありますが、身体がなくなれば全く消えるものであります。身体が存在して居ても寝た間などは一時なくなるか又は弱くあらはれるものであります。麻酔薬を用ひた時も意識はなくなる、といふやうに、意識はあらはれるときもあり、あらはれぬときもあるのでありますが、しかし、末那識と阿頼耶識との二識は何時でも存するもので、末那識を第七識、阿頼耶識を第八識と言ふのであります。末那識といふのは前にも申したやうに心の底にありて、常に濁りて、我身我物と執りて他を区別する心であります。「凡夫の心の底常に濁りて我身我物といふ差別の執失せず、心の奥いつとなく酔へる如くなるはこの末那識のあるに由る」と説明せられて居るのであります阿頼耶識はその根本でありまして、前五識がそれで分るのでありますが、これが心王と言はれるのであります。  心所  この心王に家来のやうなものがあつて、色々のはたらきがあらはれるので、それを心所と申すのであります。これは心が持つて居る法といふことで、詳しくは心所有法といふのであります。これはつまり我々の心の全体を分析して言ふのでありまして、それは遍行と言つて全体にあらはれるものと、別境と言つて境界がちがふ度にあらはれるものとが区別せられるものであります。さうしてこれを細かに分けて、善い方が十一あります。それは信の心所(誠の法を見聞して貴とく、目出度ことと深く忍び願ひて澄み清き心)、精進の心所(善を修するに勇む)、懺の心所(自ら心に恥づ)、愧の心所(世間に恥づ)、無貪の心所(貪らず)、無瞋の心所(心にかなはぬこと我に背くことを怒らず)、無癡の心所(萬の事に明るく、物の理に愚ならず)、軽安の心所(身も心も安く覚ふ)、不放逸の心所(罪を防ぎ善を修す)、行拾の心所(心を平等正直ならしむ、不害の心所(物を愍みて損し悩まさず)、であります。この善の心所に対して起るところの濁つた心が煩悩で、貪萬の物を貪ぼる)(我に背くことなれば怒る)慢(我身を恃みて人を慢る)無明(癡)(萬の事物の理に闇き)疑(何事にもその理を思ひ定むる能はず)不正見(実の道理を知らず)の六つの大きな煩悩に小さい二十の煩悩がついて起ることは巳に前に申したやうに、忿(腹を立て人を打たむほどに怒る)恨(人を恨む)悩(人を恨むによりて僻み戻る)覆(罪を作るを覆くす)、?(謀を回らして矯しく偽る)諂(人の心を取り或は我過を蔵す)驕(をごり高ぶる)害(人を哀れむ心なく無情なる)、嫉(人の榮えるを深く嫉ましく思ふ)樫(財寶に耽著して人に施す心なし)無慚(身に法にも恥ぢす)無愧(世間の見聞に恥ぢず)不信(貴きことを見聞する忍願の心なし)懈怠(善事に懈り懶き心)放逸(恣に罪を造る)?沈(重く沈み溺れたる心)掉挙(動き騒しき心)失念(取はずして物を忘る)不正知(知るべき事を誤つて解す)心乱(心を散し乱す)であります。かういふやうに心所有法を分けてありまして、懈怠はすなはちこの随煩悩の一とつであることは前に言つた通ほりであります。善い方の心所に信といふものがありますが、それはまことの法を見たり開いたりして尤もだと自分で考へ、さうしてそれをすることを願ふのでありますが、この信の反対が不信であります。不信があれば必ず懈怠はこれにつきてあらはれるのであります。  懶惰  釈尊が或時弟子定に向つて教へられた中に懶惰を戒められたことがありました。それは  「汝等は正しい道を修め、罪を除き、心を明るくして、諸の苦を免るるがよい」 といふことでありました。さういふ釈尊の教を聞きながら、一人の弟子は飽くまで食ふといふやうなことを樂しみとなし、部屋に入り戸をしめて寝てしまひ、夜も晝もなく過すうち、七日立たぬ中に病気になり、命も危くなつたので、釈尊はその弟子をあはれみて、その部屋に入つて、さとされたのであります。  「早く起きよ、汝は何故そんなに寝て居るのか、汚れた部屋にさういふ風にころがつて居ると田螺か子子のやうになつて仕舞ふぞ、田螺か子子のやうになつてしまへば、心に痛み悩みが起るであらう、少し考へて我儘を止めねばならぬ。さうして行くとだんだん心配もなくなつてゆくであらう」  かやうに釈尊は懇々と教へられたので、その弟子は始めて夢からさめたやうに大いに愧ぢ入つたといふことであります。  宿命を知る  そこで、釈尊はその弟子に向つて  「汝は自分の宿命を知つて居るか」  と尋ねられたのであります。さうすると、弟子はこれに答へて  「仏よ、罪に覆はれて居て何も知りませぬ」  釈尊はそれに対して  「汝は昔、仏に随ひて道を修めたが、欲を貪ぼりて我を忘れたので、命終りてじがばちに生れた。さうして転転と冥きから冥きに移つて、生れたり死んだりして、今再び仏の弟子になることが出来た。それでもつと、自分の宿縁を喜んで戒律を保つて行かねばならぬ」  と深切に訓戒せられたのであります。弟子は大いに驚き且つ懺悔して、それより勤めて修行するやうになつたと「阿含経」の中に書いてあるのであります。前の世にぢが蜂であつたかどうかは分りませぬが、曠功の昔から仏の許で修行したといふことは生生世世流転した間のことでありまして、必ずさうに違ひないと考へらるべきであります。それが今日尚ほかやうな愚かな心をもつて人間の世界にうろうろして居ることを考へれば、自分の過去を欺かなくてはならぬ。又今日幸にして人間に生れたる宿縁を喜ばねばならぬ。從つて自から戒めて、精進努力せねばならぬことであります。  三重樓  「百喩経」の中に次のやうな話が載せてあります。  「富んで愚なるものあり。余の富豪の家に至りて三重樓を見るに、高広厳麗なり。心に渇仰を生じて、自から思ふ。我に財錢あること彼れに減ぜす。いかで急速にかかる樓を造らざらむ。すなはち木匠を呼びて問ふ。汝彼の家の如き端殿の桜を造る法を解するや否や。答ふ。これ我が造りし所と。すなはち告ぐ。今我が為に樓を造ること、彼れが如くなれと。爾時、木匠すなはち地を経して骨壇を造る。愚人これを見て了知すること能はずして問ふ。何を造らむとするぞ。木匠答ふ。三重の樓を造らむとするのみ。復た言ふ。我れ下の二重の屋を欲せず、ただ我が為に最上樓のみを造るべし。答ふ。この事あるべきなし。最下重の屋を作らずして、何ぞ第二重の屋を作ることを得む。第二を造らずして何ぞ第三重の樓を造ることを得む。愚人固く言ふ。我れ今下の二重屋を用ひず。必ず我が為に最上のもののみを造るべし。時人これを聞きて怪しみ笑ひきとなん。仏以て喩と為したまひぬ。人の精勤修行する能はず、懶惰懈怠にして、道果をのみ求めむとするはまた実に此の如し」  人々が精進努力して、道を修むることを為さず、懈怠にして何事をもせずしてぐづぐづ暮しながら、しかも善い結果を将来に求めんとするのは、この喩話と同じことであります。ただ三階のみが要るとしてそれには一階二階を造らねばなりませぬ。懈怠の心をやめることなく日日のらりくらりと暮して居つて、無上の涅槃を得やうとしても、それは出来ることではないと示されたのであります。  懈怠の賊  「智度論」の中に  「一切の諸の賊の中、懈怠の賊に過ぎたることなし」  とあります。懈怠は道心を賊するの甚しきものでありますから、かう言はれるのであります。「菩薩本行経」に、 「仏言く、夫れ懈怠は衆くの行の累なり。家にありて懈怠なれば衣食も供はらず、産業も挙らず。出家して懈怠なれば生死の苦を出離すること能はず。一切の事は皆、精進によりて興る、云々」  日常の生活にありて懈怠はその業を広くするものではありませぬ。まして生死の流を断ちて涅槃の安樂に至らむには精進努力しなければならぬことは言ふまでもないことであります。  釈尊の遺訓  釈尊が八十歳の高齢で死なれます前に、弟子に向つて説かれましたことは澤山ありますが、それは主に懈怠を戒められたものでありました。  「比丘等よ、男でも女でも、家に住むものでも、出家したものでも、常に省みねばならぬ五つの事がある。私は老いて行く身であり、老を超ゆることは出来ぬ。私は病むべき身であり、病を超ゆることは出来ぬ。私は死にゆく身であり、死を超ゆることは出来ぬ。私の愛するもの好むものは、皆転変無常である。私は私の業の相続者である、私の積むだ業の相続をせねばならぬ。比丘等よ、人は誰しも青春の時には青春の驕りがあり、この驕に狂はされて身口意に悪をなすものである、老を超ゆることの出来ぬことを省みることによりてこの驕を滅するか少くすることが出来る。  比丘等よ、人は誰しも健康の時には健康の驕がある、この驕に狂はされて身口意に悪をなすものである、病を超ゆることの出来ぬことを省みることにより、この驕を減するか少くすることが出来る。 比丘等よ、人は誰しも生きて居る時には、何時までも死なぬものと思ふて生存の驕を持ち、この驕に狂はされて身口意に悪をなすものである。死に行く身なることを省みて、この驕を滅するか少くすることが出来る。  比丘等よ、愛するもの心好きものには貪欲が起る、この貪欲に狂はされて身口意に悪をなすものである。すべては無常転変を免れぬことを省みて、この貪欲を滅するか又は少くすることが出来る。 比丘等よ、人には誰も身口意の三悪がある、自分がその悪業の相続者なることを省みて、その悪業を滅すか、少くすることが出来る。すべての衆生は、その業の相続者である、しばしば省察すればこれに依りて道があらはれ、しばしば道を修めて行ずれば煩悩をなくすることが出来る。」  かやうに釈尊は門人等に対してその心の懈怠を戒めて深切に教訓せられたのであります。まことに尤な事でありまして、懈怠に対して精進といふことが六度の中の主な事に数へられて居るのであります。  小語大笑  釈尊が祇園精舎に居られたときに、遠国の婆羅門が七人ほど釈尊の処に来りて申すやう「我等遠人、聖化を耳にすること久しかりしも、諸の碍りがありて今日まで語ることが出来なかつたが、今ここに来りて尊顔を拝することが出来ました。願はくは甘露の法を聞きて衆の苦を滅することを得む」と。釈尊はすなはちその七人のものを共に一房に宿せしめられました。ところが七人のものは房中にありて世事を思惟し、小語大笑、恣意放逸、命が日に尽くるのを計らずといふ有様であつた。その時、釈尊はその房中に至りて告げて曰く「一切の衆生は自から五事を憑む。曰く年少、曰く端正、曰く力勢、曰く才器、曰く貴族。お前達は何を恃みて以て此の如きぞ」とすなはち次の偈を説かれたのであります。  「何をか喜び、何をか笑ふ。命は常に熾燃し、幽冥深く蔽ふ。燈を求むるに如かず」  七人の婆羅門はこれを聞きて、意が解、仏前に於て道を得たといふことであります。  放逸の過  愚者は放逸を樂しみ、常に諸の苦悩を受くるのであります。若し放逸を離るれば安樂が得られるのであります。一切の苦悩は放逸をもととするものでありますから、苦悩から離れやうとするならば放逸を捨てなければならぬ。釈尊は放逸を以て涅槃に赴むく道にあらずとして十三の過を挙げて居られるのであります。一には樂しみて世の不善業を為す。二には樂しみて無益の言を説く。三には樂しみて久しく睡眠す。四には樂しみて世事を説く。五には樂しみて悪友に親近し、六には常に懈怠悩惰である。七には常に他人に軽んぜらる。八には聞くことありといへども□いで忘れる。九には樂しみて辺地に慮す。十には諸根を調伏すること能はず。十一には食の足ることを知らず。十二には空寂を樂しまず。十三には所見正しからず。この十三過があるので、放逸の人はたとひ仏に近づくとしても、なほ互に相離れたるものとせねばなりませぬ。  不信  此の如き懈怠の心は不信の心に併びて起きて来るのでありますから、先づ不信の心のことにつきて考へねばならぬのであります。不信といふことは早く申せば信じないといふことでありまして、信じないといふことは心が澄まず静でないといふことであります。心が澄みて静になり、仏の法を聞きて、それを忍許し、信樂して、どうかその通ほりにしやうといふ欲を起して進むことが信であります。その信の心があらはれぬので懈怠の心が起きて来るのであります。真実の道理を知りてなるほどと考へ、深くこれを愛樂することが信でありますから、早く言へば因果の法則を信じて行くことがそれであります。堅く真実の道理を信じて、三寶を愛し、因果の法則は尊いものであると知つて修行し、その結果を希望するところの心の相は澄浄の心であります。かういふ信の心がないために懈怠の心が起るのであります。懈怠の心は固より悪るいことをやめることと善いことをすることに懶惰であるのでありますが、その悪るいことをだんだんと増長することもまた懈怠であります。  懈慢界  かやうな懈怠の心が果してどういふ所に到るのであるか、善いことをすることが大儀であり、悪いことをやめる志がなく、却つて悪るいことを増長するものが行き著くところは懈慢界であるとせられるのであります。懈慢界は極樂浄土の辺部でありますから、一に懈慢辺地ともいふのであります。この懈慢界では仏・法・僧の三寶を見開することが出来ませぬ。極樂の辺部にあるところで、懈慢の心に満ち、善いことをせず、悪るいことを止めず、ただぐづりぐづりと生活して居る間にますます悪事を増長するのでありますから、懈慢界を造り上げるのであります。さうして、その懈慢界には、仏もなく法もなく僧もなく、我執を主とする煩悩から離れることは容易でありません。  自覚  かやうな次第で、懈怠といふのは、要するに、自分の心を自覚しないためにあらはれるものであります。自分が愚悪のものであるといふことを自覚することが出来ぬために、夢中で生活致して居るのでありますから、煩悩の世界を出でて涅槃の世界へと進まうとする精進の心が起らぬのであります。若し自分の相をよく見て、感悪如何ともすべからざる相を十分によく見れば、内観の上に深く感ぜられるところの阿弥陀仏の本願に頼らなければならぬ筈であります。こうして阿弥陀仏の本願を信じて念仏まうすものが浄土に行くことが出来るのであります。若しその阿弥陀仏の本願を信じないものでも、尚ほ仏の慈悲によりて浄土の辺地に行くことが出来るといふことが「菩薩所経」に出て居るのであります。親鸞聖人はそれを引いて、懈慢辺地に往生して後に、そこでだんだん修行して自覚が出来たならば、その辺地から進みて真実の報土に行くことが出来ると説明して居られるのであります。これを要するに、内観が足らず、自分の愚悪の相を知ることが出来ぬことから懈怠の心があらはれるのであります。普通の意味から言へば、すべきことをせぬことが懈怠でありますが、宗教の意味より言へばすべきことをせぬだけでなしに、自分が愚悪であるといふことを知らず、自分の小さき智慧を振廻して、自分の力で涅槃のさとりをひらかうといふやうな自覚の足らぬことも同じく懈怠であります。さういふ人の行くところが懈慢界であります。  懺悔と懈怠  此の如くに、懈怠は不信の心に本づき、自覚の不十分に出ることでありますから、我々は常に懺悔して懈怠の心を戒めねばなりませぬ。称名寺の住職の某が香樹院講師に対して  「これまで私の心持では、自分は毎日毎日我儘で、不孝な生活をして仏祖に対してまことに恐れ多いことであつたことをも省みず、仏の御心に叶はなかつたと考へてゐるほどであるのに、かやうなものでも弥陀の大悲でおたすけになると聞いた以上は、今より後、家内、門徒へもよく聞かせて、御法義相続を致したい心であります」  と申上げたところが、香樹院講師の仰せに  「火に水をかけると、消ゆれども、また燃える、邪見不法の火を御化導で消して貰ふたと思ふても又如何なることになるやら知れぬ。これよりは家内門徒に懺悔して行届かぬところは気をつけて呉れよと頼むべし。我心任せにして置けば誤がある。家内門徒は道連れ、手を引く如くにすべし」  この香樹院講師の言葉の中に、我々の心の懈怠を戒められたる意味がよくあらはれて居るのであります。「私はこれまで御法議を伺つてまことに有難く感じました」といふの言の中には懈怠の心があらはれて居るのでありませう。それは自分の心を偉くして御法義がわかつたといふのでありまして、御法義はわかつたが、思ふ通ほりに実行が出来ぬと言ふのであります。おたすけを蒙むるとはまことに有難いことである、これも法のお蔭であると言つて、しかもそれに順從せぬところに懈怠といはねばならぬ心があるといふことは自覚せぬのであります。仏の本願は自分の愚悪を自覚せよ、自覚すれば必ずたすけて浄土に生れしめるとあります。たとひ治してもらはうと思つても罪悪は又すぐに出るものでありますから致方がありませぬ。それ故に宗門門徒に行届かぬところは気をつけてくれと頼むところに、懈怠を戒むる心があるのでありませう。  永観律師  永観律師はもと三論宗の人でありますが、だんだんと浄土教に入られまして、京都に永観堂を建てて念仏を行とせられたのであります。それからそこに安置して居られた木像が、日々おやつれなされたので、永観律師は不思議に思ひ、毎夜祈念されました。ところが、七日目に尊い僧侶が一人枕の許に參られ、永観律師に関して言はれるやうは、  「汝常に念仏懈怠なる故に、御木像も歎きなさるるほどに早く信心決定し、念仏申して御木像を養ひ申せ」  と言ひつつその僧は何方へともなく去り玉ふたので、永概律師は非常に驚かれまして、それから、心底を改めて常に念仏をつとめられたといふことが伝へられて居るのであります。これは無論一條の寓話でありませうが、懈怠の心を戒めるといふことがその主旨であることと思はれます。  三種の天使  「長阿含経」を始めとして数種の御経の中に三種の天使の話が出て居ります。その話は人々の放逸懈怠を戒めたるものであります。すこし長い話でありますがその大要を次に掲げませう。  「世に三種の天使あり。何等を三と為す。老と病と死と、これなり。人もし放逸にして天使の教示呵責を悟らず、身口意の悪行を行ぜば、身壊れ命終りて地獄の中に堕せん」  年が老ゆるのと、病気に罹るのと、死ねることの三つは、我々人間に対して懈怠を戒めるところの天使であります。しかるにそれを悟らず、その教示に背きて懈怠の生活を止めなければ身がやぶれて命が終るときに地獄に堕つると説かれるのであります。地獄に堕ちたるときに閻魔王は必ずこれを責めるでありませう。  「その時に閻魔王告ぐ、汝若し人間にありしとき、第一の天使、よく汝を教示し、よく汝を呵責せり、汝豈かの天使の出現を見ざりしか。答へて曰く、我実に見ず。閻魔王復た更に告ぐ、汝若し世に在りし時、婦女にあれ、丈夫にあれ、衰老の相現はれ、歯欠け、髪白く、皮膚絞皺し、鷹子遍満し、背曲がりて傷僂、歩むに跛寔、頸皮緩くして牛咽の垂るるが如く、唇口乾き、喉舌澁り、身体屈折して気力綿の如く、喘息の声挽鋸の如く、倒れんとして僅に杖に依りて行くを見ざりしか。曰く、我これを見たり。王復た更に告ぐ、汝愚癡の人智慧あることなし。汝昔既にかくの如き相貌を見れば、いかでか此の如き思念を作さざりしぞ。今我が身も亦この法あり。この事あり。我も亦かかる法を離れず。かかる老法を具有す。我れ今当さに身口意に微妙の善業を作り、長夜の利益、安樂の報を得べしと。曰く、我が心縦蕩にして、我が行放逸なりしを以ての故に、我れ実に此の如き思念を作さざりき」  まことに、我々が此世に生活して、だんだんと年を取るといふことは、我々の心の懈怠を戒むる第一の天使であります。天地は萬古あるも此身は再び得難きものでありますが、幸に生を此世にうけても、僅に六七十年の夢の間であります。日々務めて怠ることのなきやうにと心をかけねばならぬことであります。瞬く間に年を取りてますます老境へと進むことを見れば、深く戒慎せねばならぬことでありませう。  それから又次の通ほりの話が掲げてあります。  「王復た告げて曰く、汝世にありし時、第二の天使を見ざりしか。婦女の身にあれ、丈夫の体にあれ、四大(地・水・火・風)の和合にして、一旦乖違せば忽ち病苦に侵され、疆綿困篤して、或は小躰に臥し、或は大躰に臥し、自己の糞尿、身を穢せどもその中に縛転して自在を得ず。眠臥、起坐、人の扶助を仰ぎ、洗拭、飲食、一切人に待つ。汝これを見ざさりしか。曰く実にこれを見たり。王更に告ぐ、汝世に在り、人身を作せるとき豈又第三の天使の出現を見ざらんや。若は婦女、若は丈夫、命終りて躰上に置くとき、白色の衣を以てこれを覆ひ、聚落を出でんとするとき、帳を周らし、蓋を設け、種々に荘厳し、眷属囲繞し、哭泣哀慟、酸哽楚切なるを、汝悉く見ざりしか。曰く我れ実にこれを見たり。王告ぐ、汝癡人よ、これを見て、いかで善業を作りてこれを免れんとせざりしぞ。汝実にこの思想を為さず。放逸懈怠にして、身に口に意に、善業を作さず。いかで能く長夜の利益安穩の報を得んや。汝がこの悪業はこれ父母の為せるにもあらず、兄弟の為せるにあらず、姉妹の為せるにもあらず、王にもあらず、天にもあらず、亦先人の所作にもあらず、出家沙門の所造にもあらずして、これ汝の自作なり。既に汝自からこの悪業を為せり。故に亦この果報汝自からこれを受けざるべからず」  病気に罹るといふことと、死するといふことは、天使として我々に向つてその懈怠を戒むるものでありますが、これを見ながら何とも思はず、懈怠の心に鞭ちてこれを勵ますことをせず、従つて道を修むることに精進せざることは、まことに愚の主であるとはねばならぬのであります。  第七講 克己復禮  仁  「論語」の顛淵篇に次のやうなことが書いてあります。それは顛淵が孔子に対して仁といふことを問ふたのに対しての説明であります。 「顛淵仁を問ふ。子の曰く、己に克ちて禮を復《ふ》むを仁と為す。一日己に克ちて禮を復めば天下仁に帰す。仁を為すは己に由りて人に由らむや」  顛淵は、孔子の弟子の秀でたるものが七十二人ほどあつた中で、一二といはれた人でありますが、その顛淵が孔子に向つて「仁といふことはどういふことでありますか」と、仁といふことの意味を問ふたのであります。それに対して孔子は「己に克ちて禮を復むを仁となす」と答へられたのであります。一体、この仁と言ふことは支那の言葉では人といふことでありまして、現に「中庸」には「仁は人なり」と説明してあります。人とは人の身を指して言ふのでありますが、元来、儒教の説では、人間といふものは天地生生の心を受けて生れたもので、その身にはこの生生の理を具へて居るのであります。仁とはその生生の理を指して言ふものであります。「孟子」には「仁は人の心なり」と説明してありますが、これも意味は同じことで、天より賦典せられたる本心を描いていふのであります。言葉を換へて言へばこの本心の全徳がすなはち仁であります。晝から夜を生み、夜から晝を生み、春から夏、夏から秋と、だんだんと生じて来る。この生生の理で世の中は行はれて居るのでありますが、人間もさういふ生生の理をもつて生れて来たのでありますから、その心は生生の理に外ならぬのであります。「仁は人なり」とか「仁は人の心なり」とかといふのはこの理由に本づくものでありまして、その生生の理は一切のものを愛する心であります。さうして、この心は世の中のすべてを結合するものであります。それがすなはち仁といはれるものであります。  禮  仁といふことの意味は、大体かやうでありますが、それは要するに、人類全体を結合するところの愛のはたらきであります。さうして、この愛の中にて一番重いものは自分を生むで呉れた親を愛することであります。この親を愛することから始めて人類全体を結合するのでありますが、それには固より各自の立場に応じて正しき行をせねばならぬのであります。偏つた行や、その立場に相当せぬ行は正しきものでなく、宜しきにかなはぬものであります。それ故に我々人間は、一番大切な自分を世の中に出して呉れた父母を愛することから始まりて、他の血族に及び、血縁の親疎によりて取扱の差異が出来るのであるが、それが秩序であります。さうしてこの秩序にかなつた作法を禮といふのであります。早く言へば我々人間の行が禮に合ふことがすなはち仁を行ふことであります。  天の命  此の如くにして儒教では天を知ることが大切であるとせられるのでありますが、天を知るといふことは宇宙の理法を知ることであります。宇宙の理法を知りてそれに対して敬虔の念を篤くせねばならぬとするのであります。天を知るときは我々人間の本性として具はつて居る良心が天の命であり、これに背くことが出来ぬことがわかるのであります。我々の心の中に人の命をそなへて居ることがわかれば、自分を生んで自分を養ひ、自分を教へてこの天の命を伝へた父母を大切にせねばならぬことがわかるのであります。さうしてかやうに雨親を愛して大切にするといふことは、結局自分の中にある良心を大切に愛護することでありますが、自分の中にある良心を愛するときは自分の行は他にかなふやうになるのであります。孔子が「己に克ち禮を復むのが仁である」と説明せられたのは全くこの意味に外ないのであります。  克己  己に克といふは身勝手をする私の心に克ちてそれを消すのであります。己とは身勝手をする私の心であります。克つといふは火が木に克ち水が火に克つといふやうに、さつぱりと消えてしまふのであります。私の心が消えて本性の良心のみがあらはるれば、それは愛する心のみでありますから、君に向つては忠となり、親に対しては孝となり、夫に対しては貞となり、兄弟に対しては序があり、朋友に対しては信となつて、すべてのものと和合することが出来るのであります。もし己に克つことが出来ぬときは私の心があらはれて、人と我との間をへだてるのでありますから、不忠となり、不孝となり、兄弟喧嘩をなし、他人の交りに嘘のつき合ひになつて、種々の悪事が生ずるやうになるのであります。孔子が仁の解釈をして己に克つて禮を復むといはれるのは、身勝手な私の心をなくして、天地の法則によつて行ふやうになれば、それが禮を復むのでありますから、身勝手をやめて、天地自然の法則として人間が具へて居る本性に従つて行ふことが仁であると言はれるのであります。  私のない心  奥田頼杖の「心学道の話」にはこのことを噛み砕いて平易に説明してあります。それは次の通ほりであります。  「誰でも、ものの出来ることは好くが、毀ひ破ることは嫌ふが真実じや。どんな気のないお三どのでも、皿鉢か茶碗のやうなもの、ふと取落して破つた時は、はつと思ふに違ひはない。それなればこそ後で欠を拾ふてつないでみるのじやないか。ああおしい事をしたと悔む心があるからじや。さう見れば人は良心のを可愛がるが本性ゆる、そこで仁者人之心也の、仁者人也のといふたものじや。」  我々人間は天地自然の心をもととするとの考への上から言へば、その本性はものを愛するものであります。  「早くいへば萬事に私のない心の事じや、誰でもこの私といふ身勝手さへなけらねば、只かの可愛の心ばつかりゆゑ親に向へば孝となり、主人に向へば忠となり、夫にむかへば貞となり、兄弟の中は序、朋友の中は信実となつて、世界一面和合《なかよし》の樂しみ暮しが出来ますゆゑ阿仁者人之安宅也ともいふてある。又そこへ少しでも私の身勝手めが出かけると、たちまち人と我との間をへだつゆゑ、不忠も出来、不孝も出来、夫婦げんくわ、兄弟いさかひ、他人の交りは嘘のつきあひになつて、種々さまざまな悪事が発る。」  かやうに考へれば、仁とは私といふ身勝手のない心であります。身勝手さへなければすべてのものを愛する心で、すなはち世界一面に和合することが出来るのであります。  「元に此の我といふものは只当座の思惑で畢竟世界の影法師ぢやゆゑ、本心の光りに逢ふと、つひ消えて仕まふ。そのやうな脆夭《もろい》ものを年中相人《あいて》にして、泣いたりわめいたり仕て居るのは、恰ど黒犬めが、わが尻尾を噛ふ噛ふと、くるくる廻つて居ると同じ事で阿房な事の天上ぢや。   生るるも死ぬるもあつちまかせなり   あつち任せじやあつち任せじや   見るも聞くもいふも動くも何もかも   為《せう》ことなしにあつち任せじや」  この道歌の意味は身勝手の私の心をやめれば、後には一切を愛する心よりしかないといふのであります。  天理の節文  「心学道の話」には、その次につぎのやうに説いてあります。  「其心になりさへすれば、我と世界と一つになるゆゑ、親へは孝行、君へは忠、夏は帷子《かたびら》、冬は布子、来るごとくに心をもてば即《すぐ》に其身が活如来と萬事萬端むかふまま、其節々に合ふゆゑ、其処をさして禮に復るとあふせられた。禮は天理の節文といふて自然に出来る節《ほど》よい文じや、桃には桃色のかざりがあり、櫻にはさくら色のかざりがあり、牡丹でも、桔梗でも、朝顔でも、水仙でも、皆それぞれの花の仕立、自然に節《ほど》よい文がある。人の行ひも恰どそのとほりじや。」  我々があるべきやうにさへあればそれがすなはち禮であります。その禮の行ひをするのを仁といふのであります。  あるべきやう  明恵上人の遺訓に「あるべきやうは」といふことがあります。  「我は後生たすからむとは申さず、唯現世にてあるべきやうにてあらむとは申すなり、聖教の中に行ずべきやうに行じ、振舞ふべきやうに振舞へとこそ説き置かれたれ。現世にはとてもかくてもあれ、後生ばかりたすかれと説きたる聖教は無きなり、仏も戒を破て我を見るを何の益かあると説きたまへり、よりてあるべきやうはといふ七字を持つべし、是を持つて善とす、人のわろきはわざとわろきなり、過ちにわろきにあらず、悪事をなすものも、善をなすとは思はざれども、あるべきやうに背きてまげてこれをなす、この七字を心にかけて持たば敢て悲しきことあるべからず」  この明恵上人の遺訓の意味は、この世で身勝手な事のみをして、一とつも自分の行を改めないで、死んでから後生をたすかるといふやうなことはお経にはない、仏の教は戒を持ち道を修めて涅槃のさとりを開けとある。それには人々があるべきやうにあらねばならぬ。自分が天から受けた本性を生かして、自分勝手の私の心をあらはさぬやうにせねばならぬ。全体われわれが悪るいといふのはわざと悪るいので、悪るいことをしてそれをよいとは思つて居ないであるが、あるべきやうを守らぬから悪るいのであると言はれるのであります。「心学道の話」に  「士は士らしう農人は農人らしう商人は商人らしう出家は出家らしう俗は俗らしう男は男らしう女は女らしう何で此のらしうさへあれば、それが禮じや」  あるべきやうにありさへすれば、天の節文にかなつて居るのでありまして、さういふ人の心がすなはち仁であります。  自然の節  「心学道の話」の説明はなほ続いて居ります。  「誰でも朝寝するは悪い事ゆへ朝は目のあいたまま、くるりと起るがよいけれど、それじやといふて老人衆が七つまへから目のあくを其まま、くるりと起て傍の邪魔になるもかまはず戸障子を瓦堕々々させたり、はいふきをかちかちさすはそりや又わるい事じやゆへ、其時は起きたい所をじつとこらへて屈んで居るのが己に克つのじや、其やうに何でもその時その所の其の節々《ほどほど》に合《かな》はねばならぬ事ゆへ、爰に禮に復ると仰せられた、何と聖人の御辞は御深切なものじやないか、又女中がたなどは別してこらへ情のない物ゆへ爰をよう合点せにやならぬ、何ぞ内にいそぐ用事どもがあつて世話しい所へ不円人でも来ると、ええ悪い所へ人が見へたと心には思ふとも、その顔を仕てはならぬ。その時もやつぱりかの御吉例の御苔口で、おやおや是はよく入らつしやいました、まあまああれへ入つしやりませと随分にこやかにせにやならぬ。さふするとあちらからも笑顔つくつて、おほほほあまり御無沙汰をいたしますから、ちよと御見舞申ますおほほほといふと、こちらからも、それはまあまあ御親切に能く御たづね下さりましたおほほほ、こちらからは大きに御無沙汰をいたしますおほほほ、こりやおさんまあお茶を汲みやれおほほほ、あなた御多葉粉はおきらひかのおほほほ、はい私は下さりませぬ。おほほほ、それはお樂でござりますおほほほ、いやちとたべませばよろしうござりますてやおほほほ、おほほほと何の役にも立たぬ事じやが、其所がやつぱり自然の節文ぢや、其うへ何にも口を誉める事も、おほほらしい事もないやうなものやけれど、それがないと鈍気なものになる、人の来た時たがひにおほほなく天窓もかがめず、顔をまじまじ見合せて客の方から、おい来ましたといふと、こちらからは、そりや何事でいらつしやつた、いや何事でもござらぬが見まひに来ました、ふうさうかへ今日はこちらがゑらう世話しい、たばこども呑んで帰らつしやれ、いや私はたばこは嫌い。ふうそんなら呑ましやんた、時に帰ります、おふお帰りなされではどふも和といふものがないゆへ、丸い石で石垣つくやうに世界が隔々《へだへだ》になつて犬猫のつきあひのやうになる。そこで隔々にならぬやうに、にこにこや、おほほの和をもつて繋ぎ合すのじや。それが即ち天理の節文といふもので自然の飾りじやゆへ天地萬物一体の仁といふものになる、其仁徳には世界中の人が誰でも帰復せぬものはないゆへ、それで爰に一日己に克つて禮に復れば天下仁に帰すとあふせられた。」  かやうに平易に説明してありますが、その意味は「論語」に書いてある「顛淵仁を問ふ、子の曰く、己に克ちて機を復むを仁となす。一日、己に克ちて禮に復らば天下仁に帰す、仁を為すに己れに由りて人に由らんや」といはれたのと同じく、天地自然の節文にあふやうに行つていかなければならぬと説かれるのであります。天地自然の節文に合うとは、身勝手の和の心を消すことであります。仁をなすことは、己により、人によらぬのであります。  仁の細目  それから又顛淵は孔子に向つて仁をなすの細目を承りたいと願つたのであります。それに対して孔子は「禮に非ざれば観ること勿れ、禮に非ざれば聴くこと勿れ、禮に非ざれば言ふこと勿れ、禮に非ざれば動くこと勿れ」と答へられたのであります。その意味は得手勝手の私を出すことなく、観ることも、聴くことも、言いふことも、動くことも皆、禮に合ふやうにせねばならぬ。言葉を換へていへば、すべて天地自然の節文に叶ふやうな態度を取れといはれるのであります。天から受けた本性は自分勝手を離れたものでありますから、その自分勝手をはなれたそのものによりてすれば禮となり、禮が行に出づれば仁であります。仁といふのはすなはち一切の人々を愛してそれを結合する心であります。それは我々人間が真実に生きて行かうとする上には大切のものであります。  人の六情  「増一阿含経」に、釈尊が人の六情につきて説かれたことが載せてありますが、それは次の通ほりであります。眼に色を観るに、好きものがあり、醜きものがある。好きを見るときは喜び、悪しきを見るときは喜ばす。耳に声を聞くに好きものがあり、醜きものがある。好きを聞くときは喜び、好かざるを聞くときは喜ばす。鼻・舌・身・意の四根も亦これと同じである。これは六情の獣がその性行の互に異なりて行く所が同じやうでないものを、縄にて編縛するやうなものである。たとへば、私と犬と猿と鰻と蛇と鳥とこの六つの動物を取りて悉くこれを縛り一とつところへ繋ぎてこれを放つとき、六種の獣は各の性行が違つて居るから、犬の意中では村中に趣かむとし、狐の意中では塚間に趣かむとし、鰻は水の中に趣かんとし、猿は山林の間に趣かんとし、蛇は穴へ入らうとし、鳥は飛んで空中へ行からとするのである。又この六種の獣を一度に繋ぎて、東西南北、何れの方へも行くことが出来ぬやうにすれば、動転してもその処を離れることが出来ぬ。人の六情もその通ほりである。各々主とするところがありて其事が相違して居るから、それを一とつところへ繋いで置かなければならぬと説かれたのであります。これは、我々は身勝手のものであるから、それを一処に繋ぎて、たとひ動転してもその処から離れぬやうにせねばならぬと説かれたのであります。  意を防ぐ  釈尊在世の時、一人の道人が河辺の樹の下で道を学むで居りました。十二年の間、貪想が除かれず、心を走らせ意を散じてただ六欲を念ふて居りました。目には色を見、耳には声を聴き、鼻には香を嗅ぎ、口には味を感じ、身には物を觸れ、意に法を得むと思念して、身動き、意遊び、一日も安んじて息むことはなかつたのであります。釈尊はこの道人の済度すべきことを知り、道人が居るところへ往かれて共に樹の下に宿りたまふた。その時亀が河中より出で来りて樹の下に至りました。そこへ一定の水狗《かわせみ》が来り、飢えて食を求めてその亀を食はむとしました。亀はその頭や尾や四脚を縮めて甲の中に蔵したので水狗はこれを食ふことが出来ぬ。水狗が少しく遠ざかれば亀は又頭や足を出して歩行を始めた。水狗は如何ともすること能はず。亀は遂にその難をのがるることが出来た。道人はこれを見て、この亀には議命の鎧がある、水狗もその目的を達することが出来なかつたと言つた。釈尊はこれを聞きて言はれるやう「我念ふに世人はこの亀に如かず。無常を知らずして六情を恣ままにし、外魔便りを得、形壊れ、神去りて、生死端なく、五道に輪転し、苦悩百千であるが、これ皆、意の造るところにあらざるはない。よろしく自から勉め励みて滅度の安きを求むることをせよ」と。釈尊の教は、六情を滅すること亀の如くにせよ、意を防ぐこと城の如くにせよと勧められるのであります。  心を調ふ  かやうにして釈尊の教の精神は「心の師となることを願ひて心を師とすること勿れ」といふことにありました「此身の動作は皆心によりて起る。故に先づ心を調ふべし。身を苦しむること勿れ。身は木石の如く知るところなし。何が故に心に随ひて体を苦しむるや」ともありまして、心を調ふることが第一であると説かれて居るのであります。まことに我々の心は身勝手のものであるからその心に使はれてはならぬ。その心を使ふやうにせねばならぬと教へられるのであります。ところで、さういふ教を聞いても、我々にはさういふことがなかなか実行の出来難いものであります。己に克ちて禮を復むことは容易でありませぬ。明恵上人が言はれるやうに「唯現世にてあるべきやうにてあらむ」といふことも、我々には容易に出来ることではありません。六情を繋ぐことも、意を防ぐことも、心を調ふることも、それが大切であるといふことは理解せられるのでありますが、その通ほりにこれを実行することが容易でないのであります。  仏心の顕現  此の如く、孔子の言や、釈尊の教などを聞きて、我々が痛切に感ずることは、その教はまことに貴きものであるが、我々はこれを実行することが出来ぬといふことであります。ここに我々が更に感ずるところは、我々の心がいかにも薄弱にして何の役にも立たぬといふことであります。孔子が教へられるやうに、己に克ちて禮を復むことが出来ず、釈尊が誡められるやうに、六情を繋ぎ、意を防ぎ、心を調ふることが出来ず、又明恵上人のやうにただあるべきやうに生活することが容易でない。まことに心想羸劣《しんそうるいれつ》であると言はねばならぬのであります。かやうに内観して自分の心に何等の価値もないことが知られたときに、その心の上に感ぜられるものは仏心の願現であります。仏の心と言へばすぐに仏の形相が考へられ、それも人間に似たものが想はれるのでありますが、しかし我々が世際に感知するものは仏の心であります。「観無量壽経」に「仏身を見たてまつるものは仏心を見る、仏心とは大慈悲これなり」とあるやうに、我々が感ずるところのものは大慈悲の仏心であります。この大慈悲の仏心が我々の心の上に感ぜられたときには、我々は直ちに仏に接することが出来たのでありますが、その大慈悲が感ぜられるのは、言うまでもなく、大慈悲が当然あらはれる場合であります。それ故に、我々にして若し大慈悲があらはるべき場合を知るとき、それを知るといふことがすなはち仏の智慧のはたらきによるものであると感ぜられるのでありまして、それがすなはち仏心の顕現であると信ぜざるを得ぬのであります。  慈悲の生起  「優婆塞戒経」に、仏は、一切衆生の生死、苦悩の大海に沈没するを見て、すくはむと欲するがために慈悲を生ずることを説きたるところに、更に仏が慈悲を生起する一々の場合がくはしく挙げてありますが、それは次の通ほりであります。  一、衆生、邪路に迷ふも、示導するものが無いのを見る。  一、衆生、五欲の泥に臥して出づること能はざるも、猶ほ放逸するを見る。  一、衆生、常に財物妻子のために□縛せられて捨離すること能はざるを見る。  一、衆生、身と口と意とに不善の業を造り、多く苦果を受けて猶ほ樂著するを見る。  一、衆生、五欲を過求すること、渇して鹹水を飲むが如きを見る。  一、衆生、樂を欲求すると雖も樂因を造らず、苦を樂はずと雖も喜びて苦因を造り、天の樂を受けんと欲するも戒を具足せず。  一、衆生、我我所なきに於て我我所の想を生ずる。  一、衆生、生老死を畏れて、而かも更に生老死の業を造作する。  一、衆生、無明の闇に処《お》いて、智慧の燈明を燃すことを知らざるを見る。  一、衆生、煩悩の火の焼くところとなりて、而かも三味の定水を求むること能はざるを見る。  一、衆生、五欲の樂のために無益の悪を造るを見る。  一、衆生、五欲の苦を知るも之を求めて息まず、たとへば飢えたる者の毒飯を食ふが如きを見る。  一、衆生、仏の出世に値ひて、甘露の浄法を開くも、受持すること能はざるを見る。  一、衆生、邪悪の友を信じて終に善知識の教に從はず。  一、衆生、多く財寶あるも捨施すること能はざるを見る。  一、衆生の耕田、種作、商買、販売するを見るに一切皆苦なり。  一、衆生の父母、兄弟、妻子、奴婢、宗室、相愛念せざるを見る。  此の如く我々衆生が六情を繋ぐことが出来ず、又意を防ぎ、心を調ふることが出来ぬのを見て、仏は大慈悲を生じて我々に向はれるといはれるのであります。それ故に我々にして若しよく内観して上に挙ぐるが如き一々の場合に当面して、そのいかむと為し難きことを知れば、そこに大慈悲の仏心が加はつて居るということが感知せられるのであります。言葉を換へて言へば、我々の醜悪□劣の心が慈悲広大なる仏の心の中に包まれて、我々が真実に進むべき道がそれによりて照らされて居ることが知られるのであります。最も卑近なる事実を挙げて示せば、親はその子の善良ならむことを願ふものでありますから、若しその子が不良であるときには甚しく心配するものであります。それは親の心がその子の心を自分の中に摂取せねばならぬためでありまして、丁度日光がすべてのものを照し、これを育てて行くと同じやうでありますから、これを親の光明と名づけてもよいのであります。この光明がその子の心に感知せらるるときには、それを親の慈悲とすべきであります。それ故に、若しその子が自分の不良に気がつくときは、親が自分の不良のためにさぞ心配することであらうと思ふ。かやうにしてその子が内観して自分の不良を知るときに、親の慈悲を思ひ当ると同じやうに、我々が自分の醜悪□劣の心を内観するとき、そこに大慈悲の仏心が我々に加はつて居ることが感知せられるのであります。  第八講 聴聞  聞く  我々が聞くといふことは、いふまでもなく音響が耳にて受け取られることであります。しかしこの音響の耳に受け取られたその調子の如何で、或は不愉快のこともあるし、又愉快なこともあるのであります。又その内容の如何によりていろいろな心の状態があらはれて来るのでありまして、ただ音響の調子のやうに簡単ではありませぬ。音響が単に調子のみでなく、何か一とつの言葉となつて耳に這入りますと、その内容によりて、あらはれる心持がいろいろに相異するのであります。たとへば珍しいことには耳をそばだてて聞き、悪口であると腹が立つ、滑稽のことであれば可笑しくなる、くだらぬときには厭になる、悲しいことは涙が出るといふやうに、内容の種々なるに從ふて、その時に起る心の状態も複難であります。かやうに聞かれる物の如何によりて我々の心にあらはれる状態が種々である外に、聞く心の状態によりてそこにあらはれる心持が著しく相異するのであります。  聞く心  昔の妙好人の中には、仏の話なら耳をそば立てて聞くが、他人の噂や悪口などであれば耳をふさいで聞かぬといふ人もありました。それはその人の心の状態がさういふやうなことを聞く心がなかつたからであります。明恵上人は馬の足をあげよとて馬士があしあしと言ふたのを聞いて、阿字阿字と言つたものと聞いて、まことに貴いことであると感涙を流されたといふことであります。又大和の清九郎は鶯が鳴く声を聞いて法を聞けと受け取つたといふことであります。これ等はその人にさういふやうに聞くべき心を持つて居つたからであります。若しさういふやうに聞く心が内に無かつたならば、外の方に如何なる音響がありても、何が何やらさつぱり分らぬことでありませう。まことに「信火内にあれは行煙外に尽す」といふべきであります。  仏教では三慧といふことが説かれて居りますが、それは聞慧、思慧、修慧の三つでありまして、つまり智慧を三つに分けるのであります。聞慧とは経教を見聞することによつて智慧が出来ることをいふのでありまして、経文や善知識の教を聞くことによつて無漏の智慧が出来るといふのであります。思慧とは思惟によつて智慧が出来るので、経文又は善知識によりて得られたる法といふものを能く思惟するとき、無漏の智慧を得ることが出来るのであります。修慧は禅定を修することによりて智慧を生ずるといふのでありますが、それは法を聴いて、その法の意味を思惟する、さうすると、その法に随順せねばならぬ、これによりて無漏の智慧が得らるるのであます。この三慧の中にて聞慧と思慧とは散智と称せられて、修慧を起す縁となるもの、修慧は定智と称せられて正しく惑を断ち理を証るの用をなすものであるとせられるのであります。  聞慧  聞・思・修の三慧は此の如く仏道を修むる上に肝要のものでありますが、その中に就て、聞慧は惑を断ち理を証るために良好の縁となるものであります。 「最勝王経」に  「若しこの経典を聴聞することを得ば、哲阿澄多羅三貌三菩提を退せず」  「蓮如上人御一代記聞書」に  「時節到来といふこと、用心をもして、其上にて事の出来候を時節到来とはいふべし。無用心にて出来候を時節到来とは言はぬこと也。聴聞を心にかけての上の宿善、無宿善といふことなり。ただ信心は聞くにきはまれることなる由仰られ候。」  時節到来とは、時?到来とも言つて、予て用心して居たが計らず不時の事が出来したことを言ふのでありますが蓮如上人の時代に広く世に行はれた言葉と見えて、明恵上人の言葉の中にも時?到来といふことがあります。何事でも予て心掛けて置くことを用心といふのでありますが、予てその用心をして居つたところにその事が出来たことを時節到来といふのであります。たとへて言へば随分火の用心をして居つたが、それでも火事に遭つたのは時節到来でありますが、火の用心せずして火事が起つたときは時節到来とは言はぬとあります。それ故にかねて仏法を聴聞することに心をかけて、その上に時節到来して宿善の機があらはれて来るのでありますから、「信心は聞くにきはまる」といふのであります。  宿善  すべて物事は因縁によつてあらはれるので、因縁によりていろいろになるのであります。悪るい原因があれば悪るい結果があることは当然でありますから、  「大無量壽経」に  「天道は自然にして蹉跌することを得ず」 天の道は自然にして趣向するもので、ふみたがへるものではありませぬ。しかるに自然に趣向する因果道理を考へず、心を恣にして?逸の生活をするがためにこの世では法律の制裁を受け、未来は劇悪極苦に沈むのであります。「心は常に悪を念じ、口は常に悪を言ひ、身は常に悪を行ひ、曾て一善も無い」ものでありますから、苦しみの報を受くることを免れることは出来ません。それをば何事も因縁ぢや、時節到来ぢやと因縁ごかしにすることは宜しくないことであります。平日衛生のことに注意しないで病気に罹り、勉強しないで物が覚えられぬなどを時節到来と片づけるといふのは大きな誤であります。それと同じやうに、仏教で宿善、無宿善といふことがありますが、宿善とは過去の世に善いことをした結果、法を聞くやうになつたのをいうのであります。若しさうでなければこれを無宿善の機といふのであります。それ故に、宿善、無宿善といふことは何れも聴聞を心にかけての上でいふのでありまして、聴聞せずに宿善なしとは言はれぬと蓮如上人は説かれたのであります。いくたびもいくたびも聴開して、それでもなほ信心が得られなければ、宿善が無いといふべきであるが、少しも聴聞しないで無宿善というのはよくないと言はれるのであります。  宿縁  かやうに前の世に造つた善いことのためにこの世にて法を聴いて信心を得るのを宿善の機と説くのでありますがその宿善と併びて宿縁といふことが言はれるのであります。それは過ぎ去つた世に結んだ因縁のことをいうのであります。さうして、過去の世に結んだ因縁が善かつたために、今の世にて現に善い報を得て居るのであるといふときは、福は宿善であるとしてよいのであります。蓮如上人はこの言葉を顕る宗教的の意味に考へられて次のやうに言つて居らるるのであります。  「他宗には法にあひたるを宿縁といふ、当流には信をとることを宿善といふ、信心を得ること肝要なり」蓮如上人が言はれるのは、宿善とは信心をいただくことをいい、宿縁とは仏法にあふことをいふのであります。固より仏法に遭ふて信心をいただくのでありますから同じことのやうでありますが、宗教的に考へるといくら法に遇ふても信心を得なければ駄目であります。それ故に法に遇ふことは宿縁によるのでありましても、信心を得ることは宿善によるといはねばなりませぬ。そこで、「信を得ること肝要なり」と言はるるのであります。  宿善開発  かやうにして、信心を得るといふことは宿善が開発したことであります。信心を得ることは全く宿善によることでありますから有難いことと言はねばなりませぬ。でありますから、「蓮如上人御一代記聞書」に  「蓮如上人仰せられ候、宿善めでたしといふはわろし、御一流には宿善有り難しと申すがよく候由仰せられ候」  かういふ場合に宗教の心が蓮如上人にはつきり出て居るといふことが認められるのであります。善は善いことである、結構であるといふのは信心を得たことを喜ばぬもののことでありまして、若し信心を得たことを喜ぶものであれば、宿善有難しであります。全体、人間には宗教性といふものが誰人にもあるのでありますが、しかしながら、それはひとりでは起るものでなく、外から刺戟を受けて始めてはたらきをあらはすものであります。外から刺戟するものは種々ありまして、高僧の人格、態度その他にも刺戟となるものはありますが、中に就て最も著しいものは法を伝ふるところの言葉であります。この言葉を聞くことによりて宗教性が活動をあらはす、ここに感知せられるものを信心といふのであります。故に信心といふものは、法を聞くことによつて自分の心の中に在るところの宗教性があらはれて来たのに外ならぬのであります。それを宿善によるものとして宿善開発といふのであります。  聞法  此の如く、我々の宗教性が覚醒して宗教の心があらはれるのは外からの刺戟によることであるが、その刺戟の中にても法を聞くといふことが最も重要のものとせられるのであります。「涅槃経」にも「信心は聴法を因となす」とありまして、信心を得るには聞くことが大切であります。しかしながら聞くと言つて、蓮如上人の言はれるやうに耳馴れ雀では駄目であります。耳に馴れて何とも思はぬやうでは駄目であります。又籠耳でも駄目であります。左の耳から右の耳へぬけて少しも耳にとまらぬやうでは駄目であります。どうしても心を入れて聴聞せねばならぬのであります。  身を捨てる  法を聴聞するにつきて必要なることは身を捨てることであります。信心を得居る人を見てあのやうにならねばならぬと努力すべきであります。信心を得るには身を捨てて法を求むる心が強くなければならぬのであります。解脱上人の言に  「この身を捨てよ、この身を助けよ、いたづらに野外に捨てんよりは同じく仏道に捨てよ」  信心を得るためには自分が大切に考へて居るところの身体を捨てなくてはならぬ。この身を捨てなくては信心を得ることが出来ぬ。そこで解脱上人は「どうせ死ぬのであるから徒らに野外に捨てるよりは仏法に捨てよ」と言はれたのであります。身を捨てなくては仏法を聴聞することはなりませぬ。法を聴いて極樂に行かう。人を教へやうといふやうに、自分の身を大切にして居つては仏法を聴聞することは出来ぬと説かれたのであります。  機の低下  一蓮院秀存師が、晩年に同師に就て長く法を聴いて居た信次郎に対して話された中に  「我々聴聞の手の上らぬことぢやが、信次も上らぬことぢやのう、何時も同じことではならぬ。さて聴聞の手の上るといふは我機の低くなることじや」  機とはうつはの意味で法を受け取るものであります。自分が法に対する場合にて言へば機とは自分のことであります。この自分といふものが低く下らねば法を聴聞することの上手にはなれません。  無宿善  宿善がなければ信心が得られぬことは勿論でありますから、聴聞して信心が得られることは宿善のありがたさを覚えしむるものであります。しかるに聴聞しても信心が得られないならばそれは無宿善の機であります。蓮如上人の御文章に「無宿善の機は力及ばず」とありまして宿善のないものは如何とも致し方がないと就いて居られるのであります。一向法を聴かぬものが地獄に堕つるといふやうなことを無宿善といふのではなく、聞いても聞いても我々人間の心のあさましい相が分らぬ、危険なところに居てもそれが危険とわからず、悪をかさねて遂に地獄に堕つるものを無宿善の機といふのであります。しかしながら、法を心に入れて聞いてもなほ信心が得られないといふやうな無宿善の機は実際あるわけはありませぬ。それはよく聞かぬから信心が得られぬのであります。聞いたやうな風をして居るのみで実際は聞いて居ないのであります。自分をその儘にして置いて、しかもこれをよくしやうといふやうな道具に使ふのは真に聞いたのではありませぬ。  信心獲得  「蓮如上人御一代記聞書」に次のやうなことが記してあります。  「いたつてかたきは石なり、至てやはらかなるに水なり。水よく石を穿つ、心源若し徹しなば、菩提の覚道何事か成ぜざらんといへる古き詞あり」  「心源若し徹しなば」といふのは、心の源即ち本来自性の清浄心に徹底するときは菩提をさとることが出来るといふのでありまして、これは聖道門の見性成仏のことをいふのであります。蓮如上人はこの語を引いて、水のやうなやわらかなものでも堅い石を穿つことが出来る。いかに愚かなものでも心に入れて聞けば、仏の慈悲によりて信を得ることが出来ると、蓮如上人は言はれるのであります。本来解らぬために法が動くのであるから、努力していくたびもいくたびもよく心に入れて、心底から後生大事と思ふて仏法を聴聞すべきであります。さうすれば仏の慈悲の力が加はるから信心が得られるのであります。どのやうな無宿善といはるべきものでも、聴聞して信心を得たいと努力すれば信心が得られぬ筈はないと蓮如上人の説教であります。  「いかに不信なりとも聴聞を心に入れまうさば御影悲にて候間、信をうべき也、只仏法は聴聞にきはまるなりと云」  信心を獲得することは要するに自分の力によるのでなく、仏の慈悲に本づくものであると考ふるところに、宿善をありがたいと喜ばざるを得ぬのであります。  宿善遇速  しかしながら宿善が開発するのには遅いと早いとの別がありまして、すべての人に同じやうに宿善が開けるわけには行かぬのであります。  「陽気陰気とてあり、されば陽気をうる花は早く開く也、陰気とて、日陰の花は遅く咲く也、かやうに、宿善に遅速あり、されば巳、今、当の往生あり、弥陀の光明に遇ひて、早くひらくる人もあり、遅くひらくる人もあり、兎に角に、仏法に心を入れて聴聞申すべき也」  かやうに宿善が光明の縁に遇ふてあらはれることに遅速がありまして、実際に法を聞いてよくそれを呑みこむ人と、中々のみこめない人とあるのであります。さうすれば宿善が有つたとしてもその宿善に亦善い悪るいの二つがあるのでありますから、宿善が早く開けて信心を獲得することが出来るのは、まことに有難いことであると言はねばなりませぬ。  聞其名號  「大無量壽経」に説かれたるところに拠ると「阿弥陀如来の慈悲の力は一切衆生に聞かせずばおくまいとし、釈迦の慈悲の心は聞けよ聞けよと発道する」とあります。さうして「其の名號を聞く」「法を聞いて能く忘れず」「名を聞いて往生せんと欲す」「若し聞かば精進にして求めよ」などといふやうな言葉が処々に見えて居ります。これによりて深く考へると、聞くといふのは要するに法の不思議を聞くのでありまして、法の不思議は全く阿弥陀仏の名號を通ほして聞かれると説かれるのであります。名號とは言ふまでもなく南無阿弥陀仏でありまして、この名號は阿弥陀如来の大悲が一切衆生に聞かせねばならぬと叫むで居られるところの声であります。親が子を呼ぶ声であります。それ故に、正しくこの声を聞くことによりて信心が獲得せられ、親の心が深く感ぜられ、全くそれに信頼して喜びの情が起るのであります。「大無量壽経」に「その名號を聞いて信心歡喜す」とあるはこの意味を表はしたものであります。  厭足なし  聞くといふことが、かやうに、正しく法の不思議を聞くことである以上は、聞くことに厭き足るといふことがある筈はありませぬ。自分のために大切なる法の不思議を聞くことを厭ひ、一たび聞いた位でもはやこれで足るといふやうでは、決して法の不思議を聞くことは出来ぬと言はねばなりませぬ。「蓮如上人御一代記聞書の中に  「仏法に厭足なければ、法の不思議をきくといへり。前住上人仰せられ候、たとへば世上に、わがすきこのむことをば、知りても知りても猶よくしりたふ思ふに、人にとひ、幾度も数奇たる事をば聞ても聞てもよくききたく思ふ。仏法の事も、幾度聞ても、あかぬ事なり。しりてもしりても存じたき事なり。法義をば幾度も幾度も人にとひきはめ申すべき事なる由、仰せられ候」  すでに前にも一寸言つたやうに、法を聞くといふときには、我が機が低くなり、自分としては如何ともすることが出来ないことが十分にわからねばなりません。秀存師はそれを聴聞の手が上ると言つて居られるのであります。さうしてそれ故に仏法は聴聞にきはまると言はるるのであります。若しこれが学問の事であれば、一度聞いただけでもよく記憶してさへ居ればそれで十分であります。一とつことを二度も三度も繰返して聞く必要はありませぬ。しかしながら宗教の場合は決してさうでありませぬ。宗教の場合には聞くということは自分の心の中に存するところの宗教性を刺戟してこれを覚醒せしめるのでありますから、一とつことをいくたび聞いてもその度に新しいことを聞いたやうに思はれるのが本当であります。宗教の上にて法を聞くといふことは決してこれによりて新しき知識を得るためでなく、法を聞くことが内観の心をよび起さしむる因となることを主とするのであります。それ故に仏法には厭き足ることはない」と言はねばならぬ。  聞法三類  超然師の「里耳談」に馬の三種を挙げ、これに比して聞法の三類を示し、次のやうに説いてあります。  「古人、良馬は鞭影を見て行くといへり。その次なる馬は鞭れて行く。その下なるものは皮敗れ肉綻れても行くこと能はずとぞ。聞法の人、またこの三種あるべし。出離の志深きものはたまたま懈ても知識の教語を聞けばそのまま慚愧を生ず。その次のものは畢竟呵責の鞭を蒙つて僅に行く。最下のものは種々調伏すといへども行くことなし。我?は本願の大道を行く馬なり。善知識、矜哀の鞭策を受けて西方に進むべきなり。黒谷門下にも法力房の如きは一たび教導の鞭をあてられしより疾走して西方に往く人なるべし。東国に下向するに倒騎せしにても、其志思い遣らる。ああ我?、五欲の家にあり、幸に願生浄土の機となれり。何ぞ決定の足鈍くして歓喜の音いさまざる。生涯知識の鞭形を仰ぐべきことなかるべし」  まことに我々は駑馬《どば》にして、いくたび鞭たれてもなほ進むことを知らざるものであります。しかしながら、かやうな駑馬なればこそ、御者の鞭撻を蒙むることが極めて必要であります。厭き足るといふことなくいつも新しいことを聞く心にて、法を仰ぐことが大切であります。  聞法の障碍  しかるに、我々がすなほに仏法を聴聞することが出来ぬのは言うまでもなく智慧のはたらきによるのであります。支那の古人の語に「智は以て謀を拒ぐに足り、辨は以て非を飾るに足る」といふことがありますが、仏教にては我々の智慧を俗智といはれて居るやうに、実際に我々の俗智は自分の非をかざり、他人の諫を拒むためにはたらくのであります。これ全く驕慢の心によるものでありまして、智慧が浅く且つ邪であるがためにいささかの自分の智慧をたのみて、己れを高ぶり、人をおとしめ、傍若無人の言動をなすのであります。さうして、この驕慢の悪念が聞法の障碍となることの著しいものであります。これに反して実智なるものはよく自己の足らざることを辨へ、妄に言動を発せず、ただ自分の非を顧み、ひたすら人の善に倣はむとすることをつとめるのであります。かやうな謙敬の心こそ真に法を聞くことの出来るものであります。しかしながらこの驕慢の念は我々の心にありてはまことに根強いのでありまして、容易にこれを離るることは出来ないのであります。世に徳ある人か、或は自分よりよく心得たりと思ふ人の前にては頭を下げて謙敬にその教を聴きて居るやうでありて、その座が長くなればすなはち日を斜にして傍人の睡りに目をつけ、あのやうな心がけにてはと軽蔑する心が起るのであります。又我が身につけ、我が心につけ、悪るいことに気がつきて、慚愧の心が起りたるときにても、よくも自分が慚愧の心を起したりと思ふは、慚愧の引き続きに驕慢の心があらはれたのであります。釈尊が言はれるやうに我々の心は師とすべきものではありませぬ。兎角おのれが儘になり行く心を省みて、謙下して法を聞くことをつとむべきであります。  無漏の智慧  ある人が、香樹院師に尋ねていふやう  「どうも薄紙を隔てたやうな心持であります」 さうすると香樹院師の仰せに  「さうぢや、おれが身でもお前でも、薄紙どころぢやない、渋紙ほど厚い、それを破つて下さるのが御化導ぢや程に仏法は聴聞に極まる」  たとひ自分の心が悪るいと知つても、その悪るいと知つた心は自分の心でありますから、それを如何ともすることが出来ず、どうしても薄紙を隔てたといふやうな感じがするのでありませう。自分では自分の心をどうすることも出来ぬときに、法を聞いてそれを始末することが出来るのであります。それ故に「聴聞すれば所謂無漏の智慧といふものが出て来る」と説かれるのであります。無漏の智慧といふのは仏智不思議であります。香樹院師が或る人に対して言はれたことに「後生大事になると、念仏申す所までに行けるが、それから先へは中々容易に行かれぬ」とあります。自分の現在の身の相をかへりみて行先を考へて所謂後生大事となると念仏申すといふことは出来るが、しかしそれから先がいかぬと言はれるのであります。そこでそれを聞いたのが、それならどう致しましたらよろしうございませうかと尋ねたので、香樹院師が言はれるには「心にかけて聞き聞きすると、御慈悲からきつと聞きつけさせて下さるほどに」とありました。元来宗教といふ心のはたらきは自分の我執の心を離れることによつて起きるのでありますから、自分が考へて起きて来るのでないことは明らかであります。自分の心の中に自から起きて来る心が宗教であります。それ故に外からの刺戟に対して自分の心が動くことが大切であります。それ故に宗教の心を起さうとするには聞くことが肝要であるとせられるのであります。  聴聞の態度  法を聞くことの肝要は、かやうに述べたところで十分明かでありませうが、しかしその聴聞の態度も亦重要であります。これに関して蓮如上人は次のやうに言つて居られるのであります。  「とをきはちかき道理、ちかきは遠き道理あり。燈臺もとくらしとて、仏法を不断聴聞申す身は、御用を厚くかうふりていつものことと思ひ法義にをろそかなり。とをく候人は仏法をききたく、大切にもとむる心ありけり。仏法は大切にとむるより、きくものなり」  「一言一句を聴聞するとも、ただ得手に法を聞くなり。ただよくきき、心中のとほりを同行にあひ、談合すべきことなりと云々」  法は聞くことによりて感知せられるのであります。それ故に仏の慈悲によりて得られるものであると喜ばれるものであります。自分の智慧のはたらきをはたらかして得らるるものではありませぬ。不思議にも仏智を獲得することが出来るのでありますから、それが他力であるとますます仏の慈悲の心が貴く感ぜられるのであります。  「前々住上人、おどろかすかひこそなけれ村雀耳なれぬればなるこにぞのる、此歌を御引ありて折々仰られ候、ただ人は皆耳なれ雀なりと仰せられしと云云」  法を聞かむとする多くの人々が耳なれ雀では駄目であります。法を聞き慣れて、それを何とも思はぬやうに平気になつて居るのでは聞法は何の役にも立ちませぬ。地獄の上で花見をして居るやうに危険の状態でありながら法を聞いて驚くこともなく、それによりて心を戒むるやうなことはすこしも無いのでありますから、仏の慈悲は感ぜられぬのであります。まことに蓮如上人が言はれるやうに  「ひとつことを聞いて、いつもめづらしく初たるやうに信のうへにはあるべきなり、ただ珍しきことをききたく思ふなり、ひとつことを幾度聴聞申すともめづらしくはじめたるやうにあるべきなり」  前にも言つたやうに、これが学問上のことであれば、既に知りたることをば更に新しく聞くことの必要はありませぬ。しかし宗教の心は聞くことによりて更に新しく聞けるのでありますから、何時聞いても新しく珍しく始めて聞きたるやうに感ぜられるのであります。  第九講 知恩  現生の益  親鸞聖人は金剛の真心を獲得したものは必ず現生に十種の益を得るとして、その著の「教行信証」の中に、これを説明して居られるのであります。それはもと漢文でありますが、仮名書に延ばして挙ぐるときは左の通ほりであります。  「金剛の真心を獲得するものは横に五趣八難の道をこえ、かならず現生に十種の益を得。何ものをか十とする。一には冥衆護持の益。二には至徳具足の益。三には転悪成善の益。四には諸仏護念の益。五には諸仏称讃の益。六には心光常護の益。七には心多歓喜の益。八には知恩報徳の益。九には常行大悲の益。十には入正定聚の益なり」  今この中に就て、知恩報徳といふことにつきてお話を致さうと思ふのであります。金剛の真心を獲得するものといふのは、本願の念仏を申すものを指しているのであります。金剛の真心はすなはちまことの心でありまして、この真心が南無阿弥陀仏となつてあらはれるのであるから、念仏を申すは金剛の真心を獲得した状態であります言葉を換へて言へば自分の得手勝手な我儘な心をやめたときにそこに感知せられるものが金剛の真心であり、それがすなはち仏の心に外ならぬのであります。かやうにして念仏を申すというのはただ仏の名を称るのではなくして、自分の得手勝手なはからひの心をやめて、そこに感ずる仏の心をありがたく感謝する心から出て来る声であります。さういふ意味で念仏申するのであると、横に五趣八難の道を超えて、未来には必ず涅槃の結果を得るものであるが、現在の生活の上にも十種の利益があるといはれるのであります。  五趣八難  五趣といふのは、趣く所という意味で、道と同じことであります。それは地獄・餓鬼・畜生・人・天の五道を指しているのであります。八難とは正しい道を踏んで行くために妨げになるものが八つある。それは地獄に堕つること、畜生となること、餓鬼となること、外道を修むること、教化を受けざること、盲・聾・唖・躄であること、邪智あること、因縁の薄いこと。この八つのものは正道を妨ぐる障難であるが、金剛の真心を獲得したものにあつては、この五趣と八難とを超えて容易に進むことが出来て、未来に涅槃のさとりを開くことが出来るのみならず、現在の生活の間にあつて十種の利益が得られるのであります。  十種利益  十種の利益とは第一に冥衆護持の益で我々の目に見えぬ天神地祇が護持して下さるといはれるのであります。天神地祇は如来の化身、応身又は分身で、いろいろにその形を変へて居らるるから、念仏申して金剛の真心を獲たものを護つて下さるのであります。それからさういふ心の状態になると、自分では何とも知らないで、功徳がみちて居るので、これを第二のの至徳具足の益とするのであります。それから仏の威力で悪るいことを報じて善を成すやうになるのでありますから、第三の転悪成善の益があらはれるのであります。さういふ心はもろもろの仏が護つてその信心を退転せぬやうにせられるのであります、これを第四の諸仏護念の益とするのであります。さういふ人々をば仏が讃められる、それが第五の諸仏称讃の益であります。さういふ心は人々がその悪るい心を如来の光で照して居るのでありますから、悪るい心がその儘安穏に仏の心の中で生きて居るのであります。すなはち第六の心光常護の益であります。人がかやうな心境に至れば必ず歓喜せざるを得ないのであります。これを第七の心多歓喜の益とし、これは別に觸光柔軟の益ともいはれ、仏の智慧に觸れてわれわれの心が軟らかになるという意味であります。第八は知恩報徳の益でありますが、これは自分の心の相をよく考へて見ると、如何にも智慧の少いものである。如何にも意志の弱いものである。智慧の限を尽しても尚ほ手も足も出ぬことが多い。どうしても、念仏の生活によらねば、真実の道を進むことが出来ぬと知りてただ念仏するのであります。現実の自分の相に目がさめて、さういふ愚悪のものの上に如来の本願がはたらくといふことを知るときに、我々は自ら省みて如来の恩徳の深いことを感ずるのであります。さうしてその恩徳に報はねばならぬ心が起るのであります。それを知恩報徳の益とせられるのであります。我々はまことに愚悪のものでありますが、しかし人間に生れたことは最大の幸福であります。さうして、それを幸福と考へれば、それが生きて居ることからして、君王、父母、社會、自分の周囲のものの一切に対して恩徳といふものを感ぜねばならぬ筈であります。自分がこの世に生れて来て今日まで生存して居ることがいかに幸福であるといふことが知れると、周囲のものの一切の恩を感ずる筈であります。さうしてそこに如来の慈悲がはたらいて居ることが認められて、その恩を知り、それに対して報ひねばならぬといふ心が起るのであります。それを知恩報徳の益と言はれるのであります。かやうにして、人が自ら仏の恩を知るやうになれば、常に人に勧めて念仏せしめることを行ふやうになるのであります。これを第九の常行大悲の益とせらるるのであります。かやうに、仏の本願に順じて念仏することを怠らざれば、その命が終れば必ず涅槃に入ることが定まるのであります。第十の入正定聚の益はすなはちこれであります。かやうに、親鸞聖人は念仏するものの未来の益を説くと共に、それが現生に受ける益をも挙げて、その中に知恩報徳の益を説いて居られるのであります。  四恩  仏教にては四恩といふことを説くのでありますが、「心地観経」には次のやうに四恩が説明してあります。  「世出世の恩に四種あり。一に父母の恩。二に衆生の恩。三に国王の恩。四に三寶の恩。是の如きの四恩。一切衆生平等に荷負す。」  むかし平重盛がその父清盛が武装して兵を動かさむとしたのを諫めた言葉の中に、「心地観経」を引いて四恩を説いたといふことが「平家物語」に出て居るのを見ると、仏教の四恩の説は平安朝の頃に巳に我邦に伝はつて居つたものと思はれるのであります。  父母の恩  父母の恩は山より高く、海より深い。それ故に勤めて父母に孝養せよ、若し父母に孝養すれば、その功徳は仏に供養するのと全く同じであると説かれて居るのであります。芭蕉の発句に  「父母のしきりに恋し稚の声」 といふのがありますが、この発句には  「高野の奥に上れば、靈場盛にして法の燈消ゆるときなく、坊舎地を占めて仏閣蔓をならべ、一向頓生の春の花は寂莫の霞空に匂ひをおぼえ、猿の声、鳥の啼くも腸を破る斗にて、御廟を心静かにおがみ、骨堂のあたりに彳みて倩《つらつら》ら思ふやうあり、此処は多くの人々のかたみの集まれる所にして、我が先祖の髯髪をはじめ、なつかしき限りの白骨も此内にこそ思ひ込つれと袂もせきあへず、そぞろにこぼるる涙を溜めて」  と前書して、次に此句が書いてありますが、高野の奥にのぼるとまことに寺は立派であります。しかしそこへ行つて深く考へて見ると、方々から多くの人々の骨を納めてある堂のそばに行つて見れば、先祖の髪や骨あらうそれを思ふと非常になつかしいことでありませう。さては折からほろほろとなく稚子の声に其子を思ふ恩愛深き父母のしきりに恋しく、ありし昔をしのんで感懐にふけつて芭蕉は此句を作つたのでありませう。まことに父母の養育の恩は山より高く海より深きものであることは言ふまでもない次第であります。しかしながら父母の恩はただ養育を受けたということだけでなしに、この世に生れさして貰つたといふことがそれよりも更に大きな恩であります。世の中には親らしくない親もないではありませぬが、それにしても世の中で一番大切な自分をこの世の中に生れさせて呉れた御恩は最も大なるものであります。勿論この世に自分が出たといふことは、根本にはまだ外に原因もありますが、直接の動機は父母の存在であります。それ故に父母が有るといふことは我々に取りては広大なる恩であることを知らねばなりませぬ。  国王の恩  国家が成立して、その中の一員として生存して居る以上、その人がその国家の元首たる国王の恩の広大なることを感ずべきは勿論であります。殊に我邦の如く、忝なくも萬世一系の天皇を奉戴する帝国の臣民としてその籍を有するものにありて、天恩の広大なることを感銘すべきは口にするだにも恐れ多いことであります。  衆生の恩  世の中の一切の衆生は、生れ代り死に代り、生死の苦界を流転して今日まで来て居るのでありますから、多生と言はれるのでありますが、この多生の間に於て、互に父母となり、兄弟となりたることあらうから、今日現に生きて居る多数の人々はみな多生の間に於て大なる恩があるといふ考へに本づきて衆生の恩が広大であると説かれるのであります。今は他人であつても昔は兄弟であつたかも知れぬといふ考が本となりて、現に今生きて居る一切のものに大恩があるとして、衆生の恩といふことを説くのであります。心学などの所説ではもつと直接なことを考へて、人間はお互にたすけ合つて生きて居るのである。反物屋は反物を賣つて人を助けるが、これを買ふものは反物を買つて反物屋を助ける。かやうにして人間は互に助け合つて生きて居るものであるから、衆生の恩は広大であるといふのであります。仏教で衆生の恩がまことに広大であるといふのは、さういふ日前のことのみを言ふのでなく、もつと深く考へて生々世々の間に父母となり兄弟となつたことを考へて、この恩を深しとするのであります。行基菩薩の歌に   ほろほろと鳴く山鳥の声聞けば        父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ  というのがありますのも、無論その意味であります。「心地観経」に  「有情輪縛して六道に生ずる事、なほ車輪の始終なきが如し、或は父母となり、男女となり、世々生々にあり」  この世の一生の間の父母兄弟ばかりでなく、すべての有情は世をかへ、生をかへて互に父母となり、兄弟となつて永久につながつて居るのでありますから、互に恩を感じなくてはならぬと説かれるのであります。  三寶の恩  三寶の恩といふのは、仏寶・法寶・僧寶の三つの恩を指しているのであります。さうして恩を知るといふことは結局三寶の恩を知ることで、これが根本の恩であります。「心地概経」には三寶の恩をば次のやうに説明してあります。  「三寶の恩は不思議と名づく。衆生を利益して休息することあることなし。それ諸仏の身は真善無漏にして、無数の大劫に因を修して証する所なり、功徳は山の如く一切有情の知る能はざる所なり。福徳の甚深なること大海の如く、智慧の無碍なる事虚空に等し、神通変化して世間に充満し、光明遍ねく十方三世を照す、一切の衆生は煩悩業障の為に都て之を覚知せず、苦海に沈海して生死窮まりなし、三寶出世して大船師となり能く愛流を戴て彼岸に起昇せしむ、諸の有智の者は悉く膽仰す。」  かやうに、仏の身といふものは立派なもので、功徳は山のやうに高く、価値は海のやうに深いのでありますが、しかし一切衆生は煩悩に満ちて居るがために少しも知らぬので、苦海に沈んで生死を出ることが出来ないのであります。そのために仏・法・僧の三寶が世に出て人間の愛著を切つてそれを涅槃の境に至らしめるのであると説かれるのであります。仏教では世の中のものの本当の相を知ることを覚《さと》るといふのでありますが、かやうにさとつたのが仏であります。その仏がさとられたものを法といふのでありますが、それは我々人間を永遠の世界に導くものであります。僧とはかやうな仏の法をきき、それを実際に行つて互に和合して涅槃のさとりをひらくことをつとめて居るものの集團であります。それ故に仏・法・僧の三寶と言つてもつまるところ仏であります。  仏寶  仏はまことに不思議のものでありますから、これを説明することは容易でありませんが、「心地観経」には次のやうに説いてあります。  「唯一の仏寶に三種の身を具す。一に自性身、二には受用身、三には変化身なり」  自性身とは真如で、宇宙の根本の力であると考べられるものであります。我々は差別の相を立て、他と我、彼と此といふやうに何でも差別してそれに執著して居るのでありますが、その執著がなく、すべてを平等に見ることが出来るのが仏の自性身であります。我々はかやうに人に執著し又法に執著するのでありますが、その人と法とに執著する心を離れた一切の諸仏は悉く平等に見て何にも執著せず本当の悟りを得たものであります。第二の受用身とは、仏には大なる智慧がありまして、それは我々の全生命を捧げて始めて開けて来るところの智慧であります。第三の変化身とは仏のからだが種々に形を継へてあらはれておるのでありまして、畢竟それは仏の大恩徳であります。かやうに、仏がいろいろ変化してこの世にあらはれて居らるることをよく見ると、一切のものに大なる忍徳が感ぜられるのであります。かやうな次第でありまして、仏寶の中には、六種の微妙なる功徳を具へて居るのであります。第一は無上の大功徳、第二は無上の大恩徳、この二つのものが徳の根本の慈悲であります。第三は無足二足及び多足即ち生類の中にて最も貴いものであります。第四には極めて値遇し難い。第五には三千大千世界に独一に出現するものでありますが、その仏の真実にて人々が救はれるのであります。第六は世間出世間の功徳が円滿であります。この六つの功徳を持つて居るのでありますから仏は寶であります。さうしてそれを我々衆生の方から言へば非常なる恩徳であります。  法寶  法寶に四種が挙げられます。一には教法として文字や言葉で法が表はされるのであります。二は理法で、教の中に理が存して居るのであります。その理を知れば行はねばならぬ。それが行法で、すなはち戒・定・慧の三学を行ふのであります。さうすればの悟を開くことが出来て我々の生命が仏の真実の世界に入るのであります、これを果法と名づくるのであります。  僧寶  僧寶とは、さういふ仏の法を如実に行つてゆく人間の團体でありまして、互に和合して仏の道を進んで行くので無量の神通変化を具足して有情を利益して少しも息まぬのであります。かやうにの仏寶・法寶・僧寶と三つの寶を別ちて説いてありますが、結局そのもとは仏の寶であるということに帰著するのであります。固より父母の恩も、衆生の恩も、国王の恩もまことに広大でありますが、その根本には仏恩が存ずるのであると説かれるのであります。  仏恩を知る  世間で恩といふのは人の世話になつたり、人から深切にされたり、又はその厄介になつたりするときに有難いと感ずることでありますが、仏教ではさういふ目前のことより更に深く、根本に入り込んだ恩といへば結局仏恩であるとするのであります。「大智度論」に、次のやうに説いてあります。  「恩を知るものは大悲の本なり、善業を開くの初門なり。人に愛敬せられても名誉遠く聞え、死して天に生ずる事を得て終に仏道を成ぜん。恩を知らざるものは畜生よりも甚し」  ここに言ふところの恩は仏心であります。仏恩を知るのは大悲の根本であります。又善事をするの入門であります。恩を知れば人に愛敬せられ、死んでは必ず天に生じて終に仏道を成ずることが出来るのであります。これに反して恩を知らぬのは人間でなく、畜生にも劣ると説かれるのであります。又「大方便仏報恩経」には次の通ほりに説いてあります。  「恩を知るものは富に阿多羅三貌三菩提心を発し、恩を報するのも亦、当に一切衆生を教へて阿褥多羅三藐三菩提心を発さしむべし」  仏の恩を知るのは菩提心を起して仏道を修行し、又他の人をも教へて仏道に入らしめねばならぬといふのであります。それは、広大なる仏の恩を受けて生活して居るのであるから、その恩徳に報ゆるためには菩提心を起して仏道を修行せねばならぬという意味であります。しかし、かういふ広大な仏の恩を知るといふことは、われわれ人間に取つては実に困難なことであります。「般若経」の中に  「若し問ふものありて、誰か是れ恩を知りて能く恩に酬ゆるものなりやと言はば、応に正しく答へて言ふべし仏は是れ恩を知りて能く恩に報いるものなりと。何を以ての故に、一切世間恩を知りて恩に酬ゆるは仏に過ぎたるものなきが故に」  仏が一切世間の恩を知りてそれに報ゆるものであると言はれる。その反面には仏でない我々は到底その広大の恩を知るものでないといふことであります。それ故に、我々は仏の恩を知りて、それに報ゆるために仏になることを期せねばならぬのであります。  報恩謝徳  「歎異鈔」の中に  「弥陀の光明に照らされまいらする故に、一念発起するとき、金剛の信心を賜はりぬれば、巳に定聚の位におさめしめ玉ひて、命終すればもろもろの煩悩悪障を転じて無生忍をさとらしめ玉ふ也、この悲願ましまさずばかかる浅間敷罪人、いかでか生死を解脱すべきと思ひて、一生の間、申す所の念仏は皆悉く如来大悲の心を報じ徳を謝すと思ふべき也」  右の如くに述べております。我々のやうな煩悩に満ち、智慧の極めて浅いものは、如来の光明に照らされてはじめて仏に向ふ心が起るのでありますが、さうなつてから漸くに自分のはからひをやめて仏の智慧をたまはることが出来れば、何時命が終らうとも、己に浄土に往生するものの中に定めてもらうのであります。それは仏の本願によるので、若しその本願がなければ、我々のやうな浅間敷罪人がいかでか生死を脱すべきやと深く考えて見ると一生の間申す念仏は皆、如来の恩を有難いと思ひてその恩に報ひ徳を謝するためであるとせねばなりませぬ。  「蓮如上人御一代記聞書」にも  「名號をただとなへて、仏に參らする心にてはゆめゆめなし、弥陀をしかと、御たすけ候へと、たのみまいらすれば、やがて、仏の御たすけにあづかるを南無阿弥陀仏と申す也、しかれば御たすけにあづかつたることのありがたさよありがたさよと心に思ひまゐらすを口に出して南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏とまうすを仏恩を報ずるとは申す也」  南無阿弥陀仏と申すことによりて仏に向ふのではありませぬ。南無阿弥陀仏と呼びかけて仏に祈願するのでもありませぬ。阿弥陀仏が「自分をたのめ必ずたすける」と誓はせられたその本願を信じてすがりさへすれば、仏のおんたすけにあづかることが出来ると喜びの心が言葉に出たのが南無阿弥陀仏であります。それ故に念仏は仏の恩を報ずる心の表現に外ならぬものであると言はれるのであります。  信心獲得  かやうに考へて来ると、我々は広大なる仏心の中に生存して居ることを自覚して、その恩を知りてそれに報謝せねばならぬのであります。実際我々の周囲には仏が形をかへていろいろの変化身をあらはして我々をたすけて呉れられるのでありますから、そのことを感知すれば、父母の恩も、衆生の恩も、国王の恩も、一切が仏恩の中におさまるものであります。それ故に我々はその恩を知り、徳に報ゆることをつとめねばならぬのであります。さうしてそれには、我々が金剛の真心を獲得せねばならぬのであります。金剛の真心とは前にも言つたやうに仏の心でありますから、固より我々凡夫の煩悩に満ちた心とは全然別個のものでありまして、その心はこれを仏より頂かねばならぬものであります。かういふやうに言ふと、直ぐに我々の心の漫間しいものに代りて仏の真心があらはれると考へるのでありますが、事実は決してさうでなく、我々の暗黒なる心の闇が如来の智慧の光明に照らされることをいふのであります。煩悩具足の心の相の醜悪なることがありありと自分にわかつて来る状態を指して、真心が獲得せられたといはれるのであります。それは自分の心を省みて、いかにも煩悩具足・罪悪深重の愚悪なる相が自覚せられたときには、自分では如何ともはからふことが出来ず、かかる浅間敷いものを助くるぞとある仏の呼声を聞きて、自分の全体を挙げて仏の本願に乗托するところに、その心はまことに金剛の如くに堅固にして、平生の我々の心のやうに転動窮まりなきものとは相異して居るのでありますから、それは仏の道心を頂たのであると感知せられるのであります。さうしてこの場合に親鸞聖人が説かれたやうに現生の十益があらはれるのであります。その中にも知恩報徳は我々の日常の生活の上に大切なることでありまして、しかもそれは金剛の真心を獲得することによりて始めてよくその目的が達せられるものであります。それ故に恩を知り徳を報ずるといふことも実際には金剛の真心を獲得するといふことに帰著するのであります。  内省の要  かやうにして我々が報恩の道としてつとむべきことは金剛の真心を獲得することを期すべきでありますが、それには己を虚しくして仏の本願に順ずるといふことを條件とするのであります。己を虚しくするといふのは自分が小智を弄びて彼れや此れやとはからふことをせぬことをいふのであります。言葉を換へて言へば仏の本願を疑はぬことでありまして、我々の愚悪分別を以て価値のないものと信ずることによつて迷妄から離れることであります。さうしてそれ故に我々は十分に自分の内面を省みて、その現実の相をよく見ねばならぬのであります。元来宗教といはるるものは自分の心を修めて行く法でありますから、内省を以て第一とすべきであります。自分の醜悪羸劣なる心をその儘にして置いて、その心の思ふやうに念仏するのであれば、それは必ず自分の得手勝手のために申す念仏でありまして、念仏して浄土に往生しやうとする功利的のものでありませう。仏の本願に順じて念仏するものは必ず浄土に往生するといふ教を聞くにしても、それを聞く自分の心が虚しくない場合には、必ず「それならば念仏して浄土に往生しやう」と望む心が起りて、一生懸命に念仏することでありませう。しかしながらさういふ心からあらはれた念仏は決してその人をして浄土に往生せしむべきものではありません。念仏は浄土に生るべき因であるか、地獄に堕つべき業であるか、全然知らぬほどに空虚なる自分の心が、仏の本願に順じて念仏すれば必ず浄土に往生することが出来るといふことを聞きて、ただ有難く感ずる心が口に出て南無阿弥陀仏と申すのであれば、それは全く知恩報徳の念仏といはるべきものであります。それ故に金剛の真心を獲得するといふことは、さういふ我々の得手勝手の心を離れることであると言つて差支ありませぬ。自分ではどうも、さういふことは出来ぬからと気がついても、尚ほ自分の心はそのままにして置いて、足らぬところを補つて行かうとするのでは金剛の真心は得られませぬ。若し悪るいことを去るといふことであれば我々の心は全部悪るいのであります。足らぬといへば一切が足らぬのであります。それ故に煩悩具足・罪悪深重といはれるのであります。「名號をとなへて、仏に參らする心にてはゆめゆめなし」と連如上人が言はれたやうに念仏には自分の力を加えるべきではありません。さういふ貧求の心をやめて「弥陀をしかと、御たすけ候へと、たのみまゐらすれば、やがて仏の御たすけにあづかるを南無阿弥陀仏と申す也」であります。  道徳と宗教  かやうに恩を知るといふことにつきてお話したことは勿論、宗教の心の上のことであります。宗教の心の上から言へば、第一真に恩を知ることは仏にならなくては分らぬことでありますから、我々は一生懸命に仏にならむことを期せねばならぬのであります。これに反して道徳の教であれば、すべてのものが我々に対して恩義を加へると知れば、それに対して報謝の行をせねばならぬとするのであります。それはまことに当然のことでありまして、此の恩徳に関して必ず大いに報謝せねばならぬことは勿論であります。しかし人間が言ふこと行ふこととは一致せぬのが常でありますから、言葉を多くすればするほど行はぬことが多くなるのであります。我々の煩悩に満ちた心にては到底駄目であることを内省した後に、我々の一切の心のはからひを捨てて、仏の本願にすがつて、仏になることを期待することによりて我々は始めて恩を知り徳を報ずることが出来るとする。これが宗教の心であります。  第十講 名聞利養  名利  名聞と利養とを約め合せて名利といふのでありますが、名聞とは自分の名声が広く世に聞ゆることを願ふのであります。利養とは財寶の多からむことを貪ばるのであります。この名利は悟を得るための障りとなるものとして仏教では強く戒められて居るのであります。支那の古書の「省心雑言」に「古の人は身を修めて以て名を避く、今の人は己を飾りて以てを要す。古の人が大節に臨みて奪はれず、今の人が小利を見て守を易へる所以なり」とありますが、まことに自分の身を修めて虚名を避くるやうな心がけであれば大節に臨みて心が奪はれるやうなことは無いでありませうが、自分を飾りて人から褒められやうと求むるのであれば小利を見てその志をかへるのが常でありませう。さういふ心にては、日常の生活の上にも良くないのでありまして、さういふ心にて、いかに道を求めても、その目的を達して悟を得るといふことは出来ぬことでありませう。  提婆  釈尊が王城の町外れの竹林精舎に居られましたときに、雨が久しく降らないので、皆が枯れて米がよく出来ないで、釈尊の弟子達が托鉢して食事を求めるのに都合の悪るいことがありました。勿論その中で優れたものは食事を得ることに困難は無かつたのでありましたが、中以下のものは極めて不自由でありました。その弟子の中に提婆といふ人がありました。提婆はどうもこれでは困るから、どうか食事が十分にもらへるやうにしたいものだそれは神通力と言つて何でも彼でも思ふとほりに出来る力が欲しいと考へて、釈尊に神通の力が得られることを教へてもらひたいと願つたのであります。さうすると釈尊は「提婆よ、神通力を得ることを求めるよりは無常・苦・空・無我の理をよく知つた方がよい」と言つて提婆の願を斥けたまふたので提婆はそれを喜ばなかつたのであります。その夏、釈尊がコーサミといふところへ行つて安居をして居られた。安居といふのは坐つて経を読んだり異想したりするのであります。その安居で弟子の舎利仏、日蓮、阿那律、阿難などのゑらい人々は互に睦まじく道を語り合ふて居つたのでありますが、提婆は他の人から除けものにされ軽蔑されるやうな心地がして不快でありましたので、釈尊の教團を出て王舎城へ行きビンバシャラ王の子の阿闍世太子の機嫌を取り、種々に手段を弄して阿闍世の帰依を得まして、王城の内に僧房を建てて貰ひ衣服の供養をうけて大分榮華の生活が出来るやうになつたのであります。釈尊の教團の中に居たものの中にも提婆の下へついていく人もあり、また羨やむ人もあつたので、釈尊がそれを見て弟子に言はれるのに  「愚なるものは利養の念を本として悪を増して行く、それは利き刀が首足処を異にするやうに高い功徳を断ち切る、清い行を修めむことを忘れて徒に人を招き寄せ、自から衆人の上に立つて法の主とならんと望む、若し一方に利養を求め、しかも他の一方に涅槃を得やうとするならば、前の思が仇となりて後の心は貪ぼる心となるであらう、そして自らを傷ひ、他人を傷ふ、汝等提婆を羨んではならぬ」  道を修むるものが名利の心を懐くことをいましめられたのであります。それから後、或日、釈尊が王舎城に托鉢して居られたときに、提婆がやつて来たのであります。釈尊はそれを見て避けやうとせられるので阿難は「何故逃げたまふか」と申し上げると、釈尊が「提婆が居るから逃げる」と申されました。阿難「あなたは提婆がおそろしいのでごさいますか」釈尊「いや提婆を恐れるのではない、悪るい人に遭ふてはならぬから逃げるのである」阿難「それから提婆をにがしたらよろしいでせう」釈尊「いや提婆を去らすには当らぬ、提婆の思ふままに振舞はせるがよい、しかも阿難よ、愚な人に遇つてはならぬ、愚な人と事を共にしてはならぬ、無用の議論を交へてはならぬ、愚なるものは自から悪を行い、正しい律に背きて、日に増し邪の見を募らせて行く、提婆は今、利養を得て心が驕つて居る、ちやうど悪狗を鞭つやうなもので、鞭てば打つほど兇悪になるばかりである」と申されまして、阿難を連れて他の巷に托鉢せられたのであります。提婆は釈尊が逃げられたのを見て驕の心を起し、釈尊のところへその弟子を連れて行き「世尊はもう年が老い力も衰へさせられた、今より私が世尊に代りて弟子のために法を説きませう」と申し上げた。それに対して釈尊は「提婆、私は舍利弗・日蓮のやうな智慧が明かにして行の円かなる大阿羅漢にさへ、まだ大衆の教導を委ねては居らぬ、どうして、汝のやうに利養の為に他人の唾を食ふやうなものにこの大衆を委ねることが出来やうぞ」と叱られたので、提婆は返す言葉もなく退いたのであります。しかし提婆はそれを深く怨むで何か返報せねばならぬといふことを強く考へたのでありますが、それから後に遂に釈尊を殺さうと謀つたのであります。  驕ぶる心  その提婆が釈尊の教團から離れた後に、釈尊が弟子に向いて  「我等の悩み苦しむ、生・老・死・愁・悲・苦・悩を無くするために出家しながら、供養と、尊敬と、名號とを得て心驕ぶり、満足して自らを讃め、他を毀るは、清浄の行の外皮を摘みて樹心と思ふ愚者である。美しい戒行に酔ふて心驕ぶり、滿足して自を責め他を毀るは、清浄の行の外皮を掴みて樹心と思ふ愚者である。堅固な定を起して心驕ぶり、満足して自を讃め他を毀るは、清浄の行の内皮を取りて樹心と思ふ愚者である。明かなる知恵を得て、これに眩惑して心驕ぶり、自を讃め他を毀るは、清浄の行の樹肉を取りて樹心と思ふ愚者である。  供養、尊敬、名誉とに心揚らず、美しい戒行に醉はず、堅固なる定に眩惑せず、明かなる知見に驕らず、放逸ならず、益々道を進みて、不動の心の解脱を得ることが樹心を得たのである」  釈尊はかやうに説いて、ひどく名利に耽ることをいましめて居られるのであります。ちよつと智慧を得てそれで偉いと思つてはいかぬ。ちよつと心が鎮まつたと言つて自分の心が全く静まつたと思つてはならぬ。名聞と利養とを得て、それで驕ぶる心が起ることは、道を修めるために大なる妨げとなるものであると説かれたのであります。「四十二章経」に次のやうな言葉があります。  「仏曰く、人の情欲に随ふて華名を求め、たとへば香を焼いて、人其香を聞くと雖も、しかもその香燃尽すが如し。身を危くする火其中に在り」  釈尊が名利を戒められたることはまことに深切なるものがありました。  五欲  「百喩経」に曰く  「昔、夫婦あり、三の餅を有せり。各その一を食ひて後、互ひに約して曰く、先に語りしものはこの餅を与へず、黙するもののみこれを食ふを得べし。この約をなして後、一つの餅のために各敢て語らざりき。時に賊あり、入り来りて倫盗せんとす。夫婦共に語らざりければ賊は之を見て唖となし、一切の財物を奪ひ去らんとせり。夫尚ほ黙して曰はざりければ、嫁今は堪ふること能はず。即ち喚むで曰く、いかにぞ、卿は一の餅の為に賊を見て叫ばず、この無駄を恣にせしむるや、夫手を打ち笑ひて曰く、咄、我れ餅を得たり。世人之を聞きて笑はざるはなかりけり」  釈尊はこの譬話をされて後に  「凡夫も亦此の如きものあり。少名利の為に詐りて善の相を現じ、虚仮の煩悩、種々の悪賊の侵略するところとなり、後に大苦に遭ふ事を以て患となさずして、方に五欲に瞞著せらる」  と説いて居られるのであります。五欲とは財欲―寶の欲、色欲―性欲、飲食欲―食物を食べる欲、名欲―名誉の欲、睡眠欲―懈怠の欲を指していふのでありますが、人々はこの五欲のために瞞著せられるのであります。中に就きて財欲と名欲とを名利の欲として、これを戒められて居るのであります。  求むる心  名利は畢竟ずるに何かを求むる心である、しかしながらその求むる心が名誉とか財産とかに傾くことが善くないことは勿論であるが、宗教の上から言へば、すべてのことに渉りて求むるといふ心がよくないのであります。それ故に仏教にては名利の欲を取り去るべきことが強く説かれて居り、又名利の欲を離れた人もあります。その中で名高い一人は播州書写山の性空上人であります。  性空上人  この性空上人がとても普通の人には出来ぬほどに名利の心を捨てた人でありまして、学問をすることは心を安んずるために何等利益のないことであると言つて、日常ただ「法華経」を読誦して居られたのであります。後に有名となつた恵心僧都も、この性空上人のところへ行かれて安心立命の道を聞かれて大いに感服せられたのでありますが、円融天皇の時に、宮中に召されることを厭ふて法華守護の十の羅刹に祈つて宮中に召さるることを避けられたといふことが伝へられて居るのであります。あるとき上東門院が侍女八人を連れて京都から遙々と播州書写の山に上つて、性空上人に會つて仏の道を聞かうとせられたときにも、上人がそれを前以て知られて、鬼が八匹来るから逃げろと言つて弟子と共に戸を閉めて誰にも遇はぬやうにせられた。折角山を登られた上東門院は大いに失望して帰らうとせられたのであるが、その侍女の中に和泉式部が居りましたが、此人は仏教にも理解深い人であつたので、   くらきよりくらき道にぞ入りぬべき           はるかに照せ山の端の月  と詠みた歌を紙に書いて門の柱に貼つて置いた。ところが性空上人はそれを見て大いに感じられて、人をして呼び返さしめ、上東門院達に面會せられた。上東門院はその頃羽振りのよい貴顕の方でありますから、普通ならばそんなことはせられぬ筈であります。さうして性空上人はその婦人達を前に置いて女人五障のことを懇々と説かれました。それでその説教を聞いた一同は感涙を催したといふことであります。  空也上人  今一人は醍醐天皇の御子であるとも伝へられて居る空也上人であります。この人は乞食の姿をして京都の市中を歩いて盛に念仏して居られました。恵心僧都が心の空也上人に対してどうすれば極樂往生が出来るかと問はれたときにも、そんなことは知らぬ、ただ念仏申すだけであると答へられたといふ話があります。  揄黷ミじり  天台宗の元三大師(慈恵大師)の弟子で名利を極端にすてた増賀のひじりといふ変つた人がありました。ひじりというのは俗のすがたをして仏教を修めて居るのをいふので、彼の親鸞聖人などはこのひじり人(聖人)であります。この増賀ひじりが極端に名利を嫌はれたことにつきてはいろいろの話が伝はつて居りますが、その頃名高い僧侶は宮中に入つてお経の講釈をするのが名譽であるとせられて居りました。ある時宮中に召されてお経の講釈をせねばならぬこととなつたので増賀ひじりはさういふことをしたくないので将来宮中で講釈しないやうにと女官の前で放屁をした。まことに極端の行為であります。師匠の慈恵大師がこれを聞かれて、あなたが名利を離れることはよいことであるに相違ないが、しかしこの世には悪儀作法といふものがあるから、さういふ極端なことをしてはならぬ」と誡められたのでありますが、増賀ひじりは「さういふことは我々が名利を離れてからすることで私はまだ名利を離れて居らぬから」と答へられたといふことであります。増賀ひじりはどうか名利を離れたいと常に念願して居られたが、後に大和の多武峰に行つて、そこでとうとう死なれたのであります。有名な人でありますから、兼好法師の「徒然草」その他「十訓鈔」、「今昔物語」などにも出て居ります。この揄黷ミじりのことを西行法師が「撰集鈔」に書いて居りますが、それは揄黷ミじりが名利を捨てよといふ神の夢告によりて、伊勢の大廟に參詣して下向のときに衣服を脱ぎ棄てて裸となつたことを書いて、その後に  「げにも、うたてしきものは名利の二つ也、正しく貪瞋痴の三毒より事起りて、この身を実ある物と思ひて、これを助けん為、そこばくのいつはりを構ゆるにや、武勇の家に生るるものは、胡録の矢を早くつがひ、三尺の剣を抜きて一陣を懸けて命を失ふも名利勝他の為なり。柳のまゆずみ細くえがき、蘭鳴を衣にうつし、秋風の名殘を送る姿ともてあつかふも、名利の二つに過ぎす。又墨染の形に身をやつし、念珠を手にくるも、詮は只人に帰依せられて世を過ぎんとのはかりごと、或は極位極官を窮めて公家の梵筵に列なり、三千の禅徒にいつかれんと思へるも、名利の二を離れず。この理を知らざる類は申すに及ばず、唯識止観に眼をさらし、法文の義理を辨へ侍るほどの人達の、しりながら、捨て侍らで、生死の海にただよひ給ふぞかし……」  兼好法師の「徒然草」にも名利に使はれて握齪することは苦しみの限りであることが書いてあります。  「智慧と心とこそ、世にすぐれたる譽も浅まほしきを、つらつら思へば、ほまれを愛するは人の聞きを喜ぶ也、ほむる人、そしる人、ともに世にとどまらず、伝へきかん人、またまた速に去るべし。」  又性空上人が自分の心を書かれた文に  「我人を知らず 恨無く喜無し 人我を知らず 譽も無く殷も無し  肱を曲げて枕とす 樂其中に在り 何に依りてか更に 浮雲の榮還を求めむ」  揄黷ミじりのやうに極端でないにしても、皆同じやうに名利の欲を離れることがつとめられて居るのであります。さうしてそういふ心になつて、道を求めるところになつて、はじめて本当の道が求められることが仏教では常に説かれて居るのであります。  聖光房  法然上人の弟子の聖光房のことが「口伝鈔」といふ書物に載せてありますが、此書は本願寺の鸞聖人(親鸞)が、如信上人に対しましまして、おりおりの御物語の條々といふ前書きがありまして、親鸞聖人が如信上人に対つて晩年に話をされたことを集めたものであるといふことでありますが、この書の中に、親鸞聖人が法然上人のところに、ある一人の修行者を案内せられたとき、その修行者に対して法然上人が取られた態度が次のやうに記載してあります。  「空聖人、はたと修行者をにらみましますに、修行者また聖人を、にらみかへしたてまつる。かくてややひさしくたがひに言説なし。しばらくありて、空聖人おほせられてのたまはく、御房はいづくの人ぞ、またなにの用ありてきたれるぞやと。修行者まふしていはく、おれはこれ鎮西のものなり、求法のために華洛にのぼる、よて推參つかまつるものなりと。そのとき聖人、求法とは、いづれの法をもとむるぞやと、修行者まふしていはく、念仏の法をもとむと。聖人のたまはく、念仏は唐土の念仏か日本の念仏かと。修行者しばらく停滞す。しかれどもきと案じて、唐土の念仏を求むるなりと云々。聖人のたまはく、さては善導和尚の御弟子にこそはあるなれと。そのとき修行者、ふところより、つま硯をとりいだして、二字をかきてささぐ。鎮西の聖光房これなり。この聖光ひじり、鎮西にしておもへらく、みやこに世もて智慧第一と称する、聖人おはすなり。なにごとかははんべるべき。われすみやかに上洛して、かの聖人と問答すべし。そのときもし智慧すぐれてわれにかまさば、われまさに弟子となるべし。また問答にかたば、かれを弟子とすべしと。しかるにこの慢心を、空聖人権者として御覚ぜられければ、いまのごとくに御問答ありけるにや。かのひじりわが弟子とすべきこと、梯をたてても、をよびがたかりけりと、慢幢たちまちに、くだけければ、師資の禮をなして、たちどころに二字をささげけり。」  聖光房は鎮西にありて巳に名を成して心に驕るところがありて、法然上人に対したのであるが、遂にその学徳に感服して弟子となつたことを説き、それから後に次のやうなことが記載してあります。  「兩三年の後、あるときかご負かきおひて聖光房上人の御前へまゐりて、本国恋慕のこころざしあるによりて鎮西下向つかまつるべし、いとまたまはるべしとまふす。すなはち御前をまかりたちて出門す。聖人のたまはく、あたら修行者が、もとどりをきらでゆくはよと。その御こゑはるかに、みみにいりけるにや、たちかへりてふしていはく、聖光は出家得度して、としひさし。しかるに髯をきらぬよし、おほせをかうふる、もとも不審。このおほせ耳にとまるによりて、みちをゆくにあたはず。ことの次第をうけたまはり、わきまへんがために、かへりまいれりと云々。そのとき聖人のたまはく、法師にはみつの髯あり、いはゆる 勝他 利養 名聞これなり。この三箇年のあひだ、源空がのぶるところの法門を、しるしあつめて随身す。本国にくだりて人をしへたげんとす、これ勝他にあらずや。それにつけて、よき学生といはれんとおもふ、これ名聞をねがふところなり。よりて壇越をのぞむこと、所詮利養のためなり。このみつのもとどりを、そりすてずば、法師といひがたし。仍てさまふしつるなりと云云。そのとき聖光房、改悔のいろをあらはして、負のそこより、おさむるところの鈔物どもをとりいでて、みなやきすてて、またいとまをまふしていでぬ。」  名聞と利養との欲をひどく誡めて居られるのであります。  恵心僧都  恵心僧都は後には偉い僧侶になられ、「往生要集」などを著して大いに念仏の教を弘められたのでありますが、その恵心僧都は若年のとき、郷里に一人の母を殘して京都に出て修学に余念がなかつた。その結果学業が上達して、年十五歳のとき天暦五年村上天皇の召によりお経の講釈を宮中にてするの光榮に預かつたのであります。その時天皇には非常に御感歎あつて澤山の布帛を賜はりました。僧都は大いに喜ばれてその喜びを郷里の母に伝へやうと、使を郷里の大和に遣はし、恩賜の布帛に手紙をつけて母に贈つたところが、母は喜ぶどころか大いに之を悲しんで、手紙を書きてその布帛を返されたのであります。その手紙には僧都の出世を喜ばざるにはあらざれども、自分の本意に違つて居ることが縷々と述べてあるのであります。  「嫗の思ひしことは女子は有れども男子はそこ一人なり。それを元服をせしめずして比叡の山に上しけるは学問して身の才よくなりて多武峰の聖人の様に貴くて嫗の後世をも救ひ玉へと思ひしなり。それにかく名僧にて花やかに行き給はむは本意に違ふことなり。われ年老ぬ、生きたらむほどに聖人にしておはしまさむを心安く見置いて死なばやとこそ思ひしが   後の世を度す橋ぞと思ひしに          世渡る僧となるぞ悲し」  まことに偉い母でありますが、さういふ偉い母に育てられた恵心僧都も後には偉い僧侶となられたのでありますが、自分が名利のために出精した。名聞といふ心があつて修業した成績を顧みて名聞様と拝まれたといふことであります。かやうにして名聞と言はれるところに名聞利養といふ不徳の心が宗教的にありがたい心になつたのであります。何としても求むる心がある故に、名を得やう金を得やうとして、所謂苦しみを起すのだからであります。しかしさういふ心持が悪るい心持だから、全くさういふ心から離れて生活せんとすれば、極端に独善的のものとなる。さうして家を捨て、山の中に入り、社會から離れて生活するやうな極端に弄らざるを得ないのであります。宗教はさういふことを望むのではありません。名利の欲は善くないのでありますが、その名利を離れやうとする心が、仏を求むるのであります。明恵上人は「我常に志ある人に対して言ふ、仏になりても何かせむ、道を成じても何かせむ、一切求め心を捨てはてて、従者になりかへりて兎も角も私にあてがうことなき」ことが大切であると言つて居られるのであります。何と言つても一切求むる心があるために我々は苦悩を免れることが出来ぬのであります。仏になることを求めるのも名聞のためでありますから、それによりてその目的を達することは出来ぬのであります。  親鸞聖人  「唯信鈔文意」の中に、親鸞聖人は次のやうに説いて居られるのであります。  「この世を如来のみのりに末法悪世と定めたまへるゆへは、一切有情まことのこころなくして、師長を軽慢し父母に孝せず、朋友に信なくして悪をのみ好むゆへに、世間出世みな心口各異、言念無実なりとおしへたまへり。心口各異といふはこころとくちにいふことみなおのおのことなり、言念無実といふはことばとこころのうちと実なしといふなり。実はまことといふことばなり。この世のひとは無実のこころのみにして、浄土をねがふひとは、いつはりへつらひのこころのみなりときこへたり。世をすつるも名のこころ利のこころをさきとするゆへなり」  かやうに、世の人々が名聞利養を先として、すこしもまことなる心の無いことを痛歎し、又更に  「よしあしの、文字をあしらぬひとはみな、まことのこころなりけるを   善悪の字しりがほに、おほそらごとのかたちなり   是非しらず、邪正もわかぬこの身なり   小慈小悲もなけれども、名利に人師をこのむなり」  かやうに歌つて、名利が仏の道を修むることの妨げであることを歎いて居られるのであります。さうして自分の相を顧みて「愚禿釈の鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑す」と痛く反省して居られるのであります。勿論親鸞聖人は一生の間、一たびも名聞や利養を追はれたこともなく「親鸞は弟子一人もたず、なにごとをおしへて弟子というべきぞや、みな如来の御弟子なればみなともに同行なり。念仏往生の信心をうることは、釈迦弥陀二尊の御方便として発起すとみえたれば、またく親鸞がさづけたるにあらず」と、極めて謙下の態度を取られることが常で、名聞利養に耽られたやうなことは見られなかつたにも拘らず、或は名利の大山に迷惑すといはれ或は名利に人師を好むなりと言つて、自分が名聞利養に遠ざかることの出来ぬことを歎いて居られる、そこに親鸞聖人の内省が甚だ深きものがあつたことが認められるのであります。  第十一講 慈仁  慈仁  仏教にて慈悲といふのは、慈は榮を与へる、悲は苦を抜くものでありますが、これを引きくるめて慈悲といふときにはいつくしむ、あはれむ、なさけをかけるといふ意味のことであります。さういふ意味のことを儒教にては仁といいますが、仁といふこともまたいつくしみ、あわれみといふ意味であります。「論語」に「僕延仁を問ふ、子の曰く人を愛するなり」とありまして、門人が仁とはどういふことでありますかと問ふたときに孔子は仁とは人を愛することであると答へられたのであります。「中庸」に「仁は人なり」とあり。又「孟子」に「仁は人心なり」とあるのでありまして、この仁といふことは人といふことであると解釈するのであります。全体人類全体を結びつけて行くのは愛でありまして、この愛のはたらきが仁であります。仁とは人なりと言つて人を愛することであると孔子が言はれたのはこの意味であります。人の心はそれ故に愛でなくてはならぬやうになつて居る。それで仁とは人なり、人の心なりと儒教では説くのであります。さうして、愛といふ心のはたらきで、一番重いものは自分を生むだ親を愛すること、すなはち孝行であります。仁は父母を愛することから始まりて他の血族に及び、それから遂に一切萬物に及ぶのであります。  良心  仁はかやうにして自己の中にあるものであります。人間の心が感情や欲望などによりて偏らざるときは仁はそのままにあらはれるものでありまして、孟子はこれを良心と名づけて居るのでありますが、この良心は天の命令にして、これに背くことは出来ぬとせられて居るのであります。若し人々がその心の中に天の命令を懐いて居ることを理解すれば、自分を生み、自分を養ひ、自分を教へて呉れた父母を大切にせねばならぬことは言ふまでもないことであります。かやうにして、父母を愛することはすなはち自己の中にある良心を愛するに外ならぬのであります。  自愛  「孔子家語」に次のやうなことが述べてあります。  「子路孔子に見ゆ。孔子曰く、知者は若何、仁者は如何。  子路対へて曰く、知者は人をして己を知らしめ、仁者は人をして己を愛せしむと。子の曰く士と謂ふべし。  子路出づ、子貢入る、問ふこと亦此の如し、子貢対へて曰く知者は人を知り仁者は人を愛すと。  子の曰く士と謂ふべし。  子貢出づ、顏回入る。問ふこと亦此の如し。対へて曰く。智者は自から知り、仁者は自から愛すと。  子の曰く士君子といふべしと」  その意味は、人をして自分を知らしめるのは知者であり、人をして己を愛せしむるのは仁者である。しかしそれは普通の人間であります。又人を知るのは知者であり、人を愛するのは仁者であります。これも普通の人間であるから更に進みて自分を知り、自分を愛するのでなければならぬ。かやうな心の境地に達するものを士君子とすると孔子は説かれたのであります。  本心  貝原益軒の「大和俗訓」にはこの仁の心をば人毎に生れつきたる本心として挙げてあります。  「仁は人をあはれみ、物を育つる善心なり、是天地のめぐみの心を受けて人の心とする所なり、故に孟子に仁は人なりと云へり、人毎に生れつきたる本心なり、君子はこの本心を失はず、己を愛する心を以て人を愛し、人我の隔てなし。小人は偏に我身を愛して人を愛せず、人我の隔て深し、是れ私欲あればなり」  ことに本心といはるるものは孟子の良心であります。さうして良心とは天の命を受けて持つて生れた本当の心であります。その本心といふものは無論よい心でありますからこれを良心と名づけるのでありますが、それがあらはれないのは人と我とを区別するからであります。小さな子供を愛するといふのは、無欲の慈悲でありまして、この無欲の慈悲がすなはち仁であります。この仁は前にも言つたやうに人々固有のものでありますから、求むる志があれば得がたき道ではありませぬ。かやうに人々に具足するところの仁であるのに、それが幼児にのみ明かにして、他のものに暗いのはどういふことであるかといふに、それは無論人と我との区別が出来て、すべてが一体であるといふ真理が辨へられず、たとへば姑に遇ふては他人なり我にうとしと思ひ、継子に対しては他人が生むだ子なりには親しみなしと思ふ一念の私が仁の鏡をくらくするのであります。  仏性  此の如き、人々が生れながらにして具有せる本心に比すべきものを仏教の説では仏性といふのであります。儒教で天の命でこれを天から受けて生れたものであると説くのと同じく、仏教では真如からあらはれたる妙心で、仏になる性といふ意味でこれを仏性と名づけるのであります。元本仏教の説では、人間は固より一切のものが皆その本は真如から出て来たものであります。我々人間も真加からあらはれたので、本心は清浄のものでありますが、それを自分の心で迷妄のものとしてしまつたのであります。それ故に、その迷妄を取ればすなはち真如であります。それ故に仏性といはるるものも、みな人間が生れつき持つて居る善心であると言つて差支ありませぬ。  明徳  大学に「明徳」といふことが挙げてありますが、それはかやうな善心は徳を持つて居るのでありますから、その徳を明かにすべきであるといふ意味にて、本心とか、良心とか、仏性とかといはれて居る心を明かにするといふのであります。  明徳仏性  中江藤樹が婦人に対して家庭の誡めを書いたものに「艦草」といふ書物がありますが、この書には極めて平易な例を挙げて、家庭に於ける婦人の誡めが説いてあるのであります。それに人間は明徳仏性をもつて根本として生れたものであるから誰人もこの性のないものはない。この性は人間の根本であるから又本心と名づけると説いてあります。かやうに中江藤樹の「鑑草」には徳と仏性が一緒にせられて居るのであります。中江藤樹といふ人は王陽明流の心学を弘めた学者で、始めは仏教が嫌でありましたが、後にはだんだんと仏教の説を取り入れるやうになつて来たのであります。この事につきて「鑑草」に説いてあるところを抜き出して見ると、次の通ほりであります。  「人間は明徳仏性をもつて根本として生れたるものなれば誰も此性なきものはなし、この性は人の根本なるによりて又本心と名づけたり。この本心は愛敬せざる所なきものなれば、本来姑は必ず嫁を慈み愛し、嫁は必ず姑に孝行なる理なり。かるが故に、誰人をも、孝行とほむれば喜び、不孝そしれば怒る。きはめて不孝なる人も隔心なる人の前にては必ず孝行のふり有り。しかれども、姑はその子を思ひ過すによりて本心をくらまし、嫁は物我の心に迷いて本心をくらまし、互にあしき心行あるもの也。それ嫁はいとおしく大切に思ふ子の妻なれば姑の本心は慈しみ愛するものにきはまれり。后々に悪み嫌ふ如くなる心、始よりあらば何の為に取り迎ふべきや、取迎ふる時に悪む心はなけれども、世の常の親の習にて其子を思ひすごすによりて、嫁の容儀才徳のよくそなはらんことを願へり。才は女の萬のしわざ也、徳は心だて、身の行のやはらかに道ある事なり。  容儀才徳のよくそなはりたる女は世に稀なるものなれば、嫁のそなはらざる所を責むる心はげしきによりて、慈しみ愛する本心くらく、日にそひ、悪む心おこる也。嫁の方にも物我の隔心といふものあり、世の人の常の習にて他人は必ず我を悪むもの也と迎へ帯ふる心あり、この物我の隔心よりみて慈しみ愛する事出来ぬ也」  いかにも、我々は自分が本来具有するところの本心を明かにせねばならぬのであります。  縁慈  かやうに仏性とか良心とか本心とかといふやうな根本の心に本づきてあらはれる慈仁の心が慈悲といはれるものでありますが、我々人間にこの慈悲があらはれるのは種々の機縁が存するのであります。仏教にてはその縁を三神に別けて、三種縁慈といふことが説かれて居るのであります。  三種縁慈   縁は即ち縁繋、慈は即ち愛念、蓋し言ふ、菩薩常に大慈の心を以て一切衆生を縁念し、それをして皆安穩快樂を得せしむ、故に縁慈と名づく。  一、有情縁慈 亦衆生縁慈と名づく、謂く菩薩平等智を以て一切衆生を観ずること猶ほ赤子の如く、大慈悲心を運びて弘く之を濟ひそれをして皆安樂を得せしむ。これを有情縁慈と名づく。  二、法縁慈 謂く菩薩平等智を以て一切の法を観て皆因縁和合より生じ了りて自性なし、自性なしと雖も能く大慈心を運びて以て弘くこれを済ひそれをして皆安樂を得せしむ。これを法縁慈と名づく。  三、無縁慈 謂く菩薩平等智を以て、心に一切衆生に樂縁することなく、一切衆生に於て自然に獲益す、故に輔行と曰ふ。此慈悲を運び、法界を編覆す、故に能く任運に苦を抜き、自然に樂を与ふ。これを無縁慈と名づく。」(仏地論)  有情縁慈は人々を縁としていつくしむ心を起して来るのでありますが、仏教ではこれを小慈小悲といふのであります。普通の人間の慈悲といふのは皆これでありまして、ある人を目当にしてあらはすところの慈悲であります。「小慈小悲もなき身にて、有情利益は思ふまじ」といふ、親鸞聖人の和讃にあります小慈小悲といはれるものであります。次の法縁の慈悲は中悲といはれるものであります。もう一段進んだのが無縁の慈悲であります。小さい慈悲は人を縁とし、中の慈悲は法を縁とし、大きい慈悲は縁とするものがないのであります。たとへば雨に逢ふてその潤によりて柳は緑、花は紅といふやうに、何等の縁なしに起る慈悲はめいめいにそれを受けてその慈悲に浴するのであります。  小慈小悲  かやうな大慈大悲は仏でなくては出来ぬものであります。人間としてかういふ大慈悲の出来るわけはありませぬ。中悲は固よりのこと、小慈小悲でも人間には容易でないのであります。実際我々が人をたすけるやうに思ふてすることでも、それが果してその人をたすけて居るかどうかはわかりませぬ。こちらではたすけたと思ふても、その実はたすけてゐないでその人には有難迷惑かも知れませぬ。貧乏者に金をやつたとしてもそれが果してその人をたすけたのであるかわかりませぬ。人間といふものは自分の欲望を突き出して他の人に頼むものであるから。そのたのみを受け取つてその通ほりにすることが果して善いことかは問題であります。それ故に小慈小悲は普通の人間には先づ出来るものとしても、それが果して慈悲であるかどうかといふことは問題であります。しかしさういつたからとても、小慈小悲はつまらぬものであるから、それはせいでもよいといふのではありませぬ。ただ小慈小悲であるといふことに気がつかずして大きな慈悲を人に施したといふやうな驕慢な心になつたのでは、慈悲の価値は全く零であることを考へねばならぬといふことを説くのであります。仏の慈悲が大慈大悲でありますから、その慈悲に浴すれば自然に樂を与へられ自然に苦しみを抜かれるのであります。我々にして若し小さい知慧を捨て、欲張つた心を離れて虚心の状態であるときに始めて仏の大慈大悲に接することが出来ると説かれるのであります。  善御  釈尊が世に居られました頃、善御といふものが居りまして、この人が慈悲の心に富むで居つたといふことが伝へられて居ります。  「商人五百名が寶を取りに海へ行くことになつた。この時凶暴な一人の商人が、その寶を獲やうとして潜かに船内に乗り込んだ。それを知つた五百人は非常に驚き畏れた。するとその中に普御といふ支配格のものがあつて、その人は常に慈悲深い人で評判のよい人であつたが、他の人々が騒いで居るうち、うたたねをしてその夢に大海神が出て「どうか善い方法で、この悪人が殺生業のために地獄に陥らぬやうにしてやれ、又一方ではお前と一緒に居る五百人の生命を安定にしてやれ」と言はれた。醒めてから善御は一週間ほど熟考した末、途に彼男を殺した。そこでその悪人は地獄に堕ちず、自分は必らず地獄に堕ちてもよいと考へたのである。幸にして五百人の命は助かつた。」  善御はかやうにして、自分が地獄に落つることを忍びて、他の悪人を救ひ、又あはれなる多くの人々を救ふたのであります。身を殺して信をなすといふのはかういふことを指すのでありませう。  慈力王  今一つ慈力王の話があります。慈力王といふのは大変に慈悲の心に富むで居て一切の生物を平等に憐れむで會つて慈悲の心を厭ふたことは少しもない、その感化で慈力王が支配せる国の人民は十善を行ふやうになつた。その国には人間の血を吸ふ悪鬼が居たが、自力王の威光が強かつたために殺すことが出来ず、飲食を得る機會がなくなり、生血を吸ふことが出来なくて困つた。そこで五夜又が王の所へ行き、自分がかうして困つて居るから、どうか助けていただきたいと願つた。さうかそれは困つたことだから自分の血をやらうと言つて、自分の体に刀をさして血を出して吸はせた。そこで慈力王は「汝等はそれで十分なら、今後十善の心を起して実修せよ、私は今、汝等に身血を施して飢渇を救つてやつた。私が今後、仏になつたら、戒定慧の血を以て汝等の三毒の欲望の飢渇を除いて涅槃の安樂を与へやう」と、大願を起して修行をはじめられた。  かういふ話の中にはいかにも貴い宗教の心が窺はれるのであります。自分の血を出して人にやるやうな慈悲の行をしたのであるから、普通の人であれば、善いことをしたといふ高慢の心がすぐにあらはれるのであります。たとへば人に金をやつた、物をやつたといふことは何れ良心のはたらきでありますから自分の心持が善いことは当然でありませう。しかしそこに驕優の心があらはれて来るのでありますから、ただ自分は善いことをしたとたかぶる心があらはれるのみであります。蒸力王はさういふ場合にも、相手をして道を修めしめやうとしたのであります。それこそ、大慈大悲の心に近いものでありませう。  無害  今一とつ無害といふものの話があります。  「婆羅門の子に無害といふ人があつた。その子は生れつき他を害する心は少しもなく、唯の一度も虚言したことがない。或時父に向つて、外出して往来するときにも、無益の殺生は避けるやうにせねばならぬと言つた。父は無害に向つて、日常生活の間に無益の殺生を避けねばならぬことは勿論であるが、実際、路傍の燕まで注意して往来することは不可能のことであらうといつて耳を籍さぬ。理想に生きる無害に取つては父のこのやうな態度は物足らぬ。此の世に生きて居たところが、最愛の父親もかくの如くであるから仕方がないと覚悟をきはめ、毒龍の棲むで居る泉の辺に坐して死をまつた。当時の人々は毒龍を見ると、毒気に中てられて立所に死した。父は無害の行方を探したが、巳に無害は毒龍の姿を見て命を失はうとするときにあふた。父は大声を出して、自分の子の無害は生来害心がないから毒龍の毒気は消散する筈だと言つたところが、毒龍が忽ち消えて無害の命は助かつた。」  他を害する心が無いといふことは言ふまでもなく慈悲の心に富むだものであります。たとひさういふことが日常は出来ないことであるにしても、それを理想として生活すべきことは、我々に取りて大切のことであると言はねばなりません。  金剛の悲心  かやうに、慈仁の心は我々の本心として、本来具有するもので、一切のものを愛する善心としてその勢は極めて強いものであります。若しそれが自覚せられるときはそのぐるりにあらはれて出る人間の欲心といふものは極めて弱いのであると知らねばなりませぬ。これにつきて次のやうな話があります。  「多勢の比丘が広い野原を通つたとき、一團の盗賊に會つて、衣裳を?ぎ取られ真裸になつてしまつた。その頭目は比丘等を殺さうとした。その弟子の中に比丘の法を知つたものが居つて「殺さんでもよい、彼等は生きた草を傷めることが出来ぬ掟だから、生えた草で比丘を縛して置けば動くことが出来ぬ」と言つたので、生草に縛りつけた。夜になると虻や蜂が来て大変難儀であつた。するとその中の老比丘が「人の命の短き事は大河の流よりも速である、たとひ天の殿堂と雖も磨滅の時が来る、まして人間の命は無常の最なるものである。故に決してこの無常の命を惜みて禁戒の掟を破つてはならぬ。賤しい命を以て貴い法に易へるべきである。我々は外に行かうと思ふところはない、只このままに、戒を堅守して死すべきである。」  「脆きこの草断つは難からず。ただ金剛の戒に縛せられ、断たんと思ふ心なし。草木も亦生けるもの、彼を断つは殺生と御仏は説き玉ひぬ。かるが故に断つを得ず」  そこへ王がやつて来て、何うしたのかと思ふてよく見ると、裸外道のやうに裸では居るが左の肩が黒い、これは釈尊の弟子に違いないと知り、その貴い心に感心して、早速いましめをといたといふことであります。慈悲の心と言ふものはしかし徹底すればそこまで行くのでありませう。  妄念  かやうな慈悲の心に富むだ人々の話を聞いて、我々の心に感ぜられることは、それは我々の真似の出来るものでないといふことであります。我々には人と我とを距つる心が強く、ただ自分をひいきにして反省して自分の非をさることがなく、たとひ人の為にするとしたことでも結局は自分のためにするやうな我々でありますから、到底さういふ人の足許にも寄りつくことが出来ないのであります。しかしながらそれはわれわれ人間の心の地体であります。  「妄念は固より凡夫の地体なり、妄念の外に別に心はなき也、臨終の時まで一向、妄念の凡夫にてあるべきぞと心得て、念仏すれば必ず来迎にあづかりて蓮臺に乗ずる時こそ、妄念をひるがへして、さとりの心とはなれ」(横川法話)  かういふ立派な鏡を向ふに置いて、それに対して自分の姿をして見ると自分の穢い心がありありと自分にもわかる筈であります。兼好法師の「徒然草」に昔或る法師が自分のすがたの醜きを恥ぢて鏡を見なかつたといふことが書いてありますが、さうすればそれですむことでありませうが、それは自分の醜から逃避するのであります。それによりて心が安らかになることはありませぬ。鏡に向ひて自分の姿を見れば、まことに小慈小悲もなきものでありますから、衆生利益などは思ひも寄らぬことであります。ところが我々には自分勝手の心が妄念として心に一杯滿ちて居るのでありますから、固より人のために尽さねばならぬ、又尽さうといふ心もないではありませぬが、しかし人のために善く尽したといふ驕慢の心が出るので折角尽した慈悲は無くなつて仕舞ふのであります。  聖道の慈悲  それにつきて想ひ出されるのは親鸞聖人の言葉であります。親鸞聖人はかやうな慈悲を指して聖道の慈悲と言つて居られるのであります。「嘆異鈔」にそれにつきて次のやうなことが記してあります。  「慈悲に聖道浄土のかはりめあり、聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむ也、しかれども、思ふが如くたすけとぐること、きはめてありがたし、又浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲の心をもて、思ふが如く、衆生を利益するをいふべき也、今生にいかに、いとをし不便と思ふとも、存知の如く、たすけがたければ、この慈悲始終なし、しかれば、念仏まふすのみぞ、末とほりたる大慈悲心にてさうらふべきと、云々」  まことに物をあはれみ、かなしみ、はぐくむことを思ふが如くにたすけとぐることは、我々のやうな凡夫に取りては極めて困難の事であります。  浄土の慈悲  これを要するに、宗教的に内観した上から見れば、自分の心は如何にもあさましく、妄念にみちたものであるから慈悲といふやうな尊い心はないと痛切に感ずるところに、われわれが慈悲を行じやうといふ心が真にはたらくのであります。それ故に内観が徹底したときに念仏申すのみぞ末通ほりたる慈悲心であると言ふべきでありませう。一切の計を止めて本心のまま、仏性のまま、そこに現はれて居るまことに導かれて行く心に、末通ほりたる慈悲心でありませう。かれやこれやと計ふことをやめて、我欲を離れたる本心に立返つて仏性の動くままに動く、それが行に現はれたところが、慈悲と言はれるべきものでありませう。さういふ時には或は相手の機嫌を損ずることもありませう。しかしそれはその人の気に入らぬといふことで慈悲はそれにかまはずにあらはれるのであります。相手が不満であるとか何とかといふことは慈悲そのものとしては問題ではありませぬ。たとへば小児が無暗に菓子を求める。あまりに澤山に菓子を食ふと胃腸を害するからと言つて望むがままに与へぬことは小児に取りては苦痛であるが、しかし親の慈悲であります。「念仏まうすのみぞ末通ほりたる大慈悲心ににさうらふべき」と言はれる意味も全くここにありて、本心の仏性の動くがままに、人に対して行ふことが無縁の慈悲となりてあらはるるものであると見るべきであります。  第十二講 不信  不信  仏教にて不信といふのは真実の法を見聞してもこれをなるほどと思いて願ふ心がなく、穢れ濁りたる心でありますから、随煩悩の一とつとして挙げてあります。真実の法を見回して貴くめでたきことと深く思ひ願いて、澄みたる心が信の心所として喜ばるるに対して不信は「自相渾濁にして復た余の心、心所法を渾渇する」ものであるとせられ、又かかるものは多く懈怠であるとせられるのであります。隨煩悩とは貧・瞋・慢・無明・疑・不正見の六大煩悩に随ひて起る煩悩といふ意味で、煩悩としては軽い種類のものでありましても、不信は自分の心をも濁し、又他の心をも濁すこと泥鰌の如きものでありますから、道を修める障碍となるものであります。  信  信は不信に反して澄浄のもので、信が起りたるときは煩悩の心が無くなつてその心が清くなるのであります。さうしてそれは自分の心を浄くするのみでなく、他の濁れる心を除くものであります。それ故に、仏教の書物には信がくはしく説いてありますが、その中にて「華厳経」には次のやうに記してあります。  「信は道の元となす。功徳の母り。一切の諸の善法を長養す。疑納を断除し、愛流を出で、涅槃無上道を開示す。信は垢濁の心なし、清浄にして驕慢を滅除す。恭敬の本なり。亦法蔵第一の財となす。清浄の手となりて衆行を受く。信は能く悪施して心におしむことなし。信は能く歓喜して仏法に入る。信は能く智功徳を増長す。信は能く、必ず如来地に至る。信は諸根をして浄明利ならしむ。信の力は堅固にして能く壞るものなし。  信は能く永く煩悩の本を滅す。信は能く専ら仏の功徳に向はしむ。信は境界に於て所著なし、諸の難を達聴して無難を得しむ。信は能く衆魔の道を超出して、無上の解脱道を示現せしむ。信は功徳の為に不壊の積なり。信は能く菩提樹を生長す。信は能く最勝智を増益す。信は能く一切仏を示現せしむ」  かういふ風に信の功徳といふものがくはしく説いてあります。それから「仏法の大海には信を以て能人となし、智を以て能度となす」といふことが「智度論」にあります。又「信心を種子となし、苦行を時雨となして生長する」といふことも説いてあります。「心地観経には「人の手なければ実の山に至ると雖も、終に得る所なきが如く、信の手なきものは三寶に遇ふと雖得る所なし」又「仏法の海に入るには信を以て根本となし、生死の河を渡るには戒を船筏となす」ともあります。又「寶積経」には「信は是れ仏の子なり、是の故に、智者はまさに常に信に親しみ近づくべし。それから又「華厳経」には「人の手ありて寶の山に入りて自在に寶を取るが如く、信あるも亦爾かり、仏法の中に入りて自在に無漏の寶財を取る」。又「涅槃経」には「信ありて解なければ無明を増長し、解ありて信なければ邪見を増長す、信と解と円通して、まさに行の本となる」かういふ風に信といふことが大切のものとしてくはしく説かれて居るのであります。  疑  日常の生活にありても信じて疑はぬといふことは重要のことであります。若し何事をも疑ふてこれを信ずることが無いとすれば我々の日常の生活はまことに苦しいものでありませう。昔の支那人の言葉に「自から信ずるものは人も亦これを信ず、呉越も兄弟なり。自から疑ふものは人も亦これを疑ふ、身外皆敵国なり」とありますが、実際その通ほりで、家庭にありても朝晩の食事をも疑ひを起してその中に毒が有りはしないかと思へば、容易に食物を摂取することは出来ませぬ。勿論食物の中に毒はないとも限らぬ。たとひ故意に毒を入れなくとも自から毒の入ることもあり、腐つて毒が出来ることもあり、又あやまつて毒の入ることもありませう。しかしながら普通には食物の中に毒はないと信じて疑はないから一々検査しないでも平気で食べられるのであります。あらたまつて人に食膳を供へるときには毒味をすると言つて主人が一番はじめに食べて見ることが儀禮のやうになつて居るのでありますが、平生は食物の中に毒がないといふことを信じて疑はぬのでありますから平気で食事をして居るのであります。若し同じ家に幾人かが共同生活をして居りながら互に相信ずることの出来ぬのであつたならばその生活は甚だ不安でありませう。まこと疑ふて信ぜざる心は、人々の心を穢し減らすものであります。信によりてその心の浄清を求むることが大切であります。  信心  世間の生活にありて信が大切であると同じやうに宗教の心の上にありて信が重要であることは無論のことであります。「大乗起信論」に信心につきての詳細なる説明があります。それは次の通ほりであります。  「信心を説くに四種あり  一には根本を信ず所謂真如の法を樂念する也  二には仏に無量の功徳ありと信じ、常に念じて親近し供養し恭敬し、善根を発起して一切智を願ひ求む  三には法に大利益ありと信じ、常に念じて波羅蜜を修行す  四には僧能く自利利他を修行すと信じて、常に樂しみて諸の菩薩衆に親近して如実の行を求め学ぶ」  この説明に拠ると信心といふことに四つありまして、その一には根本を信ずるのであります。根本とは宇宙の根本を指すので宇宙の根本とは真如をいふのであります。二にはに無量の功徳ありと信ずるのであります。この仏といふものは真如が形をあらはして人間に觸れて行く場合をいふのでありますが、これを信ずるものは仏に親近し供養し恭敬し、善根を発起して一切智を願ひ求むるのであります。三には法に大利益ありと信ずるのであります。法といふのはその仏のからだにあらはれて居る真如のことであります。四には僧を信ずるのであります。僧といふのは仏が人間のからだにあらはれて活動する場合を指すのであります。かやうな訳でありますから、仏とは法そのままをあらはすもの、法は真如で、その仏のはたらきを人間がするとき僧といふ、すなはち仏と法と僧との三寶を信ずるのであります。かやうに「大乗起信論」に説明してあるところに拠りますと、信心とは宇宙の根本であるところの真如を信ずるのであります。さうして真如がその形をあらはしたのが仏でその仏に無量の功徳ありと信ずるのであります。又それは法が顕現したので、その法に利益ありと信ずるのであります。それが何となりて我々の前にあらはれたときその僧を信ずるのであります。簡単に言へば常住に宇宙に存在する真理を信ずるのであります。  三信  かやうに「大暴起信論」に就いてあるやうに理論の上から言ふところの信心も浄土真宗などの宗義から見るときは阿弥陀仏の本願の文に見えるところの至心・信樂・欲生の三信とせられるのであります。我々が自分の心を至して、誠意を以て阿弥陀仏の本願を信樂し、その本願に從ひて浄土に往生することを欲するのが約めて信心と言はれるのであります。勿論それは自力の信心でありますから、既に安心立命の境地に至るべきものではありませぬ。宗教の心の上から言へばこの信心は他力のものでなくてはなりませぬが、他力の信心は我々の心でなくして全く仏の心であるとせねばなりませぬ。このことにつきては後に述べますから今はこの位にして置きませう。  三不信  前に申した三信に対して三不信といふことが挙げられて居るのであります。それは我々が阿弥陀仏の本願を信じて、真に至心・信樂・欲生することが出来ぬことを言ふのであります。第一に信心不淳、第二に信心不一、第三に信心不相続の三不信が信心に対して挙げられるのであります。信心不淳とは信心が存するが如く亡きがごとくといふやうに淳からざる場合を指して言ふのであります。ありがたい心が起るかと思ふとすぐにそれが無くなる、分つたかと思ふと分らなくなる、つまりあるがごとく無きがごとくで、若存若亡の状態であります。われわれの心が淳くないために、自分の心でいろいろに考へるから信心が淳朴でないのであります。信心一ならずとは心を專にして信ずることが出来ぬ。信心相続せずとは何か信じやうとしても外の考へがまじりてその信心が続かない、殊にわれわれの心には道徳の心があらはれ、自分を繕ふ心が強いのでありますから、生れつきのまま素直に他のものの言ふことを受け取ることが容易でありませぬ。それ故に信心は若存若亡の状態で、雑念がまじり、心が定まらないのであります。それを三不信といふのであります。  自力の信心  兎も角もわれわれの心にて信ずる状態は三不信と言はれるのでありまして、たとひ信ずることは信じても一心でなく、信心があらはれたり、無くなつたりして、すこしも続かないのであります。これは我々は生れつき自分といふものを中心にして一切の事を考へるのでありますから、仏・法・僧の三寶を信ずるといひましても、この三つを信ずる心持は決して淳朴でありませぬ。人の言つたことを素直に飾り気なく受取ることは容易でありませぬ。それから我々が心を專に出来ぬのはわれわれの心は散乱するのが常であるからであります。それから信心を続けることが容易でない、今信じて居つてもどうかするとそれがすぐ変るのであります。  他力の信心  此の如き、自分の心のすがたをばよく内観するときは、到底我々の自力の信心は駄目であるといふことに気がつき、自分の心にて善し悪しとはからふことを止めて、そこに感知するところのものがすなはち阿弥陀仏の本願と言はれるものでありまして、かやうな愚悪竄劣のものが、たすけられるのであると喜ばれる心であります。これを信心といふことよりして見れば自分がさう信じやうとするのでなくして、むしろさう信ぜしめられるのであると言うべきであります。親鸞聖人の言葉に「信心といふは即ち本願力廻向の信心なり」(教行信証)とあるは全くこの意味であります。阿弥陀仏の本願がわれわれに下された信心であるといはれるのであります。  真実信心  親鸞聖人の「一念多念証文」に次のやうな言葉があります。  「信心は如来の御誓を聞きて疑ふ心のなきなり」  親鸞聖人の心では仏を信ずる心はわが賢くて如来を信ずるにあらず、如来がその心を自分に下されるから信じて疑はぬのであるといふ考へであります。又親鸞聖人の「正信偈」には  「貪愛瞋憎之雲霧、常覆真実信心天」  とありまして、信心の上に真実といふ言葉がついておるのであります。それは貪る、愛する、瞋り腹立ち、憎むといふやうな我々の煩悩が、雲や霧のやうに、常に真実信心の天を覆ふと譬へてあるのであります。真実の信心をば日光に譬へ、たとひ日光は雲や霧に覆はれて居りても決して滅して居るのではない、雲や霧が晴れれば日光は元通ほりに世を照すと同様に、真実信心は我々の煩悩によりて滅せられるものでないといはれるのであります。  仏心  本願寺三代目は覚如上人でありまして、覚如上人は親鸞聖人の教を十分明かに説明せられた方でありますが、その覚如上人の著はされた「最要鈔」に、「諸有の衆生が其名號を聞きて信心歡喜す云々」といふことを説明して「この信心をば、まことのこころとよむうへは、凡夫の迷心にあらず」と説明してあります。前に申したやうに親鸞聖人の信心は仏の本願の心が、我々の心にあらはれたのでありますから「凡夫の迷心にあらず、またく仏心なり、この仏心を凡夫にきづけたとき、信心といはるるなり」と説明せられるのであります。つまるところ仏の心が自分の心にあらはれたことを感ずるとき、それが信心といはれるのであります。「凡夫のまことの心とおぼしきは、一念起すににたれども、またくすゑとほらず」であります。凡夫がまことの心を起して仏を信ずるやうに見えても、それは全く末通ほらぬものであります。仏を信じた心になつたやうでも、よく考へればそれは自分がその例を使つて居るのであります。金が儲けたい病気を治して貰ひたいとて仏を信じやうとするのであります。仏はさういふ貪欲の心を離れるべきものであります。しかるにさういふ貪欲の心を以て仏を信ずるといふのは自分に何か利益を得やうといふのでありますから、信じたのではなく何かの目的に使ふのであります。  信心歓喜  「たとひ清心をおこすといへども水に置けるがごとしとみえたり、やぶれ易きこといふにおよばず、往生ほどの一大事を、やぶれやすき凡情をもて治定すべきにあらず。」  我々が心に仏を信ずればまことに麗はしいのでありますが、しかし事実我々の心に真実の信心は起きて来ないのであります。蓮如上人はこのことにつきて次のやうに言つて居られるのであります。  「信心を起すといふは、これ強ちに我が貴くて起すにあらず、其故は宿善のある機を、弥陀の大慈大悲によりて悉くも能く知ろしめして、無碍の光明をもて、十方世界を照し玉ふ時、我等が煩悩罪業の罪、光明の縁に遇ふによりて、即ち罪業消滅して忽に信心決定する因を起さしめるなり」  かやうな心持が当然湧いて来ることでありませう。それから又「金剛のこころざしを起すといふはいまの願成就の信心歓喜の心なり、わがかしこくて信ずるにあらず」と言はれるのでありまして、信心が阿弥陀仏の本願の心のあらはれでありますから、その本願成就につきての仏の心が、我々の心にあらはれて、歓喜の心となるのであります。  聞其名號  「大無量壽経」に「聞其名號、信心歓喜」といふ言葉がありますが、この言葉は明かに今説明したやうな意味を示したものであります。その名號といふは阿弥陀仏が衆生の往生を治定するがために本願を起し修行してその願が成就して仏となられた名號であります。すなはち南無阿弥陀仏であります。それ故にこの名の中には阿弥陀仏の他力を以て我々の往生が治定したといふことを我々に示すところの意味がそなはつて居るのであります。たとへば夫婦の間に子供が出来ると、その夫婦に親といふ名號がつくのでありますが、親といふ名號を聞くことによつてその子供は親の慈愛の心を感受することが出来るのであります。それと同じやうに、衆生があるがために阿弥陀仏に南無阿弥陀仏の名號がついたのであります。それ故に、南無阿弥陀仏の名號を聞くときは、その名號の中にあるところの阿弥陀仏の慈悲の心が衆生に感知せられるのであります。さうして、その慈悲の心が、我我に取りては信心と言はれるのでありますから、その名號を聞いて信心歓喜の心があらはれるのであります。それも固より我々が何か利益を得て喜ぶ心とは相異せるものでありまして、実際に於て親を疑はぬ心として極めて安樂な心の状態に外ならぬものであります。  妙好人七三郎  三河の七三郎は妙好人として名高い人でありますが、あるとき美濃の牧野村の金四郎といふ人が七三郎を尋ね来て  「其元は甚だありがたきとて、お悦びなされるとあるが、私はすこしもありがたうござりませぬ、ちとお引立下されませ」  と申しました。どうも仏の本願は私のやうな罪深きものをおたすけになると聞いても少しもありがたくないが、どうしたらよからうかとの質問であります。すると七三郎はこれに答へて  「お前さまはお前のありがたいで、參る御心かへ、この七三郎は如来様のありがたいで參らせて貰います、凡夫のありがたいはあてにならぬ、如来様のありがたいは、さめることはござらぬ。」  と言ひましたので、金四郎はこれを聞いて溜息をついたといふことであります。かういふ心は自分の浅間しい相に目をかけながら、如来の本願に気をつけぬから起つて来るのであります。多くの人の心はさうでありませう。も少し心が開けて自分の愚悪羸劣に気がついても、自分でそれを修めやうとするところに仏の本願は信じられないのでありまして、畢竟するに自分の心が強く起るからであります。  本願を抑へる。  真実信心といふのは仏の心が我々の心にあらはれたことを言ふのであることは前に言つた通ほりでありますから、自分の力をすてて仏の大きな力に縋るところに自然に信心歓喜の心が起らねばならの筈であります。それがどうもならぬといふのは邪見驕慢の心が強くしてその自分の心を捨てることがむづかしいからであります。履善師の書かれたものに、次のやうなことがあります。  「喩へば看病人が病人の腹を屹と抑へて居る心なり、病人の心これを樂なりと思ふことはあるまじ、其手を放ちて去る時こそやれ樂やと思ふ心は起るべし。いま又爾り、向ふの言句《ことば》に迷ひ本願を抑へ仏智を抑へ守りて放たぬを信心とは言はぬ、それはやはり自力の計なり、其計ひを捨てて仰いで仏智に任せ奉るは手を放つが如く、其時こそ歓喜踊躍のくつろぎも生ずべきぞ」  まことにさうであります。本願を抑へたり、仏智を抑へたりすることが信心ではありませぬ。かやうに自分をへ、又本願を抑へるやうな邪見驕慢の計ひの心を捨てるところに、真理の信心が自からにしてあらはれるのであります。  袖口同行  江戸の庄之助も七三郎に劣らぬ妙好人でありましたが、或夜會合の席で申していはく  「御法義歡ぶひとは高ぶる心甚だあしし、されば古歌にも     真実の信得しひとは藤の花さがるにつけてとふとかりけり  とあればとかくつむりをたれてよろこぶに如くはなしと云々」  自分の心が謙下でなければすべての事を他から受取ることは容易でありませぬ。下へ下へ下つて行かうといふ心持が出ない限り、人をさばきこれを教へ導いてやらうとつとむるのでありまして、自分に得るところはありませぬ。しかるに、その下げるべき頭を上げる故に困りますと一座のものは話し合つたのであります。さうすると庄之助は  「隨分ゆがみはあさましきいたづらものと見限るが当流のおしへなれども、兎角袖口同行おほきものなり」  と申しけるに、傍らの同行問ふて曰く  「その袖口同行とはいかなるわけにて候や」  と問ひければ庄之助の曰く  「我等近所に有徳人と貧者とありけるが兩方の家に娘一人づつあり、同じ師匠のところへかき初にゆくとき、此の貧者の親思ふやう、隣の娘はさぞ結構なる衣裳をきかへてまゐるべし、せめて我娘にも表ばかりなりと新しくせんと心をつくし切々をあつめてうらをば夜の目も寝ずにつぎあつめてこしらへ、先づ上の著物は出来たれど、下に著すべき襦袢なき故、ふるきぼろのじゆばんに袖口ばかり新しくして著せければ娘は大きによろこび隣へさそひに行けば、隣の内儀いはく、扨も結構にかみが出来た、うつくしい著物、をやじゆばん出来たといへばこの娘大きに喜び上のをまくり見せればおくからぼろが出る」  多くの人々が、ただ外面をのみ飾らうとしても、袂のぼろは常に出て来るものであります。しかるに徒らにぼろを隠すことにのみ骨を折りて、彼此と計ふ心の上には到底仏の本願が感知せられることはありませぬ。  他力念仏  仏教にて念仏といふことは仏の功徳を念ずることでありますが、法然上人や親鸞聖人の浄土教にては念仏とは阿弥陀仏の名號たる南無阿弥陀仏を称ふることであります。しかもそれは自分の力にて称名するのではなくして、仏の慈悲の力にて称名せしめられるのであります。実際、我々が自分の心の計ひを止めて感知するところの仏の心が口に出でて南無阿弥陀仏となるのであります。「蓮如上人御一代記聞書」に次のやうなことが載せてあります。  「勧修寺村の道徳、明応二年正月一日に御前へまいりたるに、蓮如上人、おほせられさふらふ。道徳は、いくつになるぞ。道徳、念仏まうさるべし、自力の念仏といふは、念仏おほくまうして、仏にまいらせ、このまうしたる功徳にて、仏のたすけ給はんずるやうにおもふて、となふるなり」  蓮如上人が道徳に対して念仏申せと言はれたのは阿弥陀仏の本願を信ぜよと言はれたのであります。さうして我我が阿弥陀仏の本願を信ずることが出来るのは、前にも述べたやうに、内観を深くして、煩悩具足の状態を明かにしたときであります。さうしてそれは自分の力によつては不可能でありますから、すべてが仏の慈悲であると感知するのであります。  「他力といふは弥陀をたのむ一念のおこるとき、やがて御たすけにあづかるなり。そののち念仏まうすは、御たすけありたる、ありがたさありがたさと、思ふところをよろこびて、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と申すばかりなり。されば他力とは他の力といふところなり。この一念、臨終までとほりて、往生するなりと、おほせさふらふなり。」  かやうに、我々が自分を中心として都合のよいやうに得手勝手に計ふ心を捨てて、その時感知するところの心を阿弥陀仏の本願として、宗教的の説明が施されて居るのでありますから、我々が煩悩具足罪悪深重の世界に住みて自由円滿の心の境地に進まむとするには阿弥陀仏の本願を信じて他力の念仏をまうす外はないのであります。  聞法生活  本篇は、昭和十五年三月九日、瑞祥院妙諦尼の一週忌法要記念のために刊行せられたものである。  虚仮不実  煩悩具足・火宅無常の世界はよろづのこと皆以てたはごとそらごと、まことあることなしと言はれるのである。多くの人々は人間性が円満に表現せらるることを期せずして、ただ生活の方法たる門閥・財産・学問などを目的としてひたすらにそれを熱望するのである。人格そのものを価値の標準とすること無くして、その人が所有するところの財産の如何によりて人格が評価せられるのが常である。それに価値判断が間違つて居るがために主観が客観に征服せられて居ることを多しとする。理想が極めて低く、しかも現実の享樂に執著するがために目前の利欲に走りて永遠の計をせぬのが常である。景気の善い折には成金風を吹かして我を張り世を毒し、不景気に襲はれたときは忽ち姿縮して頸をくくつて人に迷惑をかけるといふやうなみじめな生活をして居るのである。  此の如き虚仮不実の人間の生活は固より今日に始まつたものではない。今から凡そ三千年前に釈尊がかやうな我々の生活の態度につきて説かれたことが「大無量壽経」に載せられて居る。釈尊はこれを三種の苦しみに別けて詳細に説いて居られる。その大意をつまむで言へば次の通ほりである。  貪欲の苦  「世の人、薄俗にして、互に急がぬともよいことを争つてゐる。この劇悪極苦の中にあつて、ただ自分の肉体を養うための世渡りの業務に追はれて日を送つてゐる。尊き人も、卑しき人も、貧しきものも、富みたるものも、若きものも、年老いたるものも、男も、女も、皆銭財につきて心配して居る。有るものも、無きものも、心配するといふことは同じである。有るものは失はむことを恐れ、無きものはこれを得むと求む。その心配は同じことで、それがために息がつまるほどである。それに、過去のことを思ひ、未来のことを考へて、心のために使はれて、一生涯の内に心の安穏なることがない。  田があれば田を憂ひ、宅あれば宅を憂ひ、牛馬や奴婢や、金銭・衣食・什物などに至るまで、一として心配の種とならざるものはない。  また思ひがけなき水火の災難や、盗賊・怨家・借主のために、折角貯へたる財産も、家屋も、或は焚かれ、或は流され、或は奪ひ取られて、消えてなくなつて仕舞つたときは、心は憂ひ乱れてなかなかに解けるときはない。憤怒の情が心の中に結ばれて憂悩を離れることが出来ない。心は堅く執つて気が晴れることがない。  或は不時の水火の災難に遇ふて家財が損害せられたために、その禍が延いて我身に及び、身命を亡ぼすことになれば、我物と思つた財寶も、又我が身体もこれを棄てて行かねばならぬ。身が亡び命が終るときには誰一人としてそれに隨ふものはない。  此の如き憂苦は尊貴の人にも、富豪の家にも、これを免れることが出来ぬ。まことに憂□萬端にして、憂苦の甚しきは、身心が水の如く寒く、或は水の如く熱して、苦痛と同居するものであると言はねばならぬ。  また貧窮下劣のもので、常に困乏して居るのであれば、田なきものは田があるやうにと憂ひ、宅なきものは宅があるやうにと憂ひ、牛馬・奴婢・錢財・衣食・什物に至るまで皆これを得むと欲して憂ふるのである。しかるに、たまたま一とつあればまた一つが欠ける。此があれば彼が欲しく、種々の物を揃へて我物にしたいと思ふ。たまたま有つたと喜べば、それは夢の間で、すぐにまた無くなつて仕舞ふのである。  かやうに憂苦して求むることをすれども、これを得ることが出来ず、いくら考へてもこれを得ることが出来ぬために、身心共に勞れて坐起も安からずといふ状態になる。  あるひは貧苦にせめられて命をちぢめ身を終ることもある。しかるにその一生の間、人道を守り善行をなすこともなく、財を有するものは財寶を捨てて去るのであるが、貧乏のものに捨つべきものはない。ただ独りこの世を去るのである。さうして、命終の時にはその業にひかれて歎くところが定まつて居るのであるが、それを知つて居るものはない。  瞋恚の苦  「父子・兄弟・夫婦・其他親類縁者は互に相敬愛して、憎嫉することがあつてはならぬ。有るものと、無いものと、相通じて會惜することなく、相資くべきである。言語も、顔色も、常に和らげて相戻らざるやうにせねばならぬ。  一家和睦して居つたものが、時として争を起し怒を生ずるときは、今の世の恨は微少であつても、後の世には大怨敵となるものである。その故は、瞋恚増長すれば互に悩害し、心に忿怒を蓄へて、その憤りが心の中に結ばれて解けず、その恨を結びたるもの、未来には互に相対して生じて恨を報ゆるものである。  人といふものは世間の愛欲の中に住するもので、独り生じて独り死し、独り去りて独り来るものである。さうして死後に赴くところは一生の行業の報として自分がその責任を負ふて趣くべきところへ赴くべきである。自業自得で誰人もそれに代ることは出来ぬ。すなはち自分は自分の業報として定められたる処へ行くのである。かくして遠き処へと赴くときは誰人もよくこれを見ることが出来ない。その路は人々によりて異つて居るから會見することは出来ぬのである。」  愚痴の苦  「此の如くに世の人は愚痴であるから、此世にありて善をなして善を得、道をなして道を得ることを信ぜぬ。しかもこの因果の理を信ぜぬことをば却つて自分の見識であると思ひ、代々相承けて、同じやうに因果の法を信ぜぬ。かやうな邪見を父祖から子孫に伝へるために神が闇く、心ふさがりて、死生善悪の道理を見ることが出来ぬ。吉凶禍福は、各自の作すところのもので、一として怪しむべきものはないにも拘らず、それを知らざるのはまことに愚痴の至である。  生死の道はまた相嗣ぎて立ち、父が死せば子が嗣ぐのが常であるが、父が子に先だたれて哭することあり、兄弟夫婦の間にても、さかさまに哭泣せねばならぬことがある。この無常の道理を教へても、愚痴にして信ずるものがない。それがために生死を流転することは止むときがない。  かういふ人々は心に遠き慮がなく、当座の快樂に飽くことをのみ願ひ、愛欲のために心が迷ふて、道徳をさとらず、瞋恚の煩悩をば愚痴によりて増長して財欲や色欲を貪ることは琅の如くである。  世の中はすべて独り、人の心は煩悶をかさね、妻子の愛欲に耽り、正道を凝ふものは多くして、これを悟るものは少い。世間の状態は依悟すべきものなく、貧しきも、富めるも、上のものも、下のものを、皆世渡りのために身も心も休まる暇がない。食欲のため、又愚痴のため、互に自分に都合のよいことをのみ望み、相手のものをおしのけてでも自分の勝手なる欲望を滿足しやうと思ふばかりである。」  離苦の法  かやうに、釈尊は、我々の現在の生活が真実を離るることの甚しき有様を諄々と説いて居られるのである。我我はこれを聴きて、まことに我々の現在の生活が、正しき道にと進みて居ないことは、今日に始まつたことでないといふことを知り、いはゆる凡夫の自体として、曠功のむかしから棄てることの出来ない迷妄の心によつて、かやうな苦しみの世界をつくりて、そこに生活することの浅間しき有様を内省せざるを得ないのである。  そこに気がついて見ると、我々は現在の生活をかへり見て、何ともいひやうのない心持がするのである。現在の生活がいかにも浅間しいものであるといふことに気がつくとき、我々はどうにかしてかやうな浅間しい現在の生活の苦みから離れたいといふ念願が起るのである。貧欲・瞋恚・愚痴の三毒といはるるところの迷妄の心のはたらきによりてあらはれるところの種々の苦悩を免れたいと念願せざるを得ぬのである。  私が、これから、叙述しやうとすることは、この念願を達せむには、如何にすべきやの問題の解決であるが、その要旨を一言にして尽せば、現在の生活から離れて安心生活に入るべきことをすすめるのである。  安心  「私がここに安心といふのは宗教的の意味によるので、ただ単純に心を安んずるといふことではない。真実院大瀛師が著されたる「金剛碑」の中に「安心は心得とも、内心とも、この心ひとつとも、心中ともいふ」「安心といふはもとより外儀に渉ることにあらず、内心の領解なり」「安心といふも、信心といふも、六字の名號の心をよくよく心得るものを他力の大信心を得たるひととは名づけたり」などと説いてあるが、これによると、安心とは全く我々の心の中のあらはれで、内心の領解に外からいのである。さうして、その内心の領解とは他力の信心を信じて疑はぬ心持をいふに外ならぬ。  勝解院僧叡師の「助正芟柞」巻上には「心、仏願に安んずる、これを安心といふ」と叙述して、安心とは我々の心を仏の本願に安んずるのであると示してある。さうして更にこれを説明して「これ出苦の正門、昇道の真路大小聖人、重軽悪人、ひとしくこれによりて往生成仏す。伝法の聖者、道理をもてこれを研覈《けんかく》し、範を後毘に垂る。吾儕隨分に串習して、その研覈するところを宣揚す。義解といふべし。されば義解の趣とするところは安心を詮表するにあり。安心・義解は一として同ずべからずといへども、また異として分つべからず。義解の明かすところ多途あれども、均しく安心に順ずるを以て正に得たりとなす。若し順ぜざることあれば則ち正門を閉塞て真路をして通ずべからざらしむることを要す」と言つてある。これによりて見るに、大瀛師が言はれるやうに六字の名號(南無阿弥陀仏)の心をよく心得ることが安心であるといふことがますます明かにせられたのである。「心が仏の本願に安んずる」ことが安心であり、それが内心の領解であり、またそれが他力の信心を得たのである。さうして、それをたのむ一念が金剛のやうに、すこしも動乱せぬ有様を指して安心といふのであることが知られるであらう。  ここに、六字名號の心を心得るとか、仏の本願に安んずるとかと、専門的の用語にて示すときは、多くの人は、それを理解することが困難であるかも知れない。六字名號の心を心得るとか、仏の本願に安んずるとか、或は他力の信心を得るとかといふやうな心持を、その心の実際の有様から言へば「我々の心の兎角のはからひを離れたる」状態に外ならぬのである。されば蓮如上人の言葉に「安心とはただ心の果場《はつぱ》なり、兎角はからひなきが有無を離れたるなり」とあるのは、いかにもよく安心といふことを説明してあるものと思ふ。  かやうに、我々の心のはたらきが果てたるとき、すなはち兎や角やと胸の内にはからふことが無くなつたとき、我々がそこに感ずるのが他力の信心であるから、それに心を安んずるのが、安心といはれるのである。さうして、かやうなる心のはたらきが、宗教と言はれるのであるから、私が此に安心といふのは直ちに宗教の心のはたらきであるとして差支ない。  かやうな意味であるから、私がここに安心生活といふのは、すなはち宗教的生活に外ならぬのである。言葉をかへて言へば、我々の現在の生活は心が物に使はれるのであるから、四囲の対境に応じて変転窮まりなく、しかも常に憂苦を感ずるものであるが、かやうなる心のはたらきを調へて、外界の物に使はれることなく、常に自由に、又常に安穏に生活することを期するのである。  宗教  「宗教といふことにつきては、これまで多くの学者から種々に定義せられて居る。しかしながら、普通に宗教といはれるものには、宗教と名づけられるところの心のはたらきと、さうしてそれに本づきてあらはれるところの種々の形式(たとへば寺院・教會・僧侶・教義など)との二つのものが含まれて居るから、第一にまづこの二つの種類を区別して考へねばならぬ。  宗教の形式といふものは宗教的の思考によつて、次第に発達するものであるから、野蛮人の宗教の形式と、文明人の宗教の形式とには著しき相異がありて、簡単に定義を下すことは出来ぬ。同じ時代の人々の間にありても年齢の若きものと、年齢の長けたるものとの間にも、又個人と個人との間にも、種々の差別を示して居る。しかしながら、それにつきて叙述することは今ここに必要とするところではない。  生きたる神や仏が、果して存在するものであるか、どうか、といふやうなことは形而上学で研究すべきものである。宗教の心のはたらきはさういふ形而上学の研究によりてあらはれるものではない。  神や仏につきて、我々は客観的に言ふことが出来るか、どうか、といふうなことは神学若しくは宗教哲学の問題で、宗教の心のはたらきはこれ等の神学や哲学の思考によりてあらはれて来るものではない。  我々が如何にして神や仏を知ることが出来るかといふことは、認識論の上から研究すべきことである。宗教の心のはたらきは、さういふ認識論的の説明を要せずして、自から心の中にあらはれる一種特別の心のはたらきである。  宗教の心のはたらきはかやうに、我々の精神の現象としてあらはれるもので、しかも、それは我々の精神生活の中樞を占めて居るものである。それ故に宗教の心のはたらきはその影響を、学術・工芸・教育・経濟・政治及び風儀の上に及ぼして、我々の日常の生活と相離るべからざるものである。  私が今、ここに宗教といふのは、かやうなる心のはたらきを指すのである。それに本づきてあらはれて来るところの宗教の形式につきて言ふのでは決して無い。  生活と宗教  親鸞聖人はその著述の「教行信証」の化身上の巻の中に、伝教大師の「末法燈明記」を引用して「仁王法王互に顕れて物を開き、真諦俗諦遮に因りて教を弘む」と説いて居られるが、その意味は、国の王と法の王とがあらはれて、一方は世間の物を開き、一方は出世間の物を開きたまひ、又俗諦の世間法と、真諦の出世聞法とが互に相資けて教を弘めるといふのである。畢竟するに、社會諸般の事項と宗教的生活との間には離るべからざる関係が存するといふことを示されたのであらう。  世用法とは国法より道徳・習慣及び儀禮などに至るまでを指していふのである。ひとり法律や道徳のみでなく、学問でも、商業で、農業でも、経濟でも、その他、生活の上のすべての事項を指していふのである、出世聞法とはいふまでもなく宗教の心のはたらきを指すもので、親鸞聖人の教へられるところによれば「真実信心を獲得することによりて如来の大悲の心の中に摂取せられたることを感知し、ここに新なる心の命を得て、如来の智慧によりで指導せらるるところの精神生活を営むことを得る」といふに外ならぬ。さうして、此の如くに如来の大悲の心の中に摂取せられることによりて、我々は始めて物に使はれない金剛の真心を得るのであるから、宗教の心のはたらきがあらはれるときには、それが我々の日常生活のすべてのものにその影響を及ぼすことはいふまでもないことである。  親鸞聖人はこのことを現生の利益と名づけて詳かに説いて居られる。それは次の通ほりである。  第一は冥衆護持の益である。金剛の真心を獲得するときに、行者の方には夢ほども知らねども、天神・地祇は形に影の添ふが如くに護持したまふといふのである。行者の方からいへば、護持せられながらに、それを見ることを得ざるが故に、これを冥衆といふのであるが、それは如来の分身又は化身若しくは応身であるから、行者の方からして別に祇願するには及ばずして、冥衆が進むで護持せられるのである。  第二は至徳具足の益である。金剛の信心を獲得するときは、自から求めざるに功徳がその身に満つるといふのである。如来の本願に信順するときは、すなはち如来の心の中に摂取せられるのであるから、その人は知らず、又求めざるに、功徳がその身に充満するのである。  第三は転悪成善の益である。すでにその身の内に至徳が其はるに至れば、それが外にあらはるべきは必然のことである。仏の本願の功徳が内に薫じ、神仏の威力が外に護持するが為めに、無善造悪の凡夫も、かの至徳の故に、自から悪を転じて善を成すに至るといふのである。  第四は諸仏護念の益である。諸仏は金剛の信心を獲たるものを監視するために常にその前に立ち、たとひ山野にあるも、旅中にあるも、家内にあるも、その他、いづれの処にあるも、常に相離れず、その放逸・懈怠を監視せらるるが故に、行者はその信心をして不退ならしめることが出来るといふのである。  第五は諸仏称讃の益である。金剛の信心を獲得したるものは、如来の萬徳をその心の中に入るるものであるから、丁度蓮の泥に染まぬやうに如来の清白なる法が衆生の煩悩(貪欲・瞋恚・愚痴)の泥に染むことがない。それ故に弥勒に同じやうなと称讃せられるといふのである。  第六は心光常護の益である。我々は常に我々の不実なる心に使はれ、念をかさね、慮をつみて、片時も安きことの無い身であるが、金剛の真心を獲得するときは、我々は如来の心の中に摂取せられて捨てられず、我々は自分の煩悩に眼をさへられて見ることは出来ぬが、如来の大悲は倦むことなくして常に我身を照したまふが故に、安穩の生活をなすことが出来るといふのである。  第七は心多歡喜の益である。すでに如来の心の光に照されて居ることがわかれば、我々が傲慢の心はこれがためにその角を折られ、瞋恚の心はこれがためにその焔を消し、畏怖の念はこれがためにその跡を留めず。從つて名利に汲々たることもせず、貧賤に戚々たることもなく、常に如来の心をその心として歡喜三昧に住することが出来るのである。それ故に、一にこれを觸光柔軟の益とも名づける。それは如来の心の光に照されて自然の道理にて柔和・忍辱の心が出て来るからといふのである。  第八は知恩報徳の益である。かやうにして、歡喜三昧に住するときは、豁然として自から顧みて、如来の恩の深きことを考へ、粛然として自から警しめて、その徳に報ゆべきことを期するに至るといふのである。  第九は常行大悲の益である。如来の大悲の心が深く骨髄に徹するに至るときは、人にすすめて、如来の心の光を仰がしめ、化他の大悪をつとめるやうになるといふのである。自分のために勝手のことをのみ求むる心はやみて、相共に如来の光の中におさめられやうとする大悲の心があらはれる。  第十は入正定聚の益である。金剛の真心を獲得したるものは、正定聚の位に入るのである。如来の本願に信順するものは、その心の中に摂取せられて、すなはち正定聚の位に入り、必ず仏となるべき身と定りて、命終りての後は直ちに真実の報土に生れて、そこに無上涅槃のさとりを開くことを得るといふのである。  この十種の利益は、我々が如来の本願に信順するときに、すなはち得られるところのものである。これを総括して言ふときは、心光常護の利益におさまるもので、我々にして若し真実信心を得るときは、直ちに如来の心光に摂取せられて、常にそれに護持せられて生活するのであるから、我々は物に使はれるところの生活を離れて、物を使ふところの生活に移ることが出来るのである。  私は、かくの如き心のはたらきを名づけて宗教といふべきものであると信ずるのであるから、宗教といふものが、我々の生活を離れて別に存在するものであるとは決して考へぬのである。生活が即ち宗教であり、宗教か即ち生活であるといふまでに、真諦と俗諦とは密接して居らねばならぬのであると信ずる。  仏教の要諦(一)  かくの如くに、宗教の意味を解釈して、私はこれから宗教的生活につきて叙述しやうと思ふのであるが、それにつきて第一にいふべきことは仏教の真諦である。固より今は宗教としての仏教につきて言ふので、学問としての仏放を論ずるのではない。すなはち仏教の哲学若しくはその宗教学的の意味を叙述するのではなく、仏教を宗教として、その宗教的思想の大体を叙述するのである。一概に仏教といふときはその内に哲学もあり、倫理もあり、乃至は経濟もあり、その範囲は甚だ広いのである。私はただその宗教の方面のみに就きて、ここに叙述するのである。  仏教が始めて印度に興つたのは今から約三千年も前のことであるが、その時、印度には、巳に宗教の多くのものが行はれて居つた。その一とつは多数人民の間に信奉せられて居つたところの自然的宗教である。この教では、多数の神の存在を信じ、しかも、その神々の間には何等の系統がなく、ある一とつの神を崇拝して滿腔の熱誠をささぐるかと見る内に、又他の別の神に帰依して、それを唯一至上のものとして渇仰するといふ風であつた。その神として崇拝せらるるものには山もあつた、川もあつた、乃至草本もあつた、さうして府を立て、像を置き、ひたすら、その威力に信頼したのであつた。しかしながら、此の如き魔力の信仰が、宗教としては事実上、何等効力のないものであつたことは言ふまでもない。  これに反して、他の一方、教養ある人々の少数の間には合理的に認められたる哲学的の宗教が行はれて居つた。その教に拠ると、宇宙の本質の根本とすべきものは梵(ブラーマ)で、それが唯一至上のものである。それに我(アートマン)の概念が加はつて、個人我としては靈魂として個人に存し、常一主宰のものであると考へ、宇宙我としては宇宙の根元をなすものであると説いた。かやうにして、焚即我、宇宙即我といふやうな思想に到達して、宇宙は唯一至上の神の顕現に外ならぬものであるといふに至つた。その考へによると、日月星辰を始めとして、宇宙の萬物は成・住・壊・空の四つの相を流転して、まことに変遷窮まりのないものであるが、唯一至上の本質は、この生滅の間に常仕遍在して変転することのないものであるといふのであつた。此の如くにして興りたる哲学的の宗教は、人々は我をば物質的の限局から免かれしめることと、又非物質的の我の本性を知ることによりて、生死を解脱して、遂に唯一至上の本質(梵)に帰入すべきであると教へたのである。  かやうな次第で、自然的宗教にありては、別に何等の根拠もなく、ただ我の満足を得やふとつとめ、哲学的宗教にありてはその哲学的の思考に本づきて我の信仰を重要のものとした。従つてその常一主宰の我が霊魂として輪廻転生するといふことと、業(カルマ)の結果として自業自得といふことが重く見られたのである。仏教にありて外道の説として挙げられたものは、此の如き、仏教が新に興りたるときより以前に巳に印度に行はれて居つたところの哲学的宗教の説である。  しかしながら、此の如き哲学的宗教は、これを奉じやうとする人々の内省の徹底せざるがために、ただその形態のみが伝へられ、その本来の精神は早く消失して、我の迷妄なるはたらきを抑へて、その本質の真実をあらはすためには、感覚を制し、欲情を調べることを必要とし、従つて劇烈なる苦行をなすことが第一に勧められたのであつた。しかもそれは誤まつた道であることを知つた釈尊は深く内省して自ら真実の道を悟られたのである。  仏教の要諦(二)  釈尊は巳に真実の道を悟られた後、その法を説くために前に師事しやうとした仙人達を訪はむとせられたが、その人々は巳に死亡して此世に居なかつたので、更に方向を転じて彼の驕陣如等五人のものに遭はれた。五人のものはさきに釈尊が苦行を棄てて去つて栄躍の生活に入つたのを軽蔑して居つたので、始めは相手にならなかつたが、釈尊の威厳に打たれて、遂に釈尊の教を聴かうといふ心を起したので、釈尊は彼等五人に向つて、先づ人生は苦であることを説かれた。  「人の世は四苦・八苦である。生苦あり、老苦あり、病苦あり、死苦あり、愛別離苦あり、怨憎會苦あり、所求不得苦あり、五陰盛苦あり、失榮樂苦あり、形あるものも、形なきものも、足なきも、一足あるも、二足・四足・多足あるも、一切衆生悉く此等の苦あらざるない。」  我々は外の物に使はれて居るのであるから、時には樂しみ、時には悲しみ、苦樂相半ばするといふ有様であるが、つくづくと人の世の有様を静親すれば、人の世はまことに四苦・八苦である。釈尊は先づ「人生は苦であること」を説き、それから更に進みてその根本を説かれた。  「此等の苦は皆「我」を以て本となす。若し衆生あり微しく「我想」を起せば、また此等の苦を受けむ。貪欲・瞋恚及び愚痴の三毒は皆悉く「我」の根本より生じ、而してこの三毒はこれ諸苦の因なり。衆生はこれを以て欲・色・無色の三有に輪廻す。これはこれ集なり。汝等断ずべし。若し「我想」及び貪欲・瞋恚・愚痴を滅せば諸苦皆これよりして断ぜむ、これはこれ滅なり。汝等証すべし。この滅は悉く八正道によらざるはなし、これはこれ道なり、汝等修すべし」  と教へられた。これはすなはち四聖諦と名づけられるものである。四聖諦とは第一に人の世は苦なりと知る、これを苦諦とす。この苦は「我」を以て本とし、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒によりて集められるものと知る。これを集諦とす。それ故に苦を離れむとせば食欲・瞋恚・愚痴を滅せねばならぬ。これを滅諦とす。さうしてこれを滅するの法は八正聖道を修むるにありとする。これを道諦とす。諦とは諦審の義で、すなはち真理である。この苦・集・滅・道の四つのことが真理であると説かれたのである。釈尊はこの四つの真理を示して、人若し、この四聖諦を知らずむば解脱を得ることが出来ぬといひ、更に驕陳如に向ひて  「汝等小智を以て、軽しく我道の成ぜるか、成ぜざるかを量ることなかれ。その故は、形苦にあれば心悩乱し、身樂にあれば情樂著せむ。これを以て苦樂ともに道の因にあらず。若し能く苦樂を捨てて中道、即ち正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の八正聖道を行じ、広く修習すれば心寂靜にして生・病・老・死の苦患を離るることを得む」  と説かれた。これまさに釈尊が人生の苦悩を解脱するの法として自得せられたものであつた。  仏教の要諦(三)  釈尊が苦悩を滅するの道として示されたものは此の如く、八正聖道である。釈尊の説かれるところに拠ると、道を求むるのが栄躍の生活をなすことも極端であるが、苦行を修むることもまた極端である。この兩極端を離れ、中道を取らねばならぬのであるが、その中道といはるるものはすなはち八正聖道でかか。ここに、その大意を示せば次の通ほりである。  正見 人の世は苦であるといふことを知ること、苦の成立する所以を知ること、苦を消滅せしむる所以を知ること、苦を消滅せしめる道を知ることを正見といふ。  正思惟 断念することの決心、慈悲を施すことの決心、親愛することの決心をなすことを名づけて正思惟といふ。  正語 虚言を避くること、いらざることを言はぬこと、兩舌を避くること、綺語を避くることを正語といふ。  正業 生きたるものを殺すことを避け、与へられざるのを取ることを避け、淫行に耽ることを避ける。これを名づけて正業といふ。  正命 人を欺き、不正の法を尽して命をつなぐことをやめて正業にて命をつなぐ、これを名づけて正命といふ。  正精進 悪を蔑し、善を修むべく意志を強くして、それによりて正命につかむと精進努力する。これを名づけて正精進といふ。  正念 思考を深くし、思慮を正しくし、欲を離れ、不善の念を棄てることを正念といふ。  正定 乱想を離れ、邪欲を棄て、身心寂靜にして正しく真理に仕し、それが転変することのないのを名づけて正定といふ。  この八正聖道は釈尊が自から覚られたる教の根本的思想と称すべきものである。この八正聖道の中に、四聖諦の真理の内容の全部が含まれて居る。釈尊は此処彼処の説教に於て、四聖諦の真理をば特別に示すことをつとめて居られた。しかしながら、八正聖道の第一たる正見は観察を正しくし、意見を誤らぬやうにするといふ意味の言葉でありながら、この場合には四諦の真理を知るといふことに帰著するのである。次で苦を滅するにはその原因たるものを減するにあることを明かにし、最後に、その道とすべきものは八正聖道であるとせられたのである。  悟道  釈尊の教は此の如くに簡単であり、又別に形式を要せざるものであつたから、その在世の間、教団はひとりその教主としての澤尊の人格を中心として統一せられて居つた。しかるに、釈尊の入滅後、月を経、年を過ぐる内に、漸次に教主の人格の光を感ずることが薄くなつたために、遂に教團の統一は教法を以てせねばならぬやうになつて、ここに教法の結束が行はれたのである。もとより釈尊の在世中に隨從した弟子達は、直接に釈尊の偉大なる人格に触れることが出来たから、教主として釈尊を渇仰し又その教を崇拝して居つたに相違ないが、この時でも、外面的に釈尊の平生を実見し、その説法を聴聞するのみで、内面的は釈尊の求道の経驗を見ることをしなかつたものは、徒らに釈尊の皮相を伝ふるに過ぎなかつたのである。釈尊の世を距ること遠き時代にありては、勿論、釈尊の人格に直接することは出来ないから、釈尊の言行を伝へたる経典によりて、釈尊の教の神髄を窺はねばならぬやうになつた。ひたすらに釈尊の教法の神髄を得むことを欲して、遂に哲学的思索を専にすることをつとめたのである。  釈迦教  釈尊の説法の外相のみを見てこれを判断すれば仏教は精進の教であるといふ考の起るは無理のないことである。釈尊が人生の苦煩より解脱するの法を説き、四聖諦を明かにし、八正聖道を修めて進むで涅槃に到るべしと勸められたる、その心の内面には熱烈なる法の信仰がありて、それがために如実の修行が行はれたのであるといふ事実の真相を究むることなく、漫然として釈尊の教説に対するがために、所謂六度として、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧を重要のものとして、これによりて、自己の煩悩を断絶することが仏教の要旨であるといふことを考へたものは、それを念願するの余りに釈尊の厳粛なる生活の外形を模倣したのみであつた。  小乗「涅槃経」に釈尊の説かれたことが挙げてある中に「道を燈とし、道を家とし、自からこれに依りて他に依ることなかれ」とあるが、その道といはるるものは、すなはち、ここにいうところの真如本来の相である。又釈尊が迦葉に向つて説かれたことに「迦葉よ、道の性や相は生滅しない、故に捉へられない。又、色像もない、故に量ることが出来ない、それでも実際に用があるのである。丁度心は見ることが出来ないけれども存在して居ることは事実であると同じやうである」とある。又釈尊は王舎城外の竹林精舎に居られたとき、沙門に告げて「道は形を持たぬ、これを知ることは無益である。されば志と行とを守るがよい。たとへば鏡を磨くやうに、垢を去れば明かとなり、形を見ることが出来る。欲を断ち、空を作れば則ち道の真を見る。愛欲を抱けば道を得ることは出来ぬ、愛欲が心にまつはりて濁れば道を見ることは出来ぬ」と説かれた。釈尊がここに道といはれたものは法であり、それは明かに真如本来の相である。実際から言へば、まさに実現せらるべき仏の性質を示すものである。  かやうにして、釈尊が説かれたる四聖諦と八正聖道との精神を、論理的に分析して考へたる結果、観察と禁欲との方法によりて我身即真如なりと知得して、即身成仏の理想を達するために精進する(華巌、真言、天台等各宗派の如く)か、又は修行によりて無念・無想の境地に入りて、本来の面目たる仏性をあらはすことに努力する(禅宗の如く)か、何れにしても、約めて言へば、持戒と、智慧と、禅定との三学を修むることによりて衆生が仏に成るの道を説くのが聖道と名づけられたる仏教中の一派の根本の義である。聖道とは賢者が進むべき道であるといふ意味で、自分自から持戒・禅定・智慧の三学に依りて自己の本来の真相を観察し、從つてその真相を発揮することをつとむるのであるから、一にこれを自力教とも名づけられる。しかしながら私は、聖道とか自力教とかといふ意味の言葉を廃なして、前にも言つたやうに単に釈迦教とした方が善いと思ふ。それは釈尊の教説をその儘に受け取りて、如実に修行せむことを期するのであるからである。  哲学と宗教  かやうに、釈迦教にありて説かれるところを見ると、仏教は哲学的思索を主とするやうに思はれるが、釈尊も固より始めは数論哲学及び瑜伽哲学を奉ずるところの仙人に就て、その道を修められたのであるが、それによりて究竟の解脱を得ざることを知りて全くこれを排斥せられたのであつた。マーガンヂャといふ婆羅門かその娘を釈尊の妻にとすすめたときに、釈尊は「婆羅門よ、私には天女も要がない。まして汚れたる膿を盛りたる汚い女を何にしやうか」と断然ことはられた。マーガンヂャはこれを聴いて驚嘆し、「何といふ哲学を奉ぜらるるか」と問ふた。釈尊はその時「我は何れの学派にも属して居ない。すべての哲学はあはれむべきものである。如来の教ふるところは、すべての哲学体系によらず、知識によらずして得らるべき内的平安である」と答へられたと伝へられて居る。  マールンキアブトラ(鬘童子)が、あるとき、「世界は常住か否か。世界は有限か無限か。衆生は死後存在するか否か。身体と精神とは異なるか同じきか」を質問した。釈尊はこれに対して「世界が常住であるといふ見解がありても清浄の修行が出来るものではない。又世界が常住でないといふ見解がありても清浄の修行が出来るものではない。世界は常住である、若しくは常住でないといふ見解がありても、生・老・憂・悲・苦・悩は通つて来るものである。私はそれ等を現在に於て除くために法を説くのである。世界が有限である、若しくは無限である、衆生は死後に存在する、若しくは存在しないといふ見解は何れにしても、生・老・憂・悲・苦・悩は通つて来るのである。私はそれ等を現在に於て除く法を説くのである。それ故に、私は説くべきことを説き、説くべからざることを説かないのである。説くべからざるものとは、これ等の問題の説明である。その故は、これらの問題の説明は清浄の修行のためにならず。煩悩を無くし、勝れたる智慧を開き、覚りを得、涅槃に入るためにならぬからである。説くべきものとは苦・集・滅・道の四諦である。その故はこれは清浄の修行のためであり、煩悩を無くし、勝れたる智慧を開き、覚りを得、混槃に入らしむるものであるからである」  此等の事実によりて明かに知らるる通ほりに、釈尊は、当時印度の開教者が哲学的の根拠を重要とせるに反して、すべての哲学体系に拠ることなく、ただその自から覚りたるところのものを直ちに示されたのである。釈尊は一切の哲学的の問題につきてはすべてこれを拒絶し、煩?なる論理につきには全く無関心であつた。言ふまでもなく、宗教は哲学にあらず、仏教を宗教として見るときに、それは全く哲学的の思索を離れて、巳に前にも述べた通ほりに、知識によらずして、内的平安を得るの道に外ならぬのである。  自我の問題  かやうにして、釈尊は世界が常住であるか、若しくは無常であるか。世界に有辺であるか、若しくは無辺であるか。精神と身体とは一とつのものであるか、若しくは異なつたものであるか。生命は死後に存在するものであるか、若しくは存在しないものであるか。かういふ事項につきて思索することは我々をして執著を離れしめ、欲望を断たしめ、正智を開き、涅槃に導くものでないとして、全くこれを排斥せられた。さうして、釈尊は人の世は苦であるといふ現実の相を説き、その苦の成立せる原因を説き、遂にそれから離れるの道として八正聖道を説かれた。そこで、釈尊の教説にありて実際に重要のものは、自我の問題であつた。固よりこれは宗教的認識であるが、しかしながら、その認識に達するの道は主に沈思・冥想によるので、一切の論理的思考に於けるやうに、ある基礎の上に組み立てられたる構想ではない。世界を見つめて、それによりて「自我」そのものが何であるかといふことを研究するのではなく、世界の中に入りて「自我」そのものを知るためにそれを見つめるのである。かくの如き内観は屑一屑と自からの精神の内部に深く入り込み、その深部をば意識的の認識の光にて照し見るのである。それ故にこの内観は我々の智慧にて証明せらるべきものではなくして、ただ沈思・冥想によりて認識せらるべきものである。  釈尊の教説は、かくの如き理由に本づきて、ただ開陳せられたので、論理的に建造せられたものではない。  釈尊は、巳に前に言述べた通ほりに、世間一切のものは実在するものでなく、本質的のものでなく、ただ我々の主観のはたらきによりて仮に現はされたものであると唱道せられた。それ故に、身体の存在が永久的のものでないと同じやうに、「自我」もまた水続的に存在するものではないと主張せられた。釈尊がこのことにつきて布?婆樓に向つて説かれたとき「自我の存在をいふ人々に三種ある。一は四大から作られた自我。二には四肢を欠目なく備へた心から成る自我。三には物質なく、純粋の想念から成る自我である。私はこの三種の自我を離れる法を説く」と言はれた。すなはち、物質的に見られたる自我と、精神的に考へられたる自我と、この二つのものが、常一主宰の独立のものとして存在するものであるといふことは、釈尊の時代及びその以前の人々の堅く信じて疑はざるところであつた。釈尊はこれに対してかくの如き自我の誤りたる考を捨てねばならぬと説かれたのである。  釈尊は又、布?婆樓に向つて「若し他の人が私に、あなたの捨てるといふ自我とは何であるかと問はば、私は今、汝が汝の前に見て居るものがそれであると答へる」と言はれた。釈尊は人々の霊魂といふものが果して存在すると否定せず、又それが在存しないと否定せず、さういふことは道を修むる上に無益であるからと言つて問題にせず、ただ現実に成立して居るところの自我につきて、その真相を見つめられたのである。  釈尊の説明によると、自我といふものは五蘊から成立する。五蘊とは色・受・想・行・識の五つで、その色蘊は身体の形質(物質)を指していひ、受より識までの四蘊は精神のはたらきを指すのである。すなはち受蘊とは感覚・感情などを指し、想蘊とは観念及び思考などを指し、行蘊とは行為を指し、識蘊とは意識の作用を指すに外ならぬのである。若しこの五蘊が集積するときには自我があらはれる。若し又、この五蘊が離散するときは自我は無くなる。それ故に自我といふものは一とつの過程として常に変化しつつあるのである。しかるに、多くの人々は五蘊につきていつも断と常との二つの偏見を有し、身体の形質につきてはその持続の相を見ず、ただ破壊する相をのみ見て断の見を起し、又心につきてはそれが念々に生じて念々に滅する相を見ずして常の見を起して居る。これは皆、迷妄の考へから起るものである。  かやうにして、迷妄の凡夫は五蘊につきて常の無きものを不変と思い、苦しいものを樂しいと誤まり、無我を我と信じ、ここに虚妄の世界を造り出すのである。己に常住永存の自我がありとすれば、我所(自からが所有するもの)あり、我所があれば自我がある筈であるから、それに執著して一切の苦悩があらはれるのは当然である。  ここに述べたやうに、自我を説明することは、すなはち世界を説明するもので、世界は全く精神的のものである。さうして、この説明は諸行は無常、諸法は無我であるといふ結論に達するのである。  弥陀教  かくの如く釈尊の教説につきて、深くその精神の存するところを究めると、仏教の趣旨とするところは自我の真相を明かにすることと、その自我をば内観することを深くすることとに存するものと言はねばならぬ。さうして、それは実に宗教と名づくる我々の心のはたらきをあらはすべき唯一の道途であるとせねばならぬ。  弥陀教と名づけられて、仏教の一派を成して居るものは、すなはちこの釈尊の精神を体驗しやうとするものである。すべての物を有りの儘に見られたところの釈尊はその実在性につき、理論的に考ふることをせられなかつた。実際に人の世は苦しみであるといふことを見られた。さうしてそこに住むところの我々の現在は真実を離るることの遠きものであるといふことを認識せられた。ただその実際の裸のままなる基礎の上に宗教的内観を強くせられた。その精神の存するところをば経典に伝へられたるところの教説によりて、知り得たる後に、これを体驗することにつとめたのが弥陀教である。少くとも龍樹菩薩・天親菩薩・曇鸞大師・道綽禅師・善導大師・源信和尚・法然上人などの著述の内にあらはれたる他力・易行・往生の説は明かにこの意味に本づきて居るものであると言はねばならぬ。釈尊が四聖諦を説き、八正聖道を説かれたのは、実際にありて、戒律によりて我々の外境を守り、禅定によりて我々の内界を静めることによりて真実の智慧を得るといふことに帰著するものである。まことに至当のことであり、徹底してこれを修むるときは固よ目的を達することは出来る筈であるが、しかしながら、我々の心の現実の状態を基礎として、このことに徹底するといふことは極めて難事であるといはねばならぬ。  釈尊も勝鬘夫人が三種の求道者を挙げて「第一は自から奥深き法の真理を我物にするもの。第二は法の真理に從ふところの智慧を得るもの。第三は法の真理を知ることは出来ぬが、それは仏の境界で、仏の知りたまふところとして、ただ仰いで仏を信じ奉るものである」と言つたことを是認して居られる。すべての人々が皆、自から法の真理を我物にすることの出来ないことは無論である。我々はどうしても自分そのものの有りのままの相を深く内観せねばならぬ。  我々にして若し真面目に自己の内面を省察するときは、底の知れぬ虚偽・難毒の相が認められるのである。親鸞聖人が「唯信鈔文意」に説いて居られるやうに、「一切有情まことのこころなくして、師長を継慢し、父母に孝せず、朋友に信なくして悪をこのむゆへに、世間・出世みな心口各異・言念無実なりとおしへたまへり。心口各異といふはこころと、くちにいふこと、みなをのをのことなり。言念無実といふは、ことばと、こころのうちと、実ならじといふなり。実はまことといふことばなり。この世の人は無実のこころのみにして、浄土をねがふ人はいつはりへつらひのこころのみなり、ときこへたり。世をすつるも、名のこころ、利のこころをさきとするゆへなり。しかれば善人にもあらず。賢人にもあらず。精進のこころもなし。懈怠のこころのみにして、うちはむなしく、いつはり、かざり、へつらふところのみ常にして、まことなき身」である。かやうに、自己の虚偽・雑毒にしてまことなきものであるを知るとき、我々はただ四諦の真理を知り、八正道を修むることによりて涅槃に到るべきことを学ぶのみで、しかもそれを実際に行ふことの出来ぬものであるといふことを認めねばならぬ。  我々の心の浅間しきこと、智慧の足らぬこと、力の極めて弱いことは、これを約めて言へば愚悪の二字に尽きて居る。巳に智慧もなく、真実もない我々が、八正道を実践して涅槃に到ることの出来ぬといふことを知るとき、親鸞聖人が「何れの行も及びがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」と言はれた言葉の極めて痛切なるを思はざるを得ないのである。  思ふに、八正聖道の中、正見より始めて正恩推・正語・正業・正命・正精進までの六つの正道は、所謂六度の智慧・持戒・忍辱・布施・精進に相当するもので、正念と正定とは、まさに禅定に相当するものである。その何れのものも行として、我々自から勵みてつとめねばならぬものである。しかもその何れの行も及び難い自分の相を見たるとき我々は逐に涅槃の境地に到ることが出来ぬといふことを知らねばならぬ。まことに「地獄一定の身」である。かくの如く、現前の自我の価値を棄てたとき、釈尊が言はれるところの渇愛の執著が無くなりて、ここに自からあらはれて来るところのものが正念であり、正定である。すなはち自分の力によりて正念と正定とが得られるのでなく、この自分の力を見限りたるときに、自からに正念と正定とが得られるのである。かやうな心のはらきは固より我々の思考を超越したもので、まことに不思議といはねばならぬ。それを仏の力であると感じ、如来の本願であると感じ、それに随順して一切をその不思議にまかすときに、正しき宗教の心のはたらきが我々の心の中にあらはれるのである。弥陀教といはれるものはすなはちこれである。一にこれを他力の教といふのは、不思議の力が他から我に加はるといふ意味である。  法を受け取るところの機には、いろいろあるべき筈であるから、すべてを概括して言ふことは出来ぬが、我々のやうな愚悪の凡夫が、釈尊の教説を聴聞して、それによりて我々の心にあらはすことの出来る宗教の心はまさにこの弥陀教である。  不断煩悩得涅槃  多くの人は苦悩に満ちたるこの浮世を厭ふて、それから離れむことを切望するといふ。しかしながら、単なる厭離は、却つて厭離しやうとするものを得たい心持で、得やうと求むるものが得られないために起るところの一種の憎悪の心に外ならぬものである。畢竟するに周囲の醜悪に対して自己の安泰を祈るのであるが、その自己も同じく醜悪である以上、到底醜悪から離れることは出来ぬ。  悪を避けやうとして善をなすものは善を手段としてこれを利用するに止まるものであるから、善共の物に接することは無い。善を求むることはそれよりも一層大なる悪を恐るるがためであるから、恐怖のために強ひられたる善はただ徒らに自己を縛るところの鎖たるに過ぎぬものである。悪を防がむがために善をなすことは、要するに自己のために善を求むるもので、自己の全体を挙げてこれを善にささぐるものではない。自己を忘るることによりて始めて得らるべき善をば、自己に私してこれを盗み取らむとするものである。  かやうに我々が、世を厭ふといふことも、又悪を離れやうといふことも、皆功利的のもので、自己に私しやうとするがために、自己の得手勝手なる思慮に左右せられて真実に至ることが出来ぬのである。しかるに、真実はここに活動して、我々をしてその醜悪を知らしめるものであるから、この真実に觸るるときは全然自己を捨てて、絶対にその真実に服從するものである。かういふ場合には、我々は全く功利的の考へを離れるもので、親鸞聖人の「歎異鈔」の中に「弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて往生を遂ぐるなりと信じて念仏まふさんと思ひ立つ心のおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふ」とあるやうに、何等自己のためにするところなくして、善其物を欣求するのである。それ故に、善其物の欣求の中に、すべてのものを得て、それに満足することが出来るのである。弥陀教の精神はまさにここに存するのである。  繰り返していふ、我々の心は虚仮不実のものである。妄念がしきりに動きて、実に名状することの出来ぬほどの醜さである。さうして、その妄念の動くところは常に他の人に対してである。社會に対してである。自己の周囲にあるところの森羅萬象に対してである。たとへば水の流れが岩に激し、或は風に吹かれて波を生ずるが如きものである。波のたつといふことは固より水の平穩を妨ぐるものであるけれども、それは畢竟するに、水が上より下に向ひてどこまでも流れねば止まぬといふ真実が存するためである。上より下に流れて止むことのない水の真実は、岩や風のために妨げられて、そこに波をつくるのであるが、しかも、水の真実そのものはすこしも損失することのないものである。妄念は固より悪むべきものであるが、しかしながら、それは水の上の波のやうなもので、その奥底には必ず真実が備つて居る。ただ我々の煩悩の強きがために、その真実が我々にわからぬまでのことである。それ故に、我々は妄念の起るところに必ず真実があるといふことを知らねばならぬ。彼の水が岩に激して波をつくるのを見たるときはその水は流れて居るのであるといふことを知ると同じやうに、妄念は我々が社會生活をなすことによりて益々多くなるのであるが、しかもその妄念のますます多くなるところに我々はますます真実を認めることが多くなることを喜ばねばならぬ。  釈迦教は、かやうに我々をして迷はしめ、又悩ましめるところの妄念を断つことをつとめる。すなはち「煩悩を断じて涅槃を得る」ことを期するのであるが、これは前に説明するやうに、ただ妄念の醜悪なる皮相のみを見て、その奥底に備はるところの真実を見ないためである。現実の自我の相を見ることなくして、理想の自我を実現せむことを期待するがためである。若し我々にして現実の自己の相を見るときは、虚仮不実にして、実に名状すべからざる醜悪のものであると知るによりて、我々が得手勝手の思慮を離れて「地獄一定の身」と歎くの外はない。ここに妄念の奥底に備はるところの真実がそのはたらきをあらはすのであるから、我々は「煩悩を断ぜずして涅槃を得る」のである。弥陀教の要旨とするところは全くここに存する。  真実の智慧  我は我、人は人と、個我的に考へるものは妄念の少きものであらう。この類の人は、自己の問題は自己にて解決すべきで、これを他の人に頼むべきではないとし、自己のものはこれを自己に取り、他人のものはこれを他人にかへせば極めて安樂なるべしと考へる。それ故に、自己を護しみ、他人に迷惑をかけねば善いといふやうな妥協的の道徳を重んじ、妄念をば取り去りて空寂の境に到ることを期するのである。聖道・自力の教と名づけられたるものにありては、すなはち、かやうな普通の智慧をはたらかして、冷かに妄念を批判して、これを断滅せしめやうとするのである。しかしながら、一切諸法皆空なりと説かれるところを聞いて、迷を離れ、妄念を断つために修行するといふことは、畢竟、得手勝手なる智慧を強くはたらかすまでのことで、我々にありてはそれによりて真実の智慧は却つて隱れて現はれることが無い。  仏教では六大煩悩が説かれて居るが、その六つの煩悩の第一は貪欲である。よろづのものを貪ぼりて、力あるものは威を以てこれを取り、力なきものは他に從ふてこれを求め、無きものはこれを得むことを欲し、得たるものはこれを失はぬやうにつとめるのである。第二は瞋恚にして、我に背くことがあれば善きことにても腹を立てるのである。第三は驕慢で、我身を恃みて人をあなどる心である。第四は愚癡で萬事にくらき心である。第五に凝惑にして、何事にも理を究むることなくして、兎角物を疑ふ心である。第六は不正見で、伝事をつよく思ひ定めて、真実の道理を知らず、愛欲が業をうるほし、身体を感果して、その身体に執著して我身の見を起して妄念を生ずるのである。さうして、この我身は正道をあゆむための障碍となることが多いから、これを除かむことをつとめて、拾家棄欲といふことが主要とせられる。聖道・自力の教を奉ずるものはこれを以て修行の出発点とするのである。  しかしながら、我見の起るのは実際、身体其物のためでは無くして、身体に対する分別見が我見を造るのである。愛欲も其実、我々を縛るものではなくして、我々を縛るものは、愛欲に対する分別見である。それ故に、我我が道を修むるにあたつて障碍とすべきものは分別の見である。  我々は常に差別して物を考ふるが故に、善悪があり、苦樂があり、愛情があり、哀樂があり、それによりて苦悩があられるのである。我々にして若し、この分別の思惟から離れることが出来るならば、我と彼とは同一の根元のもので互に区別すべきものでないといふことが認められるであらう。人と人とが同一の根元であるばかりでなく、草も木を山も川も皆この根元が同じものであるから、その存在は互に相関聯し、彼は彼、我は我と、別別に孤立してその生存をすることが出来るものではない。しかるに、我々の分別の思惟は常にこの関聯の真相を無視して、我執と法執とを生ずるために、すなはち妄念を起して、苦悩を重ねるのである。分別の思惟は固より我々の智慧として常にそのはたらきを逞しくするものであるが、しかもそれは本能に使はれて、それを滿足せしめるもので、これを真実の智慧とすることは出来ない。  我々は常に死は生の反対であると考へて居る。さうして生を愛し、死を憎むが人々の常である。死を考へるときに生は無意義であるやうに思はれる。生に執著して、どこまでも、その生から離れぬやうと望むがために、その反対なりと考ふるところの死をば憎むことが甚しいのである。しかしながら死のない生はある筈がなく、生あるものは必ず死を免れることは出来ぬ。生と死とは元来一如であるが故に、我々が死に対向して、これを摂取するところに生があるので、若し死が無いならばそれと同時に生もまた無い訳である。  徒らに死を憎みてこれを避くることをつとめず、死に当面して深くこれを傷むところに真実に生を愛する所以がある。苦樂の場合にありても亦、これに同じく、苦と樂とを別けて考ふるところに妄念があらはれ、さうして徒らに苦悩を離れて樂を得むことを願ふのである。しかしながら、苦と樂とは元来が一如のものであるが故に、苦悩に当面することが無くして真実の樂を得ることが出来ないのは当然である。  虚偽は真実の反対であると考へられて居る。しかしながら実際に、真実は虚偽に対してのみ存在するものである。それ故に、虚偽に対して、それを摂取するときに真実はそれ自身をそこにあらはすものである。  仏教にありて実相般若と名づけらるるものは、真理の智慧にして、一切の諸法みな空なりと知りて、一切の虚妄の相から離れることを期するのである。この真実の智慧を得るがために戒と定とが重要のものとせられるのである。その戒とは我々の心が外境に対するものを守ることで、それは一定の修行によりて意馬心猿の?壁を造ることを目的とするものである。常に動揺して止まないところの心の外境に戒律の?壁をめぐらして、それをして外界の影響からして免れしめむとするのである。しかしながら、ただその外境を守るのみにては内部の不安をどうすること出来ぬために、戒律に併せて禅定といふことが重要のものとせられる。禅定とは心の内部にありて動乱を静める法である。我々はこの戒と定とによりて真実の智慧を得ることが出来るのである。さうしてこの真実の智慧が得られて後に、我々は始めて苦悩から離れることが出来ると説かれるのである。  これによりて、如実に修行して、真実の智慧を得やうとするところに釈迦教を奉ずるところのものの努力がある。しかしながら、此の如き努力によりて果して期待するところの目的が達せらるるかといへば、我々のやうな極悪のものにありて、それは全く不可能であると言はねばならぬ。  不思議の智慧  無明が煩悩の本である以上、これに対すべきものは智慧であるが、しかも我々の智慧は、巳に述べたやうに、本能に使はれて、自己の滿足を得るやうにはたらくものであるから、これを真実の智慧とすることは出来ない。従つてこれによりて煩悩を除くことの出来ないのは当然である。真実の智慧は仏教にて実相般若と名づけられるものでなくてはならぬ。さうして、この真実の智慧は、我々の智慧を離れるところに、始めてあらはれるものである。  我々にして、若し真面目に自己の心の内面を反省して、まことに底の知れぬほどの虚偽雑毒の相に気がつくとき、我々は地獄一定と決定して、兎角のはからひを止めるであらう。これは全く我々の心の奥に存するところの真実よりあらはれて、我々の心を照らして、これを真実へと導くところの智慧である。さうして、それは全く我々のはからいを離れたるもので、これを不思議と名づけざるを得ない。  しかるに、此の如き不思議の智慧をば、我が自己の力であると考ふるとき、その智慧はすぐに隠れてあらはれないやうになる。不思議といふことは、我々の智慧をはたらかして彼や此やを思慮詮索することの出来ぬことを指すもので、奇妙と考へ、不思議と思議することをいふのではない。全く我々の言説を離れたるものであるから、ただ不思議と感知するのみである。決して不思議と思議するのではない。それ故に、この不思議の智慧は全く自己の価値を否定し、彼や此やのはからひを止めたときに始めて感知せらるるものである。我々の智慧は、巳に述べた通ほりに、本能に使用せられて、それを滿足せしめやうとするものであるから、煩悩のはたらきを批判して、これを断滅せしめやうとつとめるのであるが、さういふときには、我々は不思議の智慧を感知することが出来ぬ。  かやうな不思議の智慧のはたらきは、すなはち、宗教の心かはたらきに属するもので、親鸞聖人が本願力と言はれるものは全くこれであらうと思ふ。又、親鸞聖人が、南無阿弥陀仏といはれるものも、全くかやうな宗教の心のはたらきであるやうに思はれる。南無阿弥陀仏の意義に就ては、專門の宗乗学の上からして、詳細の説明もあるが、さういふ宗乗学上の説明はさて置き、心のはたらきの有様から考へれば、親鸞聖人が言はれるところの南無阿弥陀仏は、如来の智慧に照されたるによりて自己の真相を知ることを得たるとき、その自覚したるものをその儘に表現したるものが、すなはち南無阿弥陀仏である。これは我々の本能に使はれてそれを満足せしめやうとはたらくところの智慧を離れて、我々の心に及ばず、言語に断へたる如来の智慧を獲得したる心持に外ならぬのである。  念仏  南無阿弥陀仏はすなはち念仏である。親鸞聖人が「教行信証」の中に「しかれば、称名は能く衆生の一切の無明を破し、能く衆生の一切の志願を滿てたまふ。称名は則ちこれ最勝真妙の正業なり。正業は則ち念仏なり。念仏は則ちこれ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏は則ちこれ正念なりと知るべし」と説いて居られるところに拠ると、南無阿弥陀仏が、仏の名を称ふることであり、さうして、それが正念であり、又正業であるといふことが知られるのである。  南無阿弥陀仏といふはもと印度の語で、これを支那の言葉に翻訳すれば南無は帰命、阿弥陀仏は無量壽如来である。親鸞聖人の解釈によれば帰命とは釈迦・弥陀二尊の勅命に從ふことで、めしにかなふ、若しくはまかせるといふ意味である。しかしながら帰命といふことは衆生の方よりして言ふことで、これを如来の方よりして見れば摂取である。摂取は不可思議の智慧のはたらきである。さうしてそれが如来の本願と言はれるものである。これを仏教の言葉にて示すときは、如来は光明を放つて十方の衆生を照して、その本願に信頼するものを摂取して捨てたまはぬのである。如来の光明といふのは不可思議の智慧である。かくの如き不可思議の光明の中に立ちて、一切の思慮の及ばぬといふことを知り、全く自己を捨てて、如来の智慧に信頼する心の有様がすなはち南無阿弥陀仏である。  此の如くに説明するときは、南無阿弥陀仏は如来の智慧に照らされて、我々の一切の思慮の及ばぬといふことを知り、自己を捨てて、その不可思議の智慧に信順するといふ心の有様を示すべき名號であると言はねばならぬ。それ故に、我々は常にこの名號を聞くことによりて、まことに不可思議なる如来の光明の中に包まれて生活して居るといふことを直ちに感知することを得るのである。  信心  此の如くに考ふるとき、念仏は全く不可思議の智慧のあらはれであるということが知られるのである。さうして、我々がこの不可思議の智慧を獲得したるものがすなはち信心である。親鸞聖人の「高僧和讃」の中に「尽十方の無碍光仏、一心に帰命するをこそ、天親論主のみことには、願作仏心とのべたまへ、願作仏の心はこれ、度衆生のこころなり、度衆生の心はこれ、利他真実の信心なり、信心すなはち一心なり、一心すなはち金剛心、金剛心は菩提心、この心すなはち他力なり」とあり、又その「浄土和讃」の中には「信心よろこぶそのひとを、如来とひとしとときたまふ、大信心は仏性なり、仏性すなはち如来なり」とある。これによりて見ると、親鸞聖人が言はるるところの信心は不可思議の智慧が我々の心の中に現はれたるもので、普通に考へられるやうに我よりして進むで仏を信ずる心ではなく、如来の心が我々の心の中にあらはれて、それによりて自己が照らされることを感知して、いささかもそれを疑はぬ心である。それが金剛心であり、菩提心であり、他力であり、我々をしてその智慧に信順せしめやうとするのが如来の本願であり、そこにあらはれるのがすなはち本願の念仏である。  それ故に、本願の念仏は、実際にありて、我をして我たらしめるところの力である。我々はこれによりて始めて無碍の大道を歩むことが出来るのである。しかるに我々には我をして我たらしめざるところの力がある。我々にして若しその現実の相に気がつきて、如何ともすることの出来ない有様に悲痛するとき、ここに始めてあらはれるものが本願の念仏である。親鸞聖人が言はるるところの南無阿弥陀仏である。さうしてこの場合にありて、南無阿弥陀仏は衆生の貪瞋煩悩の中よりあらはれて我々を招喚したまふところの如来の勅命であると感知せられるのである。  かくの如く感知したる我々は如来の招喚の声に応じて、導かれるままに行くべき処に行くべきのみである。自分の得手勝手なる希望を提げて、その念願が達せられるやうにと努力するのではない。  法性の都  親鸞聖人が「弥陀の本願とまふすは名號をとなへんものをば極樂へむかへんと、ちかはせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことに候なり」といはれ、又、「この名號をとなへんものをむかへとらんと、御約束あることなれば、まづ弥陀の大悲大願の不思議にたすけられまゐらせて、生死をいづべしと信じて、念仏を申さるるも、如来の御はからひなりとおもへば、すこしも自らのはからひまじはらざるゆへに本願に相応して真実報土に往生するなり」と説かれたのを見ても明かである通ほりに、我々が念仏するといふことは全く如来の本願に本づくものであり、決して自分のはからひにてすることでないと知るとき、それはすなはち不可思議の智慧の中に立ちて一切の思慮の及ばぬといふことを知り、自己を捨てて、如来の御心に信順するのであるから、必ず如来の本願のままに迎へ取られることを歓喜せざるを得ないのである。  親鸞聖人はこの意味を説明して「願海に入りぬるによりて、かならず大涅槃にいたるを法性の都へかへるとまうすなり、法性のみやこといふは法身とまうす如来のさとりを自然にひらくなり、さとりひらくときを法性のみやこへかへるとまふすなり」「唯信鈔文意」)と言つて居られる。まことに、宗教的の意味の著しくあらはれたる説明であると言はねばならぬ。  ここに法性といふのは法界一如の真理で、最も平易の言葉にて言へば、宇宙萬有の根柢に存するところの普遍の生命であるとすべきである。如来も衆生を済度するためにこの法性よりしてこの世界にあらはれたるものである。それ故に「法性はすなはち如来である、この如来は微塵世界にみちみちてまします、すなはち一切群生海の心にみちたまへるなり、草木国土ことごとくみな成仏する」(「唯信鈔文意」)ものである。我々にして若し宗教的に自覚するときは、宇宙萬有を見てこれを非情のものとのみすることは出来ない。我々は常に宇宙萬有の上に、普遍に流るるところの生命を認めねばならぬ。この普遍の生命が我々の心の上にあらはれて、我々を覚醒せしめるとき、それが人格の如来として感知せられるのである。  かくの如くにして、法性が一如界よりしてその形をあらはしたものが、仏教でいふところの方便法身で、世親菩薩が尽十方無碍光如来と名づけて居るものである。これは法性がその形をあらはし、その名を示したものであるが、しかしながら「尽十方無碍光仏とまふすひかりの御形にて、いろもましまさず、かたちもましまさず、すなはち法性法身に同じくして」(「唯信鈔文意」)と言はねばならぬ。一如よりその形をあらはし、その名を示したと言つても、畢竟するにひかりのかたちにて、我々の心の暗黒を照すところの光明であり、我々の心をさますところの智慧である。我々がそれを如来の本願として感知するところに、人格の如来が我々の心にあらはれる、その人格の如来は南無阿弥陀仏の名號を以て示さるるものである。我々がこの名號をとなへて、如来にむかへ取られるのは、これを直接に我々の心の有様から言ふときは、法身とまふす如来のさとりを自然にひらくときである。善導大師の「法事讃」に「仏に從ひて道述して自然に帰る、自然はすなはちこれ弥陀の国なり、無漏無生《むろむしよう》かへりてすなはち真なり、行来進止に、つねに仏にしたがひて、無為法性身を証得す」とあるは、まさにこの意味であらう。  如来の本願に信順するときは必ず涅槃に到ることが出来る。それを法性の都へかへると言はれるのは、我々の心が差別の考えを離れ、無明悉く減し、煩悩全くやみて、真如法性の本質がその全体をあらはすに至るのである。それを宗教的感情の上にあらはして「娑婆の縁つきて力なくしておはるときに、浄土に往生する」といふ言葉が用ひられるので、固より地理学的の他国に往きて生れるといふやうな物質的の思考に本づきてかやうに言はれるのではない。  仏教の用語にて言へば「無為法性身を証得す」といふのであるが、それは全く真実の証をひらくといふ意味で、真実の証をひらくといふことは、すなはち、利他・円滿の妙位であり、無上涅槃の極果であるから、真実の証といふことも、安樂浄土といふことも、これを我々の心の内面より見れば結局同一のものである。存覚上人が「顕名鈔」の中に「往生といふは凡夫の情量におほせてこれをいふことばなり、実の生死にあらざるなり、他力の本願に乗じて、無生の名號を称して、一乗清浄の土に往生すれば、かの土は法性無上のさかひなるがゆへに、凡情には生ずとおもへば、自然に無生の理にかなふたり」と説いて居られるのは適切の説明である。我々の常として、淨土とか極樂とかといふ言葉を聞くときは、直ちに我々が虚妄の心にあらはれたる地理学的の国土を想ひ、浄土や極樂につきて種々の想像を逞しくするものである、しかしながら、宗教の上にて、我々が考べきことは全然精神的のもので、決して物質的の世界を指すものでないといふことは今更改めて論ずるまでもないことである。  私は、このことをば、多くの人々が考へるよりもつと宗教的に考へることが大切であると思ふ。巳に前にも繰返して言つたやうに、我々の心の世界は、我々の心が自から造るところの苦樂善悪に縛られて常に苦悩に苦悩を重ねる世界である。しかるに、我々にして若しこの現実の相に目がさめて、如来の本願に信順し、ここに真実の智慧を得て、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒を除き、苦樂善悪の束縛から免れることが出来るのは涅槃の境に到つたときである。これを安樂浄土といひ、涅槃のみやこといひ、法性のみやこといふも、その意味は皆同じく、如来の本願により創造せられたる世界である。  如来の光明に照らされて、我々の心の現実の有様を内観するとき、我々は始めて我執の頑固にして離れ難いことを知り、我が計度によりて一切解決することが不可能であると知るとき、我々は必ず謙虚となりて、如来の本願に乗じ、それによりて創造せらるるところの真実の世界に生れむことを願ふに至るのである。  それ故に、此の如き真実の世界は決して我々の想像によりて成立せるのではない。我々の思考によりて構成せられたるものでもない。真に自己の現実の相に目がさめて、煩悩具足・罪悪深重、如何ともすることが出来ないものであるといふことを知つたものにありて、この法性の都こそ真実の世界である。  真実と言へばすなはち虚仮に対して言はれるものであるが、ここに真実の世界と称するものはさういふ意味の真実でなく、我々人間が彼此と思慮詮索することを離れ、我執の心が全く無くなつたときに輙《すなわ》ち感ずるところのもので、畢竟するに我々人間の智慧を離れたるものであるからこれを法性の都といふのである。自然法爾に進み行くものの到著すべき世界である。  如来の本願はまさにこの自然法爾の大道を示すものであり、法性の都といふは、その大道の終局として我々の心の行きつくべき主観的世界である。しかも我々がこれを客観的に表現せむとするのは全く宗教的感情の発路であり、まことに無理からぬことである。私は主観的なるべき法性の都を客観的に言ひあらはすことを不都合とするものではない。ただこれを客観的に独立して存在するものの如くに考へて居る場合にありては、それはただ概念の上のものに過ぎず、そこに決して真実の宗教的の意義が存在せぬといふのである。  我々にして若し自己の無明と煩悩とに当面して、業障の深重に泣くとき、その無明と煩悩との中よりあらはれ出づるところのものは、如来の招喚の声と感ぜられるものである。それを仏教の言葉にて南無阿弥陀仏と言はれるのである。我々はこの招喚の声を感ずるものに導かれて、苦悩の世界を離れて、法性のみやこへ到ることを得るのである。  此の如き心の状態を指して厭離穢土・欣求浄土と名づけるのである。穢土とは我々の現在の生活を指し、浄土とは我々の理想の生活をいふ。現在の苦悩の世界から出でて理想の安樂の世界に赴くことが宗教の心のはたらきであり、それによりて我々は始めて自由・安穩の精神生活を営むことが出来るのである。  行法解脱  以上、仏教の要旨につきて縷々説明したところを要約して簡単に云ふときは、宗教としての仏教の期円するところは、我々人間が煩悩具足・火宅無常の世界に住し、常に惑業に縛られて日常苦痛に悩むことから解脱することに在るとせねばならぬ。さうして我々が解脱を得るといふことは人間の苦悩の心の境界を脱して自由・平安の心の世界に移ることである。成仏と言はれることがすなはちこれである。迷を転じて悟りを開くといふのも同じことで、我々人間が貪欲と瞋恚と愚痴との三毒の煩悩に縛られて、寸時も平安に生活することの出来ぬのが、その覊絆《きはん》から脱して、常に自由・安樂の心に住することが出来るのである。親鸞聖人が現生の十益として挙げられたのは、全く宗教としての仏教の心が十分にあらはれたときの、此の如き心の状態を示されたものである。それは上章にも言つたやうに、日常物に使はれるところの生活を離れて物を使ふところの生活に移るものである。仏教にて苦・集・滅・道の四諦を説き、八正聖道を示すものは解脱の目的を達するがために世の中の真相を明かに認めしめるがためで、解脱の心境に到るがためには先づ智慧を研くことを以て第一とし、智慧を研くには心の散乱を防がねばならず、心の散乱を防ぐがためには道徳の心の正しくあらはれることを肝要とするのである。仏教の各派に於ける種々の説明は皆これに本づくものである。  たとへば奈良朝時代六宗の中にて?舎宗の説くところは、我々人間が此世にあらはれたのは因果の法則によりて生るべく余儀なくせしめられたと言ふよりも、自己の世界を創造し、これを自分の世界として受けねばならぬのであるから、それがために大なる苦痛を感ずるのである。さうして、この苦しみを享受するのが人生である。此の如くなるが故に、生死の絆を絶つことによりてこの苦しみを脱却することをつとめねばならぬ。生死の絆を絶つといふことは死滅に帰して、又再び生れて来ぬことである。空無に帰することが終局の目的である。灰身滅智《けしんめつち》と言はれるのがすなはちこのことで、それがためには禅定によりて心のはたらきを鎮めて智慧のはたらきを生じ、智慧の力に依りて煩悩を断ずることを期するのである。それには先づ苦・集・滅・道の四諦を明かにし、さうしてその道としてはすなはち八正聖道を修めねばならぬとするのである。  成実宗にありては、一切萬物は物も心も皆因縁和合の仮相であるが、深く推しつめて見れば空に帰するものである。しかるにこの一切空の真理を見る主観を放捨して無念無想の心境に達すればすなはち滅諦を悟ることが出来るといふのである。法相宗にありては宇宙萬有は皆、識の所変で、これを我々の心の上に現はれた幻影に過ぎぬものであるとする。しかるに我々は眼・耳・鼻・舌・身のはたらきによりて視・聴・嗅・味・觸の五個の感覚を生じ、それによりて外部の一切のものを受け取ることによりて所謂五識を生ずるのであるが、この五識を本として心の内にいろいろのはたらきがあらはれるので、これを意識といふのである。さうしてこの意識は心の内面的の作用で、更に木那識といふものがあらはれて一切迷妄の根本となり、我といふものを固執して何事につきても我執の見を離れることが出来ないのが我々の心の実相である。  三論宗にありてはこの世界に於ける現象の諸相は因縁和合によりて現はるるもので諸法無我である。それ故に、諸相森羅の現在の儘が無体の空相であるから、不生・不滅・不断・不常・不一・不異・不来・不去の八不を説きてすべての人間の妄想を否定することに依りて始めて真実の中道があらはれると説くのである。  華厳宗にありては平等の真如の上に因縁和合の差別の仮相が存在する、又は真如があらはれて差別の諸相をなす、それ故に萬種差別の現象も結局は平等の真如の顕現である。從つて現象界の一事一物名皆絶対其物である、一微塵も其儘平等の真如の顕現であるから差別相の一々の上に絶対の真理を見るのであるが、この差別の当相を事といひ、事と事と互に絶対のものにして、しかもそれが互に相交渉するのである。これを事事無碍と説きて、萬有相互に絶対のものであるの理を悟れば萬物皆我に具して居る。それ故に人々皆大宇宙を包容して我即ち絶対なりと悟れば無我の大道があらはれる。すなはち我即ち仏なることを知ることが出来るのである。  かやうにして我々が智慧を研きて、世の中の実相を知り、又深く自分の心の内面を反省するときは、それによりて真に宇宙の理法を悟ることが出来る筈である。しかるに我々の智慧が理法を悟ることが出来ずして、常に迷妄の境界を出づることが出来ぬのは、我々の心が外界の誘惑によりて溷濁するからである。故に我々は心の静寂を全くして以て智慧を正しくし又これを強くすることを要するのである。さうして、この目的を達するがために重要の方法として説かれるところのものが持戒・禅定・智慧の三学で、彼の八正聖道の実際に外ならぬものである。釈迦教は解脱の目的を達するがために、此の如き行法を修することを説くもので、従つてこれを行法解脱と称するのである。  信心解脱  行法解脱はつづめて之を言へば、自分の力をはたらかして、生死の苦悩を解脱するのであるから、それには第一に智慧を研かねばならず、智慧を研くためには心を静寂に保たねばならず、心を静寂に保つためには道徳の心をあきらかにせねばならぬことは、前に巳にくはしく説明した通ほりである。それ故に、行法解脱は貴き人にして始めてこれを能くすることが出来ることで、平凡の人々にありては一定の行法を修むることによりて解脱の域に達することが出来るといふことを知るのみで、これを実行してその目的を達することが容易でない。従つてそれが徒らに仏教の学問であるといふことに止まつて、これによりて安心立命の宗教の心のはたらきをあらはすことは無い。此の如くにして行法解脱は聖道自力の教に属し、その所説の高く且つ深きものを知るのみにして、これに依りて虚偽・迷妄の心を離れて平安・真実の心に移ることは出来ぬ場合が多いのである。元来我々人間の生活が苦悩に充ちて居るのは人間の自性の中に苦悩せねばならぬところの根拠があるので、それは前にも言つたやうに眼・耳・鼻・舌・身・意の六識に末那識といふ心のはたらきがありて、何事につけても自我に執著し、得手勝手にはからふことを禁ずることが出来ぬからである。  しかしながら、我々にして若し深く自分の相を内観するときは「何れの行も及び難き身なればとても地獄は一定住家ぞかし」と親鸞聖人が言はれたやうな実状に気がつくのであるが、かやうにして宗教的反省が強くなれば自分の身も心も頼みにはならず、いささかも我と思ふ心はあるまじきことであるということが知られるのである。ここに於て「やうやうさまざまの大小の聖人、善悪の凡夫のみづからが身をよしあしと思ふ心をすてて、身をたのまず、あしきこころをさかしくかへりみず、又人をよしあしと思ふこころをすてて、一筋に阿弥陀仏の本願を信樂すれば煩悩を具足しながら無上大涅槃にいたる」と親鸞聖人が説かれるやうに、自からにして宗教の心が感ぜられるのである。  これすなはち仏教にて実相般若と名づけられるもので、常に自性によりて動き、何事も自分の満足を得るやうにはたらくところの智慧を離れたものであるが、それは巳に上章にも説明したやうに、我々人間が自分の智慧によりて彼此のはからひをなすことを止めるとき、我々の心の奥から真実があらはれ出でて、我々の心を照し、それによりて我々の虚偽・雜毒の心が真実の心へと進められるのである。この不思議の智慧が念仏として口にあらはれ、信心として心にあらはれるのであるから、念仏といひ、信心といひ、共に我々が内観の極、我執を離れて、我々の小さい心が周囲の大なる心の中に包まれて生きて居るといふことを喜ぶ心に外ならぬものである。「自力の智慧をもつては涅槃に至ること無ければ無碍光仏の御かたちは智慧の光にてまします故に、この如来の智慧海に進め入れたまふ」と喜ぶ心である。  かういふ境地に到れば、我々の心は無碍自在にして、自分が住むところの外界の一切に帰順することが出来てすべての境遇に甘從し、自分と自分にあらざるものとを区別して自是他非の浅間しい心をあらはすことなく、仏教の言葉にて言へば、自己の全体を挙げて仏陀に合致するのである。巳に自己の全体を挙げて仏陀に合致するに至るときは、目分の心は仏の心の中に侵入して仏の心の外に自分の心はない。自分の心が仏の心の中に侵入して仏心の外に凡夫心が無いやうになれば、すなはち仏凡一体と言はるべきもので、これがすなはち信心と称せらるるものである。普通に信心と言へば、仏を信ずるの心であるとして、自分の心をはたらかして仏の功徳を信ずることのやうに考へられるが、今この場合に言ふところの信心は、全く自分の心のはからいを捨てたときに感ずるところの、我々の心の外に存する大なる心が我々の心の上にあらはれたものであると感ずるのである。それ故に、信心は凡夫の迷心にあらず、全く仏の心が自分の心の上にあらはれたことを感ずるのであるから、我々はこの信心を因として解脱の目的を達することが出来る。それ故に、これを信心解脱といふ。前に挙げた行法解脱が自分の行法の力によりて生死の苦悩を解脱するのに対して、これは我々の内面の心のはたらきによりて繋縛の世界に住しなから自由・平安の心を獲得するのである。  釈尊は弟子の問に対して「涅槃といふのは即ち煩悩の火の滅することである。涅槃は空で、よく煩悩の風雨を避ける。涅槃は帰処にしてよく一切の畏怖のたより場となる。又洲渚と名づける、欲・有・見及び無明の暴流も漂はすことが出来ぬ。又畢竟依といふ、よく一切の畢竟の薬を得せしめるものである。」といひ、又「智慧の眼を以て見るから明かでないが、仏眼を以て見れば明かにある。見るといふに眼見と聞見との二つある。諸仏は眼に仏性を見るのであるから明かであるが、衆生は聞見するのであるから明かでない。著し心に信を生ずれば聞見とは名づけぬ。信に二つの因がある。聴法と思惟とである。信は聴法により、聴法は信による」と説きて窮極の処、我々が涅槃の境地に達するがためには信心を獲得することを必要とし、信心によりて法を聴き、法を聴くことによりて信心を強くすべきを示して居られる。これに依りて見ると、宗教としての仏教が我々に教ふるところは、聞法の功を積みで信心解脱を得ることを肝要とするのである。  聞法生活  此の如く説き了りて、更にその要旨を総轄して考へるときは、第一に宗教の心のはたらきが我々人間の生活の上に極めて必要のものであるということが知られるのである。我々人間の生活を営むがために我々は智能のはたらきを用いて、自分が住むところの世界の事物の真相を明かにすることをつとめねばならぬのであるが、これがためには常に思慮詮索を必要とし、又從つて知識を豊富にすることによりて、我々の生活は段々と整理せられ、漸を追つて改善の途に進むものである。しかしながら我々の精神のはたらきは此の如き智能の方面に併びて感情の作用が常に活動して、それがために上章に述べたやうに我々人間の生活は動をすれば虚偽・迷妄の心に使はれて煩悩熾盛、常に苦悩に充ち満ちて、我も人も共に平安に日を暮すことが出来ぬ、所謂生死の苦界を造り出してその中に生きて居るのである。それ故に、智能の方面を整理すると共に感情の方面を改善して、以て思慮詮索のために苦しむことを始めとして感情の興奮・過度の動括及び不曲などの弊害を防ぐことを要し、若しこれを怠るときは我々人間の生活は苦悩に苦悩を重ねてますます生活の安定を欠ぐものである。この場合にありて宗教の心はその感情を調整するために寸刻も欠ぐべからざるものである。さうして、この宗教の心は智能のはたらきを全く離れたもので、我々が内観を深くして思慮詮素の価値を否定し、我が身と心とがすこしも頼むべきものでないことを知るとき、そこに自から感ずるところのものにして、それがすなはち人間の虚偽・迷妄を離れたる真実である。さうして我々はこれに導かるるのであるが、それを親鸞聖人は阿弥陀仏の本願といふ言葉にて示されて居るのである。  これを仏教の用語にて説明すれば、我々は常に虚偽・迷妄の心を本として自分の周囲を見て居るので、実の如くに真如・法性の平等一味なることを知らざるによりて萬有差別の見に囚はれるところの不覚の心に使はれて居る。これがすなはち煩悩具足・罪悪深重と言はれる所以で、「無明能く一切の染法を生じ、一切の染法皆これ不覚の相である」と「大乗起信論」に見ゆる通ほりである。さうしてかやうな煩悩具足・罪悪深重の我が身と心とは、これを如何ともすることが出来ぬといふ自己の現実を知るとき、我々はただその浅間しさに泣くのみである。さうして此の如くに自分で自我の価値を否定し、全く自我の執著から離れることが出来て、所謂無我の状態になつたとき、そこに感ずるところのものは、我々人間の智能の方面から離れたものである。我々が現に生きて居るといふ事実でも、それは榮養物を取り、運動を整へ、すべて生活を正しくするがために自から生きて居るといふよりも、自分の周辺に大なる力がはたらいて居つて、それによりて我々は生きさして貰つて居るのであると感ずるときは自から喜ぶ心があらはれるのである。これがすなはち宗教の心である。  かやうな心はそれを客観的に心の外に投げ出して、これを仏といひ、仏の本願といひ、或は南無阿弥陀仏などと言はれるのであるが、それは自分の心の現実の相を内観して自我の執著が無くなつたときに自からにしてあらはるる感情のはたらきとして我々はこれを感受するのであるから、それを不思議の力と言ふのである。繰返して言ふが、宗教といふものは智能のはたらきによりてさういふことを理解することではなくして、実際さういふ感情をあらはすことを感知するのである。それ故に宗教の心がよくあらはれるやうにその準備が出来て居らぬときには、さういふことの意味はよくわからぬのであるが、釈尊はこのことを説明して「信は聴法により、聴法は信による」と言はれたのであらうと思ふ。  これを要するに、賢者と称せらるべき特殊の人々は例外として、我々人間に於て宗教の心があらはれるのは自から身と心とを修めて精進努力して一生懸命なることに依るのではなく、さういふ自分の身と心とをはたらかして自我が空虚となつたときに、外から我々の心の中に入り込むところの大なる力を感ずるより外はない。近江堂人中江藤樹の道歌に    何事もただかへりみよ世の中に学ぶ外なき心ならずや  とあるは正にこの意味を示したものである。  かやうにして外から我々の心の中に大なる力の入ることをすすめることを聞法といふ。聞法とは法を聴くのであるが、法は真実にして我々人間の虚偽・迷妄の心を離れたるものであるから、前に言つた真如のはたらきで仏性と称せられるものに外ならぬのである。さうして、この法は世界の一切のものに含まれて居り、若しこれを感受すべき準備さへ調ふて居れば、すなはち感受することの出来るものである。聞法と言へば法が説かれる言葉を聞くといふことのみが考へられるやうであるが、ただ言葉を聞くばかりでその中に含むところの真理を見るのでなければ決して用法と言ふべきではない。宗教の意味にて言ふところの聞法は教法が説かれるのを聞くだけでなく、世の中の一切のものの中に存するところの真実を見ることを指して言ふのである。ただ人間のみでなく、山も川も草も木も犬も猫も石も瓦も、すべてのものが皆真実の法を説いて居るのであるから、此等一切のものにつきて聞法することによりて、我々人間はその虚偽・迷妄にしてしかも我執の心に使はれることから避けられるのである。これがすなはち宗教の心のあらはれであるから、我々が宗教生活として日日まさに營むべきものは聞法生活に外ならぬのである。  ある儒者が一休禅師に参問して「禅とはそも何をか謂ふ」と言つた。すると一休禅師は「禅とは貴公の頭の上にある」と答へた。しかるにその儒者は一休禅師の言葉の意味を捉へることが出来なかつたが、儒者だけに自己の思案をつけて「頭の上と申されたな、つまり屋根のことでござらうな、屋根は家を蓋もの、つまり仁を以て天下を蓋ふ、これを禅と言はれるのか」儒者は儒者らしく理窟張つた考へをした。すると一休禅師は頭を振つて「いや、さうでない、屋根よりももう少し上の方にあるのだ」と言つた。儒者は更に言葉をついで「それならば屋根にとまつて居る島のことかな。なるほど烏には反哺の孝ありと言はれる、禅も亦孝の大道にはづれは致すまい」「いやいや鳥ではない、もう少し上だ」「では空中を飛ぶ鳥のことかな、鳳凰を食ふときに鳳凰あり空中を飛翔す、鷲その鳳凰を奪はむことを恐れて嚇にして鳴くと荘子の言葉にある。由来鳳凰は竹突きでなければ如何なる物をも食はぬと言はれて居る、何んで鳳凰などに心を勞さう君子と小人との区別も亦丁度この鷲と鳳凰の如くであらう。鷲の鳳凰を食ふが如き卑劣な欲望を棄てて鳳凰の悠々と空中を飛翔するが如き貴高清虚な気象を養ふことが、即ち禅の本領ぢやと言はれるのか」一休禅師は「もう少し上ぢや」とすまして居る。儒者は更に口を開いて「それでは天以外にはない。なるほどな、天を知り命を知るは聖人の教と申すから、禅も亦此処に極まると言はれるのかすると一休禅師は「天より上だ。上でわからねば下でもよろしい。貴様の足下にある」「それでやつとわかりました。踏まれれば踏まれるほどによき青畳、一踏み毎に青海原のやうな色をあらはす。人間も亦此の如しで、屈辱に耐へ、恥を忍ぶところに人格が鍛練されて行く。この鍛練の過程が禅の要諦であると言はれるのか」一休禅師は「もつと下だ」といふ。儒者は又理屈をつけて「縁の下なら東西南北開け放しだから八面玲瓏の境界が禅か」と尋ねる。そこで一休師は信者の頭に一拳を見舞つて「禅とは此にある」と言つて「不立文字・教外別伝で、心を以て心に見得するところに禅の神髄がある」と言ひ捨てて去つて仕舞つた。  この話は、禅宗にて悟道と言はれるものは我々人間の妄念妄想を除き去らねばその境に到ることが出来ぬといふことを示すものである。禅宗にて悟道といふは仏道の真理を悟ることを言ふので、それは全く真如の法に順從することに外ならぬのであるが、真如は我々の言葉も断へ、心も及ばぬものであるから、思慮分別によりてこれを捉へることは出来ぬ。たとひ教を聞いても、我々人間の思慮分別の心を以てこれに接するときは、その真実の意味を受得することは出来ぬのである。聞法は単に受教するといふことでなく、これを自得するといふことに重大意味があると言ふことを知らねばならぬ。  三州重原におみつといふ厚信の同行が居つた。この人は口癖のやうに「自分は地獄の釜の蓋の上に住むで居るものである」といひ、自分が火の車に乗つて居るところの円を晝工に書いて貰ふて、これを寝室に掛けて居つたといふほどに煩悩具足・罪業深重の自分の心の現実の相を見て、露塵ばかりも我心を頼みとせず、「南無阿弥陀仏の御力一とつにて御助け下されるぞ」と深く信じて、広大なる慈悲の御恩を喜ぶばかりであつた。かやうにしておみつはありがたい心に満ちてめでたき聞法生活をして居つたが、あるとき美濃の通徳寺が三河巡化に方り、足腰が立たぬのを子息二人に擔はれて參詣し、上がりはなから大声をあげて「通徳寺様通徳寺様」と声をかけた。その時通徳寺は他の同行と談話中であつたが、その声を聞きて、列座の同行に向ひ「あれが来ては何を言ひ出すか知れぬで、お前達はあちらへ行け」と追払はれた。そのあとへおみつは来て「通徳寺様がおいでださうで參らにやなるまへと思ふてやつとの思ひで、唯今子供達に擔はれて参りました」と言ひながら坐敷へ通ほらせて貰ふた。さうしておみつは「通徳寺様、わたしはなあ、いよいよ今が臨終と思ふと、いいか知らん、いいか知らんと思はれます」と言つた。自分の心の愚悪にして地獄に堕つることが一定であると自覚したるみつは、仏の本願の不思議に助けられて必ず浄土に参らせて貰ふことを喜びて、一心一向に阿弥陀仏にすがつて、その高大の慈悲に歎喜して居つたのであるが「いよいよ今が臨終と思ふと、いいか知らん、いいか知らんと思はれます」と言ひて自分の心の愚痴の相を表白して居るのである。かういふ心が強く現れたるおみつの宗教の心は、おみつをして常に歓喜に満ちて自由平安の生活をなさしめたのである。臨終に近くなりて船見といふ人から来た手紙の中に「如来様は必ず助けられる」とある言葉を、子息の久兵衛に三度読むで聞かせて貰ひ、おみつは「ひよつとしたらのう」と言つた。これを聞いた人々は皆不審に思ひ、おみつはあれほどに歎んで居つたのに、かやうに不定心になやむことは気の毒のことであると、悪しざまに言ふ人もあつたといふ。しかしながら、これによりておみつの宗教の心を疑ふのはむしろ疑ふ人の方が間違つて居るのである。おみつはその内観が徹底して自分の将来につきては全く仏の本願に一任して必ず浄土に生れさして貰ふことを喜むで居つたのである。「ひよつとしたらのう」と言ひて未来を心配するやうな心が起るのは、これによりてますます仏の慈悲を喜ぶことを強くする所以である。思ふにおみつは時に退いては自分の心の愚悪の相をかへりみ、又進むでは仏の本願はかやうなものを助けられるものであるぞと喜びつつ、あらゆる苦悩を忍受し、自分の我儘なる心に使はれずして、自由・安樂の生活を進めたのである。これこそ真に聞法生活を営むだものと言はねばならぬ。  西国の一小寺の住持、転派の事につきて江戸に出でて十年程を滞留して居つた。留守中に母は死亡して若き娘兩人が寺を守つて居つたが、あるときのこと姉の娘は火を離れて仕事をして居つたのに、下女は埋火にあたつて居つた。娘の曰く「我だに火を離れて仕事するに、汝はなぜ精出さぬか」といひしに、下女の答に「つめたい故に火にあたる。寝むたければ寝る。いたくな責めたまふな」と言つた。それを聞いた娘は仏前に參りて「ああ、私は何たる仕合せ悪しきものかな。父は遠国に行き、母は死亡し、下女にさへあなどらるることの悲しさよ。とても此世はかやうに仕合せあしければただただ後生を願ふべし」とて、しくしく泣きければ下女来りてその故を問ふ故、かくぞと告げたれば下女の曰く「私の如き悪女でも仏は助けたまふや」娘嬉しくして「浅間しきものほど阿弥陀様はあはれみて棄てたまはずと聴聞した」と言ひければ下女を忽ち発心して後生の道に入つたといふことである。「此世は仕合せ悪しければ後生を願ふべし」といふことを聞けば此世の生活の苦悩に忍從することが出来ずして、後生に避難して安樂の生活を得やうと得手勝手のことを望むやうに思はれるが、この娘の如きは決してさうでなく、此世は仕合せ悪しければと言ふところに自分の心の現実の相を自覚して必随地獄の浅間しきを感じたればこそ仏前に至りてそのことを告白したのである。さればこそ下女もその心と態度との上にあらはれたる真実に動かされて忽ちにして菩提心を起したのである。必随地獄の自分の心によりて大慈大悲の仏の心に遭ふことが出来たのである。貪瞋煩悩の中から仏の光明が其人を照したのである。  三河の野田村の和兵衛といふ人、篤信の行者であつたが、その妻は禅宗生れ、和兵衛は真宗生れ、互にその宗旨を異にして居つた。所が和兵衛は結婚式がすむだ後、三日目に妻に向ひて「因縁が有つて夫婦となつたことぢやが、此世だけのことで一生終つたら、犬猫よりも劣つた日暮しと言はねばならぬから、どうしても未来も一所に仕合せの身とならねばならぬ。しかしお前は禅宗生れ、私は真宗生れであるからお互に縁のある教を聞かにやならぬに依りて、宗旨は彼此は言はぬから、今後はお互に御参りの邪魔をせねやう堅く約束をして置くぞや」と言つて、お互に自分の宗旨の寺へ参つて居つた。ところが此内にたびたび川原のお園とい有名の妙好人が来て、在所の同行が集りて朝から晩まで首をつき込むで話し合ふたが、或時、晝飯の時にお園が茶を汲みに臺所に来たので、妻はお園に向ひ「あなたが御いで下さると、内の旦那や在所の衆が朝から晩まで、さも嬉しさうに御相談をして居られますが、私はいかなる邪見者やら、ただ此世のことばかりが面白うて、後生のことは嫌ひでござります」と、口へ出まかせにいつた。さうすると、お園が言ふやう「さうさう、お前様もさうか、私もそれより外はない。毎日法の話をして居るが、仏法が好きではありませぬ。実は後生のことは大嫌ひで、此世のことが好きでござります。けれど嬉しいことには後生の嫌ひな、此世の好きなものを仏様はすいて下されますげなで、此世好きの後生嫌ひのものが一番がけに參らせて下されますげなで、これが何より嬉しいでのう、このことを毎日談合して居るのぢや」と言つた。妻はこれを聞いて、大いに此言に感激して、真宗の法を聞きたい心が起つて来た。其後妻は夫の和兵衛に向ひて「あなたもあんまりぢや、このやうな旨い法をあなたばかり聴聞して、私には三ヶ年間も禅へやつて、ほつて置かれるといふことがあるものか、若し今日までに死んで居たらどうしませう」と不足を言つた。さうすると和兵衛の曰く「おれも言ひたうて言ひたうてならなんだが、兎角おれの言ふ帳場ではない。お前ばつかりにおかかりなされてある御方があると思ふて、今日まで辛棒して居つたのぢや」と涙ながらに言つた。  和兵衛やお園の態度や言葉を見聞した妻女が、その中に存するところの真実を発見して、遂に同信の行者となるに至つたことは正にこれ聞法の結果である。又和兵衛が妻女に対して「お前ばつかりにかかりなされてある御方がある」と言つたのは既によく宗教の意味にて言ふところの仏を理解したものである。かういふ心が動いてこそ「汝自からの燈火を以て汝自からの道を照らせ」と言はれた釈尊の教がよく自得せられたのである。  美濃のおいや、貧乏なれども格別の喜び手であつた。あるとき山畑へ仕事に行き、行厨の茶をわかすとて茶釜のつるを持つて「あつやあつや南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」と喜びければ人々笑ひて「茶釜のつるの熱いのがなぜ有難いか」と言へば「左様にはあらねども、そのつるの熱いにつけても御恩が身に知られて思はず御念仏があらはれて下さる」と言つた。又田の草を取りに行きて「此草は取り尽しも出来るが、私が心中の煩悩の草ばかりは、どうしても取り尽しのならざるに、かかるものを御助けとはありがたや」と喜むだといふ。法は真実である。真実自からは何事も言はぬけれども、自己を空虚にして事物に接す人の心には真意が法として聞えるのである。この意味からすれば、世の中の一切のものは悉く皆真実の法を説いて居るのであるが、聞法生活をなすことが出来るほどに其心の準備が終ふて居るものにのみ、真にそれが聴聞せられるのである。  本書に収載したところの、「親鸞聖人の宗教」及び「宗教的内省」は講演の筆録である故に、先生生前の好まれたところに從ふて能ふ限り原の筆録の形を保つことに力めた。「聞法生活」は、宗教的内省により吾々が歩むところの宗教生活に関する記述であるから、その意味でこれを本書中に收載した。  本書の編纂並びに校正は、本研究所員月田寛、深澤欣、秋山不二、神保いつよ、牧野睦の諸氏がこれにあたつた。なほ原稿の整理及び校正に就て、遠山諦観師の御教示に負ふところが少くなかつた。茲に記して謝意を表する。(監修者、桐原舊見記之) 昭和十六年八月廿八発行 山文化研究発行者 右代表者 永井千秋 配給元 日本出版配給